終わりに向けて
その場に歩み出ながら、アレンはさてと呟きつつ周囲を見回した。
だが平静を装いながらも、実はその心中は、どうしたものか、という戸惑いが占めている。
どう行動するかを迷っているというよりは、そもそも何がどうなってるのかが分かっていないためであった。
ぶっちゃけた話、それっぽく出はしたものの、アレンは現状を正確に把握しているわけではないのだ。
というか、まずは情報収集をしようかと思っていたら、それどころではなさそうだったので慌てて出たというのが真相なのである。
しかしそんな素振りは見せずにその場を見渡しながら、とりあえず各々の様子を眺めていく。
アレンと相対するような形になっているのは、ここ最近よく見た顔――カーティスだ。
その一歩前に出て、カーティスを守るように構えているのは、こちらも見たことのある顔……確か、リゼットという名だったか。
以前ラウルスの街で遭遇した、黒狼騎士団の一員である。
カーティスはこちらのことを忌々しそうに、リゼットは警戒しいつでも動けるように重心を落としているが、アレンは一先ず二人から視線を外す。
別にそこの二人は重要ではないからだ。
そうして視線を移動させれば、自分達が今いる石造りに通路の脇に、鉄格子のはまった部屋があるのが見える。
そこにいるのも、やはりと言うべきか見知った顔であり――
「んー、元気そうで何より、っていうのもちょっと変かな? まだ前回会ってから一日も経ってないし」
「……状況を考えれば、別に変じゃねえと思うですよ? つーか……オメエ実は現状がどんなものがまったく分かってねえですね?」
さすがはアンリエットと言うべきか、こちらのことはお見通しらしい。
胡散臭そうな目を向けられたので、肩をすくめて返しておく。
「まあ、といっても全然分かってないってわけじゃないけどね。凡その概要であれば分かってるし」
「でしょうね。じゃなきゃここにはいねえでしょうし……あと、オメエの後ろにいるやつのこともあるですしね」
そう言ってアレンの後方へとアンリエットが視線を向けた瞬間、後方からビクリと身体を震わせる気配を感じた。
あまりいじめないでやって欲しいのだが……まあ、これはある意味仕方のないことか。
そんなことを考えていると、カーティス達もアレンの後ろに誰がいるのか気付いたようで、その顔に驚愕を浮かべていた。
先ほどアレンが現れた時と同等か、あるいはそれ以上の驚きがそこにはあり……直後に、カーティスの顔へと憎しみにも似たものが浮かぶ。
「お前……お前が何故そこに……!? 一体どういうことだ……!?」
「どういうことも何も、見たままだと思うけど? やっぱり事情は知ってる人に聞くのが一番だし、知らない場所へ行くには知ってる人に案内してもらうのが一番手っ取り早いしね」
「……セリア、裏切ったってこと、っスか?」
アレンの後方にいる人物の名を呼び、裏切った、などと言いながらも、リゼットの顔には困惑が浮かんでいた。
それはまるでそんなことが出来るわけがない、とでも言いたげなものであり、カーティスもすぐにハッとしたような顔をして叫ぶ。
「そうだ……黒狼騎士団は、俺の命令に逆らった瞬間、身体中に死ぬほどの激痛が走るようになってるはずだ。裏切れるはずがない……!」
「あー、やっぱりあれってそういうやつだったんだ。えぐいなぁ……いやでも、犯罪者に対する抑止って意味なら間違ってもいない、のかな?」
非人道的ではあるものの、効果的であるのは事実だ。
何よりも相手は死刑囚であり、そもそも犯罪者の人権を叫ぶような人はこの世界にはいまい。
アレンとて別に彼女のことを思ってその枷を外したわけではないのだ。
結局自分の事情を優先している以上、アレンに文句を言う権利はないに違いない。
「……待て。その言い方からすると、『契約』をどうにかしたってのか……!? 馬鹿な、あれは契約のギフトを持つ本人にも解除は不可能なはずなものだぞ……!?」
「そんなことを言われてもなぁ……結構簡単にどうにか出来たよ?」
確かに一見強固なように見えはしたが、強固故に脆かったと言うべきか。
全知と理を使ってちょっと小突いてみたら、割とあっさり壊す事が出来たのだ。
「っ……本当に出鱈目な……!」
「まあアレンですからね。そのぐらいは普通にやると思うです」
「いや、アンリエットがそっち側みたいな顔をしてるのはおかしくない?」
実際アンリエットならば、アレンよりも余程上手くやるに違いない。
結界破りや術式の壊し方をアレンに教えたのはアンリエットだからである。
「アンリエットは見ての通り、囚われの哀れな身ですからね。オメエの同類扱いされるなんて、とてもとても、ってやつです」
「どう考えても余裕綽々って感じなのに、哀れとか言われてもねえ……」
と、そんなことを言っていたら、カーティスも現状を思い出したらしい。
アレンとアンリエットの姿を見比べると、憎々しげな顔をアレンへと向けてきた。
「……まあ、契約をどうやって解除したのかなんてことはどうでもいい。つまりお前は、そうやってそいつから強引に話を聞きだした、ということか……!」
「え、そういう認識をされるのは心外なんだけど? というか、そういう風には見えないと思うんだけど?」
後方にいるためアレンからその顔は見えないが、セリアはきっとカーティス達のことをしっかり見つめている筈である。
そもそも、本来アレンはここに一人で来るつもりだったのだ。
どんなことになっているか分かったものではないし、実際リーズ達は置いてきている。
なのにセリアがここにいるのは、道案内を建前として本人が自分も来たいと言ったからだ。
おそらくは、自分でやってしまったことの始末を、自分でつけるために。
「……自分から話したってことっスか? それこそ有り得ないっス。黒狼騎士団に堕とされようとも、セリアが未だ騎士の心を保ち続けているのは私が一番よく分かってるっスから。自分から裏切るなんて有り得ないっスよ」
「んー、それはむしろ逆じゃないかな?」
「逆……? どういうことっスか?」
「逆に聞きたいんだけど……君達がやってることは、本当に騎士らしいのかな? 国の為とは言いつつも、結局はお偉いさん達の都合の為に無実の人へと罪を押し付けてるだけだしね。騎士だからこそ、黙ってそんなことに従うよりも、裏切りの烙印を押されることになろうとも、止めようとするものなんじゃないかな?」
実際にアレンがセリアに対しそんなことを言ったわけではない。
そう思いはしたし、何も言っていないとは言わないものの、アレンがセリアに言った言葉はもっと単純なものだ。
本当にこれでいいのかと、そう尋ねただけである。
そしてそこで苦悩を見せたからこそ、アレンは契約とやらを砕いたのだ。
「……いや待て、お前の話はおかしい」
「え、どの辺が? 僕は事実しか言ってないんだけど……」
「お前の言ってる事が正しいなら……お前は俺の護衛がそいつだったことに気付いてたということになる」
「ああ、そういうこと? ――うん、知ってたけど?」
「なっ……!?」
確かに普通に考えれば、アレンとセリアの接点はない。
だが、カーティスの連れていた護衛、あれが実がセリアだったのだ。
だからこそ帝都を離れてからセリアと話す事が出来たし、それを知っていたからこそアレンは素直に帝都から一旦離れることを選んだのである。
「まあ事情を聞いたところで大体は予想通りだったけどね。ああ、リーズ達は驚いてたし、怒られもしたわけだけど」
「そりゃ怒られるに決まってんじゃねえですか」
「まあそうなんだけどね」
分かっていたというのに、黙っていたのだ。
怒られるのは当然で、素直にお怒りはちょうだいしておいた。
「っ……予想通り、だと……? 馬鹿な、そんなはずは……! なら、そいつが俺の護衛をしていたことにいつ気付いたというんだ……!?」
「うん? そりゃ勿論最初からだけど? そうだね、具体的に言うんなら……フィーニスであのエルフの森を襲ってきた男と入れ替わった時点で、かな?」
「なっ……!? ば、馬鹿な……! つまりお前は、あいつが護衛だったということにも……!?」
「当然気付いてたけど?」
気付きながらもアレンが何もしなかったのは、結局のところカーティスが何をするつもりだったのかが分からなかったからだ。
本当にアンリエットのためになることだった可能性もあったし、あるいはアレンが手を出してしまうことでアンリエットのためにならない可能性もあった。
その判断が最後まで付かなかったからこそ、アレンはここまで動くことはしなかったのだ。
「ま、あの男に関してはさすがに反省してるけどね。放っておいたせいでノエル達を危険な目に合わせちゃったわけだし」
一応土下座はしておいたものの、あとでもう一度しっかり謝っておく必要があるだろう。
無論、リーズにも、だが。
「……全部予測出来てた……? そんなの、有り得ないっス。……もしも、そんなことが本当に出来るのなら……」
呟きながらリゼットが向けてきた目は、覚えのあるものであった。
よく、向けられていたものだ。
化け物、という言葉が今にも聞こえてきそうで、苦笑を漏らす。
今更過ぎて特に思うところはない……と言ってしまうと、さすがに強がりが過ぎるか。
平穏に暮らしたいというのは、そういう目でもう見られたくないからでもあったのだから。
しかし正直なところ、自分で思っていたよりも思うところが小さいのは事実であった。
それはきっと……自分のことをしっかり見てくれる人がいるということを、理解しているからだろう。
あの頃とは、違って。
「さて、ぶっちゃけ現状はよく分かってないんだけど……まあ、少なくとも君がアンリエットにとって害悪にしかならないってのは分かったしね。アンリエットをこれ以上ここに置いておいても悪化しかしなそうでもあるし……連れ帰らせてもらうとするよ」
「っ……分かってるのか? 姉さんをどうにか出来るのは俺だけだ。俺だけが、姉さんを……!」
「さっき自分が言った台詞、もう一度自分で確認してみたらいいんじゃないかな? あんなことを言い出すような輩に、アンリエットを預けられるとでも? あのままだったら何してたか分かったもんじゃないしね」
「……オメエはアンリエットの親ですか」
「親ではないけど、友人の心配をするのは当然だと思うけど?」
「……ワタシはオメエのことを友人とか思ったことはねえですが?」
「あっれ? なんか思ったよりも辛辣な言葉が返ってきたぞ? まあ確かに友人らしいあれこれをした覚えはないけど」
そんな戯言を交わしつつ、カーティスの動きを伺っていると……ふと、カーティスの様子が変化した。
その顔に浮かんでいる憎悪は変わらないまま、だがまるで自らの感情をぶつける先を見つけたような目でアレンのことを見つめてきたのだ。
「ははっ、そうか……なるほど。お前か……お前だな? 姉さんが俺のモノにならないのは、お前が……! いいだろう、好都合だ……お前が目の前で無残に殺されれば、姉さんはきっと……!」
「……なんか妙な因縁をふっかけられてる気がするんだけど?」
「……オメエにはよくあることじゃねえですか。そもそもこんなとこに来やがった時点で今更な気がするです」
「まあそれは確かに?」
「っ……は、余裕だな……いや、確かに余裕があって当然なんだろうな。お前の規格外っぷりは、この目で見てきたからな。だが……その力、本当にここで振るえるのか……!?」
「へぇ……?」
そう言ったカーティスは、何やら自信があるようであった。
だがアレンは、そんな様子を眺めつつも首を傾げる。
確かにこの場は戦闘など考慮されていないのだろうから、戦うには狭い。
しかしそれはカーティスにとっても同じだろう上、特にアレンが遅れを取るような要素には――
「……いや。そういえば、なんか妙な違和感がある、かな?」
「ははっ、ようやく気付いたか……! そうだ、ここはギフトの力を封じる特別な場だからな……! お前の力はギフトとは異なるものである可能性があるらしいが、関係はない……! ここは、悪魔の力さえ封じたんだからな……!」
「ふーん……その言い方からすると、どうやら試した事があるようだけど……?」
「ははっ、なに、すぐに見せてやるさ……!」
「見せる……? その意味するところはともかくとして……つまり、君はこの場でも関係なく力を振るうことが出来る、ってことかな?」
「当然だろう? ここを訪れるやつがギフトを封じられて万が一のことがあったら困るからな。まあ、ここの効力を無効化するためには特殊な魔導具が必要だから、お前には無理だがな……!」
「んー……なるほど?」
「ははっ、どうだ、分かったか? なら、無様に命乞いでもしてみたらどうだ? 全てを知られた以上、そして俺の邪魔となることが分かったからにはただで帰すつもりはないが……それを見たら俺の気持ちも――」
――剣の権能:一刀両断。
「変わっ――っ、なっ、なっ……!?」
「確かにちょっと感覚にずれがあるかな? 下手すると上手く手加減とかが出来なそうだけど……まあ、それはそっちの責任ってことでいいか」
試しに放った剣閃が鉄格子を斬り裂いたのを眺めつつ、アレンは呟く。
問題なく力は使えそうだが、本当は鉄格子を軽く傷つけてみるだけのつもりだったのだ。
だというのに見事に両断されてしまっているのだから、割と感覚のずれは大きいのかもしれない。
とはいえ、手加減する必要があるかと言われれば、正直それほどないというのも事実だ。
気絶程度に抑えておかないと後始末が面倒そうだなとは思うものの、逆に言えばそれだけでしかない。
どうやらアンリエットはこれ以上この国にいるのは難しそうであるし、ならばあまり考えなくてもいいだろう。
「さて……それじゃまあ、とっとと終わらせるとしようか。ちょっと予定よりもこの国に長居しすぎたし。とっとと帰らないと、リーズあたりは怒られることになっちゃうだろうしね」
「っ……舐めるなよ……! 力が使えた程度で、俺の……俺が取り込んだ悪魔の力の前では、お前だろうと……!」
何やら気になる言葉を叫びつつ、カーティスの身体から闇のようなものが溢れ出る。
それに目を細め、へぇと呟きながら、向かってくるカーティスに向けて、アレンも地を蹴った。




