死刑囚の恐れ
眼前の光景を眺めながら、セリア・バルテルスは思わず溜息を吐き出していた。
そこに含まれているのは多大な呆れであり、目には蔑みまで宿っている。
「っ、あのクソガキがぁ……舐めやがって。はっ……だがやっぱ所詮はガキか。まさか本当に見逃すたぁなぁ……。覚えてやがれよ……次はもう目の前でなんざ言わねえ……テメエの見てねえところで好きにやって、テメエを後悔させてやるぜ……!」
男――オズワルドはどうやら、本気で次があると思っているようだ。
だがそんなわけがあるまい。
確かにオズワルドは、この黒狼騎士団で一年以上生き延びてきた二人のうちの一人であり、実力だけで言えば正規の騎士団の団長クラスとすら渡り合えるかもしれないという実力者である。
しかし、逆に言ってしまえばそれだけだ。
その程度のことで、特別扱いされるわけがないのである。
特別扱いされるような人物というのは……団長のような人物のことを言うのだ。
彼女だけが相応しく、この男ではまるで足りていない。
あるいは……そう、あるいは。
オズワルドが執着し、そんなオズワルドのことをあっさりと撃退してみせたあの彼ならば分からないが――
「――待たせたな」
と、そんなことを考えていると、僅かに高い少年のような声が耳に届いた。
否、ような、ではない。
視線を向ければ、そこにいたのは確かに少年の姿をした人物だったからだ。
セリア達の今の主であり、今回の任務を指揮している人物であった。
「はっ……なんだ、遅かったじゃねえか」
そんな人物にもオズワルドは変わらない態度で接するが、本来ならばそれは不敬などというものではない。
黒狼騎士団は、皇帝の血を引く者にのみ率いる事が可能な、特殊な騎士団だからだ。
即ち、その少年も皇族に連なる人物だということであり……だがそんな言葉を向けられたところで、少年は注意すらすることはしない。
それをオズワルドは、自分が特別扱いされているからだと思っているようだが、傍から見ているとよく分かる。
少年は何でもないことのように微笑を浮かべているが……それは単に、オズワルドのことを人としてみていないからなのだ。
細められた目に浮かんでいるのは、まったくの無。
興味をまるで向けず、路傍の石のように扱っているからこそ、どんな無礼なことを言ったところでオズワルドが罰されたりすることはないのである。
豚がぶひぶひ鳴いていたところで、それを無礼と感じる者はいないだろう。
豚が鳴いていると感じるだけで、つまりオズワルドはそういう扱いしかされていないということであった。
傍から見ているとそのことがよく分かるからこそ、セリアはオズワルドに次がないということを、確信しているのだ。
「ああ、悪かったな。まあこっちも色々と立て込んでてな。それで……全員揃ってるな?」
「――はっ」
少年の言葉に応じ、その場に集まっていた黒狼騎士団団員、総勢三十名が一斉に地面へと膝をつき、頭を下げた。
……いや、ただ一人オズワルドだけはそうではないが、これは一応本人のせいではない。
止血はされているものの、両腕がないために地面に転がっていることしか出来ないのだ。
オズワルドはそのこともあって屈辱を感じ、あの彼への恨みを募らせているようだが……まあ、その辺は好きにすればいいだろう。
セリアは彼と約束をしたが、何かを言うつもりはない。
繰り返すが、その必要がないということが分かっているからである。
それに今は、オズワルドのことなどを気にしている場合ではない。
自分に少年の視線が注がれているのが、頭を下げていてもよく分かるからだ。
頬を冷や汗が流れるのとほぼ同時、頭上から声が降ってきた。
「とりあえず……今日はご苦労だったな、セリア。何も知らせていなかったというのに、よくオズワルドを無事に回収してくれた」
「はっ……身に余るお言葉であります。ただの偶然ではありましたが、お役に立てたのでしたら幸いです」
謙遜でも何でもなく、あの場にいれたのはただの偶然でしかなかった。
そもそもの話、セリアが聞かされていなかったのは、オズワルドが宿を襲撃することになっている、という話についてではない。
オズワルドがここに来ているという話自体を聞いていなかったのだ。
オズワルドを除いた、ここに来ている二十九名のうち五名は、念のためラウルスに残った者達である。
そこから救援の連絡を受けて二十四名がフィーニスに辿り着いた時点で留まり、三日ほど待った。
そして――
「なに、謙遜する必要はない。あの場に現れる事が出来たのは、結局お前一人だった。他の者達が状況に混乱する中、適切に動いてくれたと思う。まあ、かといって他の者達が気に病む必要はないし、俺も気にしてはいない。色々と伝えなかった俺の責任でもあるからな」
「……はい、恐縮です」
あの場に現れることのなかった者達が、頭を下げたままそう告げるが、皆の身体が僅かに震えているのは、きっと恐怖からだ。
しかも、恐怖は恐怖でも、処分されることに対してではない。
無機質な、物でも見るような目に対してだ。
少年が言った、気にしていないという言葉は、そのままの意味なのである。
最初から期待していないから、気にしない。
そういう意味だ。
直接言われたわけではない。
だがあの目を見て、言動を観察していれば、嫌でも分かる。
先ほどの、オズワルドの対する言葉だってそうだ。
少年は、無事に回収、と言ったのである。
両腕を失っている時点で無事ではないし、回収という言葉は人に対して使うのに適した言葉ではない。
まあ、黒狼騎士団の者達は、分類上は物となるので間違ってはいないのだが……そういったことを考えていけば、少年が自分達のことをどう思っているのか、ということは自然と分かるというものだ。
だから少年は、必要だと思えばあっさり自分達のことを使い捨てるし、不要だと思えばやはりあっさりと捨てる。
そこに躊躇いはなく、あるいは次の瞬間には捨てたということすら忘れるかもしれない。
自分達は確かに死刑囚だ。
それに相応しいことをしたという自覚はあるものの――セリアは擦り付けられただけだが――そんな、いつゴミのように捨てられるかも分からないような扱いをされて、平気でいられるほど、人を捨て去ってはいないのである。
そういう意味で言えば、正直セリアはオズワルドのことが羨ましいぐらいであった。
どうして少年のあの様子に気付かないでいられるのか、不思議でならない。
「さて……それで、オズワルド」
「おう、ようやくかよ。さっさと何とかしてくれ。このままじゃ一人じゃどうしようもねえ上に、屈辱で仕方ねえからな。テメエなら何とか出来んだろ?」
「……え?」
僅かに驚きの声が漏れたのは、そんなことは不可能なはずだからだ。
失ってしまった四肢はポーションを使っても取り戻すことは出来ない。
そしてポーション以外で傷を癒す方法はなく……隣国のアドアステラ王国にそれを可能とする聖女とやらがいるという話は聞くが、他にはいないはずである。
無論少年がそんなギフトを持っているわけもなく……そもそもの話、少年はまだギフトを手に入れていないはずだ。
しかし、何やらオズワルドは、自分がどうにかなるという確信を持っているように見え、そんなオズワルドへと少年はゆっくり近付いていく。
地面に蹲るような体勢のオズワルドの傍にまで行くと、その場にしゃがみ込み――
「ああ、勿論だ。お前に約束した通り、お前が死なずに戻ってくるならば、お前が受けた屈辱は必ず返せるようにしてやろう」
「なら早く――」
「――ただし」
「……あ? おい、まさか何か条件があるとでも言いやがんのか? んなこと俺様は聞いて――」
「――なに、単純なことだから問題はないはずだ。そう、ただし――その屈辱を返すのが、お前じゃないってだけだ」
「――あ?」
瞬間、ずぶりと、鈍い音が響いた。
何があったのかを即座にセリアが認識出来たのは、単純に位置関係的なものだ。
セリアの位置からではそれが……オズワルドの身体へと少年の腕が突き刺さっている光景が、よく見えたのである。
「なっ……お、おい、テメ……!?」
「ご苦労だったな、オズワルド。なに、言ったように、お前の屈辱はちゃんと俺が返す。だから――安心して、俺に食われろ」
少年がそう言った、直後のことであった。
オズワルドの身体から闇のようなものが溢れたかと思うと、その闇がオズワルドの全身を包み込んでしまったのだ。
そしてかと思えば、あっという間にその闇は拳大の大きさにまで収縮し……少年が握り潰した。
セリアの目には、握り潰された闇がそのまま少年の身体に吸収されたようにも見えたが、あるいはそれは少年への恐れがそう見せたのかもしれない。
そのぐらいゆっくりと立ち上がった少年の姿は、今まで思っていた以上に、不気味でおぞましいものにしか見えなかったのだ。
「とりあえず、これでやることは全て終わったか。……ああいや、もう一つあったな」
言いながら少年がその場を見渡し、反射的に目を伏せたのだが、何となく無駄だろうなということは感じていた。
「――セリア」
「……はい、何でしょう」
だから名前を呼ばれた時にも意外さはなく、すぐさま返事を返し、顔を上げた。
相変わらずの無機質な目を見返しながら、続きの言葉を待ち――
「今回の任務を無事にこなした褒美だ。お前にだけ特別な任務を与える」
「……はっ、謹んでお受けいたします」
内容を聞く前ではあったが、どうせ断る権利など与えられてはいないのだ。
ゆえにそうして頷き……ふと、頭を過る事があった。
そういえば……オズワルド同様、少年がここに来るということも聞いてはいなかったのだが、少年はどうやってここに来たのだろうか。
そんな、決して口に出すことは出来ない疑問を覚えながら。
月明かりの下、セリアは今の主である少年の言葉を、ジッと待つのであった。




