悪魔と奴隷
眼前の建造物を眺めながら、男はふと目を細めた。
これをこのまま壊したらどうなるだろうかと、そんなことを思ったのだ。
だが結局実行する事がなかったのは、そんなことをしたところで無意味に終わるだけだということを理解しているからである。
その程度でアレを――忌々しい勇者を殺せるのならば、とうに始末出来ているはずだ。
逆説的ではあるが、そうでないという事実そのものが、これを壊したところで意味などはないという証拠なのである。
あるいは、万に一つ程度の可能性ならばあるかもしれないが、その程度ではこれを壊すことなど出来るわけがない。
自分達は対して苦労していないとはいえ、それなりの時間がかかっているのだ。
もう一度作り直す手間を考えれば、気軽に実行出来ることではなかった。
何よりも、そもそも男にはそんな権限はない。
故に男に出来ることは、精々がくだらない妄想を弄ぶことぐらいなのだ。
と、そうして暇を潰していると、眼前の建物――先日まで拠点とすべく整備していた場所から、人影が現れた。
アマゾネスであることを示す、浅黒い肌を持つ少女だ。
そんな少女の存在に気付きながらも、男に焦ったりする様子がないのは、元々その少女と会うためにそこにいるからである。
ある程度の距離にまで近付いてくるのを待った後で、口を開いた。
「ふむ……遅かったな」
「……無茶言わないでくれるかな? これでも抜け出してくるのに苦労したんだけど?」
「そんなことは私の知ったことではないな。貴様……まさか少し離れていただけで自分の立場を忘れたわけではあるまいな?」
「っ……」
睨むでもなく視線を向けただけで、少女はビクリと身体を震わせた。
どうやら忘れてはいないようだと満足気に頷くと、男は話を続ける。
「まあ、貴様のことはどうでもいい。それよりも、首尾はどうなっている?」
「……今は見ての通り、手分けしてここを調べてるところだよ。まあだから、アタシもこうして抜け出してこれたんだけど」
「ふむ……そのようだな」
そう言って目を細めた男の視界には、眼前の光景に重なるようにして複数の景色が映し出されていた。
合計で三十ほどあるその中では、見覚えのある少年や少女が何かを探るように壁や床などを叩いている。
この建物の中で現在行われている光景であった。
男の持つスキルの力によって、男は遠く離れた複数の地点の光景を眼前の空間に映し出す事が出来る。
今は必要がないために切っているが、やろうと思えば音を拾うことも可能だ。
予め定められた場所に限定されるため、正直それほど使い勝手はよくないが、特定の状況には滅法強い。
自分達の拠点に侵入してきた者達を監視したり……あるいは、使い方次第では特定の人物と誰にも知られずに連絡を取り合うことも出来る。
基本的には一方通行ではあるが、見ている先にこちらの音や姿を届けることも可能だからだ。
目の前の少女をこの場に呼び出したのも、その方法を使用したのである。
「この状況は、貴様が作り出したのか?」
「……そうだよ。一塊になってても時間がかかっちゃうだけだから、手分けして探そう、って提案した。そうでもしなきゃ、抜け出せなかったし」
「ふむ……だが、計画の変更が必要だと言ったのは貴様だったはずだが?」
「そうだけどさ……すぐに呼び出すなんて思うわけがないじゃん」
「先ほども言ったはずだぞ? 私は貴様の都合など知ったことではない、と。そもそも計画に変更の必要があるのならば、何故必要なのかということを尋ねるために貴様を呼び出すのは当然であろうに」
「それもそうかもしれないけど……下手したらバレちゃうかもしれないんだよ? 折角――」
「――別に構わんが?」
「……え?」
まるで予想外のことを言われた、と言わんばかりの呆然とした顔を晒す少女に、男は鼻を鳴らした。
どうやらこの奴隷はまだ自分の立場が分かってはいないらしい。
「貴様の正体が露見したところで、私に……否、私達にとって、何の関係があるというのだ? 別に私達には何の問題もない」
「え……だ、だって、それじゃあ……」
「ふむ……確かにその時は、勇者に警戒されることとなるだろう。計画の建て直しも必要になるやもしれん。だが、それだけだ。その時は、正面から勇者を滅ぼすだけのことよ」
「そ、そんな……それじゃあ……」
「ふんっ……何度も言わせるなよ? 身の程を弁えろ。見つかって困るのは貴様だけであって、私達ではない。貴様の同胞達を助けたいのならば、精々私達の役に立つことだ」
「っ……はい」
俯き震えながら頷く少女の姿に、男は再度鼻を鳴らす。
実際のところ、男の言葉は半分程度は嘘だ。
少女のことがバレて困るのは、男達もなのである。
勇者と正面から戦えないとは言わないものの、その時には相応の被害が出てしまうだろう。
出来ればそれはよろしくない。
可能ならば計画通りにいくのが一番なのだ。
だがそのことを少女に悟らせてはいけない。
裏切ることは考えにくいが、妙なことを考えないとも言い切れないのだ。
しっかりと思い知らせ、立場を叩き込む必要があった。
「さて、私達の奴隷でしかない貴様が立場を弁えたところで話を戻すが、それで、計画の変更が必要だとはどういうことだ? この後は貴様が記憶を頼りに私達の拠点へとやつらを案内する予定だったはずだろう?」
「えっと、それが……アタシが案内するまでもないみたいで……」
「……なに?」
案内するまでもないということは、既に拠点のことを知っているということか。
しかしそれは有り得ないはずだ。
ここはともかくとして、あそこは自分達のみの力で作った場所である。
周囲に情報が漏れるはずがない。
ならば、有り得るとするならば――
「……まさか、あの一瞬で拠点の位置を逆探知したとでもいうのか?」
それしか考えられまい。
自分達ですら出来る者はいないだろうが、他に方法がない以上はそれが事実だ。
「う、うん……そうみたい」
「……そうか。どうやら私達はまだ勇者の力を侮っていたようだな。いや、それとも共にいた誰かのギフトか? まあ、どちらでもいいことだが……」
何にせよ、拠点の場所が知られてしまったというのならば、確かに計画の変更が必要である。
結果的には変わらずとも、過程こそが重要だったのだ。
だがこの調子では、それとなく困難な道を案内させ消耗させる、という手段を取ることは出来ないだろう。
記憶が曖昧だと言ってそうさせるつもりだったが、場所が判明している状態でそういうことをするのは不自然になりかねない。
計画の練り直しが必要だ。
「ふむ……もっとも、大幅に変える必要はあるまい。最終的に目指す状況は同じだ。あとは過程をどうするかだが……まあ、いい。多少の時間はある。場所が分かったところで、一度引き返す必要はあるだろう。その時間と準備の時間を考えれば……」
「えっと……引き返す時間は、必要ないって。一瞬で戻れるから。アタシも体験したから、多分事実」
「なに? ……まさか、空間転移、ということか?」
頷く少女の姿を眺めながら、思わず男は舌打ちを漏らした。
まさかそんなことすら可能だとは。
まだ見積もりが甘かったようだ。
しかしそうなると、あまり時間は残されていまい。
早急な計画の練り直しが必要そうであった。
「まあ、貴様の言いたいことは理解した。一先ず計画を変更することは確定だ。詳しい話は決まり次第知らせよう」
そしてそうと決まれば、いつまでもここにはいられない。
早急に戻り話し合いを行う必要があるだろう。
どうせ互いに足を引っ張り合うだけではあるが、やらないわけにはいくまい。
「さて、では私は戻る。……分かっているとは思うが、くれぐれも妙なことは考えるなよ?」
「何度も繰り返し言われなくたって、分かってるよ。アタシ達が助かるには、これ以外ないんだから……」
「ふむ……そう願いたいものだな」
仮に裏切ったところで、問題ないようにはしてある。
だが勇者との決戦を前に、余計なことなどないに越したことはないのだ。
男――悪魔は、そうしてクロエという名のアマゾネスへとしっかり釘を刺すと、その場から姿を消し、急いで自分達の拠点へと戻るのであった。




