理由と事情
そもそもの話、とアンリエットは言葉を続けた。
そうでもしなければ、アンリエットの爵位の問題がある。
「爵位……?」
「さすがに重罪となったら侯爵家当主なんてやってられねえですしね。さすがに誤魔化したり隠したりするのも無理でしょうから、ワタシの爵位は剥奪されることになるかと思うです」
「いや、そこに関しては特に疑問はないんだけど、それって何か問題があるの? いや、アンリエット個人にとってはとっては重要だろうけど、他の人達にとっても重要で、だから便宜を図ろうとしてる、って言ってるように聞こえるし」
「そう言ってるですからね。まあこの辺は帝国の事情をある程度詳しく知ってねえと分かりづらいかもしれねえですが……ワタシが当主じゃなくなるってことは、自動的にあの叔父達に全ての権限がいっちまうってことです。んな愚にもつかねえことをすることぐらいでしたら、リューブラント家を潰しちまった方がマシですよ」
そう言って溜息を吐き出すと、アレンは目を数度瞬かせた。
首を傾げたあたりからしても、いまいち理解出来てはいないらしい。
「アンリエットの叔父達があれだってのは聞いてたけど……え、そこまでなの?」
「勝手に潰れるだけならまだマシなんですが、間違いなく周囲を巻き込みながら激しく炎上させやがるですからね。下手すりゃそんな場合じゃねえってのに王国とかに勝手に戦争吹っかけても不思議じゃねえですし」
「……そんな人達が何で実権握ってるの?」
「理由は主に二つ……いや、結局は一つになるですかね。最終的にはワタシが疎まれてるのが理由になりやがるわけですし」
「まあ、疎まれてるからなんだろうなとは思ってたけど……相手の酷さが予想以上だったかな。それでもその人達に実権渡してるって、一体何したの……?」
「別に大したことはしてねえですよ」
肩をすくめると胡乱な目を向けられたが、本当に大したことはしていない。
ただ、その大したことではないことが、帝国にとっては見逃すことが出来なかったというだけのことで。
帝国は結局のところ、帝国の利益を優先とする。
つまりは、アンリエットに実権を握らせるよりも、まだあの叔父達に実権を握らせた方が帝国の利益になると判断したのだ。
ついでに言えば、叔父達の方が担ぎやすいと周囲が見て取ったのも大きい。
アンリエットよりも叔父達に同調するため、叔父達に実権を渡してしまった方が色々とスムーズに事が運びやすいのだ。
そして、皮肉にもかつてのやらかしが原因で、帝国も周囲も、アンリエットが当主ならば最悪の事態になることはないと考えてもいる。
実権は握っていなくとも、アンリエットが当主であることに変わりはないのだ。
いざとなれば当主権限で強引に叔父達の動きを封じることも出来、それを分かっているから叔父達も無茶はしない。
そんな諸々が合わさった結果、アンリエットが疎まれているがゆえに叔父達が実権を握る、という状況が出来ているというわけである。
「ですがまあ、今のまま続けるには、ワタシが当主のままである必要があるですからね。そういうわけで、何とかワタシの爵位を奪わないで済むよう、頭をこねくりまわして軟着陸させようとしてる、ってわけです」
「皇帝暗殺の主犯ってことになってるのに?」
「冤罪である以上理由なんて幾らでもつけられますからね。基本的には国を思いやってって路線で行くんでしょう……まあ、それも今代の皇帝だからこそ出来ることではあるですが」
「その言い方からすると、今代の皇帝は嫌われてたってこと?」
「嫌ってたってわけではねえですが……疎まれてた部分があったのは事実ですね」
今代の皇帝は、少々性急過ぎるところがあった。
帝国の悲願は大陸の統一であり、基本的には統一の見解ではある。
だがそれにしたって、今代の皇帝は強引に事を進めすぎていた。
歴代最多と言われるほどに周辺国と戦争を繰り返し、多くの国を、民を取り込んできたのだ。
少なくない混乱が帝国内にはあったし、疲弊もあった。
いや、今もそれはなくなっていない。
表だって批判されることこそなかったが……国のためを思って皇帝を暗殺した、という言い分が民達の間で受け入れられてしまう可能性がある程度には、やりすぎてしまったのである。
「特にまあウチは最前線ですからね。このままでは帝国が保たないと肌で感じたー、とか適当なこと言っとけば割と周囲からの同情と納得を集めやすいとは思うです。もっとも、さすがに無罪放免ってわけにはいかねえでしょうから、多分爵位を剥奪しない代わりにあの街に幽閉することにしたとか、そんなことになんじゃねえですかね?」
「つまり、名目はともかく、実質的には何の変わりもないってこと、か」
「そういうことですね」
アンリエットが捕まってしまったのが知られたら混乱することになってしまうというのも、どちらかと言えば勝手に憶測が流れてしまう可能性が高いからでしかない。
そういった話と共に発表されれば、それほど混乱することはないだろう。
そしてアンリエットが目をつけられたのも、おそらくその辺に理由があるのではないかと思っている。
そういった事情があるがゆえ、アンリエットが捕まることで皇帝暗殺の件は最も穏便に事を済ますことが可能だからだ。
そう、アンリエットは間違いなく、目をつけられたからこそ、捕まえられてしまったのである。
黒狼騎士団がどこまで事情を理解した上で動いていたのかは知らないが……でなければ、彼らがリューブラント領にいたわけがないのだ。
皇帝暗殺はほぼ内部犯で間違いないと結論付いていた。
今更他国との交流が最も多いリューブラント領に来るなど、アンリエットを捕まえるため以外に考えられないのである。
まあ、などと偉そうに言ったところで、アンリエットがそのことに気付いたのはここに来てからではあったのだが。
もしも先に気付いていればまた別の今があったのかもしれないが……言っても詮無きことだ。
それに繰り返すことになるが、アンリエット自身に何かあるわけでもないのである。
ちょっと帝都に旅行に来たとでも考えれば問題はあるまい。
ずっと帝城の一室にいるだけだが……それもある意味では得がたい経験と言えなくもなかった。
「ともあれ、そういうわけでオメエが気にするようなことは何もねえってことです。話し合いに時間がかかってんのは、関係各所に手回しする時間稼ぎも含めての、なるべく混乱が少なく済むようにするためでしょうし。……まあ、多少はその後のことも話し合ってる可能性はあるですが」
「その後……ああ、次の皇帝ってこと? でもそれって以前似たようなこと言ってたけど、普通に年功序列とかじゃ駄目なの?」
「そうすんには、ちと残ってる皇族が問題なんですよねえ。何せ全員女ですから。帝国の長い歴史の中で女帝ってのは誕生した事がないってこともあるせいで、中々決まんねえんですよ。ま、ですがそれはこっちの問題です。繰り返すですが、オメエが気にするようなことは何もねえんですよ」
「んー……なるほどね。そして確かにそういうことなら、僕がどうしてここに来たのか、ってことになる、か」
「そういうことです。何一つ意味がねえ……とまで言うつもりはねえですが、少なくともリスクには見合わねえですからね」
「そっか……なら、僕はちょっと早とちりしちゃったってところかな?」
言いながら、苦笑を共に肩をすくめるアレンの姿は、どことなく安堵しているようであった。
どうやら、何か思惑があってというよりは、本当にアンリエットを心配してここに来たらしい。
「オメエにしては珍しいですね? ……そんなにワタシが心配だったんですか?」
「ん? そりゃ当然じゃないか。君が大罪を負って投獄されるかもしれないと聞けば、心配しないわけがない」
「――うっ」
冗談交じりに言ったというのに、思いがけず真面目な顔をして返されてしまい、言葉に詰まる。
しかもあの顔は間違いなく本気で言っている顔だ。
ついと視線を僅かにそらしながら、少し早口で言葉を告げる。
「まあですが、つーわけで、何の心配もいらねえってのはよく分かったですよね? むしろオメエがここにいることが万が一にも知られちまった方が問題になるです。どうやってここまで来たのかは知らねえですが、今度こそ大人しく帰るがいいです」
「うん、そうしておくよ。あ、ただ最後に一つだけ聞いてもいいかな?」
「うん? 何です?」
「さっきから何度か出てきてるアンリエットの叔父達のことなんだけどさ――そういえば、その人達って子供いるの?」
予想だにしていなかった質問に、アンリエットは目を瞬きながら首を傾げる。
何故そんなことを気にするのだろうかと思うが、もしかするとアレンがここにいることと関係しているのかもしれない。
だが何にせよ、答えそのものは単純だ。
「あいつらに子供? いねえはずですよ? そもそも、あいつらはアンリエットよりも一つ年上なだけですからね。まあ、珍しくもねえことだと思うです」
叔父達と言ってはいるものの、血が繋がっているのは叔父だけであり、しかも叔母が正式に叔母となったのは去年のことだ。
婚約者としてずっと付き合いがあり既に家族のようであったために今更感が強いが、正確な意味で叔父達と一纏めで呼べるようになったのはつい最近のことなのである。
しかし一年でも年上であることに変わりはないため、叔父達が暫定で実権を握ることになったわけだが、実際には周囲の傀儡と言った方が正しい。
まあそれでも周囲から大分よろしくない影響を受けたせいか性格はクソなことになったが。
ともあれ、そういったわけで彼らに子供はまだいないはずなのである。
「そっか……ちなみに養子とかは?」
「結婚したばっかですし、子供が出来ないってわけじゃねえですからねえ。特に早急に跡取りが必要ってわけでもねえはずですし……ああ、いえ、そういえば、何かそんな話を聞いたことはある気がするですね。何か事情があって養子を取ることになったとかは言ってた気はするです。まあ詳しいことは聞いてねえですし教えてもくれなかったですが」
「なるほど……分かった、ありがとう」
「結局何が聞きたかったのかはよく分からねえままですが、まあどういたしましてと言っておくです」
アレンがどうやってここに来たのかや、そもそもどうやってアンリエットのことを知ったのか、といったこともそうだが、アンリエットがそういったことをアレンに尋ねないのは、特に必要な情報ではないと思っているからである。
気にならないと言えば嘘になるが、必要ならばアレンから話しているであろうし、何よりも今は状況が状況だ。
のんびり話しているように見えるが、ここは帝城の中であることに違いはないのである。
必要な用件のみをさっさと済ませるべきであり、それ以外に話したいことでもあればまた別の機会にでもすればいいのだ。
もっとも、その別の機会が訪れるかは、また別の話ではあるが。
少なくともこのままいけばアンリエットは幽閉状態となり、その間アレンと会うことは出来ないだろう。
とはいえ、そんなことは今更だ。
今回こそが例外だったのであり、この世界で自分の道を歩いているアレンに、本来アンリエットは会うべきではないのである。
だから何の問題もなく――
「じゃ、僕は行くよ。『またね』」
「……そうですね、また、です」
その時が来ることはないのだろうなと思いながら、それでもそう言葉にした。
そしてアレンは来た時と同じように、唐突にその場から姿を消す。
まったくちゃんと扉から出て行けと、溜息交じりに思い――それを思い至ったのは、その瞬間のことであった。
「……あー、なるほど。『そういうこと』です、か」
唐突に理解する。
理解してしまった。
何故アレンがアンリエットのことを知っていたのか。
帝都に来ることが出来たのか。
帝城に忍び込んだのか。
微妙に事実とは異なるアレンの認識。
その理由。
だが、気付いたところで、既に手遅れであった。
「……まったく。ワタシはいっつもこうですねえ」
もう少し早く気付くことが出来ていれば、また別の道もあったかもしれないのに。
アンリエットが気がつくのは、いつだって手遅れになってからなのだ。
そう呟いたのと、部屋の扉が荒々しく開けられたのは、ほぼ同時のことであった。
その向こう側から現れたのは、漆黒の鎧を着込んだ、見知った人物。
「部屋にはもっと静かに入ってくるものですよ? ――リゼット」
「それは申し訳ないっス。ですが、それが必要な状況だったっスから」
「そうですか。で、まあ、何の用なのかは聞かなくても何となく分かるんですが……一応聞いとくです。そんな物騒な連中を連れて、一体何の用です?」
現れたリゼットの後ろには、他にも同様の鎧を着た者達が続いていた。
その数は少なく見積もっても十はくだるまい。
そして何のためにこうしてやってきたのかは、今更考えるまでもないことであった。
「はいっス。アンリエット様――貴女には、王国と繋がり、この国を裏切っていた疑惑が発生したっス。その釈明のために、お越し願うっス」
予想通りの言葉に、溜息を吐き出す。
しかし問題なのは、こうした理由は予想出来ても、誰が裏で糸を引いているのかは分からないということだ。
黒狼騎士団を使える以上は皇族ではあるはずだが、こんなことをするような人物に心当たりはない。
だがすぐに考える必要もないかと思い直したのは、どうせこの後でその人物のところへと案内されるのだろうからだ。
そのことを想像し……その後のことまでを考え、アンリエットは再度溜息を吐き出したのであった。




