勇者と龍
最初から、威力偵察というのは考えていなかった。
龍の実力は未知数ではあったが、半端に戦いを挑んでしまうと、それによって約束を反故にしたと捉えられ龍が周囲の村などを襲う可能性があったからだ。
龍は約束をしたことは絶対に守ると言われているが、その判断基準はあくまでも龍のものでしかない。
龍は知性を持つものの、所詮人とは異なる存在なのである。
龍の基準ではそうなるのだと言われてしまえば、どうしようもなかった。
故に、陽動などという手を使いはしたものの、あくまでもそれは手段としての一つだ。
加減をしたり様子見をするという意味ではない。
最初から全力で、出し惜しみはなく、先手必勝の心構えで。
来るのが遅ければ自分だけで倒してしまうというのは決して冗談というわけでもなく――だから。
山頂を登りきり、斜面ではなく完全に平地となっている場所へと足を踏み入れたその瞬間、アキラは反射的に舌打ちを漏らしていた。
『――人間よ、よくぞ我が巣へと訪れた。盛大に歓迎するとしよう。そして――死ね』
もちろん、相手から問答無用で攻撃されるという可能性も考えてはいた。
いた、が――
「クソっ、ある程度想定してはいたとはいえ、本当に問答無用で攻撃してくるたあなぁ……!」
まさか本当にそうきて出鼻を挫かれるとはと、悪態を吐きながらアキラは、視界一面が真っ赤に染まったその場から全力で飛び退いた。
自分が直前にまでいた場所が轟音と共に炎に包まれるのを横目に眺めながら、眼前……否、頭上へと視線を向ける。
青い空の真ん中に、その赤い巨体はあった。
全長は五十メートルほどか。
金色の瞳を細め、見下ろしてきているその姿は、間違いなく龍だ。
睨み付けるように見つめると、こちらを小馬鹿にするような声が頭の中に響いた。
『ふっ……何を異なことを。貴様らこそそのつもりであったのだろうに……その程度のことが我に分からぬとでも思っていたか?』
事実にあるだけに反論することは出来なかった。
しかも、と周囲を見渡しながら、ついアキラは舌打ちを漏らす。
咄嗟のことであったために避けることしか考えられず、退路を防がれた。
今来たばかりの道は、炎に包まれている。
他の場所からでも下りる事は出来るだろうが、相当足場が悪そうなため逃げ切れまい。
別に逃げるつもりはないものの、選択肢の一つを問答無用で潰されているという状況はよろしくなかった。
頬を伝う汗は、ここまで届いてくる熱さのせいではなく、冷や汗だ。
やはりアレンに身の程を思い知らされておいて正解だったようである。
肌に伝わる感覚からいって、間違いなくあの龍は自分よりも強い。
自分の力を過信したままここに来ていたら、さっきの一撃であっさり殺されていたかもしれなかった。
とはいえ、ここで引くというのはナシだ。
出来る出来ない以前の問題である。
あとはアレンに任せてしまうのが賢い選択なのかもしれない。
だが助けを求められたのは自分で、助けると決めたのも自分だ。
アレン達はあくまでも自分を手助けするためにここに来ているのだから、その自分が真っ先に逃げるわけにはいかなかった。
格上であり、地の利も向こうにあるとなれば不利どころの話ではないが、なら地面に叩き落してやればいいだけの話だ。
その手段は持っている。
「はっ、偉そうにしやがって……いいぜ、そっちがその気ならこっちだって問答無用だ。待ってやがれ、まずはそこから引き摺り下ろしてやるよ……! ――堕ちろ雷帝」
――勇者:魔法・サンダー――
右腕を振り上げ、天から雷を叩き込んでやろうとした、その瞬間のことであった。
『――くくっ……いいのか? 巻き込むぞ?』
「あぁ? 一体何を――」
意味深な言葉と共に、龍が真下へと顔を向けた。
それはあまりにも隙だらけであり、構わず攻撃を続けようとも思ったのだが……結局アキラもそちらに視線を向けたのは、何となく嫌な予感がしたからだ。
山頂は開けており、平地とはなっていたものの、大小様々な岩が転がっていた。
だが言ってしまえばそれだけであり、特に目を引くような何かがあるわけではない。
確かにアキラの魔法は狙いが大雑把なため、あれらの岩を砕いてしまうかもしれないが、別にそれで誰が困るわけでもないだろう。
そうは思ったのだが、何故かアキラの意識はそのうちの一つに向かっていた。
それは小さく、薄汚れた岩であり――否。
「……おい、テメエ」
その正体が分かった瞬間、アキラは拳を握り締めていた。
爪が掌に食い込んだが、知ったことではない。
ボロ雑巾のように転がされているそれは、子供であった。
見知った顔だ。
洞窟で寝ているはずのあの子供であった。
しかし一瞬それと気付けなかったのも無理はない。
四肢が食いちぎられ、なくなっていたからだ。
『どうした? 何か気にでも障ったような声だが……うん? もしやアレの姿が気に入らなかったのか? だがアレは我への贄だ。ならば我が好きに喰らうのは当然のことであろう?』
その時のアキラの頭は、妙に澄んでいた。
何故だとかどうやってだとか様々な声が頭の中を飛び交ってはいたものの、強烈な感情が全てを塗り潰す。
――それは、殺意だ。
「――ぶっ殺す」
別にあの子供と何があったわけではない。
ただ歩いている途中で倒れていたのを拾っただけだし、名前すら聞いてはないのだ。
事情を聞いて頭には来たし、自分のことを生贄として差し出すようにした村に復讐するでもなく助けを求めすらしなかった時には馬鹿なのかと思いもしたが、それだけ。
本当は助けを求められたとは言っても、それは寝言でしかなかったのだが……それだけだ。
龍とは戦った事がなかったし、イライラしたからその龍を殴ってすっきりしようとか思っただけだという、本当にそれだけでしかないのである。
ああ、それだけで――それでも、本気であのクソ野郎を殺そうと思うには十分であった。
――勇者:黒刃滅塵。
瞬間アキラの周囲に浮かんだのは、無数の黒い刃だ。
勇者っぽくないから使うなと言われていたものではあったが、今の気分に最も合うものだったのだから仕方がない。
左手を持ち上げ、照準を合わせるように掌を向ける。
「――死ね」
握り締めるのと同時、黒い刃が龍へと殺到し、全てを黒で塗り潰した。
だが。
「……ちっ。さすがにこれで片付くほど甘くはねえか」
舌打ちを鳴らした直後、ガラスが砕けるような音と共に、変わらぬ姿の龍が現れる。
しかもこちらに見せ付けるようなその姿は、完全に無傷だ。
『どうした? この我と対峙しているのだ。このような遊びではなく、もっと本気で来てくれて構わんのだぞ?』
その尊大で、嘲るような言葉に、アキラは再度舌打ちを鳴らす。
言うまでもなく本気で殺す気だったし、それに今の技を使うなと言われていたのは、あまりに強力すぎるからでもあったのだ。
力の差があるとは分かっていたが、さすがにここまでとは予想外である。
だがおかげで、少しだけ頭が冷えた。
「……一つ聞かせろ。何故あのガキを殺してねえ」
そう、あの子供は四肢を食いちぎられてはいたが、死んではいないのだ。
どころか、血が流れていないあたりからも分かる通り、止血までされている。
龍の巨体を考えると、まさか四肢を食っただけで満足というわけではあるまいし――
『ふんっ……そもそも、何故我ら龍が贄などを欲しがると思う? 我らは別に貴様らを食いたいわけではない。貴様らの顔が絶望に染まる姿を見たいだけなのだ。我らは強すぎる上に長い時を生きる故、それはちょうどいい暇潰しなのでな』
「……っ」
つまり、敢えて長く苦しめるためにあんなことをしているというわけだ。
想像以上にクソったれな理由に、唇を噛み締める。
『そうだ、折角だから貴様にもう一つ教えてやろう。我がアレをどうやってここに持ってきたか不思議に思っているようだが、単に貴様らの後をついていたというだけのことよ。そも、アレが逃げ出せたのは我の手引きによるものだからな』
確かにそれは、疑問ではあったことだ。
あの村の様子からいって、誰かがこっそりと逃がさせたとは考え辛い。
本人は偶然だと言っていたため、そういうこともあるのだろうと一先ず思ってはいたのだが――
『贄を逃がしたら何が起こるだろうかという興味本位からのものであったのだが……まさかこんなことになるとはな。我が見ているとは知らずに我を倒すよう請け負うところなど笑いを堪えるのに苦労したが、中々愉快な余興だったぞ?』
「……そうか、よく分かった。やっぱり死ね、クソ野郎」
吐き捨てるように告げながら、剣を引き抜く。
それはアレンと手合わせをした際にも使用したものだが、その時とは様子が変わっていた。
アキラの意思に応えるように、その刀身が淡く光っているのだ。
しかしこちらこそが正しい姿である。
聖剣オートクレール。
勇者のみが扱うことの出来る、勇者のための剣だ。
『ほぅ……? 聖剣、か……なるほど、確かにあの時も勇者などと言ってはいたが、本当だったようだな』
「謝るなら今のうちだぜ? まあ謝ったところで今更許しやしねえがな」
『くくっ……吼えるではないか、勇者程度が』
「あぁ……?」
『何かを勘違いしているようだが……勇者などは所詮一千年程度前に現れたばかりの新参者よ。万の時を生きる我に勝てるつもりなど、身の程を知るがいい』
「はっ……なら、その新参者の一撃、食らってみやがれ……!」
空を飛んでいるとはいえ、攻撃が届かないわけではない。
しかも今あの龍は完全に油断していた。
それが命取りだと、アキラはその姿を睨みつけながら、地を蹴ると一直線に突っ込んだ。
本来の龍ならば簡単に撃墜出来るようなものだろうが、やはり油断……いや、慢心しているようである。
確かにあの巨体からすれば、万が一アキラの一撃を食らったところで致命傷には程遠いのだろう。
だがアキラには、その一撃を致命に届かせるための手段があった。
――勇者:滅魔の蒼電。
アキラの右手に力がこもり、オートクレールの刀身を蒼い雷が纏う。
それこそは、人類に仇なす全てを焼き尽くす、勇者にのみ使うことを許された滅魔の蒼電である。
その直撃であれば、如何な龍であろうとも耐えられる道理はない。
そして。
――勇者:ファイナルストライク。
(あの世で後悔しやがれ)
アキラは心の中でそう吐き捨てながら、全ての力を込めた腕を突き出し――
『……それで? 食らってみたが……それがどうかしたのか?』
「……馬鹿、な」
突き刺さるはずだった刃は、鱗に触れたところで完全に止まっていた。
蒼電は鱗の一枚も焼くことはなく、全て弾かれている。
今まで無数の敵を葬ってきた剣が、勇者の力が、まったく通用しなかった。
だが即座にその状況から次に移れたのは、直近で敗北を経験していたからなのだろう。
アレンと手合わせをしていなければ、そこで完全に固まってしまい、命を失っていたに違いない。
――もっとも。
それほど大差はないと言われてしまえば、その通りではあるが。
直後、全身に凄まじい衝撃を受けるのと共に、アキラの身体が地面へと叩きつけられた。
「がはっ……!」
まるで全身がバラバラになったかの如き衝撃であった。
口から血の塊が吐き出され……しかも、指先一つ動かす事が出来ない。
それは、身体がこれ以上アレに立ち向かうのを拒絶しているようでもあった。
『ふんっ、なんだ……一撃を受けてやったのだからこちらも返してやったというのに、やはり勇者というのはその程度か。聞いていたよりも大したことはなかったな』
何かを返したかったが、声すらまともに出なかった。
遅れてやってきた痛みでそれどころではなく、それを叫ぶことすら出来ない。
龍の瞳からは完全にこちらからの興味は失せており、だがこのまま見逃すつもりもないようだ。
その口が大きく開かれ、奥に炎の塊が見えている。
嘘だろ、こんな呆気なく、と思うが、やはり身体はピクリとも動いてくれない。
そのままその光景を眺めていることしか――
「んー……ここで介入すると、まるでタイミング図ってたみたいに見える気がするんだけど、まあ言ってる場合でもないか。それにある意味では、間違ってもいないしね」
暢気そうな声が耳に届いた瞬間、アキラの脳裏に浮かんだ言葉は、そういえば、という半ば現実逃避気味のものであった。
正直なところ、今の今まで完全に忘れていたのだ。
それにここまでの実力の程を知ってしまった以上は、さすがに無理なのではないかと思ってしまい……だが、直後に起こったのは、そんな思考の全てを吹っ飛ばすほどの出来事であった。
「…………は?」
痛みだとか何だとか、全部消し飛んだ。
ただ間抜けな声が漏れただけであり……きっと顔にも同じような表情が浮かんでいたことだろう。
しかしそんなことは、どうでもいいことであった。
『…………は?』
まるでアキラの放った声をなぞったような音が、龍から聞こえる。
表情はさすがに分からなかったが、それが酷く間抜けに聞こえたことだけは確かだ。
そして同時に、仕方のないことだろうとも思う。
先ほどアキラが全力を叩き込んでもその身体には傷一つ付かなかったというのに、何故かその背から生えている一対の翼の片側が、根元から消え失せていたからである。
……いや、消え失せていた、という言い方は正しくないか。
何故ならば、龍の背から失われた翼は、自然の理に従い、地面へと落下している最中だったからだ。
それを目にし、今更その事実に気付いたかの如く、翼が失われた部分から勢いよく血が噴き出した。
『……馬鹿、な』
これまた先のアキラが放った言葉をなぞったような音が龍から聞こえるのと同時、空中でバランスを崩したその巨体が、そのまま地へと落ちた。




