成すべきこと
この状況で現れる存在など他にいないだろうが、それでもその名が呟かれたことは、ミレーヌにとって少なくない衝撃があった。
やはりと言うべきか、悪魔という存在はミレーヌにとってまだまだある意味で特別な存在なのだ。
無論のこと、良い意味ではない。
クロエと無事に再会でき、故郷の他の者達もどうやら無事ではあるようだが、だからといって悪魔が故郷を襲ってきたことと、しばらくの間自分が悪魔の奴隷をさせられていたことに変わりはないのだ。
あれからそれなりの時間が経ってはいるが、まだ完全に吹っ切れたわけではなかった。
ただそれでもすぐに立ち直る事が出来たのは、この場には自分よりも衝撃を受けているだろう者がいるからだ。
悪魔から注意を外さないままにちらりとクロエへと視線を向けてみれば、先ほど聞こえた声の通り呆然としたままであった。
「……知ってる顔?」
「……うん。ここにいた悪魔の一人」
ミレーヌの声に返答はあったものの、その動きはどことなく緩慢だ。
だがそんなクロエのことが気にはなりつつも、ミレーヌは睨みつけるように悪魔の男の姿を見つめた。
そうだろうと思ってはいたものの、やはり実際に肯定されると感じるものが違う。
悪魔の奴隷となっていたからこそミレーヌはよく知っているのだが、悪魔というのは基本的には個人主義者である。
あるいは利己的と言うべきかもしれず、その行動の根元にあるのは自分にとって利益があるか否か、というものなのだ。
他の悪魔と協力することはあっても、それは誰かのためではなく、結局は自分のためでしかない。
そういったこともあってか、悪魔というものは自分の物を他人に与えるどころか貸すことすら極端に嫌う。
要するに、捕らえたアマゾネス達がここで働かされていたということは、ここにいた悪魔達が彼女達を捕らえた張本人である可能性が……あの時故郷を襲った悪魔である可能性が高いということである。
そんな相手を前にして平静でいることなど、出来るはずがなかった。
しかしそれでいて即座に何らかの行動に移る事がなかったのは、皆が無事だということを知っているからだ。
それで恨みが消えるわけではないし、今も無事かも分からないものの……だからこそ、ここで先走るわけにはいかないのである。
皆の行方についての手がかりが、わざわざ向こうから来てくれたのだ。
この機会を逃すわけにはいかなかった。
そうしてどうやって情報を手に入れようかと考えていると、悪魔の顔がこちらを向いた。
いや、ミレーヌを見ているというよりは、その視線の先にいるのはクロエか。
その顔を確かめるように目を細める。
「ふむ……私のことを悪魔と断定するだけではなく、ここにいた、とも口にするか。そういえば、アマゾネスが一匹足りてはいなかったが……なるほど、どうにかして逃げおおせていた、ということか」
そう呟きながら、周囲をぐるりと見回す。
一人一人の顔を確認するように眺めた後、嘲るように口の端を吊り上げた。
「だがそうして逃げおおせておきながら、またここに戻ってくるとは。どのようにして勇者と知り合ったのかは知らぬが……いや、勇者がここを襲撃してきた時にでも遭遇したか? そしてそれによって気が大きくなったというのであれば、愚かとしか言いようがないな」
「はっ……オレにビビって慌てて逃げ出したやつがよく言うぜ。愚かだってんなら、それにもかかわらずこうしてオレの前に堂々と姿を見せたお前の方だろ?」
「ふむ、逃げた……そう捉えられてしまっているのはあまり愉快なことではないが、まあ構わぬか。愚者が賢者の行いを理解出来ぬことなど、よくあることだ」
「何だよ、違うってのか? オレにはそうとしか思えなかったけどな」
「無論だ。何故ならば、貴様の襲撃は予見済みだったのだからな」
「……へえ?」
その言葉に、アキラがすっと目を細めた。
聞き逃せない言葉だと、全身で主張している。
それはそうだろう。
アキラがこの拠点を襲撃するに至った経緯は聞いている。
アキラは勘などでここを見つけたわけではなく、そういった情報を買ったことで知ったのだ。
情報屋、と呼ばれている者達がいる。
文字通りの意味で情報を扱う者達であり、彼らに集めることの出来ない情報はないという。
さすがにそれは誇張された話ではあるものの、彼らが様々な情報を扱い、時に他国の機密であったり、誰にも知られていないような秘密を知っていることがあるのは事実である。
そして彼らは情報を扱うがゆえに、誰よりも情報の価値を知っているし、情報に対して真摯だ。
金を払えば大抵の情報は流すものの、絶対に売ることのない情報というものもある。
顧客の情報と、偽りの情報だ。
また、噂話程度の情報を事実として売ることもない。
彼らが事実として売る情報は、相応の根拠のあるものでしかないのだ。
その分値が張るものではあるが、それだけの価値はある。
彼らは情報を扱うからこそ、友誼を結ぶことは叶わない。
彼らには情報屋としての矜持があるからだ。
その矜持によって、時に友の情報を売ることも厭わない。
彼らと必要以上に接するということは自らの情報を無料で売り渡すことと同義であり、余程の事情でもない限り彼らと親しくすることはないのである。
だがゆえに、彼らのことはそのもたらす情報含め信頼出来るのであり……悪魔の弁は、その信頼を打ち崩すものだ。
アキラはここの情報を手に入れるや否や、即座にここに向かったという。
つまり、アキラが襲撃してくるのを予め分かっていたというのならば、アキラが情報を買ったという情報が流されたということに他ならないのだ。
が、まあ……それは、そう考える事が出来る、ということでもある。
悪魔はあくまでも予見という言葉しか使ってはいないのだ。
その他の何らかの手段でアキラの襲撃を知ったのかもしれない……あるいは、単純に予想していただけの可能性もある。
勇者のことだからそのうち襲撃してくるに違いない。
そう予測していただけだとしても、悪魔は嘘を言っていないということになるのだ。
いや、そもそもの話、悪魔が嘘を言っていないという保証すらもない。
結局のところは戯言の域を出ないものでしかなく、アキラもそのことを理解しているのか、くだらなげに鼻を鳴らした。
「こっちの動揺でも誘おうってか? 悪魔のくせに随分と……いや、お前らが卑怯なのはいつものことだったな」
「何とでも言うがいい。真の知性を持つ者とは、貴様のような愚者にはそのように見えるというだけのことだ。が……だからこそ、気になるな。貴様、どうやって私の仕掛けを見抜いた? 貴様らは誰一人として気付いてはいなかったはずだ」
先ほどの言葉からして察してはいたものの、やはりあの一見何もないように見えた小屋の中には何らかの仕掛けが存在していたらしい。
しかしアキラの一撃によって、諸共消し飛ばされたようだ。
もっとも、あれが意図的であったのかどうかは、何とも言えないところである。
少なくとも、ミレーヌは小屋の中に仕掛けられていたというもののことに気付かなかった。
しっかり自分の目で確かめたにもかかわらず、何かがあるようには見えなかったのだ。
だが、意図的でなかったのだとしたら、明らかにやりすぎであった。
そしてミレーヌはアキラとの付き合いがそれほどあるわけではないが、アキラが無意味にそんなことをする人物ではないということぐらいは知っている。
ということは、明確には分かっていなかったとしても、何かを勘付いていた可能性が高いということになるわけだが――
「あ? どうやってて、んなもん勘に決まってんだろ?」
そう言ったアキラは何の気負いもなく、ただ事実を言っていると言わんばかりの態度であった。
いや、おそらくは実際その通りなのだろう。
誰も気付くことの出来なかったものを、単なる勘で見抜いたと、そう――と、そこまで考えたところで、ふとミレーヌは気付いた。
誰も気付くことの出来なかった。
――本当に?
思ったのと、視線を向けたのは同時であった。
向けた先にいるのは、アレンである。
悪魔が現れて以降一度も口を開いていないアレンは、ただジッと悪魔のことを見つめており……ミレーヌの視線に気付いたのか、アレンはこちらに顔を一瞬だけ向けると、小さく肩をすくめた。
それで理解する。
やはり、アレンは小屋の中に何かがあるということに気付いていたのだ。
しかし何故そのことを伝えなかったのか、と思ったところで、先ほどの悪魔の言葉を思い出す。
誰一人として気付いてはいなかった……悪魔はそう言っていたはずだ。
その言葉は、こちらの行動を知っていなければ出てこないものである。
それに考えてみれば、悪魔が現れたタイミングもピッタリすぎた。
至った思考に、なるほどと頷く。
どうやら、あの悪魔は何らかの方法でこちらのことを監視しており、アレンはそのことに気付いていた、ということのようだ。
おそらくは、アレンの言葉に同調していたアンリエットもそうなのだろう。
二人が悪魔への対応を完全にアキラに任せているのも、その辺のことに関係しているのだろうか。
情報を得ることに徹しているのか、二人は悪魔の言動を注視しており……そんな姿にミレーヌは、唇を噛み締める。
不甲斐なかった。
二人は……いや、アキラも含めれば三人共、悪魔に対してしっかり対応出来ているというのに、自分がしたことは驚いているだけだ。
こんな有様では、皆のことを助けることも、折角やろうと決意したことも果たせるわけがない。
情けないにも程があった。
だが、そこで終わらせてしまったら、それこそ何にもなるまい。
反省は後だ。
アレン達を見習い、ミレーヌも悪魔の言動を注視する。
「ふむ、勘、か……そのようなもので私の策謀を切り抜けるとはな。やはり勇者とは厄介なもののようだ」
「ならどうするってんだ? また卑怯な手段で逃げでもすんのか?」
「そんな挑発に乗る理由はないのだが……まあ、よかろう。ある意味ちょうどいいとも言える。どれだけ厄介であろうとも、死んでしまえばそれまでなのだからな」
「はっ……やれるもんならやってみやがれ……!」
言葉と同時、アキラが飛び出した。
アキラだけで十分だと思っているのか、やはりアレン達に動きはない。
ミレーヌはどうするかを一瞬考え……結局、二人に倣うことにした。
アキラの実力は知っているし、悪魔の実力が分からない以上は、手助けをするにしてもまずは悪魔の手の内が多少なりとも分かってからの方がいい。
そんなことを考えながら……ちらりと一瞬だけ横を見る。
それに、クロエがどう動くのかも分からない。
ミレーヌよりも余程クロエの方が直接的に恨みを抱いているはずだ。
今はジッと悪魔のことを見つめているだけだが、その横顔から何を考えているのかは読めない。
何をしても不思議はなく、その時のために待機しておきべきだろう。
というか、正直なところここまでクロエが動きらしい動きをしていないことの方が驚きなのである。
クロエは基本的に直情型の性格だ。
考えるよりも先に行動するタイプであり、ミレーヌの知るクロエならば、既に悪魔へと襲い掛かっていそうなものであった。
ただ、それだけのことがここで……悪魔からされていたと、そういうことなのかもしれない。
表面上はミレーヌの知るクロエと変わりがなく、あっけらかんとしているようではあったが、時折何とも言えない違和感のようなものを覚える時があった。
それは多分、ミレーヌの知らない何かが原因なのだろう。
再会するまでそれなりの時間があったし、ミレーヌもクロエの知らない経験を色々としている。
まだ話せていないことも多く、聞けていないこともきっと多い。
しかし今は、こちらが優先だ。
ミレーヌはアキラの方へと意識を向け直すと、隣を気にしながらも、ジッと注視するのであった。




