元凶退治
「……え?」
呆然とした声を背中越しに聞きながら、アレンは息を一つ吐き出した。
色々と言うべきことはあるのだろうが、とりあえず言うべきことは一つか。
「――後で特大の説教、だってさ」
「――へ? え、っと……?」
「イザベルからの伝言。他にも色々とあったけど、まあ総じて皆怒ってたってとこかな? 何も言わなかったことに対して、だろうけど」
「……あ」
その言葉だけで、言いたいことは伝わったようだ。
後方から何とも言えない、それでも戸惑いを多く含んだような雰囲気が伝わってくる。
「え、っと……もしかして、アタシがやったことって、皆に?」
「さすがに具体的なことは分かってないだろうけど、まあクロエがどういうことをしてたのか……端的に言っちゃえば、僕達のことを騙してた、ってことぐらいは知ってるかな」
「そっか……バレちゃってるのかぁ……」
その呟きは、諦めから来るものであるように、アレンには聞こえた。
だがそれに何かを言うよりも先に、前方から言葉を投げられる。
「ふむ……なるほど、こちらから披露する前に気付かれていた、か。貴様らがそれの裏切りに気付いたのは、それがここに来たからか?」
「いいや? それよりも前からだけど?」
「え……う、嘘……いつから……?」
「んー、そうだね……強いて言えば、最初から、かな?」
「…………へ?」
予想外の言葉だったのか、クロエは呆然とした声を漏らした。
しかしそれは、事実である。
「幾らアキラが強襲したとはいえ、悪魔の目を誤魔化して隠れ、そのまま逃げ切れるなんて、あまりにも出来すぎてたからね。他にも色々と理由はあるけど、少なくとも最初に疑問を抱いた理由はそれかな。というか、アンリエットにしろアキラにしろ、多分同じように思ってたとは思うよ? ミレーヌに関しては、疑うのよりも信じようとする気持ちの方が強かったように見えたけど。それも無意識にだったようだから、本人は疑ってたことに気付いてすらいないかもね」
「ふむ……まさか、とは言うまいよ。最初からそれほど期待してはいなかったからな。むしろそれから考えれば、予定通り勇者をここに連れてこれただけで及第点だ。しかし、ならば一つ気になるな」
「何が?」
「何故裏切られていると知りながら、ここまで来た?」
「ああ、そのこと? アマゾネス達が捕らえられてるのは本当だったみたいだし、助けを求められもしたからね。なら、来ない理由の方がない。見捨てたら寝覚めも悪いしね」
「裏切り者だというのに、か?」
「んー……なんかさっきから裏切り裏切り連呼してるけどさ――それってそんなに重要かな?」
「……なに?」
アレンにしてみれば当然のことを言ったに過ぎなかったが、悪魔の男は驚いたように目を見開いた。
むしろアレンとしてはその反応の方に驚き、首を傾げる。
「そんな驚くことかな? そもそも、裏切りなんてよくあることでしょ? むしろ最初から裏切ってるって分かってる分行動は読みやすいし、ならそれはもう裏切ってないも同然じゃないかな?」
「えぇー……いや、それは何か違う気がするけど……?」
何故か当人であるクロエから否定されてしまったが、まあアレンにとってはそうだというだけなので別に同意は必要ない。
そもそも裏切ったと言われたところで、クロエから直接的に何か危害を加えられたわけでもないのだ。
クロエから何か誘導された覚えもなく、全ては自分達で選択した結果である。
ここに来ることを決めたのは、アレン達自身だ。
ならば、クロエが何を思って何をしようとしていたところで、何の問題にもなるまい。
「裏切り者が助けを求めたことすらも、問題ないと言い切るか」
「言い切るけど? その助けが心からのものであるならば、裏切り者か否かなんて些細なことでしかないからね」
「ふんっ……まるで勇者みたいなことを言うものだな」
「――まさか。僕はそんな器じゃないよ」
そのことは、散々身に染みている。
そんな大層なものではないということは、きっとアレン自身が一番よく分かっていることだ。
しかし、だからといってそれは、助けを求める声に応えない理由とはならない。
それだけのことであった。
「ふむ……中々に興味深い人物なようだが、それだけに残念だ。私が興味を向ける人物は同時に一人までだと決めているのでな。今はそれの壊れる様を見守ると決めてしまった以上は、貴様の相手をしている暇はない」
「それはよかった。僕もクロエのことを早く連れ帰らないといけないからね。アキラ達に任せたから大丈夫だとは思うけど、出来るだけ早く合流したいし」
「あっ……そ、そうだよ……そもそも、何でここにいるの……!? 皆と一緒にここを出たと思ったのに……」
「んー、何でって言われても困るんだけどね……敢えて言えば、皆の代表として、かな? さっきから言ってるけど、クロエを無事に連れ帰るためと……あとは、元凶をぶっ飛ばすために、ね」
言いながら、アレンは目を細める。
改めて言うまでもないことだが、アレンは現状の大体のところを理解していた。
イザベル達の命を餌としてクロエを好きに動かしていたとか、そうしてアキラをここに誘き寄せようとしていたとか、推測交じりであり理由まではさすがに全てを分かるとは言わないまでも、大体そんなところだろうということは分かっている。
そしてその全ては、結局のところこの目の前の悪魔を倒せば解決するのだ。
だからそのために来たし、そうしない理由もない。
それだけのことだ。
「ほぅ……私を倒す、か? くくっ……なるほど、確かにそうすれば、全ては無事に解決するな」
「まるで無理だとでも言いたげな気がするけど?」
「無論だとも。貴様が本当に勇者であるならば、あるいは勇者がここに来ていたのならば、万に一つぐらいならば勝ち目はあったやもしれん。勇者とは貴様ら人類の希望そのもの……ある意味で私達と近しい存在だからな。だがだからこそ、貴様らでは私達悪魔は殺せん。私達を殺し尽くす術がない以上は、必ずどこかで私が勝つ。――何よりも」
言葉と同時に、男が指を鳴らした。
それだけであり、一見何も起こっていないように見える。
だが。
「――今この場で死ぬ貴様が、私に勝てるわけがあるまい」
視界にもほぼ変化はないが、そのほぼというのが問題でもあった。
僅かな変化というのはほんの少し空間に揺らぎが見えるというもので、その揺らぎが前後左右に上を加え、アレンの周囲を取り囲むように展開しているのだ。
揺らぎの正体はおそらくは圧縮された空間であり、触れればただでは済むまい。
その一つを作り出すだけでも相応の手間と腕が必要だとは思われるが、そんなものを幾つも作り出し、展開するとは、なるほど言うだけはあるようだ。
「ふむ……その様子では何が起こっているか察しているといったところか? これは本当に惜しいな……貴様を心行くまで嬲る事が出来たらどれほど楽しかったことか。今回の私にはとことん運がないようだ」
「運がない、ねえ……まあ確かに、その通りではあるかな? こんな状況でもなければ、もうちょっと遊んであげてもよかったんだけどね」
「……先ほどの言葉は少し訂正が必要なようだ。どうやら、何が起こっているのかは分かってはいても、自分の立場と状況というものは分かってはいないようだな」
「うん? いや、分かってるとは思うけど? 目の前の悪魔が何やら無駄なことをしてるっていうことは」
「……そうか。よく分かった。つまり、死にたいということだな。――ならば死ね」
そう告げると共に、男がもう一度指を鳴らし――
――剣の権能:斬魔の太刀・乱舞。
瞬間、周囲に存在していた空間の揺らぎを全て斬り裂いた。
無論アレンには傷一つなく、ただ息を一つだけ吐き出す。
言うだけのことはあったが、だからといってアレンに通じるかは、また別の話であった。
「――なっ!? ば、馬鹿な……貴様、一体何を……!?」
「何って言われても、ただ斬っただけだけど?」
「斬った……斬っただと……!? 馬鹿な、あれだけの数の圧縮された空間を一斉に斬り裂くなど、勇者どころか、私達ですら……!?」
「そしてさっきも言ったけど、時間をかけるつもりはない。――終わりだ」
――剣の権能:一刀両断。
言葉と同時、振り抜かれた斬撃が、男の身体を両断した。
普通ならばどう見ても即死だが、さすがは悪魔と言うべきか。
起こったことの全てが信じられないとばかりに目を見開くと、自らの身体を見下ろした。
「っ……そして私までもがこうもあっさりと、か。正直信じられぬが……まあいい。結局は同じことだ。貴様がどれほどの力を持っていようとも、私達、に、は……!?」
しかし、それでもどことなく余裕を感じさせる態度だったのだが、しばらくそうしているうちに男はさらに大きく目を見開いた。
何かに気付き、それを心底信じられないと言わんばかりであり――
「なっ……馬鹿な、これは……復元が始まらない、だと……!? 馬鹿な、つまり貴様は……私達を殺せるというのか……!?」
「うーん? ちょっと言ってる意味が分からないんだけど……?」
アンリエットから聞いた話によれば、悪魔とはあくまでも人間の範疇に含まれる存在だったはずだ。
かつてのアンリエットのような高次元の存在であるならばともかく、人間ならば首を刎ね飛ばしたり身体を両断すれば当たり前に死ぬだろう。
だが男の言い方からすると、それでは死なないように聞こえる。
そんな生物が存在するとは思えないし、少なくともアレンは今まで一度も見たことはないのだが……もしかして、アレだろうか。
男の身体を両断する際、何か妙な感じがするものがあったので一緒に斬り裂いたのだが、それが関係でもしているのだろうか。
しかしどうやら思いつくのが遅かったらしい。
「っ……馬鹿な、まさか……私達が真に倒すべきだったのは、勇者ではなかった、ということなのか……? っ……そうか、そういうことか……世界め、どこまでも私達を……!」
そんな意味深げな怨嗟を残し、男は事切れた。
結局どういうことなのかは分からないままだが……まあ、今はいいだろう。
考えるにしても、先に優先すべき事がある。
「さて、なんかすっきりしない感じではあったけど……ま、とりあえず今はここをさっさと後にして皆と合流するとしようか」
「……なんていうかさ、さすがに少しは危ないんじゃないかと思ったんだけど……まったく問題なかったねー。なんか色々と考えたりしてたのが、一気に馬鹿らしくなったよ」
呆れたようなクロエの言葉に、アレンは肩をすくめて返した。
正直なところ、そんなことを言われても、というところではあるのだが……何となくその顔は何かを吹っ切り、開き直ったように見える。
そんな顔が出来るようになった切っ掛けになれたのだというのであれば、それでいいだろう。
そう思い、もう一度肩をすくめると、アレンはさっさとここを後にするため、クロエに手を差し出したのであった。




