*第一話*
成功をつかむためには、何としても、この大きな道路を渡らなければならない。それは、自分だけの身勝手な思いではない。この果てしなく長い行列に並ぶすべての人の願いである。この道を渡った先において、我々を待つのは栄光か、それとも挫折だろうか。眼鏡のレンズの微かな汚れを白布で拭き取った。それでも、向こう側は白く霞んでしまって、この位置からではまだ見えない。この目で確認できないのであれば、もはや、どちらでもいい。とにかく、この世界では、何よりもまず、先に進むことこそが重要だと伝えられているのだから。学業であれ企業社会での立身出世であれ、前進こそが我らの願望であり、そもそも、道を渡らなければ何も始まらない。今の低い位置のままでは、他人からの羨望も自分の願望も何も得られないのだ。
しかし、目を凝らして見ても、道路の向こう側は、すっかりモヤがかかって霞んでしまっていて、何も見えなかった。
『ちくしょう、なんて、うらやましいことだ!』
数日前に、あるいは数年前に、すでにこの道を渡り先に進んで行った人達は、道路の向こう側でどんなことをして、何を得ているのだろうか? 先駆者たちのことを、手の届かない我々がどう考えても、それは仕方がないことだが、どうしても、とりとめもない想像が心を支配してしまう。先にここを渡って行った彼らは、すでに幾らかの利益を得ているに違いないのだ。それが目に見えるものであれ、目には見えないものであれ。我々は競争に敗れ、ここに取り残され、延々と待ち続けている間に、次々と沸いて来る欲望と嫉妬に自制の心が負けてしまっている。
この世で起こるどんな分野の研究においても、常に先駆者というものがいるわけで、私のような知識や教養のない人間でも、そのぐらいは十分に理解できるのだが、理想郷を目前にして取り残された後続も、このまま指をくわえてはいられない。立ち止まってしまっては駄目だ。頭を働かせろ。何とか追いつく努力をしなければ。いつかは前に進んだ人達と同じことが出来るようにならねばと、この列にて忸怩たる思いで並ぶ、ほとんどの人が考えていた。我々は人生の緒戦に敗れはしたが、常に心にあるのは、先の世界への興味と、先駆者への憧れと、そして自分の輝かしい未来像である。
これから順位を左右する重要な試合があるスポーツマンも、家に腹を空かせた子供が待っている買い物帰りの主婦も、上司に言い付けられた作業を両手にいっぱいに抱えているサラリーマンも、数時間後に議会で質問をする予定の議員も、みんな一列に並んで待っている。普段は怒りっぽい学校の先生も、早く手柄を立てたくてうずうずしている警察官も、みんな黙って、仕方なく、大人しく並んで待っている。だが、どうしたことだろう? 目の前に赤く光る信号は一向に変わらないではないか。我々はいつまでこうして待てばいいのだろう? みんな心では焦っているはずなのに、身体は微動だにすることはない。この列は何時間が経過しても、前方にも後方にも真っ直ぐに伸びていて、ちっとも揺らぐことはなかった。
待てど暮らせど、信号はずっと呪われたかのように、一時停止を示す赤のままなので、私はその光景に飽き飽きして、ふと視線を横に向けた。するとどうだろう、私たちの隣にも、同じような長い列があって、同じように雑多な職業の人々が、さも退屈そうに、しかし不満の声をあげずに、大勢並んでいた。その場でつま先立ちをして、さらに遠くを眺めた。すると、そのまた向こうにも同じような列があった。辺りを見回すと、私の右にも左にも同じような列が当たり前のように存在していて、遥か彼方まで、無限に人の列が続いているのだ。
そうか、みんな、それぞれに理由を持って、前方の信号が変わるのをじっと待っているのだ。右隣りの列の人々は、仲間で集まって賑やかに話し合いをしていて、私の列の人々よりも、ずいぶんおしゃべりなようだ。この先に在るはずの世界で、歌うための詩を考えている人や、すでに準備万端、リズムをとって踊っている人さえいた。それに顔形や言葉も私たちとは少し違うようだった。左隣りに並んでいる人達は、みんな浅黒い肌をしていて、女性は顔を隠し、頭にはターバンを巻いていた。話している言語も難解で、到底理解できるものではない。我々とは相当に異なった文化を持っているようだった。
さらにその向こう側の列には、武器を持った兵士が多く並んでいるのが見受けられた。きっと、兵士さんも道路の向こう側に用事があるのだろう。兵士という職業は列の中では珍しいはずなのに、林の中でのどんぐり拾いのように、最初の一つを見つけてしまえば、同じものが次々と見つかるものである。どの列にも少なからず兵士はいるようだったが、その割合は列によってだいぶ違うようだった。スポーツをしている人が多い列、ぶ厚い本を興味深げに読んで、周囲の人と語り合い、学者ぶっている人が多い列と、各列によって特徴は様々だった。遠くに視線を向ければ、信号よ早く変わってくれと、皆が顔を真っ赤にして、焦って苛立ちを隠さず、大声で叫んでいる列もあれば、うちの列のように沈黙したままで何かの考えに没頭しながら、落ち着いた感情のままに待ち続けている列もあった。その待ち方にも、列によって様々なルールや風習があるようだった。ここまでの経過は違えど、目の前にある大きな道路を渡るという目的だけが一緒なのだ。
そんな細かい観察をしているうちに、大きな足音が聞こえてきて、右隣りの列が突然進み出したのだ。私はその大音量に驚いて振り向いた。その列だけ、前方の信号が青になったからだ。置いていかれまいと、みんな一斉に走り出したが、それでも順番は崩さぬように、前の人を乱暴に押しのけたりすることのないよう、この世界が生まれながらにして持つルールを頑なに守っていた。全力で走りながらも、前の人を極力追い越さないようにと、スピードを調整することに神経を使っているようだった。彼らの時計は未来への針が動き出したのだ。他の列に並んでいる人達も、当然、その異変には気がついていたが、自分たちの前方に光る信号は、いまだ赤のままなので、その光景を羨ましそうに見守ることしかできなかった。
短気な人間が多い列では、我慢が限界に来たのか、早く進ませろと罵声がさらに大きくなったが、いったい、それが誰に向けられているものか、自分たちにもわからないらしく、しばらくすると、何かを諦めたかのように、また落ち着きを取り戻した。青信号により、列が大きく動いていた、右隣りの列は、しばしの黄色信号を挟んだ後で、また赤に戻った。列の進行もそこでピタリと止まった。自分の足が道路へと踏み出す直前で、旗当番のスタッフが振りかざす白い大きな旗によって止められてしまった一人の若者が悔しそうにしていた。今回は彼の番ではなかったのだ。すなわち、お金も権力も手に入れることはできなかった。
しかし、動いている列は、勝つにせよ、失敗するにせよ、前に向けて挑戦できるだけまだいい。私の列はいつまで経っても赤のままだった。無理に背伸びをして、遥か前方に並んでいる人達を覗き見ても、動き出す気配がまったくなかった。しかし、前にいる人間たちはすこぶる落ち着いているように見えるのだった。想像になるが、彼らは次の青信号によって、確実に渡れると思い込んでいるので、何が起きようと余裕の面持ちなのだ。どんなに長い時間が経過しても、私の前や後に並んでいる人達は、決して列を乱さずに並んでいた。小難しい本を読んだり、ウォークマンを聴いたりして、余裕の面持ちで、退屈を紛らわしている人も多くいた。
決して位置取りの良くない私自身は、心中穏やかではなく、次第に苛立ってきた。何かに怒りをぶつけたい気持ちだった。手に入れるか、空手で取り残されるかの複雑な心境にて待たされている時は、列の後方に行くほどストレスが溜まるものだ。少しでも前の方の良い位置に行って、自分も楽をしたいとさえ思った。もはや、手段を選ぶことはできない。この辺りでうまく出し抜いてやれないものだろうか? しかし、列の他の人々はどれだけ待っても、顔色一つ変えず、やせ我慢して並んでいるのに、私だけが心をかき乱すのはどうかと思った。少なくとも、成功を願うからには、他の人といざこざを起こすような人間であってはならない。遠い昔、どこかでそう教えられたのを思い出し、なるべくみんなと歩調を合わせなければいけないと考え直した。あるいは、この列については、前から後方まで、まんべんなく教育が行き届いているから、並んでいる人は、みんな我慢強く信号を待つ術を身に付けているのかもしれない。しかし、それは果たして良いことなのだろうか?
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