元英雄、事情を知る
唐突に笑い出したアキラを眺めながら、アレンは頭を打ったのかドMなのかどちらなのだろうかと、そんなことを思っていた。
まあさすがに冗談半分ではあるものの、本当にドMだったり、あるいは今のでドMに目覚めたとかだったりしたらどうしたものか。
しかしそれはともかくとして、こちらの力量を測るとのことだったし、手伝うのであれば相応の力を示す必要があるというのは一理あると思ったので、ついそれなりに本気でやってしまったのだが……どことなくすっきりしたような顔のアキラを見る限りでは、あの対応で間違っていなかったようだ。
それが満足いく結果だったからか、欲求不満が解消されたからなのかは分からないものの……とりあえずは、機嫌が悪くなるよりはマシだろう。
と、アレンにドM疑惑を持たれているなどと知ってか知らずか、アキラが爽やかな顔をしながら近寄ってきた。
踏んでくれなどと言ってきたら一目散に逃げよう、などと思いながらもやってくるのを待ち――
「いや、悪かったな。試すみたいなことして。まあ実際にはオレの身の程知らずっぷりが露呈しただけな気がするが」
「そんなことないと思うけどね」
『視た』ことで色々と分かったが、どうやらアキラがギフトを手に入れてから三年程度しか経っていないらしい。
それなのに勇者としての自覚を持ち、相応の働きをしているようなのだから、むしろ褒めるべきですらあるだろう。
多少力に溺れつつあったみたいだが、歳を考えれば珍しいことでもない。
強力なギフトを授かった者などにはよくあることだし、今回のことが多少でも見直す切っ掛けになるはずだ。
「それで、僕は合格ってことでいいのかな?」
「むしろアンタを不合格にしたらオレまで止める必要があるっつの。つーか、さっきあのじーさんとこに行った時にはオレ一人でいけるつもりだったんだが……冷静になって考えてみりゃオレ一人じゃ厳しい可能性もあるしな。正直アレンが手を貸してくれるってんなら助かるぜ」
「んー……そういう言い方をするってことは、この近辺に何か強力な魔物でも出たってことかな?」
「いや……オレも詳しい話をあのじーさんに聞こうとしたら追い出されちまったからよく分かってはいねえんだが、どうやら以前からいたみたいだぜ?」
「……突如凶暴になった、ということでしょうか?」
「どちらかと言えば、縄張りとしている場所で何かがあり、縄張りを移動することとなった結果この村に迷惑がかかるようになった、ということなのかもしれん。時折そういうトラブルは起こるからな」
見学していたリーズ達も加わり、アキラの話にそれぞれの予測を口にする。
それから正解はと視線を向ければ、全部違うとばかりに首を横に振られた。
「そういうのでもなさそうだ。その相手がいるのは、あの山だって話だからな」
「あの山……?」
アキラの指差す方向に顔を向ければ、確かにそこには山がある。
ただしどう見ても村からは離れているし、あそこに強力な魔物がいたところでここにまで影響を及ぼすとは考え辛い。
それこそ、空でも飛べば話は別だが――
「……いや、もしかして、その魔物って?」
ふと頭にとある魔物の姿が思い浮かび、まさかと思いながらも問いかけてみると、その思考を読んだようにアキラは肩をすくめた。
「多分アレンの想像してる通りだぜ。あそこに住んでる魔物ってのは――龍だって話だ」
その言葉に、リーズ達は息を呑み、アレンは顔をしかめた。
その意味するところを理解したからである。
龍。
それは最強の魔物の代名詞とも呼べる存在であった。
「……そうか。ここまで魔物に一度も遭遇する事がなかったのは、確かに少し妙だと思ってはいたが……龍に怯え他の魔物が近寄らなかった、ということか」
「みたいだね。しかもここで情報を一つ追加するけど、僕はそのことを今始めて知った」
「そうですね、知っていたのならばわざわざ聞くことはなかったでしょうし……それにアレン君でしたら、きっと知っていたら放っておかなかったでしょうから」
「それはさすがに僕を買い被り過ぎだけどね。何か出来たとは限らないし」
ただ、確かに何かをしようとはしただろうが。
と、そんなことを言っていると、今度はアキラが首を傾げ始めた。
まあ、今の話はアレンがヴェストフェルト家の人間だということを知らなければ理解出来ないことなのだから当然ではある。
だがアキラはその疑問を解消するでもなく、話を先に進めることにしたらしい。
「んん? 何でアレンが関係すんのか分かんねえが……まあいいか。っていうか、今の話だけで事情分かったのか?」
「まあ、大体のところはね」
「はい……守護龍と生贄の話は割と有名ですから」
――厳密に言うならば、龍は魔物ではない。
幻想種と呼ばれる、魔物とは似て非なる存在だ。
では具体的に魔物と龍とがどう違うのかと言えば、龍とは意思の疎通が可能だということである。
そしてとあることを約束すれば、龍は人を襲うどころか守ってくれるのだ。
龍は非常に強力な存在であるため、そこにいるだけで魔物が近寄ってこなくなる。
ある程度大きく城壁があるような街ならば魔物はそれほど怖くはないものの、ここのように小さな村では魔物の襲撃はよく起こることであり、死活問題だ。
多少の不利益を飲んででも、龍に守ってもらうことの意味はある。
たとえその結果として、生贄を要求されるのだとしても、だ。
「……まんまオレの聞いた話と同じだな。つーかよくあることなのかよ」
「よく聞く話ではあるけど、実際に起こったって聞いたことは今のところここが初かな?」
「そうですね……龍は強力ではありますが、その身体は有用な素材となります。話を聞くだけで一攫千金を求めて冒険者の方々が集まるでしょうし、国も軍を動かすでしょう。龍もそれを分かっていますから、今時そんなことはやらない……はずなんですが……」
「というか、アキラ殿は誰かから話を聞いたようだが……誰から聞いたのだ? 村長からは聞けなかったのだろう?」
「あー……この近くを歩いてる時に、ちと小汚いガキを拾ってな。何でも生贄にされそうになったところを逃げ出したって話だったんだが……ま、そんで詳しい話を聞こうとしたらご覧の有様ってわけだ」
「……なるほど。それは追い出されるだろうねえ」
今の話で龍が狩られることになるのは、村の人達が困っていて周囲に助けを求めるからだ。
しかし、村人達がそれを受け入れていたら?
生贄を提供するぐらいで村の安全を得られると考えれば、ある意味で共生と呼べる関係が築けるだろう。
もっとも――
「今回の場合は、より悪質だけどね」
「あん? どういうことだ? 龍が脅してるってことか?」
「いや、そうじゃないよ。脅してるってところは多分合ってるけどね。ただ、そっちじゃない。脅してるのは、本来ならば助けを求められる側だよ」
徒歩で二十日というのは、決して遠すぎる距離ではない。
それこそ空を飛ぶことの出来る龍からすれば近いとすら言っていい距離であり、そんな場所にヴェストフェルト公爵が住んでいる屋敷があるのだ。
いくら辺境の地にあるとはいえ、そんな近くにある山に龍が住んでいて、気付かないわけがないのである。
だがアレンはその話を聞いた事がなかった。
これはアレンが冷遇されていたこととは無関係である。
冷遇されていたとはいえ、アレンは屋敷の中を自由に歩きまわれていたのだ。
使用人達がしている噂話などを集め、様々な情報を推測するのは容易い。
そうしても得られない情報というのは、使用人達には絶対に耳にする事が出来ないもの……即ち、公にすることの出来ないものであり、トップの時点で握り潰されている話なのだ。
だからどれだけ嘆願したところで、それが届くことはない。
どころか、そもそも龍と公爵家との間で最初から話し合いが行われていた可能性すらある。
「いや……というか、もしかしたらこの村そのものが最初から生贄を目的として作られたのかもしれない」
「はあ……? 公爵ってことは、偉いやつなんだろ? んなことすんのかよ……?」
「……私は所詮一護衛だから大きなことは言えないが、偉いから清く正しいなどということはない。特にあの家ならば、確かに相応の理由さえあればその程度のことはやるだろうな」
「ですが……それでヴェストフェルト家に一体どんな利益があるんですか? 間違いなく王家はこんなことを許しません。誰かに知られてしまえば大変なことになると分かっていながら、この周辺の平和を守るために龍と取引をするとは考えにくい気がするのですが……」
「んー……多分だけど、取引条件はそれじゃないんじゃないかな。この周辺が平和になってるのは、あくまでも結果的にであって……そうだなぁ、龍の鱗とか血とか、そういうのを要求してるとか」
「…………ありえそうだな。錬金術を使えば龍の鱗で防具の強化が可能だ。そして龍の血も錬金術で加工することにより強力な増強剤となる。何よりも武を求めているあの家ならば、平気でこの程度のことはやってもおかしくはない」
「おかしくはないっていうか、やるだろうね」
言った瞬間、気遣わしげな視線をリーズが送ってきたが、それには苦笑を浮かべて返す。
既に関係がなくなった家だし、それは公平な視点から見た事実だ。
恨みに思っているからとかではなく、彼らならば普通にやるだろう。
それが、ヴェストフェルト家というものなのだ。
「……クソったれな家じゃねえか」
「まったくだね。で、アキラはその龍を倒そうとしてる、ってことでいいのかな?」
「一応そのつもりでここには来たぜ。ま、そう言ったらあの村の連中は誰一人として賛同しなかったし、あのじーさんには叩き出されたがな」
「あの村は、多分龍っていうか、公爵家の庇護下にあるってことなんだろうね。たとえ生贄にされるんだとしても、それまで平穏に過ごせるならそれで構わないって人達の集まりなのかもしれない」
というか、ざっと見た限りでは普通の人達のように見えたものの、実際には犯罪者とかなのかもしれない。
噂でしかないが、一部の犯罪者がどこか別の場所に運ばれている、という話は聞いた事がある。
証拠があるわけではないから、ヴェストフェルト家の名を貶めるための何者かの策謀なのではないかとも言われてはいたが――
「なるほど……処刑を待つだけの身ならば、そういったことも有り得るか」
「処刑って……確かに陰気そうなやつらじゃあったが、さすがにそんな悪いことしたやつらには見えなかったぜ?」
「処刑される人達の中にも、色々な人がいるからね」
止むに止まれずにそうしなければならなった人もいれば、やったこと自体は些細なのに重罪扱いされるようなこともある。
例えば、病気の家族を救うために高価な薬を盗んでしまったりとか、市民がそれと知らないまま公爵家の人間に失礼なことをしてしまったとか。
十分有り得る話であった。
「まあ下手に賛同しちゃったら次の生贄に選ばれるかも、って思考から同調圧力に繋がってる可能性もあるけど、そういったわけで、多分あそこの人達は龍から助けられることを望んじゃいない。龍が倒されちゃったら、今度こそ処刑されるだけの可能性があるからね。……君はそれでも龍を倒すの?」
「――ああ、倒すさ」
一秒の迷いもなく、アキラはそう頷いた。
その顔にも迷いなどは微塵も浮かんでいない。
「助けを求められちまったからな。だから助ける。それだけだ」
多分助けを求めたのは、拾ったという子供なのだろう。
そしてそれは多分、アキラが勇者だからではない。
そういうことが出来るからこそ、アキラは勇者なのだ。
「そっか。シンプルな良い答えだし、いいんじゃないかな?」
「……え、いいのか?」
「ん、何で? 止めると思ったの? 止めないよ? 誰かを助ける理由なんて、それで十分だろうしね」
その結果として村の人達が不幸になってしまうのかもしれないが……きっとそうはならないだろう。
この場には勇者の他にも、不幸になるかもしれない誰かのために、こんな辺境の地にまでやってきた奇特な人がいるのだから。
意味ありげに向けた視線に、リーズはにっこりとした笑みを返してくれたのであった。
「さてそれじゃあ、張り切って龍退治と行こうか」




