薄暗い中で
薄暗い洞窟の中を、ゆっくりと先に進んでいく。
一見するとただの洞窟にしか見えないが、ここは既に悪魔の拠点である可能性が高いのだ。
さすがのミレーヌも緊張を隠せず、こくりと喉を鳴らす。
それにアキラによれば、砂漠にあった拠点では魔物が所々に配置されていたという。
魔物の中には特殊な力を操るものもいれば、人よりも遥かに感覚の鋭い存在もいる。
今のミレーヌ達は姿が見えないというだけなので、気付かれてしまう可能性は十分に有り得るのだ。
森そのものが天然の要塞と化しているためここにも魔物が配置されているかは不明だが、油断出来ないことに変わりはない。
慎重に、焦らず、それでいて必要以上に怯えることのようないよう、警戒を続けながら足を動かしていく。
実のところ、ミレーヌは悪魔の拠点に来るのがこれが初めてである。
砂漠には同行したものの、悪魔が既に引き払っていたあそこは厳密な意味では拠点とは呼べまい。
ミレーヌが悪魔の奴隷をやっていた時は、各地を転々としていただけだったのである。
他の悪魔に会ったことはあるが、拠点に寄る事はなかったのだ。
そのため、内部がどうなっているのか、悪魔達が拠点で何をしているのか、ということを予測するのは非常に難しい。
中心となっている現状ミレーヌが先導しなければならないのだが、正直なところどう動いたものか迷っていた。
無論のこと、優先とすべきことが何であるのかは理解している。
まず優先すべきは、情報を得ることだ。
故郷の人達を助ける、というものでないのは、そのためにも捕らえられている場所を知る必要があるし、何よりも本当にここに捕らえられているのかを知る必要があるからである。
アレン達が掴んだ情報である以上は、ここが悪魔の拠点であるのは間違いないのだろう。
砂漠で遭遇したあの悪魔がここに逃げてきたということも含め、疑う理由はない。
だがそうだとしても、ここに故郷の人達が捕らえられているとは限らないのだ。
最初からここに連れてこられていない可能性もあれば、別のところに移動した後な可能性もある。
だからこそ、まずはそこを調べる必要があるのだ。
とはいえ――
「……どうするべき?」
小さい呟きと共にミレーヌが見上げた先は、やはりと言うべきかアレンであった。
自分でも少々アレンに頼りすぎであることは自覚しているものの、これは仕方のないことでもある。
今までのことを考えれば、間違いなくこの中で最も頼りになるのはアレンなのだ。
クロエのことは親友だと思ってはいるが、こういう時に頼る先ではない。
それに、おそらく今はそもそも頼ること自体が難しいはずだ。
既に繋いだ手から伝わってくるものは温もりだけとなっているが、手を繋いだ直後は僅かではあるが震えていたのである。
今も落ち着いたというよりは我慢しているだけにしか見えず、どちらかと言えばミレーヌの方が頼られ支えなければならない立場であった。
昔からクロエには世話になっているのだし、こういう時こそ役に立つべきだ。
それはミレーヌが最近やりたいと、やろうと思っていることとも合致している。
今こそ昔とは違う自分を見せる時であり……だがそう決意したところで、人の得意不得意というものは簡単に変わるものではない。
そして正直なところ、クロエはあまり考えることが得意ではないのだ。
適材適所とばかりにアレンのことを見つめれば、アレンは苦笑を浮かべた。
それから、繋いだ手の甲を軽く二回叩いてくる。
このままで問題ない、という合図だ。
どうやらとりあえずは、適当に歩いてみる、という方針でいいようである。
頷きを返すと、安心してそのまま足を進めた。
洞窟の中は薄暗くはあるも、視界が利かないということはない。
壁が僅かに発光しているからだ。
しかし似たような光景だけが続き、今のところは魔物の姿もない。
まあ、天然の洞窟であるらしく、歪な形に広がっているその場所は、五人が並んでもまだ余裕がある程度には横に広いが、高さはアレンがその場で跳べば届いてしまうだろう程度しかないのだ。
魔物が下手に暴れてしまえば崩落の危険もあることを考えれば、さすがにここには置けないのだろう。
だがそんなことを考えながら歩いていると、不意に視界に変化があった。
「……さらに奥に続く穴……下に続いてる?」
「みたいだね。ただ、狭いなぁ……二人は厳しいし、一人ずつ、かな? ミレーヌのこれって、手を繋ぐ以外でも大丈夫だよね?」
「……問題ない」
「なら、念のためにアレンを先頭にしとくべきですかね?」
「だな。認めるのはシャクじゃあるが、オレじゃ応用力が足りないからな。オレは素直に最後尾につくぜ」
「了解。じゃあ僕の後ろがミレーヌで、アンリエットはアキラの前かな?」
「むぅ……ちと気にいらねえですが、まあここは我侭言う場面じゃねえですか」
素早く状況を確認し、方針と隊列を決めると、アレンが繋いでいた手を離し、先頭に立った。
手を離してしまったことでアレン達の姿は見えるようになってしまったが、当然、問題ないと考えてのことだろう。
しかし状況を考えれば、なるべく早く再開すべきだ。
そのままアレンの腰に抱きついた。
「……えーと、ミレーヌ?」
「……身体の一部が接触してればいいから、これで問題ない。あとはアキラがミレーヌの肩を掴んで歩けば完璧」
「アレンがどう考えても歩きにくいあたりどう見ても完璧から程遠いじゃねえですか」
「つーか一部って自分で言っときながら全身で接触してんのはどういうこった。まあ別にオレはそれでも構わないけどよ」
「いや、僕が構うかな。慎重に歩かなくちゃならないから歩くことそのものは実際それほど問題にはならないだろうけど、いざって時に困るしね」
「……残念」
無論冗談……半分ぐらいは冗談なのでさっさと離れ、少し考えた末に服の裾を掴む。
さっきは身体の一部と言ったものの、実際にはこれでも問題はないはずだ。
周囲から何か言いたげな視線を感じるが、無視しつつクロエへと視線で促す。
それだけ分かったらしく、クロエはミレーヌの肩を掴み……そんなクロエの姿を横目で眺めながら、ミレーヌは僅かに眉をひそめた。
相変わらずクロエの様子が少しおかしいからだ。
クロエが混ざる必要がなかったとはいえ、会話にもまったく参加しなかったし、気もそぞろといった様子である。
やはり自分が一緒にいるというだけでは心の安定は得られないということか。
だがそのことを悔しくは思うものの、ミレーヌが眉をひそめたのはそれだけが理由ではない。
どことなく妙だとも思ったからだ。
ミレーヌの知るクロエというのは、ぶっちゃけるとかなり能天気な性格をしている。
なのにここまで静かに行動するだけだというのは、違和感を覚えるほどなのだ。
確かに悪魔の拠点に来ているのだし、緊張したり怯えを感じるのは当然ではあるだろうが……それでも、過剰な気がした。
それとも、そう感じるのはミレーヌが助けられてから時間が経っているからだろうか。
ミレーヌもまた悪魔の拠点に来て思うところがあるとはいえ、正直その思いはかなり薄くなっている。
一般人が悪魔に対し感じるのに比べれば多少強いぐらいだろう。
それに対し、クロエが助けられたのはついこの間のことである。
そう考えれば、別におかしくもないのかもしれないが……。
まあ、妙だと思ったところで、具体的に何がとか、何故だとか、そういったことが思い浮かぶわけではない。
大体何かあれば、多分アレン達が先に勘付いているだろう。
ということは、単にミレーヌが考えすぎているというだけなのかもしれない。
何せ、どう見てもここからさらに悪魔の拠点の奥深くへと向かおうかというところなのだ。
多少神経質になってしまったとしても、仕方ないに違いない。
……そうであればいいと、そうであって欲しいと、そんなことを思いながら、ミレーヌは薄暗くなっていく先を眺めつつ、アレンに続いて狭い洞穴の中へと足を踏み出すのであった。




