勇者と悪魔
蒼い稲妻が走り抜けた瞬間、轟音と共に地面が爆ぜた。
帯電した空気が弾け、視界を覆っていた土煙が晴れていく。
だが遮るものがなくなった眼前を眺めながら、アキラは思わず舌打ちを漏らしていた。
「ちっ、外れ……いや、遅かった、か? ここまでのことを考えたら、何もないって方が不自然だしな……まあ、不自然なのは、見たままでもあるが」
自らの思考を整理するように呟きながらその場を見渡してみると、そこに広がっているのは何もないだだっ広いだけの部屋であった。
天井までの高さは二メートルほどで、大きさそのものはパッと見では測れない程度には広い。
天井のことを考慮に入れなければ、アキラの知っている中で最も近いのは体育館か。
もっとも、床も天井も壁も、その全てが石造りだという時点でまるで違う印象しか受けないが……しかし、問題なのはそこではない。
この部屋には、文字通りの意味で何もないということだ。
そう、この部屋には、埃すらも落ちてはいないのである。
あからさますぎて、逆に何らかの罠なのではないかと疑うほどであった。
「むしろ罠なら返り討ちにしてやるだけだから楽なんだけどな。……さすがに、そう上手くはいかねえか」
無造作に足を踏み出し、壁やら地面やらを触ってみるが、何かが起こるような気配はない。
罠を張ることで逆に探られることを警戒したのか、それともそんな暇すらなかったのか。
おそらく前者だろうとあたりをつけながら、アキラは溜息を吐き出した。
「ったく……本当に鬱陶しいやつらだぜ。喧嘩を売ってきやがるくせに、逃げ足が速いときたもんだ。いい加減何とかしてえんだが……」
出来るのならば、とっくにやっている。
元々アキラは、絡め手を使ったり色々と考えたりするのはあまり得意ではない。
正面から突っ込んでぶっ飛ばすのが、一番性に合っているし得意なのだ。
「で、ようやくそれが出来るかと思ったらこの有様だしな……ちっ、本当に面倒なやつらだな――悪魔ってのはよ」
そもそもアキラがどうしてこんなところに来たのかと言えば、悪魔を叩きのめすためであった。
とはいえ、別にアキラは悪魔と正面から事を構えているわけではない。
いや……ではなかった、と言うのが正確か。
少なくともアキラ自身は悪魔に対して思うところはなかったし、敵対しているつもりもなかった。
だが、適当に旅をしているうちに幾度か小競り合いのようなことになったこともあれば、結果的に悪魔達のことを邪魔することになったこともある。
そしてそんなことを繰り返しているうちに、どうやらアキラは悪魔から敵だと認識されてしまったようなのだ。
しかしそれでも、アキラから何かをするつもりはなかったのだが……さすがに何度も命を狙われれば鬱陶しいし、面倒にもなる。
そっちから喧嘩を売ってくるというのならば買ってやろうじゃないか、となるのは当然の帰結であった。
そうして今までの鬱憤を晴らすが如く悪魔を叩き潰すことを決め……だがそこで問題が一つ発生する。
悪魔を叩き潰すのはいいが、どうすればそれが可能になるのかが分からなかったのだ。
実のところ、悪魔の所在地というのはあまりはっきりとは分かっていない。
悪魔の国に侵略を受けているというのはよく聞く話だが、具体的に悪魔が国を率いて襲ってくるわけではないため、その所在を掴みにくいのである。
悪魔は基本的に魔物を操り、その力で以て他国を侵略し、滅ぼす。
魔物であるから、人の兵士のように補給を受けたり休息をする必要はなく、拠点を必要としないのだ。
アキラは何度か悪魔が攻めてきているという戦線へと向かったこともあるが、拠点を見つけるどころか、悪魔の姿すら見かけることはなかった。
しかも悪魔は一国を滅ぼしたところで次の国へとそのまま向かうだけであり、跡地に拠点を作っているという話を聞いたこともない。
実際に襲われてもいるのだから、悪魔が存在している、ということだけは間違いないのだが、何処にいるのかというのはまるで分からないのだ。
かといって、拠点が存在しないというわけでもないはずである。
拠点のような場所が存在していた、という話を聞いたことがあるからだ。
まあ、その拠点はそのまま滅ぼされた……というか、そいつが滅ぼしたらしいが。
ともあれ、拠点が存在しているのならば、探せば必ず見つかるはずだ。
その難易度を別にすればではあるが。
だが、様々な場所へと足を運び、情報を集めれば、それなりに、らしい、ものを見つけられるようにもなってくる。
そうしてようやく、拠点だと確信を持てる場所を見つけることに成功したわけだが――
「ここにきてまんまと逃げられるなんざ、我ながら情けなすぎんな。……やっぱ道中の魔物は無視しとくべきだったか? いや、そのせいで悪魔と戦ってる最中に邪魔されたんじゃ意味ねえしな……」
ああでもなければこうでもない。
今回は果たしてどういった行動を取るのが正解だったのか。
少なくとも、間違いなくここは悪魔の拠点で、悪魔はつい先ほどまでここにいたのだろう。
室内だというのに道中魔物で溢れていたり、不自然すぎるこの部屋の状況から考えればそれは明らかだ。
この部屋から物が全てなくなっているのは、空間転移でもして丸ごと何処かへと移動させた、といったところか。
そうでもなければ、ここまであからさまなことはしまい。
もっとも、それが分かったところで、何の意味もないが。
「……まあ何にしろ、失敗しちまったことだけは確実、か。しかも何の手がかりもねえときた。ちっ、ゴール目前で振り出しに戻るとか、すごろくじゃねえんだぞ?」
ぼやいてはみるも、それで現状がどうにかなるわけではない。
適当にその辺を叩いたりしてみるがやはり何も起こらず、アキラは幾度目かとなる舌打ちを漏らす。
この様子では、まず間違いなくまた一からのやり直しだろう。
「いい加減誰かに協力頼むべきか? このままじゃ次もまた同じようなことになりかねないしな。まあとはいったところでオレが頼めそうなやつなんてあいつらぐらいしかいねえんだが……」
そんなことを考えながら、アキラは何もないその部屋を歩き回る。
何かあるかもしれない、などと思ってのことではなく、ただの念のためだ。
悪魔に関してろくに情報を手に入れることが出来ていないのは、アキラだけではない。
侵略を繰り返し国と人を滅ぼし続ける悪魔の情報を何とか得ようと多くの者達が色々と試しているというのに、未だに悪魔に関しては分かっていることの方が少ないぐらいなのだ。
悪魔は狡猾且つ用心深く、余程の偶然でも重ならない限りは手がかり一つ見つけることは出来まい。
それを考えると、本当に今回は千載一遇のチャンスだったのだが――
「――ん?」
と、端まで来てしまったし、やはり何もなかったな、と思い戻ろうとした、その瞬間のことであった。
踏み出した足の裏に、妙な違和感を覚えたのだ。
眉をひそめ一歩後ろに下がってみるも、見た目は他の床と変わりない。
もう一度改めて踏みつけてみれば、伝わってきた感触から材質も同じだということが分かる。
だが同時に、何故違和感を覚えたのかということも分かった。
その場にしゃがみ込み、軽く地面を叩いてみれば、明らかに振動は地面の向こう側にまで響いている。
この先に、空洞が存在しているということだ。
それも、おそらくはそれなりに大きい。
「さて、どうしたもんか……いや、やることは決まってるか」
ここまで来て何も得られなかったなどと言って引くことは出来まい。
果たして、鬼が出るか蛇が出るか。
目を細め、口の端を吊り上げると、アキラは手にした聖剣を、思い切り地面へと叩きつけるのであった。




