僅かな予感と帰還
見覚えのある街の姿を目にし、アレンは思わず息を吐き出した。
予定よりも時間がかかったが、ようやく辺境の地にある街にまで戻ってこれたのだ。
疲れを自覚し、安堵の息の一つや二つ漏れて当然というものだろう。
ただし疲れは疲れでも、肉体的な疲れではなく、主に精神的な疲れではあったが。
「いやあ……中々大変な旅だったねえ……」
「……まあ、お疲れ様と言っておくです。よく頑張ったと思うですよ?」
「まあそうだな。おかげでオレは助かったし、正直お前がいてくれてよかったって思ったけどな」
「……その、ごめん?」
「いや、ミレーヌが謝るようなことじゃないしね」
「……でも、皆のせい」
「まあそこは否定しないっていうか、その通りではあるんだけど……」
だがそのことを理由にしてミレーヌを責めるのは、違うだろう。
そう思い苦笑を浮かべると、肩をすくめた。
何故アレンがこれほどまでに疲れているのかと言えば、別に悪魔の追っ手があったとか、そういうことが起こったからではない。
そもそも悪魔の拠点からは問題なく脱出出来たし、その先にあった洞窟も途中でアキラ率いるアマゾネス達と無事に合流出来、そのまま脱出する事が出来たのだ。
その後の森ではさすがに何事もなかったとは言わないが、数度の戦闘を繰り広げることで無事に脱出することには成功したのである。
しかし問題が起こったのは、その後だ。
アレン達はイザベル達を、とりあえず辺境の地にある街へと連れて行くつもりであった。
イザベル達は悪魔によって連れて来られたため、正式な手段で国境を越えていない。
事情を説明すれば分かってはもらえるだろうし、悪魔の拠点のことなどのことを話すつもりもある。
だが何せ数十人のアマゾネスだ。
どう考えても諸々の手続き等で時間がかかる。
そのため、一旦辺境の地へと向かい、そこで腰を落ち着けてからにしようと思ったのだ。
その考え自体は、イザベル達に受け入れられた。
受け入れられなかったのは、移動手段である。
本当はアレンは、転移で数人ずつの移動を何度も繰り返すことで、一気に辺境の地へと運んでしまうつもりだったのだ。
しかしイザベル達はその提案を拒否したのである。
何でもアマゾネス達にとって、移動とは自らの足で行うものらしい。
余程の緊急事態であれば話は別だが、基本的には空間転移はもちろんのこと、馬車などでの移動も認めないとのことである。
その割にはミレーヌは普通に馬車に乗っていた気がするが、ミレーヌ曰くさすがにあの時は空気を読んだらしく、さらには元々ミレーヌはアマゾネスっぽくないこともありそういうことはあまり気にしないそうだ。
だがその場にいたのは、そういったことを気にするどころか優先的に考える者達である。
転移は当然の如く拒否となり、そうなれば辺境の地へと行くには彼女達の望み通り歩くしかない。
しかし辺境の地へと歩いていこうにも、イザベル達が道などを知っているわけがないのである。
道案内が必要となり、ミレーヌとクロエがその役目は請け負ってくれたものの、そこでじゃあ任せたとか言って自分達だけで転移で移動するほどアレン達は冷酷ではない。
結果的に全員で辺境の地まで歩いて帰ることになったのだ。
が、それだけであれば、アレンも特に疲労などは感じなかっただろう。
問題だったのはその後……ようやく緊張感から解放され、余裕が出来たということで、クロエがイザベル含めた全員から大説教を食らった後のことだ。
必然的に話は悪魔のこととなり、どうやって悪魔を倒したのかということになる。
彼女達によれば故郷を襲ってきたのは複数の悪魔だったとのことだが、どの悪魔が相手であろうとも手も足も出ずにあっさりとやられてしまったとのことなのだ。
戦闘大好きのアマゾネス達が気にならないわけがなく……そこでクロエが告げたのである。
アレンによって悪魔は呆気なく倒されてしまった、と。
それ自体は事実ではあるのだが、どうやらクロエが色々と無駄に脚色を加えたらしい。
アレンはちょうど風呂の準備をしていたために聞き逃してしまったのだが……その直後からだ。
イザベルを含めたアマゾネス達が目を輝かせ、手合わせを願ってきたのは。
いや、一度ぐらいならば、アレンも構わなかった。
良い暇潰しになるし、かつてはアキラともやったりしたのだ。
全員一度ずつとなっても数十回繰り返すことになるものの、その程度ならば問題はない。
魔物の姿を見かけなかったこともあり、良い運動になったとすら思ったのだが……直後にそれは起こった。
二周目が、だ。
そう、イザベル達は一度だけでは満足せず、むしろ他の者達との手合わせを見ているうちにもう一度やりたくなったと言い出したのである。
アレンもまあもう一回ぐらいならばと受けたのだが……あれよあれよという間に三回四回と続き……最終的には、毎日一人一回ずつやることになってしまったのだ。
肉体的には大したことはないのだが、逆にそのせいもあって途中で断る事が出来ず、またイザベル達が妙に楽しそうなことも合わさり、今日まで来てしまった、というわけである。
既に日課のようになってはいるが、さすがのアレンも連日数十人と手合わせをし続けるというのは精神的な疲労を覚えるのに十分なのであった。
「うーん……どっちかというと、謝るのはアタシの方って気もするかなー」
「まあ確かに、オメエが余計なことを言わなけりゃアレンに挑もうとするやつは減ってたかもしれねえですねえ」
「そうか? オレは結局時間の問題だった気もするがな」
「同感だねえ。正直アタシは最初からアレンのことに目え付けてたし、そのうち手合わせ願ってただろうからね。で、それを見て黙っていられるような連中じゃないさ」
「まあ、ぶっちゃけ僕もそう思うかな。僕とはまた別にアキラも多少は手合わせ挑まれてたみたいだしね」
「お前に比べりゃ微々たるもんだろうけどな」
そんなことを話しながら、再び街の方へと視線を向ける。
そのような日々もあそこに辿り着けば終わるわけだが……しかし、それでのんびり出来るかと言えば、そうなるまでにはもう少しの時間が必要だろう。
イザベル達のとりあえずの生活を整えるのも、彼女達のことや悪魔のことなどを伝えるのも、アレン達が何もしないというわけにはいくまい。
全てが終わるのは数日以上必要であろうし、のんびり出来るのはそれからとなる。
ただ……それで本当にのんびり出来るようになるのかは、分からないが。
純粋な事実として、イザベル達のことを報告するにも、報告する先がいないという問題がある。
何せ事が事であるため、報告はかなり上の方……領主あたりにする必要があるに違いない。
そして辺境の地は、管理を放棄されてはいるものの、管轄としてはヴェストフェルト公爵家になる。
つまりはリーズに報告しなければならないわけだ。
だがリーズは未だ王都だろう。
報告するにはリーズが王都から戻ってからでなければならない、というわけだ。
報告が終わらなければ本当の意味でのんびりすることは出来まいし、のんびり出来るのはいつになるのやら、というところである。
それに……その報告すべき件に関わることについて、アレンはどうにも不明なところもあると感じていた。
あの悪魔とクロエの関係や状況というものは分かったし、クロエからの証言で推測の補完もされている。
しかしそれでも、分からない事があるのだ。
たとえば、何故アキラをわざわざあの拠点にまで誘き寄せたのか、というのがある。
クロエの証言によれば目的はそこにあったらしいのだが、誘き寄せてどうするつもりだったのかまでは分からないというのだ。
あの悪魔の言動からすれば殺すつもりだったというのは間違いないとは思うのだが……それだけであるならば、わざわざあそこの拠点にまで誘き寄せる意味はない。
実際アキラとあの悪魔は、砂漠の拠点でも戦っているのだ。
別に拠点でなければ戦えないということもあるまいし、どこか適当なところへと誘導して戦い、殺せばいい。
そうしなかったのは、何か別の目的があったのではないかと思えてならないのだ。
それと、妙にあっさりと片がつきすぎてしまったような気もする。
砂漠の拠点でも思ったが、まだ何かがあるような気がしてならなかった。
まあ、この辺のことはアレンが感覚的に感じていることなので、今のところは誰かに言うつもりもなければ、報告するつもりもないが。
所詮勘でしかないため、気のせいで終わる可能性もあるのだ。
そうなればいいと思ってもいるが――
「さて。それじゃ、オレはそろそろ行くか」
と、そんなことを考えていると、アキラが唐突に立ち上がった。
今はちょうど休憩中だったのだが、アキラは既に出発する準備が整っている。
他の者達はまったく準備などは出来ておらず、だがそれも当然と言えば当然だ。
アキラは辺境の地へは行かず、ここで別行動を取るからである。
「本当にあそこには寄らないでいいの?」
「水や食料は十分残ってるしな。転移で移動してたんならしばらくいてもよかったが、ちと移動に時間をかけすぎた。寄ってたら予定に間に合いそうにねえ。オレにも一応やることはあるからな」
「そうかい……それは悪かったね、アタシ達につき合わせちまって」
「いんや? 中々楽しかったしな。問題はねえよ」
「気をつけるですよ? 今回のことでも分かったと思うですが、悪魔は意外と近いところにいやがるです。特にオメエはなんか狙われてるみてえですし」
「なに、狙われるなんざ慣れてるからな。むしろ向こうからやってきてくれるんなら好都合なぐらいだぜ」
「……本気で言っているから凄い?」
「だねー。アタシじゃそんなこと言えないよ。……あの、今回は本当にごめんね? 多分、一番迷惑かけたと思うから……」
「だから気にしてねえって言っただろ? それに、今言ったばっかだろうが。中々楽しかったってな」
「う、うん……ごめん」
皆が気にしないと口々に言ってはいるのだが、やはり罪悪感というものはそう簡単にはなくならないのだろう。
クロエは謝罪を口にしながら俯いてしまい、だが別れの時に俯いているのはよくないことである。
故に、アレンは少々お節介かもしれないと思いつつも口を開いた。
「クロエ、違うと思うよ?」
「……え?」
「まあクロエ自身の問題だから、僕からはこれ以上気にしないでいいとか言うつもりはないけど……ほら、心の中ではどう思っていようとも、そう何度も謝られたら良い気分はしないよね? それに、助けてもらったって思いがあるんなら、クロエが口にすべき言葉は、それじゃないんじゃないかな?」
「……あっ」
その言葉だけで、クロエには通じたようだ。
俯いていた顔を上げると……クロエは、まだぎこちないながらも、笑みを浮かべた。
「うん、そうだよね……アキラ、ありがとう」
「おう、気にすんな。困ったときはお互い様、情けは人の為ならず、ってな」
そう言ってアキラも笑みを浮かべると、片手を挙げる。
「じゃ……またな」
そうしてアキラは、去っていった。
一度も振り返ることなく、自分の向かうべき場所へと。
その背中を何となく眺めて続け……ふと、互いに顔を見合わせた。
苦笑を浮かべ、動き出したのは、自分達もそろそろ行くかと自然と思ったからだ。
未だ胸の中には、しこりのように嫌な予感が残り続けている。
しかしアレンはそんな予感を振り払うように準備を終えると、皆の準備が終わるのを待って、見慣れた街へと向かい、足を進めるのであった。




