勇者の思い上がり
眼前の光景を、信じられない思いでベアトリスは眺めていた。
平然とした様子で立っているアレンと、地面に背中を叩きつけられている勇者。
きっと誰に話したところで信じられることはないだろう光景が、そこにはあった。
しかも、これが最初ではないのである。
都合九度目。
それはアキラがアレンへと飛び掛かった回数であり、同時にそのまま地面に叩きつけられた回数であった。
決して同じことを繰り返しているわけではなく、アキラがアレンへと無造作に近寄っていったのは最初の一回だけだ。
アレも決してふざけていたわけではないのだろうが、それ以後は目に見えて真剣さを増していた。
色々と工夫も凝らしながら挑み、しかしその全てで同じ結末にしかならないのである。
素手なのも二回目までであり、それからはずっと剣を使っているというのに、アレンにはかすってすらいない。
必ず払い、叩き落され、次の瞬間にアキラは地面へと叩きつけられていた。
それは本当に、信じられない光景であった。
逆ならば分かる。
むしろそれは当然のことだ。
そうなっていない現状こそがおかしいのである。
確かに、アレンのギフトはランク6である可能性が高いという話はした。
対して『勇者』というギフトはランク5だ。
ギフトはランクが上のものの方がより強力となっていくから、アレンのギフトの方が優れているということだって有り得るのかもしれない。
だがそれを理解した上で、ベアトリスは思うのだ。
それでもこの光景は有り得ない、と。
勇者があっさりやられるというのは、それほどのことなのである。
そしてそれは、勇者という存在のことを知っていれば知っているほど強く思うことだろう。
「……アレン君が戦うのを見るのは初めてですが……アレン君ってこんなに凄かったんですね。ベアトリスから多少聞いてはいましたが……」
「私も先ほど見たのが初めてだし、それでもまさかここまではとは、といったところだがな……正直な話、これは夢だと言われた方が信じられるかもしれない。というか、その思いはリーズ様の方が強いだろう?」
「……そうですね。先天性のギフトの一つ、『勇者』。現存している五つの中では最もバランス型に近いという話ですが、バランス型だからこそ余程力の差がなければ後れを取ることはないはずですから」
「二年前の時点ですら、第一騎士団の騎士団長に後一歩のところまで迫ったらしいからな……」
アドアステラ王国の中でも個人の能力としてならば最強と名高い第一騎士団の騎士団長。
その騎士団長を相手に勇者が引き分けに等しいところにまで持っていけたという話を聞いたのは、二年ほど前のことだ。
勇者がギフトを授かってから一年程度しか経っていなかったこともあり、当時は随分と騒がれたものである。
何故ならば、勇者のギフトは授けられてからの経過年数に従い強力になっていくという性質を持っているからだ。
一年でそれならば今後どれだけ強くなるのかという話であり、それから二年経っていることを考えれば、今では騎士団長を圧倒出来るほどの力を有していたところで不思議はない。
というか、実際にその動きを見た限りでは、ほぼ間違いなくその通りになると言っていいだろう。
こう言ってはなんだが、彼女の動きは既に人のそれではない。
離れた場所にいてすら、時にその姿を見失ってしまうのだ。
ベアトリスが相手ならば、守備に徹したところで歯牙にもかけられないに違いない。
しかしそんな勇者が、まるで子供のように扱われているのだ。
果たしてアレンはどれだけ強いのだろうかと思うと同時に、本当にヴェストフェルト家は馬鹿なことをしたものだと改めて思う。
ここまでの実力を隠してこれたアレンにも呆れるが。
「とはいえ、これはあくまでも手合わせであって殺し合いではないからな。アキラ殿も本気ではあるまいし、本気でやったらどうなるかはまた別の話だろう。……まあ、それはアレン殿に対しても言えるのだが」
そうしてベアトリスは、何とか自分の中の常識と現状とをすり合わせ――直後、ひくりと頬を引き攣った。
地面に叩きつけられた回数が十を数えたところで、アキラの雰囲気が一変したのだ。
俯きながら立ち上がるその姿からは、肌を刺すような殺気が漏れており――
「っ……まさか、それは……!? 止めてください、アキラさん……! そんなものを受けたらさすがにアレン君でも……!?」
咄嗟に止めようとリーズが声を上げるが、アキラは止まらなかった。
ゆっくりと持ち上げられた右腕が、まるでアレンを指し示すように振り下ろされる。
そして。
「――堕ちろ、雷帝。貫け天の雷……!」
上空から降り注いだ眩い閃光がアレンのいた場所に突き刺さり、凄まじい轟音と共に爆ぜた。
――勇者:魔法・サンダーレイン。
自身の持つ攻撃手段の中で最大の威力を発揮するものを叩き付け、上がった土煙を眺めながら、アキラは目を細めた。
正直なところ、ここまでやるつもりはなかったのだ。
アキラの目的はあくまでも手合わせであり、アレンの実力を知ることである。
こんなものを使えばそれはもう殺し合いでしかないし、そのことはアキラもよく理解していた。
だが、あるいは理解していたからこそ使わざるを得なかったのである。
何故ならば――
「ちぇっ……アレでも駄目とか、アンタは化け物かなんかかよ?」
「――失敬な。さすがにあんなの直撃したらただじゃ済まないよ? まあでも、なら直撃しなければいいってだけの話だしね」
そんなことを言いながら土煙から現れたアレンは、明らかに無傷であった。
本人の言を信じるならば何らかの手段で防いだということなのだろうが、本当にそうなのか正直怪しいところだ。
何となく直撃したところでピンピンしているような気がするし、そもそもの話、今の攻撃は上空より招来した雷を叩き込む魔法である。
見てからでは明らかに防ぐことの出来ない攻撃を、どうやって防ぐというのか。
「んー? なんか僕の言葉なんか信じられないって顔してるけど、本当のことだよ? だって僕はアキラが雷の魔法を使えるってことを『識ってた』からね」
「――っ!?」
そう言うアレンの目を見た瞬間、ぞくりと背筋を悪寒が走った。
まるで自分の全てを、自分の知らないところまで見通されているような、そんな気がしたのだ。
「ま、本当はこれマナー違反なんだけど、何となくアキラはこんな手を使ってきそうな気がしたし、何よりもアキラ強かったからね」
「……どの口でそんなことを言ってんだっつの」
油断がなかったと言ったら嘘になるだろう。
侮りも、きっとあった。
アレンのレベルが1だという話は聞いていたのだ。
自身の勘はアレンのことを強いと囁いていたものの、この世界に来てから覚え染み付いた考えは半ば自動的にレベルというもので相手の強さを判断してしまう。
それに……初めての敗北を味わった二年前のあの日。
自分を前にしても何一つ態度を変えなかった騎士団長に腹が立ち、挑み、敗れたあの時。
アキラは次こそ負けないと誓い、今日まで努力を重ねてきた。
その甲斐あってか、あれからは一度も負けることはなかったし、むしろ圧倒することも多かった。
そのせいで慢心しつつあったのかもしれないというのは、先ほど自覚したところだ。
何度もあっさりとやられておきながら自らを省みないほどアキラは愚かではない。
アレンに対しての認識に関しては、改めて言うまでもないことだ。
しかしだからこそ、先ほどのは本気であった。
本気で、殺す気で放った魔法だった。
そうしたところで防がれるだろうという予感があったからではあるが……だが、だからといって悔しくないわけではないのだ。
勇者としての自負がある。
これまでに積み上げてきた全てが自分が勇者であることを示している。
なればこそ、ただの手合わせとはいえ負けるわけにはいかなかった。
結果が分かりきっていたとしても、やめるわけにはいかなかったのだ。
「――っ!」
十一度目の激突。
いい加減やめようと言われても不思議ではなかったが、言われないということは付き合ってくれているということなのだろう。
自分が相手の力量を測るはずだったのに、いつの間にかこちらが挑みかかっているような状況に、僅かな面白味を覚えて口の端を吊り上げる。
しかしそれでも斬撃の鋭さは変わらない。
踏み込み、振るい……呆気なくいなされた。
アキラの剣術とも言えないようなものは、完全な我流だ。
『勇者』のスキル効果によって補助を受けてはいるものの、そもそも『勇者』は得物を選ばない。
槍だろうと斧だろうと弓だろうと同等の補助を与えくれるため、アキラが剣を使っているのは完全な趣味だった。
そしてだからこそ、アキラはアレンの剣の動きに一瞬だけ目を奪われる。
剣術などかじったこともないが、それでもアレンのそれが凄まじい高みにあるものだということだけは分かるのだ。
「……ははっ」
知らず、笑いが零れ落ちた。
剣で勝てず、魔法で勝てず、身体能力では勝っているはずなのに、アキラの放った攻撃は髪の毛一つ掠らない。
ここまで完全にボロ負けで、なのにアキラの身体には怪我らしい怪我が一つもないことが、何よりも二人の力量の差を示していた。
こんなんで何が勇者だと思い……だが、変わらず口元に笑みが浮かんでいるのは、それがとてつもなく嬉しかったからだ。
もう何にでも勝てるような気がしていて、全てを知ってしまったような気がしていたが、そんなのはただの気のせいで、思い上がりでしかなかったようである。
世界は広く、遠い。
果てに辿り着くのは、まだまだ先になりそうだった。
――この世界に来てよかった。
背中へと十一度目の衝撃を受けながら、清々しい気持ちで、アキラはそんなことを思ったのであった。




