残されたアマゾネス
まさにもぬけの殻といった有様であった。
やはり砂漠のあの拠点はここを参考にしたのだと分かるような、だだっ広いだけの空間がそこには広がっている。
物音一つしないその場を見渡し、アレンはふむと一つ呟いた。
「っ……正直なところ、予想してなかったって言ったら嘘になるさね。あの時一人が呼ばれたわけだけど、一人で終わるとも言ってはいなかった。アタシが出て行けば他のやつらは無事だって保証はなかったのさ。だけどまあ……可能性の一つとして考えちゃあいたが、実際にそうなるとさすがにちときついねえ……」
その言葉は、誰かに向けたものというよりかは、独り言に近いようであった。
哀愁を漂わせながら、イザベルはゆっくりとその場を眺め、溜息を吐き出す。
「……ま、いなくなっちまった、ってんなら仕方ないさ。さて、予定が狂っちまったけど、これから――」
どうする、と、そう言葉にするつもりだったのだろう。
だが、その言葉が音になることはなかった。
イザベルが無意識にか広間に向かおうとした瞬間、その場に轟音が響いたからである。
「――なっ……!?」
反射的にイザベルが視線を向けたのは、真下であった。
轟音が響いてきた先が、下からだったからだ。
さらには、似たような音が連続して、二度三度と響く。
そして。
「――やっぱり来たね、このクソ悪魔……!」
「性懲りもなく来やがって、いつまでもあたし達が大人しく従ってると思うなよ……!」
「姉さんを何処に連れていきやがった、返せー!」
そんな言葉と共に、地面が爆ぜると、勢いよく複数の人影が飛び上がってきた。
全員が褐色の肌を持った女性であるその者達は、剣呑な雰囲気を纏いながら拳を握り締め……だがすぐにその顔に困惑を浮かべることとなる。
床に着地すると周囲を見回し、不思議そうに首を傾げた。
「……あれ? あの悪魔いないよ……?」
「え、何で、勘違い……いや、でも扉は開いてるよな……?」
「じゃあ逃げられたってこと……? もー、あんた達がちんたらしてるから……!」
「はあ? あたし達のせいだってのかよ……!?」
「他に何があるってのよ……!?」
物音一つしなかった場所へと、途端に騒がしい音が混ざり始めた。
その発信源である女性達のことを、イザベルがポカーンとした顔で眺めている。
まあ、全員どこかに連れて行かれてしまったと思っていたところからのこれだ。
そんな顔になってしまうのも無理ないことだろう。
もっとも、アレン達の中でそんな顔をしているのは、実のところイザベルだけだ。
理由は単純で、こうなるのではないかということを予め予想し、イザベルを除いた全員で共有していたからである。
確かにこの場には人影一つなく、物音もまたしなかった。
しかし、気配を感じないとは一言も言っていないのである。
イザベルは目に見えた光景に驚き動揺してしまったために気付かなかったようではあったが、他の皆は下に数十人分の気配が潜んでいることに気付いていたのだ。
イザベルにそのことを伝えなかったのは、別に驚かせようと思ってのことではなく、念のためである。
隠れている理由が、アレン達のことを強襲するためではないと断言することが出来なかったからだ。
ミレーヌ達の同胞とはいえ、悪魔の奴隷でもある。
イザベルは契約などは結ばれていないと言ったが、それはイザベルだけがそうであった可能性を否定することは出来ない。
ここが悪魔の拠点であることを考えれば、警戒してしすぎるということはないのだ。
ともあれ。
「――ミレーヌ」
「……いいの?」
「この状況が演技とは見えないからね」
「……確かに。皆、いつも通り」
何のことかと言えば、問題はなさそうだから能力を解除していい、ということである。
彼女達が騒いでいるのはアレン達の姿が見えていないからであり、つまりは未だミレーヌの能力を解除してはいなかったのだ。
それもまた彼女達が悪魔に操られていた場合を想定してのもので、だがこの様子ならば必要はあるまい。
ずっと握られていた服の裾からミレーヌの手が放されるのを感じ――
「大体あんた達はいっつも――え?」
「何言ってんだお前だってよく――は?」
「えっ、い、いつの間に、って、ね、姉さん……!?」
彼女達からすれば、アレン達は何の前触れもなくこの場に現れたように見えるのだろう。
当然のように驚きの顔を浮かべ……それでイザベルも、我に帰ったようだ。
しかし同時に今まで展開されていた光景のことも思い出したのか、イザベルは呆れたような顔で彼女達のことを見回した。
「色々と言うことはあるし、あんた達も聞きたいことはあるだろうけど……とりあえずは説教だね。ったく、敵の姿が見えないからって油断した挙句くだらない言い合いしてんじゃないよ……!」
「は、はいごめんなさい……!」
悲鳴と怒声が響く中、アレン達は顔を見合わせると、苦笑を浮かべ肩をすくめた。
「ったく……情けないとこ見せちまったね、色々な意味で」
「まあ、とりあえずは全員無事だったみたいだし、それでよしとすべきじゃないかな?」
そんなことを言いながらその場を見渡せば、もぬけの殻だった広場には沢山のアマゾネスの姿があった。
ざっと眺めた限りでは全員元気そうであり、むしろ力は有り余っていそうだ。
その数十の瞳が向いているのは大半がミレーヌやクロエで、表情にははっきりとした喜色が浮かんでいる。
中にはイザベルに向いていたり、アレン達に向いているものもあるが、少なくともそこに負の色はない。
多少の警戒はあるようだが、イザベル達と一緒にいるからか、事情はまだ説明していないにもかかわらずアレン達はある程度受け入れられているようだ。
とはいえ。
「で、どうすんだ? 正直のんびり事情を説明してる暇はなさそうだがよ?」
「まあちと派手にやりやがったですからねえ。既に何か異変を察知されてても不思議はねえです」
「……うっ」
やりすぎた自覚はあるのか、先ほど地面から飛び出してきた数名が目を逸らした。
まあ、扉は開けっ放しだったし、その状態で床を豪快に破壊したのだ。
奴隷が暴れて逃走することを想定していないわけがあるまいし、何か異常事態が発生したということは伝わってしまっていると考えるのが自然だろう。
出来るだけ早くここから逃げ出すべきではある。
「まあなに、こいつらは確かに馬鹿ではあるけど、物の道理が分からないほどじゃない。あんたらが助けに来てくれたってことぐらいは言われずとも分かってるだろうし、それだけが分かれば十分だろうさ」
「……他の説明はいらない? ……さっきから、ジッと見られてるけど」
「そりゃ気にはなるだろうからね。だけど、だからといってこの状況で説明を求めたりはしないさ。……そうだよね?」
「も、もちろんだよ姉さん……!」
「……姉さん? そういえば、さっきもそう呼ばれてた気がするけど……妹さん?」
「ああ、いや、アタシ達は一つの村で一つの家族、みたいなもんだからね。血の繋がりはなくてもそんな風に呼ばれたりもするのさ」
「へえ……」
アマゾネス独自のものというよりは、村社会独自の習慣みたいなものに近いのかもしれない。
しかしそれもまた、今気にするべきことではなかった。
「まあとりあえず、事情の説明をしないで済むんなら助かるかな。じゃあ、あとはどうやってここから逃げるかを話すだけだね」
「あん? 今来た道を引き返すだけじゃねえのか?」
「出来るんならそれが一番早いんだけど、どう考えても警戒されてるって考えるべきだろうしね」
「ああ、そりゃ確かにそうか」
「かといって、どうすんです?」
「んー、やっぱり一番いいのは、二手に分かれること、かな? 片方は陽動を兼ねて」
「……兼ねる? 他にも目的が?」
「アキラの目的は、どっちかと言えば悪魔を倒すことでしょ? ならちょうどいいんじゃないかと思って」
「なるほど……確かにそりゃそうだな。よし、オレはその策に乗ったぜ。当然陽動側でな」
「問題はどうやって陽動するのか、ってとこかねえ。ただ暴れるだけじゃ読まれるだけだろう?」
「だね。外に出るための道も限られてるし……」
砂漠の拠点がそうであったように、おそらくここも出口は一つしかあるまい。
途中でどれだけ暴れたところで、そこを張られたら終わりだ。
悪魔と戦ったところで負ける気はしないものの、ここは完全に向こうに地の利がある上に、数十人の守られなければならない者達がいる。
出来ればその状況で戦いたくはないものだ。
何とかして陽動側に引き付ける事が出来ればいいのだが――
「あ、あの……」
と、そこで不意に声が上がった。
その瞬間皆の顔に驚きが浮かんだのは、アマゾネス達と合流したにもかかわらず、今までその人物が一言も喋っていなかったからだろう。
声を上げたのは、ずっと俯いていたクロエであった。
「ちょっとアタシに考えがあるんだけど、いいかな?」
「考え……?」
「うん……実はさっき皆が隠れてた隠し部屋のこと、アタシ前から知ってたんだよね。だからこそ、あそこでも似たようなものがあるんじゃないかって探したんだし」
「へえ……そうだったのかい。それで、それがどうしたのさね?」
「うん。で、皆はあの先も調べた?」
「先……? あの部屋に先なんてあったっけ?」
「いや……部屋以外は何もなかったはずだぞ?」
「まあ、随分と分かりにくく隠されてるからね。でもあるんだよ。それで、その先は通路になってるんだけど……実はそこが――」
僅かに迷いを見せながら、それでも何かを決意したような顔で、クロエは話を続ける。
そしてアレンはその姿を眺めながら、黙ってその話へと耳を傾けるのであった。




