休息と話し合い
ぐーっ、とそんな間抜けな音が響いたのは、馬車の中で話を続けている、そんな最中のことであった。
反射的に互いの顔を眺め、伺うような視線になる。
「……あ、あたしじゃないわよ?」
「わ、わたしも違います……!」
「……ミレーヌも違う」
万が一にも勘違いされるわけにはいかない、とばかりにノエル達は即座に否定し、それから責めるような目を向けてくる。
紛らわしいまねをするなとでも言わんばかりだ。
しかしアレンは彼女達の視線に肩をすくめて返す。
「僕でもないけど?」
となれば、残るは一人だ。
該当者へと視線が集まり、だがカーティスは苦笑を浮かべた。
「申し訳ありません……紛らわしい音ですから勘違いされてしまうのも仕方ないとは思うのですけれど、これってお腹の音ではないんです」
「え、違うの? まあ確かに、やけに大きいなとは思ったけど……」
何せ思わず会話を止めてしまうほどの大きさだったのだ。
はっきり聞こえるどころか喋ってる声よりも大きいほどであり、女性陣が即座に否定したのもそのためだろう。
「でもじゃあ、一体……?」
「言ってしまえば、休憩の合図、でしょうか? より正確には、魔導具への補給の合図ですけれど」
「補給……?」
「はい。実は、馬車そのものが魔導具でして、快適に乗っていられるのもそのおかげなんです」
「……なるほど」
確かに、速度の割にはまったく振動等が伝わってこないし、会話も問題なく出来る。
随分とよく出来た馬車だと思っていたら、そのものが魔導具だったらしい。
「ただしその分、魔力をより多く消費してしまいます。搭乗者でまかなう方法も考えられたらしいのですけれど、それだと搭乗者の数が少なかったり、子供が乗っている場合は問題が出てしまう可能性もあり、結局は装填式になったという話です」
魔導具が魔力を消費して動作するというのは以前にも触れたことだが、その方式は主に二つに分かれる。
使用者の魔力をそのまま使うのと、魔力を溜めた燃料のようなものを予め装填しそこから魔力を引き出し使うものだ。
そのうち後者の方を装填式と呼ぶ。
装填式の魔導具は、使用者の魔力だけでは実行するのが難しい、複雑な現象を引き起こすものが多い。
以前リーズが使っていた通信用の魔導具もこのタイプであり、だから頻繁には使えなかったのだ。
そして当然のように、装填された魔力が尽きてしまえばその魔導具は動かなくなってしまう。
「動かなくなるだけならばいいのですけれど、実はこの馬車は通常の馬車に比べ本来の重量は三倍ほどになります。魔導具としての効果により軽量化がなされ、さらには強化することで馬は問題なくこの速度で馬車を引くことが出来ていますけれど……」
「効果が切れてしまったら、色々と大変そうね」
「なるほど、だから合図、ですか」
「はい。こういった音が聞こえれば、分かりやすいですから。それと、装填される魔力の量は一定ではなく、休憩までの時間を見計らって相応しいものを選んだりもします」
「……だから、休憩の合図?」
「そういうことです。というわけで、皆さん。魔導具への補給がてら、少し遅めの昼食にしませんか?」
腹の音は鳴っていないものの、腹が減っていないとは言っていない。
皆それが分かっているからこそ互いに顔を見合わせたのであり、何よりも昼の時刻はとうに過ぎている。
異論があるはずもなかった。
カーティスの提案に揃って頷くと、カーティスは笑みを浮かべ、御者台の窓を三度叩く。
するとそれが合図だったのか、馬車の速度が少しずつ落ち、やがてゆっくりと止まったのであった。
馬車が停まった場所は、大きな木のすぐ傍であった。
どうやら昼食が取れそうな場所を選んで停めたらしい。
「それでは、僕は先に魔導具への補給を済ませてしまいますね。僕はその後で護衛の彼と一緒に食べるので、皆さんは気にせず先に食べていてください」
アレン達が馬車から降りるのを確認するなり、そう言ってカーティスが護衛の下へと向かったのは、警戒半分気遣い半分、といったところだろうか。
食事時は睡眠時に次いで気が緩みやすい時な上、どちらかが食事を用意するとなれば、用意された側は毒を警戒する必要がある。
かといってバラバラに用意してから一緒に食べるというのは、相手を信用していませんと面と向かって言うも同然の行為だ。
事実であり、仕方ないと分かってはいても、面白いわけがあるまい。
それは双方に同じことが言え、だからこそ、ああして理由をつけてバラバラに食べても不自然ではない状況を作り出した、というわけである。
警戒半分気遣い半分というのも、そういう意味だ。
そういったことは皆が理解しているため、背を向けるカーティスには誰も声をかけることなく、言われた通りに食事の準備を進めていく。
とはいえ、昼食に関しては既に出来合いのものがあるため、準備とは言っても食べるための準備でしかないわけだが。
元々昼食は移動しながら食べる予定だったため、予め買っておいてあったのだ。
街で昼食を先に取らなかったのも、時間が微妙だったというのもあるが、既に買ってしまっていたため、というのも大きい。
もっとも、最大の理由は、やはり早く出発することを優先したためであるが。
ともあれ、そうしてアレン達は素早く食事の準備を整えると、早速とばかりに食べ始め――
「で……どうだった?」
アレンが口にした言葉は、唐突と言えば唐突ではあったが、誰も疑問を挟んでくることはなかった。
それは全員がその意味を理解しているがゆえであり、食事の手を止めないながらも何かを考えるように虚空へと視線を向ける。
「そう、ですね……半々、といったところでしょうか?」
まず口を開いたのは、リーズであった。
やはり具体的なことを口にはせず、その言葉にノエルが頷く。
「そうね、あたしもそんな感じかしら」
「……何とも言えない?」
続いてミレーヌも同意を示し、アレンは苦笑を浮かべた。
まあそんなものだろうなと思ったからだ。
何の話かと言えば、カーティスをどう思うか、ということであった。
だからこそ、聞かれても誤魔化せるように詳細な言葉は省いているのだ。
カーティスも自分の話をされるだろうと予測してはいるだろうが、これも先の食事の例と同じである。
分かってはいても、実際に耳にしてしまえば愉快な思いはしないだろう。
ならば最初からそんな話をしなければいいのではあるが、そういうわけにはいくまい。
帝都までへの道中、寄る街は一つだけの予定だというのだ。
自分達だけで集まれる機会がこういった時にしかない以上、ここで話す以外にないのである。
まあ、今のところその意味があるかは、何とも言えないところだが。
「ま、さすがは、ってところだよね。少なくとも今のところ、僕も同感だし」
「その言い方ですと、まるでそれだとおかしい、と言っているように聞こえますよ?」
「……確かに」
そう言ってアレンは苦笑を深めるが、実際のところその通りでもあった。
明らかに怪しいからだ。
二日足止めを食らい、ようやく街を出られそうとなったところで、こちらが無視出来ない話を持って現れる。
誰がどう見たって怪しいと思うに違いない。
だが今のところは、それだけでもある。
怪しくはあるものの、特に証拠があるわけでもない。
しかし逆に怪しくないという証拠もまたなく、しかもここは敵国だ。
自分一人であればもっと気楽に構えられたのだが、そうでない以上は最大限に警戒するしかないのである。
そしてその警戒が解けることは、きっと最後の最後までないだろう。
何事もなく終わって初めて、本当に何の裏もない、幸運が重なっただけだったのだと判断出来るのだ。
本当にそうであったのならば、カーティスには謝るしかなく……そうであってくれればと、心底思いはするのだが――
「とりあえずは、引き続き、ってところかな?」
「そうですね……心苦しくはあるのですが……」
「ま、言ってられないわよ」
「……必要なこと」
不本意なのは、アレンもであるし、この場にいる全員がそうだろう。
疑うことなく、心の底から信じることが出来れば、どれほどいいことか。
だが残念なことに現実は、そう上手くいくように出来てはいない。
カーティスが向かっていった方向へと一瞬だけ視線を向け、ままならないものだと呟きながら、アレンは手元の残りを口の中へと放り込むのであった。




