不自然な状況
その瞬間アレンが冷静だったのは、単純に焦る理由がないということを理解していたからであった。
故にただ男の顔へと視線を向け、そのことに男が意外そうな、面白そうな様子で口の端を吊り上げる。
「はっ……何だ、取り乱したり激昂するのかと思いきや、随分冷静じゃねえか。テメエにとってこいつらはその程度の価値しかなかったってことか?」
「別に僕も過保護ってわけじゃないからね。旅をしてれば何があるか分からないし、怪我をするようなこともある。命に別状がないってことが分かってれば、焦る理由はないよ」
そう、確かに一瞬焦りかけはしたものの、二人が無事だということにアレンは一目見て気付いていたのだ。
焦る理由は何一つとしてありはしない。
「はっ……相変わらずムカつく野郎だ。だが本当に焦る理由はねえのか……? 俺様の手の中に、コイツらの首はあるってこと忘れてんじゃねえのか? 俺様がちょっとばかし力を入れれば――」
「――っ!?」
そう言いながら男の腕に力が入るのが、離れたところからでも分かった。
一歩後ろに下がったところで状況を見守っていたリーズが反射的に息を呑み――だが、それ以上の行動を取ることはない。
アレンが何かをしたからではなかった。
リーズが何かをするよりも先に、リーズのさらに後方から叫び声が上がったからだ。
「――何をしている……!?」
声の主は、アレン達を追いかけてきたあの黒狼騎士団の彼女であった。
しかしそこでアレンが怪訝に思ったのは、その声はアレン達ではなく、間違いなく男へと向けられていたからだ。
声には非難の色が混ざっており、どう考えても男を糾弾したものである。
いや、男の状況を考えればそうなるのが当たり前なのではあるが……男とはおそらく同僚となるはずだ。
確かに今まで見た言動からすると、随分真っ当な人物ではあるようだが――
「あぁ……? 何してるって……俺様に言ってのか?」
「貴様以外に誰がいる……!」
「そりゃ勿論そこのガキ共の方だろ。つーか、俺様が何をしてるだぁ? 見りゃ分かんだろ? 俺様達が追ってたやつらを捕まえてんだよ」
「何……? 何故貴様が……いや、それはいい。それよりも、それは本当のことなのか? 貴様それをどうやって判別した? それに……足元に転がる瓦礫に、先ほどの轟音。貴様まさか……無関係な者達まで巻き込んだのではあるまいな……!?」
位置関係的に、相変わらず声しか聞こえないが、それでも叫ぶ声には、本当の憤りが込められているようであった。
だが男はそれに鼻を鳴らし、蔑むような目を向ける。
「はっ……何言ってやがんだ、テメエは? 判別? ――俺様がこいつらだって言ったら、こいつらがそうなんだよ。無関係なやつらを巻き込んだ? 知ったこっちゃねえよ。んなこと決まってんだろ? 俺様はあの黒狼騎士団の一員だぜ? 俺様の言う事が全てだ。んな当たり前のことも言わなくちゃテメエには分からねえのかよ?」
「そんな馬鹿なことがあってたまるか……! 確かに私達には強大な権限が与えられている。だが、だからこそ……!」
「――うるせえよ、間抜け」
「なっ……!?」
「テメエはそんなんだから、正式な騎士団に所属していやがったくせに、不正の責任全部押し付けられて死刑囚にまでなりやがんだよ」
「っ……!」
「そしてテメエがどう思おうが知ったこっちゃねえが、少なくともウチでは俺様の言い分の方が正しい。その程度のことはテメエでも理解出来んだろ?」
事実だったのか、男の言葉に反論が返ることはなかった。
後方から立ち昇る怒気のようなものは感じるものの、それ以上言葉が続くことはない。
だがそんな仲間割れなのか何なのか何とも言えないものを聞きながら、アレンは納得していた。
アンリエットから聞いていた話も、カーティスから聞いていた話も、どちらも黒狼騎士団というものはこの男のような者ばかりがいると言っていたのだ。
後方の彼女はそれからすると奇妙ですらあり……しかし通常とは別な事情があるというのであれば、納得である。
男が言った事が全て事実だというのであれば、思うところがないわけではないものの、それは彼女達の事情だろう。
少なくとも今気にすべきことは、別にあった。
男は反論がないことを確認すると、馬鹿にするように鼻を鳴らし口の端を吊り上げ、その顔のままこちらへと顔を向ける。
その目に浮かんでいるのもまた、侮蔑の色だ。
「さて……邪魔が入ったが、まあ、そいつのおかげでテメエにも理解出来たんじゃねえか? この場で最も偉いのは誰で、誰の言う事が正しいのか、ってことがな?」
「ふーん? ……それで? 一体何が言いたいの?」
「……テメエ、まだ自分の立場が分かってねえのか?」
低く、怒りを我慢しているような声に、アレンは肩をすくめる。
失礼な話であった。
その程度のこと、理解出来ないわけがあるまいに。
「要するに、この場では君が最も偉くて、だからそんな君に逆らったらどうなるか分かったものじゃない、ってことでしょ?」
「はっ……なんだ、分かってんじゃねえか。ああ、そうだ……だから――」
「――ところで、一つ疑問なんだけど」
「あぁ……?」
言葉の途中で遮ったからか、機嫌悪く男が声を上げる。
だがそれを無視し――
「――君が何かをするのと、君の首が刎ね飛ばされるの。どっちが早いかな?」
「っ……テメエ……!?」
「いや、別に他意はないよ? ただ疑問に思っただけだからね」
そう、たとえその通りのことが起こる可能性があったとしても、今はただの例え話だ。
他意はない。
「てめっ……こいつらがどうなっても……!?」
「もう一度同じような疑問を発することになって恐縮なんだけどさ……君がそれ以上腕に力を込めるのと、君の首が刎ね飛ぶの。さて、どっちが早いかな?」
「っ……!?」
今のも一応ただの例え話だったのだが、何か感じるものがあったのか、男の腕がピタリと止まる。
いや、それは本当に幸いなことであった。
例え話でしかなかったはずなのに、抱いた疑問の答えがどうなるかを確かめることになるかもしれなかったのだから。
「……アレン君」
と、聞こえた声に横目を向けると、どことなくリーズの顔は不満そうであった。
というか、実際に不満なのだろう。
その気になれば、アレンは本当にあの男の首を容易く刎ね飛ばせるだろうことを、リーズは知っているからだ。
それは自惚れでも何でもなく、ただの事実である。
そしてここまでされて躊躇う理由は、正直ほとんどない。
なのにそうしないのは、無論男に情けをかけたりしているわけではなく――
「いやまあ、手っ取り早く終わらせたほうがいいんじゃないかってことは僕も思わなくもないんだけどね? でもちょっと気になる事があるからさ」
「気になること、ですか?」
「うん、リーズも気にならない? たとえば、どうしてここが分かったのか、とかね。あの男はあんなことを言ってたけど、ここまでするってことは普通に考えれば確信があったってことだよね? だけど、そっちの人は明らかに何も知らなかった。裏が何もないってのは、ちょっと無理な話だと思うんだよね」
「……確かに、元々不自然なところはありましたが、今回のは特にそうですね。なるほど、それを明らかにするため、ですか……」
納得しているような言葉とは裏腹に、リーズはまだ不満そうであった。
言葉の響き以前の問題で、その顔にはっきりと不満が浮かんでいたからだ。
「なるほどって言ってる割に、不満そうだけど?」
「それは当然じゃないですか。それって別にノエル達があのままである必要はありませんよね?」
「まあ、確かにその通りではあるんだけどね……」
とはいえ、一応二人を下ろさせない理由はあると言えばあるのだ。
何となくその際に余計なことをしそうというか、大人しく言うことを聞くとは思えないからである。
「んー……でもかといって、あのままってのもあれ、か。まあ、何かしようとしたところで、どうとでも出来そうだしね」
「っ……テメエ……!」
男は射殺さんばかりに睨んでくるも、何も行動しようとしないのは、あれでもこちらとの実力差をしっかり認識しているからだろう。
そもそもおそらくは、そのためのノエル達なのだろうし……しかしそれでもやはり、疑問であった。
一週間程度しか経っていないのだから当然と言えば当然なのだが、男が特に強くなったという感じはしない。
そして実力の差は、エルフの森ではっきり分かったはずだ。
こんなことをしたところで無駄ということも含めて。
それを知らないのだろう後方の彼女からは何となく戸惑ったような気配を感じるものの、男には隔意を抱いているようなので、男にとってのプラスには成り得ない。
どうしてあそこまで自信満々だったのか、いまいち納得がいかなかった。
だが、そこまで考えたところで、そういったところも含めて聞き出せばいいことかと思い直す。
念のため男の全身に目を光らせながら、何があっても即座に対応出来るように気を引き締め、男に二人を地面に下ろすように告げる。
その、直前。
その場に悲鳴にも似た叫び声が、響いた。




