疑問と帰還
傷が綺麗さっぱり消えてなくなった自分の身体を、パーシヴァルは心底不思議そうな顔をして眺めていた。
ぺたぺたと何度も触って確かめては、しきりに首を傾げている。
「ふむ……アレだけの傷が即座に治るとはな。このような術は我らエルフの魔法ですら不可能なはずだが……いや、詳細は問うまい。我らが王の友人であり、何よりも恩人なのだ。君達が何者であろうとも、それは些細なことだろう」
どうやら彼はこちらの身元に関して、おおよそのところで見当が付いたらしい。
まあ、傷を癒す奇跡の術を扱うことの出来る聖女の正体がアドアステラ王国の元王女だということは、半年前に広く知れ渡ったことなのだ。
推測することは難しいことでもあるまい。
ちなみにパーシヴァルの傷をアレンではなくリーズが治したのは、念のためだ。
アレンも傷が癒せるということを知られないように……というわけではなく、単純に意識を失ったままの男対策である。
そっちの警戒をアレンがするため、必然的にリーズが治療を担当することになったと、そういうことだ。
ともあれ、こちらの正体が知られてしまったわけだが……別に、元々隠していたわけでなければ、知られたところで何か不都合なことがあるわけでもないのだ。
さらには知り合ってからの期間が短いとはいえ、パーシヴァルの性格は何となく掴めて来たことも考えれば、こちらに何らかの不利益を与えるようなことはないだろうということも予測出来る。
となれば、何も気にする必要などはなかった。
そしてパーシヴァルもまた、自分で口にしたように細かいことを気にするつもりはないようだ。
こちらに顔を向ける様子も、その口調も、今までと何ら変わらぬものであった。
「ところで、君達はこれからどうするつもりだ?」
「ん? どうするって言われても……さすがにこの状況で案内の続きを頼むはアレだしね。まあとりあえずは、アンリエットが戻ってくるのを待つ、ってところかな?」
「いや……そういう意味ではなくてだな……」
言ってパーシヴァルが視線を向けたのは、今も倒れたままの男の方へとであった。
それにアレンは、なるほどそういう意味かと納得する。
とはいえ――
「んー……僕が聞きたいのは、どうしてここに来たのかっていうことだけで、それも結局は何か厄介事が起こってるかもしれないから、ってことが気になってるってだけだしね。ノエル達が何か先に聞いておきたいことがあるってわけでもないんなら、別にそっちの都合を優先してもらっても構わないよ?」
「何か聞きたいこととか言われても、こっちは結局何がどうなったのかすらもまだよく分かっていないんだけれど?」
「そうですね……ですが、わたし達が何か尋ねたいことがあったとしても、それは結局興味本位の域を出ないと思います」
「……同感。そっち優先でいいと思う」
「ってことらしいけど?」
「そうか……助かる。まあ、まだ何があると決まったわけでもないのだがな」
そうは言いつつも、パーシヴァルは何かがあると確信しているような様子であった。
もしかしてこちらが知らない間に何かそれらしいことがあったのだろうか……と思ったのだが、別にそういうわけでもないようだ。
ただ……無根拠で言っているわけでもないらしい。
「知ってのこととは思うが、我らは長い期間この地に隠れ住んでいた。近年まで他の種族には一度も見つかったことはなかったのだ」
「ですが、帝国には見つかってしまったのですよね?」
「それに関しては、言い訳にしかならないが、単純に帝国側が我らよりも優れていたというだけのことだ。だがそれも、隠れ住む我らのことを見つけだしたというだけに過ぎず……言ってしまえば、我らの過失ではない」
「その言い方からすると、今回は過失だった、ってことかしら?」
「はい。そういうことになるのですが……」
言い澱んだパーシヴァルの言い分を纏めると、つまりこういうことらしい。
今回あの男がここに来る事が出来たのは、外に出ていたエルフの子供がここに戻る場面を見られ、しかもその際にひっそりと同行されてしまったからなのだという。
それだけであるならば、その子供の不注意とあの男の優秀さが合わさって起きた出来事のようにも思えるが――
「……それなら、今までにも同様のことが起こってないとおかしい?」
「ああ。少なくとも今までに一度も起こっていないことが今回偶然起こったということは考え辛い、と我は思っている。しかも相手はよりによってあの黒狼騎士団の一員だというのだからな」
「だからこそ、今までは起こらず今回初めて起こった、っていう可能性もある気もするけど……まあ、正直同感ではあるかな。僕が気になってたのもその辺のことが理由だしね」
要するに、少し出来すぎている、ということだ。
特に黒狼騎士団に関しては、一部を除けば突出しているほどの存在ではないと聞いている。
精鋭と呼んで良くとも、唯一ではないのだ。
他の騎士団にも同じ程度優秀な者達はいて、そしてその者達ならばパーシヴァルも勝手は許さずそのまま強制的に退去させただろう。
だがよりにもよって黒狼騎士団の一員であったがためにその手は使えず、勝手を許してしまうことになった。
しかも結果的に助かったとはいえ、パーシヴァルは命を落としていてもおかしくはなかったのだ。
さらにはここに関しても、ただではすまなかった可能性が高い。
少なくとも、悪魔の子供達に関しては、ろくでもないことになっていたのは確実だ。
それを全て偶然だと考えるのは……少々楽観的に過ぎるだろう。
「ま、とはいえこれ以上は考えても仕方がない、かな?」
「ああ。この先は直接聞いてみないことには分からないからな。だがだからこそ、助かる。もしも何者かがろくでもないことを考えているというのであれば、それを早く知れれば知れるほど、早めに対処のために動けるということだからな」
そういうことらしい。
そしてならばこそここは譲るべきであり……そんなことを考えていると、ふと視線を感じた。
「どうかした?」
それはリーズ達であった。
何か言いたくとも言えないような、そんな微妙な顔をしている彼女達の様子に、首を傾げる。
はて、彼女達がそんな顔をするような何かが、今起こっていただろうか。
「何かが起こっていたと言いますか……いえ、いつも通りだと言えばいつも通りなのですが……」
「……そうね。あなたは黒狼騎士団とか言われて何やら納得しているみたいなのだけれど、あたし達はさっぱり分からないとか、言いたいことはあるのだけれど……」
「……結局のところは、おおむねいつも通り?」
「ああ……なるほど。そういうことね」
確かに、言われてみればその辺の話はアレンがアンリエットから個人的に聞いたものだ。
彼女達が知らないのは当然だと言える。
が――
「んー……まあ正直なところ、何と言ったものか迷うところなんだけど……」
結局のところそれは、個人的に聞いた話に過ぎないのである。
何処まで話してしまっていいものか、アレンでは判別が付かないのだ。
しかし彼女達はそんなアレンの態度をどう受け止めたのか、仕方なさそうに溜息を吐き出しながら、それでもジト目を向けてきた。
「……いえ、アレンのことですからどうせ色々と事情があるのは分かっていますし、無理に聞こうとは思いません。ただ、本当に相変わらずなんですねと思うだけです」
「いや、事情があるのは確かなんだけど、ちょっと誤解が発生してるような気はするかな? ただ、何を言おうにも、とりあえず本人がいてくれないとどうにもならないからね……」
まさか確認もせずに勝手に喋ってしまうわけにもいくまい。
と、そんなことを考えている時のことであった。
「ふむ……その本人というのは、アンリエット殿のことでいいのか? ならば、ちょうどいいタイミングだったな」
それはどういうことか、ということを問いかける暇はなかった。
それよりも先に、視界に変化が起こったからだ。
「これは……空間の歪み、かしら?」
「……ん、それに、何となく覚えがある」
ノエル達の呟きは、おそらくどちらも正解だ。
そして森の一部が歪むという、その光景を眺めながら、アレンは一つ腑に落ちたことがあった。
ここに来てから感じていたことなのだが……どうにも見覚えがあるような気がしていたのだ。
しかし、何ということはなかった。
つまりここは、ここにアレン達がやってきた時、最初に降り立った場所だったのである。
少し考えれば分かったそのことを、今更のように理解し、そこにさらなる変化が生じたのは次の瞬間だ。
歪んでいた空間がさらに歪み……唐突にそれが収まったかと思えば、そこには見覚えのある少女が一人、立っていたのであった。
「うん? 何ですオメエら? アンリエットを出迎えに来てくれた……ってわけじゃなさそうですね」
その場の状況を眺め、アンリエットは不思議そうに首を傾げたものの、周囲の状況と見知らぬ男が倒れているということで、何となく察したようだ。
何故だかアレンへと視線を向けると、呆れたように溜息を吐き出した。
「ほんのちょっと目を離してただけでまた何かに巻き込まれやがるとか、オメエは本当に相変わらずですね」
「いや、今回に関しては、本気で僕は無関係だと思うよ?」
だがそんな言い訳は知らぬと……あるいは、それよりも重要な話があるとばかりに、アンリエットは肩をすくめた。
そんなことをアレンが思ったのは、何となくアンリエットの目が、切羽詰ったものであるように見えたからである。
そして。
「ま、何でもいいんですが……ちょうどいいって言えばちょうどよかったですかね。アンリエットはちと、オメエらに話さなくちゃならねえことが出来ちまったですからね」
その思考を肯定するような言葉に、アレンはアンリエットの姿を眺めながら、眉をひそめるのであった。




