少年と姉
その瞬間にアレンが覚えた感情を言葉にするのであれば、それは困惑ということになるだろう。
何せその少年とは、間違いなく初対面なのだ。
見知らぬ少年から唐突に助けを求められて困惑しない人間など、そうはいまい。
そして人違いだと考えるには、少年の視線はアレンのことをしっかりと捉えすぎている。
彼は間違いなく不特定多数の誰かにではなく、アレンに対して助けを求めているのだ。
だから正直に言ってしまうのであれば、アレンは半分ぐらい何も見なかったことにしてその場から立ち去ってしまおうかと考えていた。
何やら事情がありそうなことは分かるものの、故にこそ待ち構えているのは確実に厄介事だ。
厄介事に巻き込まれないようにこの国を早々に後にすることを決めたというのに、自ら厄介事に首を突っ込んでいくのはさすがにあれだろう。
だが。
「んー……どう思う?」
「って言われてもね。助けを求められてるのはどう見てもあなたなのだから、好きにすればいいんじゃないかしら?」
「……同感?」
聞きようによっては投げやりとも思えるような言葉だが、こちらに向けられる目からそうではないということは分かっている。
意味としては文字通りのものでしかないのだ。
とはいえ、厄介事に巻き込まれないようさっさと帰ることを選択したのがアレンである以上は、そう言ってもらえたところで帰ることを優先とすべきなのだろうが――
「……わたし達のことは気にしなくても大丈夫ですよ? わたし達がここにいるのは、結局のところわたし達自身の意志なんですから。そしてそれは、ここからどうするのかにおいても変わりません」
「……まあ確かに、言われてみればここで僕がどうすることを選んでも、リーズ達まで付き合う必要はないんだよね。リーズ達はリーズ達で帰っちゃえばいいんだし」
「そうですね。アレン君ならば仮にここに残るということになったところで、戻ってこれるかを心配する必要もありませんし」
実際のところ、アレンは一人でここに残されても確実に帰ることは可能だ。
アレンが本気で走れば馬車よりも遥かに速いし、いざとなれば転移を使ってもいい。
心配する必要はなく、また心配される必要もなかった。
と、普通ならば考える事が出来るはずなのだが……。
リーズの顔を、次いでノエルの顔、ミレーヌの顔をと順に眺めていった後で、アレンは溜息を吐き出した。
「……人の顔を見て溜息を吐き出すのは、失礼?」
「まったくね。失礼にも程があると思うのだけれど?」
「そんなことを言われても、僕と同じ立場に立てば大半の人が同じ反応をすると思うけど? だって……僕がここに残ることになったら、君達もここに残るつもりでしょ?」
その言葉に、返答はなかった。
だが全員の顔にうっすらと浮かんでいる笑みが、言葉よりも雄弁にその思いを語っている。
再度、溜息を吐き出した。
「言いましたよね? ここからどうするのかを決めるのもわたし達の意思によるものです、と」
「……まあといっても、まだ話を聞いてもいないどころか、聞くかどうかすらも決めてないんだけどね」
「アレン君がこういう時にどういう行動を取るかなんて、考えるまでもありませんから」
まるで、あの少年の話を聞き、そして助けることなど決まりきっている、とでも言いたげなリーズの様子に、三度溜息を吐き出す。
買い被り過ぎにも程があった。
しかもノエルやミレーヌまでもが、リーズの言葉を当然のことのような顔をして聞いている。
困ったものであった。
そして何よりも困るのが、そこまで言われてしまったら、あの少年のことを見捨てることなど出来ないということだ。
まあ、気になることもあるため、確かに最初からあまりそのつもりはなかったと言えばなかったのだが……本当に、困ったものである。
リーズ達から視線を外し、少年のことを眺めれば、少年は何かを期待するような目でジッとこちらのことを見つめていた。
「……ま、とりあえず、話だけでも聞いてみるとしようか。さすがに気になるしね」
そう言われた少年が目を輝かせ、左右からやはりとでも言わんばかりの視線を向けられる。
それらに苦笑を浮かべながら、アレンはこれもある意味ではアンリエットの言う通りなのだろうかと、そんなことを思うのであった。
どう考えても厄介事である以上、さすがにあの場で話の続きをするわけにもいかない。
というわけでアレン達は、つい今しがた出てきたばかりの宿へととんぼがえりすることとなった。
その理由の一つとして、その宿の部屋をアレン達が取ったままだったというのがある。
というのも、アレン達はこの街に来てからずっと同じ宿に泊まってはいたが、宿というのは基本的に一日単位で取るものだ。
そしてその一日というのは、その日の朝から次の日の朝までである。
昼にやって来ようと夜にやって来ようと、次の日の朝までを一日とするものであり、そこに例外はない。
つまり何を言いたいのかと言えば、昼前までこの宿にいたアレン達は、今日の分の宿代まで払っており、実質明日の朝までならば再利用が可能なのだ。
無論出ることを告げた以上は、宿が他の客を入れてしまっても文句は言えないが、何せ出て行ったばかりである。
他の客が入る暇などあるわけもなく、宿側も渋い顔をしながらも再利用を認めてくれたのだ。
そうして見覚えのある部屋へと戻って来たアレン達がまずしたことは、自己紹介であった。
互いに初対面であり、相手のことを何と呼んだらいいのかすらも分からないのである。
まずは自己紹介となるのは当然のことであり――
「……カーティスです。――カーティス・リューブラントと言います」
「リューブラント……?」
アレン達の自己紹介の後に告げられた、少年――カーティスの家名に、思わずアレンは目を瞬いた。
その家名はつい最近も耳にしたばかりであり……まさか被るということは有り得まい。
ただ、正直なところアレンはそれほど驚いてはいなかった。
いや、確かに驚きはあるのだが、どちらかと言えば、納得の方が強い。
どことなくカーティスの顔に見覚えがあるような気がしていたのは、その目元に彼女の面影を感じていたからだということに気付いたからだ。
もっとも、リーズ達は単純に驚いているようで、その顔には驚愕の表情がはっきりと浮かんでいた。
「あの……リューブラントと言うことは……」
「はい……考えていらっしゃる通りだと思います。僕……いえ、私の家は、侯爵家です。とはいえ、本家というわけではないんですが……」
「ということは、口調も改めた方がいいのかしら? あまり得意ではないのだけれど……」
「ああいえ、その辺は気になさらずに。貴女方はこの国の方ではないようですし」
「そっか。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうけど……一つ聞いてもいいかな? 君が言った姉ってのは、もしかして……?」
「……はい。それも、考えていらっしゃる通りだと思います。僕……私は一人っ子ですから」
要するに、カーティスの言った姉とは、彼女――アンリエットのことだということだ。
幾度か話題に出ていた叔父達の、その息子、ということらしい。
とはいえそうなると、助けてくれとはどういうことかということになるが……いや、今は焦っても仕方がない。
一つずつ明らかにしていくべきだろう。
「……つまり、ミレーヌ達がアンリエットと知り合いだってことを知ってたから声をかけてきた?」
「そういうことになるわよね。でも、あたし達のことを、いつ、何処で聞いたのかしら?」
「考えられるのは……あの時、でしょうか? アンリエット様が一度屋敷に戻った時」
「でもそれなら、あの時こいつもいたってことになるわよ? なら紹介ぐらいはされるものじゃないかしら?」
「……ミレーヌ達のことを話してるなら、そうするのが自然?」
「……確かに、その通りではありますか」
まるで話し合いをしているような様子のリーズ達だが、この場ですることではないことな上、視線がずっとカーティスに向けられていることからも分かる通り、どちらかと言えばそれは詰問であった。
敢えて遠回しな手段を選んでいるのは、一応相手は侯爵家の人間であるらしいのと……立ち位置がまだよく分からないからだろう。
アンリエットが叔父達にどんな扱いをされているのかは聞いているのだ。
その息子となれば、怪しむのは当然である。
「……そうですね、怪しまれても仕方ないとは思います。実際僕……私は、姉から貴女達のことを聞いたのではなく、遠目に見ていただけですから」
「遠目に……?」
「はい。偶然……貴女達と姉が別れるところでした」
「別れる、ってことは、あの時か……ということは、あの時あの街に来てたってことだよね?」
確かに隠れていたわけではないので、この少年があの場面を見ていたところでおかしくはないのかもしれない。
だが果たして何故、あの時あそこにいたというのか。
「というか、まるで隠れて盗み見てたように聞こえるんだけど?」
「……そうですね、実際結果としてはそうなってしまいましたから。ですが……だからこそ僕は、姉さんが捕まってるところを見ることも出来たんです」
「――えっ!? アンリエット様が、捕まった……!?」
「……何故?」
「……その理由こそが、助けを求めるに至った理由です」
そう言いながら、カーティスは真っ直ぐな瞳をこちらへと向けてくる。
そして。
「姉さんは……アンリエット姉さんは、皇帝暗殺の主犯として、黒狼騎士団に捕らえられてしまったんです」
そんな言葉を口にしたのであった。




