二度目の終わり
その声は、完全に第三者のものであった。
しかも、子供のそれだ。
声は堆く積もった瓦礫の向こう側から聞こえ……それはアレンの思考を一瞬だけでも奪うには十分過ぎるものであった。
――お母さん、と。
そう泣き叫んでいたからだ。
痛みのあまり母を呼んでいるのか、あるいは寂しさと心細さから呼んでいるのか。
何にせよその場に母がいないか……もしくは、自分ではなく母に何かあったか、そのいずれかであろうことを推測するのは容易く――
――剣の権能:紫電一閃。
「――ぎゃあああぁああああああ!?」
だが、そんな思考と、何よりも子供の声を遮るような野太い悲鳴が、瞬間その場に響いた。
直後、その声の持ち主へと届くように、アレンはわざとらしいまでに大きく溜息を吐き出す。
「言ったよね? 余計なことしたら斬るって。……いや、あれ、言ってなかったかな? まあでもそんな雰囲気だったし、言わなくても普通分かるよね?」
言いながら視線を向ければ、右肘から先を失った男が、噴出す鮮血を必死に左手で押さえながら叫んでいた。
あの様子では聞こえているか怪しいものの……まあ、その時はその時で構わないだろう。
別に気にするようなことではない。
ちなみに当然と言うべきか、男の右腕を斬り飛ばしたのはアレンだ。
子供の声に気を取られた一瞬、男が何かをしようとしたのを察知したため問答無用で斬り飛ばしたのである。
尚、首ではなかったのはまだ聞くべき事が聞けていないからであって、温情などでは決してない。
既に男にかけるべき情けなどは残っていないし、時には魔物などよりも人間の方が余程恐ろしいということをアレンはよく知っているのだ。
情けは人の為ならず、などとはよく言うものだが、仇で返されてしまっている以上は最早容赦などは必要ない。
一応気になることは残っているので、出来れば素直に喋ってくれるとありがたいのだが――
「あ、あぁ、俺の、俺の腕がぁあああ……!?」
「んー……これ話聞けるかなぁ。というか、とりあえず先に止血だけでもしとくべきかな?」
でなければ、このままでは失血多量で死んでしまいそうだし、血が足りなくなると頭が朦朧として話をするのに適さない状態にもなってしまう。
地面に投げ出される格好となってしまった二人も、せめて瓦礫の上ではなくちゃんとした地面の上に横たわらせておくべきだろう。
投げ出された衝撃が刺激になったのか、僅かに身動ぎしているため、目覚める方が早いかもしれないが……とりあえず、優先とすべきは男か。
あれだけ言っても、何かをしようとしていたのだ。
実際に何をしようとしていたのかは、その前に腕を斬り飛ばしたために分からないが、どうせろくなことではあるまい。
まだしっかりと警戒する必要があった。
それと……子供の方も、無視するわけにはいかないだろう。
むしろ優先順位としては、男の次とすべきか。
何があったのか分からないので、確認も必要だ。
というか、男の言った言葉や態度などから考えれば、他にも要救助者がいる可能性が高い。
男がどういう状況で襲ってきて、その時にどれだけの客や従業員がいたのかは分からないが、少なくとも子供一人だということだけはないはずだ。
最低でも母親がいるはずであり……と、そんなことを考えながら男へと近付いていっていたところで、ふと首を傾げる。
「ん……?」
直後に視線を向けたのは、積み重なった瓦礫の一角だ。
先ほどから男がずっと叫び続けているために、非常に聞き取りづらいが――
「――おかぁあさぁあん……!」
そう泣き叫ぶ子供を目にした瞬間、アレンは思わず舌打ちを漏らしていた。
それから反射的に男へと視線を向けると、視界に映ったのは痛みに狂ったように叫んでいたはずの男が、その口元へと笑みを浮かべる光景だ。
「はっ……! づっ……なんだ、がっ、気付き、やがったのか、ぐっ、よ……!? ほんとう、にっ、あがっ、バケモンだ、な、ぎっ、テメエはっ、よっ……!」
笑みを浮かべていると言っても、男の顔には脂汗も浮かんでいる。
喋りながらも叫んでいるあたり、激痛が走っているのは、間違いないのだ。
だが、それでもこの男は――
「俺様が、何もしないで、ぐっ、待ってたとでも、思ってたのかよ……!? 分かってた、ぜっ、テメエ、相手じゃ、ぐっ、どうしようもねえ、ことぐらいは、な……! だが、づっ、なら、せめて一矢ぐらいは、報いねえとな……! っ、テメエらに、どうこう、できなくても……ぎっ、テメエが、吠え面、かくだけで……っ、十分だ……!」
「ア、アレン君……?」
アレンの様子がおかしいということに気付いたのだろう。
背後からリーズが心配そうな声をかけてくるが、応える余裕はなかった。
瞬間過った思考は、一つ。
男の首を刎ね飛ばすか否か。
しかし瞬時に否定したのは、情報に拘ったのではなく、それで子供に張り付いた導線がどうにかなるという確信が持てなかったからだ。
今の男の状況であれば、首を刎ね飛ばされながらも着火できたところで不思議はない。
それほどの執着を感じたのである。
そしてそう、アレンが驚き男が嗤った理由が、それであった。
男はおそらくアレンが来るよりも前に、あの子供に導線を貼り付けていたのだ。
ただ、アレンに嫌がらせをするためだけに。
しかもこの様子では、他にも同じようなことをしている可能性が高い。
それをどうにかする必要があるのかと言えば……きっとないのだろう。
アレンにとってみれば、その人達は見知らぬ他人だ。
男の標的に運悪く選ばれてしまっただけの人達。
だがそれは、アレンがいなければ起こりえなかったことだ。
ならば……必要はなくとも、意味はある。
残念なことに、見捨てるという選択を選ぶことは出来そうになった。
――理の権能:領域掌握・神速。
――全知の権能:天眼通。
瞬間、アレンの視界から色が消え失せた。
必要がない情報が遮断され、自身の認識速度が跳ね上がる。
主観の時間が伸び、世界の全ての時間がゆっくりに流れていく。
男が何かをしようとしているのは分かったが、脂汗を流しながらほんの少しずつしか動かないそれを無視し、認識の範囲を街の全てへと広げる。
こちらもまた、余計な情報は必要ない。
必要なのは、男が用意した導線のみ。
探知、発見、把握。
全部で十五人、総数六十八。
その全てを斬る。
普通ならば不可能。
しかし。
神の力である、この世界よりも上位に位置するその力に、不可能など有り得るわけがなかった。
――剣の権能:斬魔の太刀。
――剣の権能:百花繚乱。
――一閃。
「っ……!」
直後に視界に色が戻り、反動が一斉に襲い掛かってきた。
身体中がミシミシ嫌な音を立てるが、動けるのであれば問題はない。
まだ終わってはいないのだ。
「はっ、はははっ……! 今の、づっ、一瞬で、全てを、対応したって、のか……!? はっ、ぐっ、この、バケモンが……! だが……っ、これは、読めたかよ……!?」
言った瞬間、男が振るった左腕が瓦礫へとぶつかった。
僅かに爆ぜ……だが、それだけ。
別に何が起こるわけでも――否。
「っ、瓦礫がっ……!?」
「ははっ、こんだけの、量が、っ、降り注げば……あのガキじゃ、なかったと、ぐっ、しても……っ、ただじゃ、済まねえぜ……!?」
男の一撃によってバランスの崩れた瓦礫が、子供の方へと落ちようとしていた。
だが、問題はない。
数は多少多いが、瓦礫を捌く程度――
「っ……!?」
――剣の権能:紫電一閃。
「っ、ぎゃあああぁあああああああああ……!?」
瞬間、今度は男の左腕が宙を舞った。
しかしそっちを優先したのは、男がさらに何かをやろうとしていたからではない。
崩れた瓦礫に巻き込まれそうになっている子供の下へと飛び込もうとしていた人物と目が合い、こちらは任せろと言われたからである。
すぐにそちらへと視線を向けると、ちょうど瓦礫が崩れきるところであり……子供を抱きかかえたカーティスが、その場を飛び退くところであった。
カーティスが地面に転がるようにして倒れこんだ瞬間、その足元ギリギリのところに、瓦礫がなだれ込んだ。
抱きかかえられた子供はしばらく何があったのか分からないようであったが……自分が危うく瓦礫に巻き込まれるところだったということを理解したのだろう。
猛烈な勢いで泣き叫び始めた。
「う、うわぁぁああああああん! おかぁあざぁあん……!」
だが泣き叫んではいるものの、その姿は怪我一つなさそうである。
もっとも、それは子供だけのようではあるが……一先ずそちらは置いておき、一つ息を吐き出す。
それから、今度こそ男の下へと向かった。
剣を突きつける。
「さて……何か言い残すこととかある? まあ、今更聞く気はないんだけど」
その言葉に、男が言葉を返すことはなかった。
ただ、代わりとばかりに、男は嘲笑を浮かべ、アレンは剣を持ち上げる。
そしてそのまま一切の躊躇もすることなく、振り下ろした。




