音の聞こえた先
だらけきった空気が流れていたギルド内部は、一転して張り詰め、騒々しい声が乱れ飛ぶようになっていた。
そしてその視線は当然のように、この場で最もそういった出来事を引き起こしそうな者へと突き刺さる。
「おいおい、何だよ今の音ぁよぉ……!? ……まさかたぁ思うが、今の音はお前らの仕業じゃねえだろうな?」
まさか、などと言いつつも、その顔に笑みが浮かんでいるのは、無論そうであってくれという願いゆえだろう。
どうやら先ほどのことも含め、随分と苛立ちが溜まっていたらしい。
頷いたらすぐに飛び掛かってやると言わんばかりの目が、そこかしこから向けられる。
だがそういった目を向けられるのは慣れているのか、先ほどの居心地の悪そうな姿などは微塵もなく、漆黒の鎧姿はそこに立っていた。
そして一歩も引かない様子のままで、その口が開かれる。
「すまないが、先ほどの音の原因は私にも分からない。そして、ゆえにこそ私が、様子を見てこよう」
「はぁ……? おいおい、なに自分一人だけが行く、みてえなこと言ってんだ?」
「まったくだね。見ての通りこちとら暇を持て余してるんでね。何やら面白そうなことが起こったってんなら、見に行かないわけには――」
「――残念だが、何があるかは分からない。危険かどうかすらも分からないため、汝ら冒険者はここで一先ず待機だ。尚、これは黒狼騎士団としての命令だ」
「っ……野郎……!」
瞬間、冒険者達の目が射殺さんばかりのものになるが、それ以上行動を起こそうとする者はいなかった。
街道やら街やらを封鎖出来る、というのはまだ分かるが、黒狼騎士団は冒険者に対しても強権を発動する事が可能らしい。
冒険者ギルドというものは国から縛りを受けないはずだが……いや、この場合は単純に帝国人に対しての強権発動ということになるのだろうか。
それならば有り得る話だ。
冒険者とは言っても、国と縁が切れるわけではない。
結局はその国で生活をしていくのだ。
その辺を突いていけば、強権を発動することも可能なのだろう。
まあ、それはともかくとして――
「……リーズ」
「……え、大丈夫なんですか?」
小声で名を呼ぶと、それだけで察したらしく、リーズが目を瞬く。
頷きを返したのは確信があるからで、リーズも分かったとばかりに小さく頷きと、緊張にか僅かに身体を硬くした。
そして。
「さて、それでは――」
続いて何かを口にしようとしたらしいが、それをアレン達が聞くことはなかった。
その前にギルドの外に出るべく、動き出していたからだ。
「汝ら……!?」
その行動は完全に予想外のものであったらしく、声だけではなくその姿にも驚きが表れていた。
鎧姿で顔が見えなくとも意外に何を感じているのかは分かるものだなと、苦笑と共に思いながら、肩をすくめる。
「残念だけど、僕達って実は冒険者じゃないんだよね。だからさっきの言葉も聞く理由がないってわけ」
「なっ……!?」
そう、さっき彼女は、冒険者、と言っていたのだ。
故に冒険者でないアレン達が言うことは聞く必要はない、というわけである。
もっとも、そもそもの話帝国人ではないアレン達には黒狼騎士団の強権そのものが無意味なのだが、そこを馬鹿正直に教える必要もない。
正当な理由でこの場を抜け出せるのだから、それだけを告げておけばいいことだ。
「正当な理由、なんでしょうか……?」
「あの人の言ったことを何一つ破ってはいないからね。誰がどう見たって正当でしょ?」
「どちらかと言えば、屁理屈の類だと思いますが。確かにあの人は冒険者と口にしてはいましたが、意図としてはその場にいる全員、というものでしょうし」
「だろうね。だけど冒険者って言ったのも事実である以上は、正当性はこっちにある。冒険者なんて言っちゃったあの人が悪いんだよ」
「アレン君は本当に悪い人ですね」
「それに乗ったリーズも共犯だと思うけど?」
「わたしはアレン君がこんな手を使うだなんて思っていませんでしたから、騙されただけですし」
などという戯言を交わしながら、ギルドを後にしたアレン達は街中を駆ける。
とはいえ実際のところは、そんな軽い雰囲気でいるわけではない。
何があったのか分からない、ということもあるが――
「ところで、あの人もすぐに移動しようとしていたようですし、わたし達が動くのはそれからでもよかったのではないですか?」
「ただ何かが爆発したような音が聞こえた、ってだけなら僕もそうしてたとは思うんだけどね。それならあの人の印象には特に残らなかっただろうし」
「何か気にかかるようなことがあった、ということですか?」
「気にかかるようなことっていうか……聞こえた場所がちょっとね」
「場所、ですか……? っ……まさか……!?」
思い至ったのか、目を見開いたリーズに、アレンは息を一つ吐き出すことで答えとする。
直後にリーズが視線を向けたのは、アレン達の向かっている先であり……その終着点は、アレン達が戻ろうとしていた場所だ。
つまりは、ノエル達が待っているはずの宿であった。
「気のせいならそれに越したことはないんだけどね。その辺から聞こえた気がするってだけであって、確定してるわけじゃないから」
「ですが、なるほど……だからこそ、あの人を待つことなく、だったんですね」
「そういうこと」
音があの宿があった近辺から聞こえたということにはすぐに気付いたものの、即座にギルドを後にすることがなかったのは、あの人がどう動こうとするのかが分からなかったのと、反応を見るためだ。
この状況で本当にあの宿が襲われたりしたのだというのならば、最も可能性が高いのはやはり黒狼騎士団である。
こちらのことを分かった上での襲撃なのか、あるいは別なのか。
それを見極めようとしたのである。
結果としてはどちらとも言えない、といったところであったが。
「まああとは、黒狼騎士団があの宿を襲ったんだとすると、あの人に行かれちゃったらこっちの不利にしかならないからね」
「だから先んじて、ということでもあった、というわけですか」
「うん……そのつもり、だったんだけどね」
「え? それは――」
どういうことですか、とでも続けようとしたのだろうが、リーズのその言葉が口にされることはなかった。
それよりも先に、答えそのものが後方から届いたからだ。
「――そこの二人、待て……!」
僅かにくぐもったその声は、聞き覚えのあるものであった。
というか、先ほど聞いていたばかりなのだから、さすがに忘れようもない。
リーズから視線を向けられ、肩をすくめて返した。
「どうやらすぐに追いかけてきたみたいだね」
「……すみません、わたしの足が遅いせいですよね」
「それは仕方のない事だしね。謝られるようなことじゃないよ」
確かにそれは、事実ではある。
アレン一人ならば、とうに現場に辿り着けていただろう。
だがリーズを置いていったりしたら、今度はリーズの身に何があるか分かったものではないし、抱えていけば早くはあるものの、何があったのか分からない以上手は開けておきたい。
色々考えた末、これが最善だと判断したのだから、リーズが責任を感じる必要はないのだ。
「まあそれに、向こうも鎧を着てるせいかあんま速度出せないみたいだしね。追いつかれるよりも先に目的地に辿り着けるだろうから、問題はないかな?」
「そこの二人、待てと……止まれと言っているだろう……!」
「えっと……止まるように言われていますが?」
「さて……そこの二人とか言われても、人なんてそこら中にいるからね。誰のことを言ってるか分からないし。そもそも僕達は偶然一緒に走ってるだけかもしれないしね」
「やはり屁理屈な上に、最後に至っては嘘じゃないですか」
「あの人に言ったわけではないから、嘘ではないよ。ただ、そうも考えられる以上は、あれだけでは誰か分からないよねって、だけの話で」
呆れるような視線をリーズから向けられるが、やはり肩をすくめて返す。
まあ、先ほどの音のせいか周囲にいる人達が向かっているのは逆方向である以上は、屁理屈にすらなってはいないのだが。
しかし足を止めている場合ではない以上、仕方のないことである。
向かう先にいるのが黒狼騎士団だと分かっているのか、すれ違う人達の顔には怯えや恐怖の表情が浮かんではいるが……生憎とそれはこちらの責任ではない。
その責任はあの人に取ってもらうとしよう。
と、そんなことを言っている間に、宿のある場所へと近付いてきた。
あの宿は大通りから一本道を入ったところに存在しているのだが……いや、していた、と言うべきだろうか。
アレンは道を入る前に、自分の感覚が正しかったことを確信していたからだ。
そして、はやる気持ちを抑えながら、その場所へと向かい――
「あん……? はっ……何だ、思ってた以上に来んのが早かったな」
瓦礫の山と化していたその場所には、見覚えのある男が立っていた。
今から約一週間ほど前、エルフの森へと襲撃を仕掛けてきた男に間違いはなく……だが、そんなことはどうでもいいことであった。
アレンが注目していたのは、その男の両腕であったからだ。
「だがまあ、手間が省けたって考えるべきか? これでようやく、あの時の借りをテメエに返せるんだからな……!」
そんなことを叫ぶ男の腕は、ぐったりとしたノエルとミレーヌの首を掴んでいたのであった。




