望むモノ
ボーっとしながら過ごし、果たしてどれだけの時間が過ぎただろうか。
時間の経過を知る術がその場にはないため、完全に体感頼りだ。
アンリエットの感覚が正しければ、牢に入れられてから半日といったところではあるが――
「やあ、姉さんお待たせ。悪いね、少し手間取ってさ」
「別に待っちゃいねえですが……ああ、腹は減ったんで、そこだけはどうにかして欲しいですかね」
「あー、まあそれは、牢から出てから食えばいいと思ってたからなぁ。姉さんだって、わざわざこんな場所で食いたくはないだろ?」
「そりゃまあ、そうですが……」
そう言って頷きながらも、アンリエットが眉根を寄せたのは、カーティスの言い方ではまるでここから出られるとでもいうかのようだったからだ。
アンリエットの罪が確定するのにさすがに半日程度で済むわけがないし、そして確定したらしたでここから出られる道理はない。
他国と通じる行為は、帝国では重罪だ。
死刑以外になく、アンリエットがここから出るのは死刑が実行される時ぐらいだろう。
それ以外でここから外に出ることは、ない。
「随分と不思議そうな顔をしてるな、姉さん。まさか本当に死刑になるとか思ってるんじゃないだろうな? というか、忘れたのか? 俺に協力してくれって言っただろ?」
「ああ、そういえばそんなこと言ってやがったですね……ですが、アンリエットが死刑になるのは確定してることじゃねえんですか? まさかここまでしときながら、勘違いだったや間違いだったなんてことにするわけじゃねえですよね?」
「そりゃな。さすがにそんなことは俺でも無理だ。だが、死刑を求刑されたところで、死刑が実行されるとは限らない。姉さんはそのことを、よく知ってるだろ? 何せつい最近そいつらと二週間も一緒にいたんだからな」
「……まさか、アンリエットを黒狼騎士団に所属させるつもりですか? 無理ですよ」
その無理というのは、所属させることが、という意味ではない。
そこでアンリエットが生き延びることが、という意味だ。
確かにアンリエットは使徒としての力を変わらず使えるが、その大半は補助系の力である。
直接的な攻撃手段に至っては皆無であり、黒狼騎士団の任務は苛烈なことも多い……というか、ほとんどだ。
今回は例外的に穏やかに終わったというだけで、基本的にはいつ命を奪われてもおかしくないような場所へと赴くのが黒狼騎士団なのである。
自慢ではないが、そんなところにアンリエットが行ったら、半日と持たずに死に絶えるだろう。
「いや、問題ないさ。確かに姉さんは黒狼騎士団に所属することになるが、すぐに解放されることになるからな」
「……それこそ無理、っつーか不可能なことじゃねえですか。黒狼騎士団から解放されることなんて有り得ねえです。そんなことが有り得るんなら、とっくに解放されてるだろうやつがそこにいるですしね」
言ってアンリエットが視線を向けたのは、カーティスの後ろだ。
護衛なのか、漆黒の鎧を着たままそこに控えているのは見知った顔――リゼットである。
以前にも言ったように、リゼットは黒狼騎士団で三年も生き延びているのだ。
そして黒狼騎士団の任務は、これまた以前も言ったように国家の重大事に関係していることばかりである。
普通の騎士団ならば勲章の一つや二つ貰っているはずであり、死刑囚だろうと恩赦を受けて解放されていてもおかしくはない。
だが彼女ですらそうなってはいない以上、アンリエットが解放されるということは有り得ないことである。
「いや、そいつに関しては話が別さ。何せ生きてるだけで禁忌を犯し続けているんだからな。仮に解放されたとしても即座に捕まるだけだ。そしてそんな阿呆なことをするほど、この国も愚かじゃない」
「……つまり、有り得ることは有り得るっつーことですか?」
「それこそそいつ並みの成果を出さなくちゃならないけどな。だけどまあ、姉さんには関係のない話だ。俺が恩赦を出すんだからな」
「……はい? いや、どうやってです?」
恩赦を死刑囚に与える権限を持つのは、皇帝だけだ。
そこに例外はない。
今代行ということになっている皇族達でさえ、その権限を振るうことは出来ないのだ。
カーティスには尚更出来るわけがなく――
「やれやれ、姉さんは本当に忘れっぽいな。これも言っただろ? 俺は、皇帝になるってな」
「……それ本気だったんですか? てっきり戯言だとばかり思ってたんですが。つーか、オメエじゃどう頑張っても不可能じゃねえですか」
「出来るさ。確かに俺に流れてる皇帝の血は弱い。半分しか流れてないからな。だが……足りないんなら、足せばいい。姉さんがいれば、それが叶う」
「ああ……そういえば、協力しろとか言ってたですね。なるほど、そういう意味ですか……」
「そうだ。俺が姉さんを手に入れる事が出来れば、俺は皇帝になる権利を得る事が出来る」
カーティスが言っていることは、事実と言えば事実だ。
何故ならば、アンリエットには皇帝の血が流れているからである。
無論今代の話ではなく、先々代の頃の話だ。
当時の姫が降嫁し、リューブラント家の正妻となったため、アンリエットには皇族の血が流れているのである。
そのアンリエットを妻とすれば、確かにカーティスにも皇帝となる権利が与えられるだろう。
アンリエットと結婚する事が出来れば、の話だが。
「忘れたんですか? だからこそ、オメエはアンリエットと結婚することは出来ねえんだってことを」
皇帝となる権利が与えられてしまうからこそ、カーティスはアンリエットと結婚する事が出来ない。
言い方は悪いものの、所詮カーティスは庶民の母から生まれた子供だ。
万が一にも皇帝となってしまうことがないよう、様々な方面から禁則が課されている。
結婚に関するものもそのうちの一つで、カーティスはそもそも結婚をすることが許されていない。
あるいは庶民が相手ならば分からないが、それでも子供まで含めて一生飼い殺しにされることだろう。
下手に皇帝の血を分散させ、お家騒動となることを防ぐためであり、実のところそのせいでアンリエットにも多少の制約がある。
もっとも、侯爵家に生まれた以上はある程度の制約があるのなど当然のことではあるのだが……ともあれ。
「だからオメエに出来るのは、毒にも薬にもならねえような家に養子として送られることぐれえで、そのままそこで一生を過ごすことだけです」
「くくっ、姉さんは辛辣だな……そうだな、確かにその通りだ。だが……それは、余裕があるから言ってられることだろ? たとえば……そう、たとえばだが、皇族が一人もいなくなるようなことになったら、そんなことは言ってられないだろ?」
そう言ってカーティスは唇の端を吊り上げ……そこで初めて、アンリエットは気付いた。
ほんの僅かではあるが、カーティスから血の匂いがするということに。
そしてカーティスはつい先ほどまで、半日ほどどこかで何かをしていたのだ。
それは果たして――
「オメエまさか、皇族を……!?」
「いやいや、まあ待ってくれよ。俺はあくまでもたとえばって言っただけだぜ? まあ、不思議と二人ほどいなくなったってのは、事実ではあるけどな」
明らかにカーティスが何かをしたのは間違いないが、ここで問い詰めたところで無意味だろう。
というか……仮にカーティスの言う通り、皇族が全員いなくなったとしても、カーティスが認められることはないはずだ。
皇帝の血が流れているのはアンリエットだけではなく、公爵家もだからである。
元々公爵家はそういういざという時の備えでもあるのだ。
その場合、確かにカーティスが最も皇帝の血を濃く継いでいるということにはなるが、次はカーティスではなく公爵家の誰かということになるはずである。
「……まさかとは思うですが、公爵家まで、とか言い出すわけじゃねえでしょうね」
「それこそまさかだな。さすがに公爵家を潰したらこの国が立ち行かなくなる。俺だってそこまで馬鹿じゃないさ。というか、そこまでする意味もない。俺が姉さんを手に入れれば、それだけで済むんだからな」
「まだ言ってやがんですか、オメエは? ですから……」
「だから、こんなことをしたんだろ? 俺だって、他に手があれば姉さんを重犯罪者になんてしたくはなかったさ。でも姉さんが重犯罪者になったからこそ、俺は姉さんを手に入れる事が出来る。勿論、皇族がいなくなったらの話ではあるけどな」
「皇族がいなくなったところで、アンリエットと結婚するのは無理ですし、そもそも先にアンリエットに恩赦を与える必要が……いえ、まさか、そういうことなんです?」
ふと思い付いた事があり、カーティスへと視線を向けると、カーティスはよく気付いたとばかりに頷いた。
そもそも、疑問ではあったのだ。
わざわざアンリエットを黒狼騎士団へと所属させようとすることが、である。
恩赦を与えるというのであれば、その必要はないはずなのだ。
死刑囚のままで問題はない。
だが、もしも――
「そう、実のところ、黒狼騎士団の団員を解放する権限は、黒狼騎士団へと命令を下せる者に与えられている。黒狼騎士団として働いている時は、名目上は死刑囚じゃないからな。皇帝としての権限は必要ない。まあだから厳密に言うと、恩赦ではないってわけだけどな」
「そして黒狼騎士団から解放された人物は一市民となる、ですか」
「ああ、そう決められてるからな。まあただ、本来は皇帝の承認が必要となるんだが……いないんじゃ仕方ない。それに関してはいない場合のことが想定されてないからな。そのまま実行が可能だ」
「……で、黒狼騎士団から解放されたアンリエットは庶民になるわけですか」
重犯罪者となるのが確定した時点で、間違いなくアンリエットの爵位は取り上げられる。
そこで死刑囚でもなくなったとなれば、ただの一市民ということなり……つまりは、カーティスと結婚する事が可能となってしまうのだ。
皇帝の血が流れている市民が、である。
カーティスがアンリエットと結婚することで皇帝の地位を得る事が出来るのは、子供に濃い皇帝の血が流れる事が確定するからだ。
つまりは、アンリエットの爵位は問題にはならない。
それでも皇族がいれば認めはしないだろうが……さて、本当に皇族がいなくなってしまった場合、公爵家達が認めないでいられるかは何とも言えないところだ。
公爵家の誰かが皇帝になるということは、公爵家から皇族に引き抜かれると見ることも出来る。
基本的に帝国は帝国の利益を優先されるとはいえ、各家が各家の利益を優先しようとするのもまた当然のことだ。
そしてカーティスが皇位につくことで、明確な不利益が生じると断言する事が出来なければ……認められるようなことがあったとしても、不思議はあるまい。
「……なるほど、確かに理論上は可能ですね。というか、それ以外に方法はねえでしょうね。その執念には感心すら覚えるですよ」
「ああ、そうだろう? だから――」
「――ですが、やっぱりそれは不可能ですよ。だって――アンリエットがオメエに協力する事がねえですからね」
カーティスの目を見ながら、アンリエットははっきりと断言する。
それだけは有り得ない、と。
瞬間、カーティスの顔がくしゃりと歪んだ。
「……何故だ? このままじゃ死ぬんだぞ?」
「オメエがそうしときながらよく言うもんですね。ま、死ぬかどうかとかは、正直関係ねえんですが」
「なら何故だ……!? 姉さん、何故俺と……!」
「何故って、それを今更聞くですか? つーか……エルフの森であれだけ好き勝手やっておきながら、何でアンリエットが許すと思ったんです?」
黒狼騎士団を操っていたということは、当然あの件に関してもカーティスが手を引いていたということである。
幸いにも被害は大した事がなかったが、それはアレン達がいてくれたからだ。
いなかったら果たしてどうなっていたかは分からない。
そのことを思えば、そこにどんな理由があったところでカーティスのことを許すことなど有り得ないし、手を取ることもありえなかった。
「っ……姉さん。姉さんの優しさは、確かに美徳だ。だが、それをあんなやつらに向けてやる必要は――」
「――カーティス、あいつらを侮辱するような言い方は許さねえです」
「っ……姉さん……!」
帝国は何も平等な国ではない。
実力主義的なところがあるし、取り込まれた国や人達を下に見ることもある。
アンリエットはそれ自体に何かを言うつもりはない。
価値観など人それぞれだということを、よく知っているからだ。
しかし、それはそれ、これはこれ、である。
アンリエットの大切な友人達を貶めることを、許すつもりはなかった。
「っ……姉さんが首を縦に振らないって言うのなら、あのエルフの森を、今度は悪魔を匿ってるっていう名目で滅ぼす。今の俺にはその力がある。それでもか……!」
「ならその前に、アンリエットは舌を噛み千切って死ぬです。そうなれば、オメエもそんなことをしてる場合じゃなくなるですしね。つーか……アンリエットが首を縦に振ったところで、どうせ同じことをやるつもりなんじゃねえんですか?」
「っ……!? 何故、それを……?」
驚愕の表情を浮かべるカーティスだが、別に何と言うことはない。
カーティスの目の奥には、濁ったものがあった。
それは強い憎悪であり……向けられている先は個人ではなく、きっとこの国そのものだ。
無駄に時間を重ね、英雄達の目を通し様々なものを見てきたからこそ、その程度のことを推測するのは容易かった。
「ま、オメエに手を貸すつもりがねえのは、だからこそでもあるんですがね。オメエの復讐は、オメエ一人で勝手にやるがいいです」
「っ……虐げられてたのは姉さんも同じだろうに……だから……!」
「自分の復讐の言い訳に他人を使うんじゃねえですよ。つーかもう一度言うですよ? 復讐したければ、オメエ一人で勝手にやるです」
「…………そうか。姉さんは、どうあっても俺のモノにならないって言うんだな?」
「そもそもアンリエットは物じゃねえですしね」
使徒という、物と大差なかったモノでありながら、よくそんなことを言ったものだと思いながら、アンリエットは憎しみに似た目を向けてくるカーティスを眺める。
誰に言われるでもなく、ああ、殺されるのだろうなと思い、だがそれだけであった。
死にたいわけではない。
けれど、生きていたいとも思わない。
既に考えた通りだ。
アンリエットの目的は、とうに達成されているのである。
それに、こんな結末はある意味、相応しいのではないかと思った。
どれだけ憤っても、怒りを感じても、結局アンリエットはアレンに他の英雄と同じ結末しか用意することは出来なかった。
転生させたのも神の力によるもので、アンリエットの功績ではない。
同じ世界に転生したものの、アレンには何かをすることは出来ないから、その分を埋めるように他へと手を伸ばした。
カーティスが何か恩を感じているようなのも、ある種の代替行為の結果であり、多分優しさなどではなかったのだ。
そしてその果てに、こうして殺される。
ああ、まったく以て、相応しいことでしかなく――
「……分かった。手に入らないってんなら、もういい。殺して、俺だけのモノにするだけだ……!」
「――その台詞さ、たまに聞くけど、考えてみたら意味分かんないよね。何で殺したら君のモノになるの?」
「っ……!?」
声に、反射的に視線を向けた。
位置的に姿が見えることはない。
使徒としての力が上手く使えないため、透視をすることも不可能だ。
だが、そんなことをしなくとも、視線の先に誰がいるのかなど、考えるまでもなかった。
「……オメエは相変わらず、狙ったようなタイミングで現れやがりますね」
「いや、そんなことを言われても困るんだけど? 完全に偶然だしね」
「っ……お前は……!? 何故、ここに……!?」
「さて……何でだろうね?」
そんな言葉と共に、カツンと足音が一つ鳴り、鉄格子の端に新たな人影が姿を見せる。
いつも通りのとぼけたような顔で、この場に現れるはずのない人物が――アレンが、肩をすくめていたのであった。




