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変わらない信号機  作者: つっちーfrom千葉
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*第二話*


 しばらく経って、また時計の針を確認した。それから、数分も経たないうちに、また時計が気になりだした。積極的な行動を取れずに、ただ並んで待つという行為に対して、神経の方が我慢しきれなくなったのだ。時計の針は、自身の希望に反して進めない人間たちを嘲笑うかのように、ぐるぐると容赦なく動いていた。私はすでに我慢の限界に達していた。こういう場面で叫ぶことができないのであれば、そもそも、人間に声帯などいらないはずだ。精神は突如として動き出し、反乱の旗を揚げることになった。まず、自分の真ん前に立っている人に優しく声をかけた。


「もしもし、ずっと同じ位置に止まっていると退屈ではありませんか? いつになったら、この列は進むのでしょう?」


 その男性は呼びかけの声に反応して、ゆっくりと振り返った。その表情からは、少し気分を害したように見えた。


「あなたはずいぶん行儀の悪い人ですな。ここに並んでいる人は、みんな同じ気持ちを持っていますが、例え何十時間待たされようとも、決して不平を言ってはいけません。我々はいつでも、信号が青へと変わる、その瞬間を大手を振って迎える心構えをしていなければなりません」


 そう説教をくれた男性は、真っ黒なスーツにシルクハット、ぶ厚い黒ふち眼鏡をかけていて、まるで学者や教授のような姿だった。深い瞑想にふけっているところを、話し掛けられたことで、すっかり不機嫌になってしまったようだ。この列には真面目で律儀で知識欲旺盛な人が多いようだから、高い知性を誇り、豊富な知識を持ち、厳格なルールに厳しい彼は、きっと、この列の象徴的な存在なのだ。きっと、私のような存在は、さぞかし嫌われているに違いない。それでも、私は未練がましく話を続けた。


「しかしですね、もう三時間も待っています。我々が並ぶ列は、すでに三時間もの間、まともに動いていないという有様ですよ。最初はこの位置でも割合悪くないかと思って待っていたのですが……、なにしろ、靴底を上げれば一応は道路が見えますし、私の背後にはもっともっと大勢の人が並んでいますからね。彼らの精神的苦痛に比べればまだマシです。しかし、この今の環境にも、いい加減飽き飽きしてきたんです。なぜって、人間は環境に慣れてしまうと、幸福を幸福と感じなくなります。この競争が、かつて底辺から始まったからこそ、少しは登ってきた今の環境に充実感を覚えたわけで、ここから進めなくなってしまえば、その充実した気持ちも維持できなくなり、やがて足早に去っていきます。つまり、長い年月の経過により、初めは嬉しく思った地位にも、次第に飽き飽きしてくるものです。私も俗物ですから、その例に漏れません。進みたいのに進めない、このじりじりとした気持ちが、あなたにはわかりますかね? いつまでも同じ位置にいては、延々と続いたジュラ紀と変わらないんです。早くもっと前に進んでみたいんです。あの道路の向こう側に拡がる、新しい世界を見てみたいのです」


「何をかいわんやですな。慌てても何にもなりませんよ。何しろ、この世界では、百年もの期間、同じところで止まることさえありますからな」


 その学者ふうの男は、さらにぶっきらぼうにそう答えた。わざと突き放すようなことを言って、私とのつまらない会話を早めに打ち切りたいようだった。


「冗談じゃないですよ。そんなに長い期間、まったく前方に進まないなんてことがあるのでしょうか? 中には我慢できる人もいるようですが……。反駁さえしないことが、私には理解できません。この列には比較的余裕のある人が多いですね。それはなぜですかね? こんなに不遇でも笑っている人すらいるようですね。自分の今の位置を本当に満足しているのでしょうか?」


 私は彼の肩に手を置いて、それを土台にして、ぐっと背伸びをして、何度も何度も列の前方を覗き込みながらそう言った。学者は私の行動に腹を立てたのか、慌ててそれを制止した。


「こらこら、私より前に出てはいけませんよ。少しは控えなさい。この順番は我々が生まれる前からきっちりと決まっているんです。そして、国家の公文書にさえも記録されています。誰にもそれを覆すことは出来ません。太古の昔から守られているんです。国家の重要人物や家柄の良い人が決めたわけでもありません。言うなれば、この世界の順番とは神の意志ですぞ。それでも、今より前に行きたいって言うのですか? あなたって人は本当に変わっていますね。どうも性格がね、がさつ過ぎるんですよ。この列の厳しいルールに適さないようですな。本当にこの列の住人ですか? まさか、文明の遅れた他の列からの移住者ではないでしょうね?」


「何を言うんですか、私は間違いなくこの列の人間ですよ。ほら、言葉だって一緒でしょう? ほら、顔だって周囲のみんなと似たり寄ったりですよ」


 学者ふうの男はその説明により、少しは納得したようだった。余裕の表情であご髭をいじりながら再び話し始めた。


「それならいいのですがね。最近、この列の居心地が良さそうだからと言って、他の列から流れ込んで来て、そのまま割り込もうとする人が多くいて困ってるんですよ。不安を掻き立てられるわけです」


「一人二人だったら、間に入れてやってもいいじゃないですか。何を怖がっているんです? その少人数の流民が無作法なことをするとでも? 全体の骨組みがしっかりとしていれば、少しくらい他の列から流入者がいても、道徳やルールは守られますよ」


 学者ふうの男はそれを聞くと、たいそう不審そうな顔をした。どうも、流入という言葉に嫌悪感を持っているようだった。この時点で、相当に保守的で生真面目な人間だという印象を受けた。


「一人二人だからいいだろうっていう調子で次々と割り込ませていくと、収拾がつかなくなって、そのうちに足元から秩序が崩れていくんですよ。その時にはもう取り返しがつかなくなっているんです。一度、乱れてしまった秩序は、なかなか元に戻せません。私はそういう安定しない列は嫌なんです。私が理想としているのはね、未来永劫整然とした落ち着きを保てる列なんです。列に並ぶ全員が同じ行動を取って、同じ意志を持って、同じルールを守れるならば、それは可能なはずなんです」


 個々の人間に自由を求める心と物欲がある限り、それは無理だろうと言ってやりたかったのだが、この話を続けていても面白くないことがわかってきたので、私は違う話題を探して周りを見渡した。


「実は、我々の位置は道路から少し離れていますよね。まだ、我々と横断歩道の間に数十人ほどの人がいます。この分だと、次の青信号で本当に渡り切れるのか、いささか不安になってくるんですよ」


 私は自分より前方に並んでいる人々の頭数を数えながら、そんな不明瞭な話をした。学者ふうの男も途端に不安そうな顔になった。実のところ、彼もそれをずいぶん気にかけていたらしい。何しろ、どんなに偉そうな口上を述べたところで、この道路を渡れるか渡れないかでは、未来に希望を抱く人間にとっては、大変大きな差になってしまうからだ。ここに並んでいる人達は、みんな未来の世界において、活躍したいと心から思っている。自分の培ってきた能力は、周囲の人間には決して劣っていないだろうという、ある程度のプライドも持っている。つまり、みんな必死なのだ。ここでの手痛い出遅れは、後になって、きっと大きな差となって現れる。『道路は視界の先にしっかりと見えていました。でも、一生懸命走ったところで、またしても渡れなかったのです』では済まされないのだ。


「この私だって、これ以上なく胸が高鳴りますよ。自分の未来を左右する信号が、いつ変わるだろうってね。ただ、それにしたって、待つことしかできないわけです。誰もが渡りたいと、この景色の向こう側をぜひ見てみたいと、心から願っている以上、やはり、その前提として、順番を守るということが何より大切です。せっかくここまで長期間並んできたのですから、ここで愚かな失態をして、すべてを台なしにはしたくないですな。私はここよりずっと後方にて、初めて列を見つけ、並んでいた頃から、道路の向こう側に大手を振って渡れる日を首を長くして待っていたんです。道路の向こうには希望が待っていると信じます。私のこれまでの学業の成果を無駄にするわけにはいかないのです」


「しかし、どんなに意気込んでみても、今度の青で渡れなかったら、結局のところ、またしても置いてけぼりを喰うことになるんですよ。その後はいつ変わるかわかりませんよ。おそらく、神様だって、知りゃあしないわけです」


 私は少し意地悪くそう言ってやった。自分のはやる気持ち、焦る心を少しは他人になすりつけたいと思ったからだ。なにしろ、一人だけで焦って落ち着かないのは気分が悪いものだ。


「後生ですから、そんな物騒なことを言わんで下さい。私は幼少の頃から地道な努力を積み重ねてきて、毎分毎時少しずつ進んできて、やっと信号の色がはっきりと識別できる、この位置にまでたどり着いたんです。この次の青信号で必ず渡るんです。何度も言いますが、こんな半端な場所で置いてけぼりを喰らうわけにはいかないんです」


 学者は身振り手振りを交えて、せわしなくしゃべっている際も、一時も信号から目を離すことはなかった。我々がそんな退屈な話をしながら、なんとか時間をつぶしていると、今度は左側の列の信号が青になった。並んでいた浅黒い肌の人々は、前後の仲間とにこやかに会話をしながら、あまり競い合う様子も見せずに、我々の横を次々と通り過ぎていった。つまるところ、彼らはそれほど待たされていないから、その顔には余裕があるのだ。前方に拡がるであろう未知の世界に、心を惹かれてしまい、焦って走り出す人間もいなかった。結局、我々はまた先を越されてしまったのだ。左も右も、私たちの列と比べて、よほど効率よく進んでいるから、今、私たちの両隣に並んでいる人々は、ついさっきまでは、ずいぶん後方に並んでいたはずだ。つまり、私たちの列だけが、この時間の流れに対応をしておらず、端的に言えば、まったく進んでいないのだ。私は隣の列の人達がうらやましくなってきた。


「これこれ、あなた、さっきから右や左をせわしなく見回しているようですが、それは駄目ですよ。少しはわきまえなさい」


 前に並んでいた学者ふうの男性から、またしても注意を受けてしまった。この世界では、列から列への移動は完全に禁止事項にあたるため、真横の列の様子を覗き見る行為も、基本的にはマナー違反である。これは心中に列移動をする欲求があるのではと疑われてしまうためである。彼は私の外観を初めて視界に捉えた、その瞬間から、いかにも、規則違反をしでかしそうな人間だと予見していたようだ。私はすでに目をつけられていたのだ。何でも、この世界では、ルールを頑なに守ろうとする人間より、ルールを破ろうとしている人間の方が圧倒的に数が少ないから、目が利く人になら、そういった悪徳を見つけやすいのだとか。私は今のところは、列を隣へと移る気などさらさらないが、この列に従順なるその気持ちを、周囲の人間に示してみせることは難しかった。どうすれば、この列への愛着を周囲の人間に示すことができるのだろうか?


「わかっていますよ。あなたの言いたいことはわかっています。右側は堅い保守的な列が多い。自分の前にいるが常に権威を持ち、目上の人には絶対に逆らわない列です。こちらばかり見ていると、気持ちが保守的になってしまい、先に出された意見に常に追従するが、そのために列の規則やルールをより良くするための気概が薄れてしまい、他の列ならとっくに取り入れて然るべきの、重要な改革に取り組めず、時流に乗り遅れてしまうような、時代錯誤の人間になってしまう可能性がある。そして、反対に左側には列の順序自体に深い影響を及ぼすような、大きな改革を旗印にした、理想を夢見るリベラル人や穏健派の人間が多い。こちらばかりを見ていると、改革と上の階級への反発ばかりに目がいってしまって、自分の列の昔からの個性や伝統を愛せない、緊急時に信用のおけない人間になってしまうと言うのでしょう? 私にもその辺はよくわかっています。今のところ、列移りをする気はないですよ」


 男は私のそんな言い訳を聞くと、一度指をピンと弾いて見せて、ほくそ笑みながら答えた。


「私は何も、そんな小難しい話はしていませんよ。周りをキョロキョロするのは、それすなわち行儀が悪いからやめなさいと言ったのです。あなたは心にやましいことがあるから、私の声が天上人から放たれたかのように重々しく聞こえるのです。普通のモラルを持ち合わせた人だったら、そんなに心中が大きく動じないはずですよ。我々の列はね、古くから存在する立派な列だから、自信を持って前だけを見ていればいいんです」


 そんなことを言われてしまうと、私は自分の行動範囲が狭まった気がして腹立たしくなってきた。前の人の頭だけを見ながら、行進を延々と続けるなんて、本当に楽しめるものだろうか? 左右の列から学ぶことは本当にないのだろうか?

 ここまで読んでくださってありがとうございます。

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