虜囚の旅路
気分的には最悪に近いと、アンリエットはそんなことをふと思った。
もっとも、虜囚の身である以上、快適な旅など出来るわけがないのだが――
「それにしたって、もちっと扱い方ってのがあると思うんですよね。つーか、逃げるつもりなんてねえんですから、いい加減これ外してくれねえですかね?」
言いながら持ち上げたアンリエットの手は、縄でがっちり縛られていた。
しかも手だけではなく、足もである。
何をするにも不自由するとか以前に、何をするにも一人ではどうしようもない状況だ。
食事はまだしも、排泄行為すらも誰かの世話にならなければならないなど、新手の拷問かと思ったほどである。
無論のこと、犯罪者に対する扱いとして間違っているなどと言うつもりはない。
何の罪で捕らえられたのかを考えれば、もっと酷い扱いを受けたところで文句を言う権利はアンリエットはないだろう。
だがそれはそれとして、アンリエットはここまでの間ずっと従順に従ってきたし、逃げるつもりはないというのも本音なのだ。
そもそもアンリエットが暴れたところでどうにかなるものでもないのだから、せめて腕の縄だけでも外して欲しいものであった。
しかし。
「駄目っス。自分達が捕らえた犯罪者は全員こうするって決まりっスから」
取り付く島もない様子に、思わず溜息を吐き出した。
笑みを浮かべろとは言わないが、視線すらも向けてこないとは、堅すぎるにも程があるだろう。
これで騎士団全員がこうならばお堅い騎士団なのだな、と思うところだが、何せ相手は黒狼騎士団だ。
食事の時に多少目にする機会があるが、その大半は随分と軽い様子ですらあった。
それを注意することをしないのだから、リゼットだけが特別にお堅いということなのだろう。
そのことはこの三日の間で嫌というほど思い知らされたため、アンリエットはこれ以上続けるのを諦めると、その場にごろんと横になった。
「はぁ……こんな格好じゃ寝づらくて仕方ねえですし、落ちそうで怖いんですが。せめて寝る時と食事の時と排泄しに行く時ぐらいは外してくれねえですかねえ」
「だから駄目っス。決まりっスから」
だが諦めはしたところで、愚痴は出てくる。
予想通りの言葉を耳にしながら、さらに半回転。
リゼットに背を向ける体勢を取りつつ、再度溜息を吐き出した。
「本当にお堅いですねえ。こっちはこんな無防備な姿まで晒してやってるってのに」
「それ単純にその方が寝やすいってだけっスよね。まるでこっちを信頼してるみたいな言い方されても騙されないっスよ?」
その言葉は事実ではあったので、小さく息を吐き出すだけで返答とした。
実際のところ無防備なのに違いはないのだが、それを言ったら両手両足が縛られているのだ。
その時点で無防備と変わらず、だからこそこんな姿を晒すことが出来ていると言えた。
とはいえ、それでも少なくない恐怖は感じるし、多少はほだされてもいいと思うのだが……その辺はさすがといったところか。
「そもそも、こっちは十分譲歩してると思うっスよ? 普通はそうして寝っ転がることなんて出来ないんスから」
「それを言ったらオメエだって十分その相伴にあずかってるじゃねえですか」
この馬車にアンリエットとリゼットしかいないのは、確かにリゼットがそう手配してくれたからではある。
そのおかげでこうして寝っ転がれるし、馬車の片側を広く使うことも出来るのだが、それはリゼットも同じだ。
同じ大きさの馬車に他は十人程度乗っているのを考えれば、リゼットは随分広々と使えているはずであった。
「まあ否定はしないっスが、その分自分には大事な役目があるっスから」
「アンリエットの監視ってことを言いてえんだとは思うですが、こっちは従順なんですから楽なもんじゃねえですか」
「そんなことはないっスよ? いつ暴れるか分からないということを考えれば、おちおち寝ることも出来ないんスから」
そんなことはないとさすがに分かっているだろうに……実はお堅いだけではなく、それなりにいい性格もしているのかもしれない。
「んなこと言ってたら他のやつらに怒られんじゃねえんですか? オメエ御者もやってねえわけですし」
「皆ちゃんと理解してくれてるから問題ないっス。それに御者って実際にはそれほど大変でもないんスよ? そもそも理論上は一人でも問題ないのを、二人交代制にしてるっスし、当番制だから実際には五日に一回、半日だけっスし」
「一人でも可能って……それ本当に理論上はってだけじゃねえですか」
確かに実際に可能だった、という話は聞いたことはあるものの、普通は夜通しで移動するようなことすらしないのだ。
戦争中か、余程の急ぎの時以外は夜はしっかり休むものであり、その上で三、四人で回すものである。
五日に一度だけとはいえ、半日は大分きついだろう。
仮に本当に一日ずっと実際にやることになったら、それは罰以外の何物でもあるまい。
「あ、罰で思い出したんですが、オメエらに引き渡した男いたじゃねえですか」
「え? はい、いたっスけど……彼がどうしたんスか?」
「いや、どうしたっていうか、罰受けさせるみてえなことは言ってたですが、姿を見てねえ気がしたからどうしたのかと思っただけです」
「ああ……なるほどっス。ですが、それは当然っスよ。その罰を受けさせるために、置いてきたんスから」
「あれ、そうなんですか?」
アンリエットが捕まってしまう以上、あの男をどうこうすることは出来ない。
そのため、罰を与えると言われたこともあってリゼットへと大人しく引き渡したのだが……連れて来ていないというのは意外であった。
そもそも、罰とは言ってもあの男も黒狼騎士団の一員……即ち、死刑囚だ。
黒狼騎士団に所属している者達は、死刑となる代わりに所属しているわけではない。
黒狼騎士団で働く間は死刑が執行されないというだけで、実質的には死刑囚のままなのだ。
命が非常に軽いのもそのためであり、だから罰とは言いつつも、実際には『処分』ということになるかと思っていたのである。
まさか本当に罰を受けさせるだけとは思ってもいなかったのだ。
いや、実際には既に処分が行われた後で、単にそれを置いてきたと言っているだけなのかもしれないが――
「何となく何を考えてるかは分かるっスけど、それは違うとは言っておくっス」
「そうなんですか? オメエらは何か失敗したら即処分されるかと思ってたんですが……」
黒狼騎士団が最低限騎士団として取り繕うことが出来ているのも、そのためだったはずだ。
死を嫌い、万が一の可能性に賭けてわざわざ黒狼騎士団に所属することを選んだというのに、積極的に死にに行く馬鹿はそうはおるまい。
だからこそ、皆が真剣に任務を行い、それが規律へと繋がっていたはずなのである。
任務を無事終えることが出来たからか、今は幾分気が緩んでいるようではあるが、それでも失敗が許されるような場所ではない。
少なくともアンリエットはそう認識していたのだが、違っていたということだろうか。
「まあ、基本的にはそれで合ってはいるんスけど、今回は主任務を成功させてるっスからね」
「……つまり、アンリエットが捕まったから、お情けで許された、ってことですか?」
「言い方はあれっスけど、そんなところっスね。もしもあそこでアンリエット様を捕まえていなかったら、自分が首を刎ね飛ばしてたと思うっス」
淡々と、まるで何でもないことのようにリゼットは物騒な言葉を口にしたが……きっとリゼットにとってはその通りなのだろう。
おそらく本当にその状況になったら、呆気なく実行するに違いない。
顔が見えないため、今どんな表情をしているのかは分からないが、多分平然とした顔をしているのだろうことは容易に想像することが出来た。
そしてそれは、これまでリゼットがどんな生活を送ってきたのかということの証左でもある。
死が常に隣にある生活というのが一体どんなものであるのかは、アンリエットですら想像も付かない。
ただ、言葉で表せないほどに苦労しただろうことだけは確実だ。
確かリゼットはアンリエットより三歳年上なだけだったはずだが、随分と落ち着き、大人びて見えるのもそれが理由だろう。
(――死の禁忌を犯したもの、ですか)
話を聞いた時には随分気の毒に思ったし、それは今も変わらないが……自分がこんなことになってしまった以上は、同情している場合でもあるまい。
それに今は、他に気になることもある。
リゼットが口にした言葉は、果たして本当なのだろうか、ということだ。
あの男が生きているということは、おそらく事実なのだろう。
だがだからこそ、怪しいのだ。
任務が成功した程度のことで失敗が帳消しになるほど、黒狼騎士団は甘い場所ではない。
状況によっては、任務が成功しても、その過程で生じた都合の悪いことをなくすため、数人の首が刎ね飛ばされるのが、黒狼騎士団である。
どんな罰を与えたのかは分からないが……それでも、罰程度で済んだというのが、正直信じられなかった。
そもそも、やらかした事が事である。
アンリエットの罪を確定させるため、という建前を用意することは出来ても、本来許されるべきことではないエルフの森への襲撃を行ったのだ。
それこそ、不都合な事実を消すために処分対象となるのは当然だろう。
それに、気になることは他にもある。
たとえば、どうしてあの男がエルフの森に入ることが出来たのか、ということだ。
パーシヴァルは勘違いしていたようだが、あの男にエルフの森に入る権限はないのである。
権限がない以上は、誰の後についていったところで、弾かれるだけだ。
例外は、アンリエットがアレン達にそうしたように、許可を与えることだが……では、誰が許可したのか、ということになる。
アンリエットが把握している限りでは、あの日あの場所にそれを可能とするような人物は来ていないはずだが……。
まあ、つまるところ、あの男は物凄く怪しい、ということであった。
しかも、背後には間違いなく誰かがいる。
黒狼騎士団に影響を与えられるとなると限られるが……特定するのは正直難しい。
今の帝国には該当する人物が多すぎるのだ。
帝位を狙っている者達に加え、その腰巾着共。
あの男を暴れさせ皇帝を暗殺した主犯をでっち上げて得をする者など、幾らでもいる。
とはいえ、ぶっちゃけアンリエットにはその辺のことはどうでもいいことだ。
嵌められたような形ではあるも、半ば自業自得ということもあって、恨みもそれほどない。
アンリエットが気になるのは、それによる影響がアレンにどれほど波及するのか、あるいはしないのか、ということであった。
それ以外の瑣末事は、気にするにも値しない。
今頃はとっくに帝国を出ているだろうし、アンリエットのことが諸国に知られるようになったとしても、それはきっと全てが終わった後だろう。
心配する必要もないとは思うのだが……それでも気になってしまうのは、やはりアレンだからだろうか。
アレンならば、どんなことをやったところで不思議ではない。
「……なんて言っちまうのは、さすがに贔屓が過ぎるですかね?」
「何か言ったっスか?」
「何でもねえですよ。ただの独り言です。それより、アンリエットはそろそろ寝るです。この格好で活動するのって結構疲れるですからね」
「そうっスか。おやすみなさいっス。まあ自分もすぐに寝るんスけど」
見張りをするのではなかったのかと、苦笑じみたものを口元に浮かべながら、目を閉じる。
まあ、何をどう考えたところで、最早アンリエットに出来ることはない。
精々が、アレンの望む未来の邪魔にならないよう、祈るだけだ。
可能ならば、自分のことがアレンには伝わらないように。
もし伝わったとしても、アレンの心に波風一つ立つことのないように。
そんな、心にもないことを思い、本心は奥深くに沈みこめながら。
これ以上余計なことを考えないように、アンリエットは意識を闇の中へと沈めていくのであった。




