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幽怨地 -廃園奇談-

作者: 黒砂糖

 掌に感じた痛みで、名取楓なとりかえでは我に返った。

 知らぬ間に手を強く握りしめていたようだ。掌に爪が食い込み、血が滲んでしまっていた。

 大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出して気を鎮める。それから再びPCのモニターに目を向けた。

 モニターに表示されているのは、ネットのオカルト掲示板だ。ここには都市伝説や幽霊の目撃情報などが日々投稿されている。

 その中で今、楓が見ているのは心霊スポットのスレッドだった。リアリストを気取るつもりはないが、楓は幽霊や宇宙人といった類のものの実在に関して懐疑的な姿勢をとっている。そんな彼女が、こんな眉唾な情報にまみれた掲示板を見ているのには理由がある。


 「…………」


 楓は、PC脇の写真立てに手を伸ばす。

 六歳の頃、遊園地に行ったときに両親と撮った写真だ。写真の中の彼女は、満面の笑みをこちらに向けている。

 これが両親と撮った、最後の写真だ――そしてこれが両親と過ごした、最後の楽しい思い出だ。

 遊園地以降、両親はおかしくなった。父は口数が少なくなり、母の態度もそれまでとうってかわって冷たくなった。

 かつての優しい両親は、もうどこにもいなかった。

 なぜなのか気にはなったものの、変わってしまった両親が怖くて、楓は何も訊けなかった。楓には心当たりがまるでなかった。自分に非があるというなら言ってくれればいい。言われないと気付けないし、治せもしない。

 そのうち――きっとそのうち、元の二人に戻ってくれる。そう信じて、楓は耐え続けた。

 だが、そんな日が訪れることは永遠になかった。


 遊園地に行った二年後――楓が八歳のとき、両親は死んだ。


 二人の遺体が見つかったのは、自宅から遠く離れた山中だった。そこの太い木の枝にロープを結び、並んで首を吊っているのを発見された。

 警察では心中自殺として処理されたが、動機は不明のままだった。楓はその後、親戚の家に引き取られて育てられた。

 それから十三年が経ち――二十一歳になった楓は、今ではアパートで一人暮らしをしながら大学に通っている。それでもこの、最後に両親と撮った写真だけは、こうして手元に置いてある。

 写真立てをPC脇に戻すと、楓はマウスを握って画面をスクロールさせる。目につくのは、ある遊園地にまつわる噂だった。


 ひとりでに廻りだすというメリーゴーラウンド――。

 謎の声が聞こえてくるという観覧車――。

 入れ替わりが起きるというミラーハウス――。


 それらを含むいくつかの怪奇現象が挙げられ、スレッド内は盛り上がりを見せていた。


 (みんな、勝手なことばっかり……)


 楓がオカルト掲示板に目を通し、それによって苛立ちを募らせているのは、この噂のある遊園地――裏野ドリームランドこそが両親と三人で最後に撮影した場所に他ならないからだ。

 同じ大学のオカルト好きな友人から偶然、裏野ドリームランドが心霊スポットとして有名だということを耳にした楓は、今こうして自分で調べてみたのだ――それもすぐに後悔したが。


 (ふざけないでっ……何が心霊スポットよっ……!)


 今度は無意識に唇を噛みしめ、モニターを睨み付ける。無責任な噂のせいで両親との大切な、かけがえのない思い出が穢されるようで我慢がならなかった。


 (幽霊なんて、いるわけがないでしょう!? いい加減なこと言わないでっ……)


 そう怒鳴りたくなる気持ちを、理性で何とか抑え付けた。特に楓の神経を逆撫でしたのは中でも二つの噂だ。

 一つは遊園地が営業していた頃、遊びに来ていた子どもがいなくなることがあり、それが度重なって閉園したのではないかというものだった。

 子どもの失踪自体は、実際にあったことだ。閉園の理由が何であれ、それをこんな風に興味本位で書きたてる行為は不謹慎にもほどがある。

 もう一つは、ミラーハウスでの入れ替わりだ。外に出てきた人間が、まるで中身だけが違うように変わったというものだ。この噂はどうしても楓に、両親のことを思い出させる。遊園地以降、別人のように様子がおかしくなった両親のことを。

 あのとき、自分たちはミラーハウスに行ったのだろうか――楓は思い出せない。

 楽しかった記憶は、確かにある。だが具体的にそこで何をして、どう感じたのかは覚えていなかった。それなのに嫌なことに限っては、いつまで経ってもはっきりと記憶に残っている。


 「何、馬鹿なこと考えてるんだろ私は……」


 こんな噂を真に受けてどうする――頭を振って思考を追い払う。両親が変わってしまったのはもっと、別のはっきりした理由があるはずだ。その理由が何であるかは、いまもって分からないが。


(百聞は一見にしかず……行ってみれば分かることね)


 直接この目で、あそこには何もないことを確める。そのために楓は夜、閉園した裏野ドリームランドに立ち入る決意を固めた。

 何も起きなければ、こんな掲示板のこんな噂など気にも止めなくなるだろう。


 まさか自分がそこで、あのような恐ろしい体験をするなど――このときの楓には、まるで思いもよらなかった。 




 その日の夜、楓は懐中電灯を片手に裏野ドリームランドの前に立っていた。


 「……」


 頭上の看板はひどく汚れて傾き、チケット売り場の外壁にも罅が入り雑草が生えている。楓の記憶にあるこの場所と眼前の光景が同じ場所だとは到底思えない。


 それだけ今の裏野ドリームランドは、すっかり変わり果ててしまっていた。


 感傷を振り払うと、楓はゲートへと足を踏み出した。かさかさに乾いている唇を唾液で湿らす。

 思いのほか緊張しているようだ。廃墟独特の雰囲気にでも当てられたのだろう。


 (そうよ……別に、怖いわけじゃない)


 自分にそう言ってきかせる。ここにいるのは自分一人だけだ。他に何もいやしない。何もいないのに何を怖がるというのだろう?


 「よし……」


 そうして楓は、錆び付いたゲートを通り抜けた。


 「うっ……」


 とたん、楓はぶるりと身を震わせる。


 「何、これ……」


 両腕をさする。園内の冷気がねっとりと肌に絡み付き、鳥肌が立っている。

 何だが良くない感じがする。根拠はないが、そう思えて仕方がない。

 おそらく心霊スポットという先入観のせいで、そのように感じるのだろう――この程度で怯んでいては、先が思いやられる。

 楓は気を引き締め、歩き出した。遊園地の見取り図は頭の中に叩き込んである。

 無人の廃墟だというのに、楓はそろりそろりと慎重に進む。

 なぜ足音を殺すのか? 誰かに気付かれないためか――だが、その誰かとは?

 この廃墟となった遊園地に今も棲む――《何か》に、だろうか?

 もしそんなものがいるとしたら、果たしてそれは自分と同じ人間なのだろうか――そのような恐ろしい想像を掻き立てる雰囲気が、この場所にはある。

 まったくの無音。聞こえるのは自分の息遣いと足音のみ――。

 そんなとき突然、音楽が流れた。楓は驚き、そちらを見る。


 無人のメリーゴーラウンドが、雰囲気とそぐわない明るいメロディーとともに廻っていた――。


 全身から血の気が引いていくのが分かる。自分の見ているものが、信じられない。


 (う、そ……嘘……)


 眼前の光景を、頭が受け入れない。それがたとえ事実だろうと、楓の常識が否定する。


 (ありえない……こんな、の……ありえない……)


 現実逃避をするように、楓は頭を抱えて何度も振る。

 しばらくして音楽は止み、メリーゴーラウンドも止まった。


 「………………」


 恐る恐る、懐中電灯をメリーゴーラウンドに向ける。

 明かりに晒されたメリーゴーラウンドに、特に目立った変化はない。初めから何もなかったかのように。


 「間違いよ……何かの、まちが――」


 ――たたたたたたっ……。


 「っ…………!?」


 誰かが駆ける足音――反射的に、そちらへ懐中電灯を向ける。

 何もいない。いるはずがない。

 だが今、聞こえた軽い足音は、まるで小さな子どものような――ぞわりと悪寒が走る。

 まさか、この遊園地でいなくなった子どもの――?

 この場に留まっていられず、楓は振り返ることなく立ち去る。メリーゴーラウンドから離れても、体は震えていた。

 止めよう止めようとするほど、震えは大きくなる。


 (なん、なの……何なの?)


 あの一見、不可思議な現象にはちゃんとそうなった合理的な説明が付けられる――そのはずだ。

 だがその理由を考えてみても、まるで思い付かない。それでも、心霊現象など認めたくはない。そんなありもしないものを怖れている自分を、認めたくはない。

 楓は、意地になって足を動かした。懐中電灯の明かりが、揺れている。それを持つ楓の手が震えているからだ。

 明かりの届く範囲には、何もいない。ソフトクリームの売店やら地面にちらばったチラシや紙屑が見えるくらいだ。

 だが、それ以外はどうだろう? 光が届かず、視界の効かない範囲は――?

 目に見えない暗闇に、もしくは無防備な背後に――この世ならざる何ものかが、すぐそこにいるかも知れない。

 そう想像し、耳を済ませれば聴こえてくる気がする。その――もしくはそれらの息遣いが、わずかに身動ぎする音が。

 そんなことをつい、思ってしまったせいだろうか――


 ――て……。


 楓の耳が、それを捉えた。

 足を止め、懐中電灯で周りを照らす。いるはずもないものを探す。いないことを祈りながら。

 そうして何も見つからなかったことに、ほっと息を吐いたとき、


 ――して……。


 再び、その声を耳にした。


 「だ……誰?」


 問いかけるも、返ってくるのはしんとした静寂だけだった。

 声のした方に体を向けた。そこには観覧車がある。


 (まさか……)


楓は、ぞっとした。この遊園地にまつわる噂の一つを思い出す。謎の声が聞こえるという観覧車の噂を――。


「気のせい……よね? そう、よね?」


口に出して呟く。あえて言葉にすることで、それがあたかも事実であるかのように思い込もうとした。それでも楓の目は、眼前にあるゴンドラに釘付けとなり逸らすことができない。


「落ち着きなさいよ、私……確かめれば済むことでしょう?」


そう自身を無理やり鼓舞し、足を一歩、前に踏み出す。


 ――ざっ……。


 更に、もう一歩。


 ――ざっ……。


 そして、三歩目。


 ――ざっ……。


 耳に届くのは、自分の足音。そうと分かっているのに、そんな自分の立てた足音にすら怯えている自分がいる。


 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ「出して……」。


 びくっ、と体が震えて足が止まる。


 (き、聞こえた……今、子どもの声が……)


 心臓が早鐘を打ち、呼吸が乱れはじめる。

 今度こそ、はっきりと聞こえた。消え入りそうな、か細い声――性別は分からないが、まだ十歳にも満たない子どものものであることは間違いない。

 そしてその声は、目の前のゴンドラから聞こえていた。

 確かめなければ――そこにいようといまいと。そのために自分はここにいるのだから。

 そんな意地とも使命感ともつかない思いに背中を押されるようにして、楓はゴンドラの窓に顔を寄せる。


 「……」


 ゴンドラの中を、懐中電灯で照らして覗き見る。何もいるな、何もいるなと心の中で念じる。何もいなければ、なぜ声がしたのかという疑問など頭を過りもしない。ただこれ以上、何事もなければそれでいい。


 (……うん。何も見えない。誰もいない)


 その事実が、確認できた。


 (もう、ここでは何も起きないわね……)


 楓はそうして、胸を撫で下ろしかけた。


 ――ばんっ!


 「ひぃっ!?」


 突然ゴンドラの窓が大きな音を立て、楓は悲鳴をあげて後退した。

 しっかりと確認した。誰も何もいなかった。

 それなのに、今の音はまるで――ゴンドラの窓を、誰かが内側から叩いたかのようだった。

 胸を押さえて呼吸を整えると、改めて懐中電灯をゴンドラへ向ける。


 「……っ!」


 ゴンドラの窓には、小さな手形がべったりと張り付いていた――まるで、楓に助けを求めるように。


 それを確認すると、楓はすぐに逃げ出した。声が耳に入らないように両耳を塞ぎたかったが、手にしている懐中電灯が邪魔で叶わなかった。


 「はぁっ……はぁっ……!」


 息が切れはじめ、楓はやがて立ち止まった。

 膝に手をあて、荒い呼吸を繰り返す。全力で走ったため脇腹が痛む。


 「……?」


 ふと顔をあげ、楓は目を瞠る。


 「こ、ここは……?」


 いつの間にか、目の前にミラーハウスの建物があった。どうやら気付かないうちに、ここまでやって来ていたようだ。

 足を踏み入れた人間の中身が入れ替わるといわれるミラーハウス――十五年前、この遊園地に遊びに来てから豹変した両親。

 この二つに関係などない。そうは思おうとしても気にしてしまう自分がいる。


 (早くここを調べて、すぐに帰ろう……)


 もうここにはいたくない。一刻も早く逃げ出したい――楓の恐怖心が、そう訴えている。

 恐る恐る、ミラーハウスへと近付く。入口は閉ざされている。


 「……」


 そして楓は、ゆっくりとその入口に手をかけ――


 「……え?」


 入口は、開かなかった。何度ぐっ、と力を込めてもびくともしない。


 (これじゃ、中には入れない……)


 だが内心、楓は安堵していた。これでもう怖い思いをしなくて済む。開かなくて確認できず、仕方なく引き返したと自身に言い訳も出来る。

 それでも一応は周りを見ておく必要はあるだろう。楓はミラーハウスの側面に回り込む。


 ――ぐにゅっ……。


 何か、柔らかいものを踏みつけた。楓は漏らしそうになった悲鳴を呑み込み、足をどける。

 見るとそれは、ここ――裏野ドリームランドの、マスコットの着ぐるみだった。外見は蝶ネクタイとズボンを穿いている腹の突き出た兎といった風で、背中を壁に預けて両足を地面に投げ出している。

 楓が踏んだのは、その足だろう。


 (……何で、こんなところに?)


 楓は疑問に思ったが、それよりも重要なことに気付いたとたん、背筋が凍った。

 今、自分が踏みつけたときのあれは――中に誰かが入っている感触ではなかったか?

 もちろん、そんなはずはない。ありえるはずがない――だが楓は、そんなありえない体験を、すで身をもってしていた。


 (もうここには用もないし……離れよう)


 着ぐるみを踏んだ、嫌な感触がまだ足裏に残っている。スニーカーの靴底を何度も地面に擦り付けると、楓は踵を返して歩き出した。


 「確認は、済んだわよね……もう、充分よね……」


 自らに言い聞かせるように、そう呟く。


 ――どさっ。


 「――っ!!」


 背後でいきなりの音に、心臓が跳ね上がる。

 それほど大きな音ではなかった。だがこの静寂では少しの物音でも大きく感じる。

 ゆっくりと振り向いて、音の正体を確かめる。

 先ほどの着ぐるみが、俯せになって転がっていた。じっと見つめてみるも、着ぐるみには特に変わった様子はない。おそらく、何かの拍子に倒れただけだろう。


 「な、何よまったく……脅かさないでよ」


 ほっとして、つい悪態を吐く。楓は着ぐるみに背を向け、再び足を動かす。


 ――ずるっ……。


 「……え?」


 後ろから聞こえたその音に、楓は再度、足を止めてしまう。

 まるで、誰かが這い擦っているような――そんな音だった。

 気にしてはいけない、見てはいけないとは分かっている。それでも体はぎこちない動作で背後を向いていた。

 着ぐるみは変わらず、俯せになったままだ。


 「……」


 いや、違う。ほんの少し、ほんの少しだけ、先ほどの場所から動いているような――。

 楓は注意して見つめる。着ぐるみはぴくりとも動かない。


 (気にしちゃ駄目。確かめちゃ駄目……)


 だがそんな楓の意思に反して、足はミラーハウスの方へと引き返していた。

 気にしてはいけないと思えば思うほど、楓の意識は着ぐるみから切り離せなくなっていた。もう確認せずにはいられないほどに。楓は、足元の着ぐるみを見下ろす。

 ――ただの着ぐるみだ。別段、おかしなところはない。

 本当にこんな着ぐるみが動いたのだろうか? 動くところを見たわけでもない。音だって、何か他のものが立てたのかも知れない。着ぐるみの位置が変わっているように見えたのも、暗いせいでそう見間違えたのかも知れない。その前がどんな風だったのか、しっかりと見ていたわけでもない。それと、先ほどの踏みつけた際の感触――まるで中に人間がいるかのようだったが――。


 「……」


 楓は身を屈め、着ぐるみをつぶさに観察する。


 (中に人がいる? まさか、そんな……)


 疑いながらも、もしかしたらという気持ちも否定し切れない。そんな葛藤を払拭するには、やはりこの目で確かめるしかない。そうするしかないとしても、自身の大胆な行動に、楓は自分でも驚いていた。

 おそらくはこの場の、日常から切り離された異様な雰囲気が、彼女の精神にも影響を及ぼしていたとも考えられる。楓は躊躇したあと、右手を着ぐるみへと伸ばした。

 着ぐるみの頭を外せば、すべて明らかになる。

 そうして、楓の右手が、着ぐるみの頭に触れるか触れないかというところで――


 ぐるんっ――と着ぐるみの首が回り、二つの目と合った。


 楓は、絶叫した。

 心も体も恐怖に支配され、脱兎の如く駆け出しながらも、口から迸る悲鳴は止まらなかった。振り返ることは出来なかった。もし後ろを見て、あの着ぐるみが追いかけてきていたら――


 ――と、楓の足がもつれた。


 「あっ……!」


 態勢を立て直せず、そのまま転倒してしまう。


 「痛、ぁ……」


 痛みに顔を歪め――楓は、懐中電灯が手元にないことに気付いた。


 「え……どこ?」


 慌てかけたが、懐中電灯の明かりで、すぐに少し離れたところに落ちているのを見付けた。


 「良かった……」


 懐中電灯が壊れていないことに安堵して、楓が手を伸ばしたとき、


 子どもの蒼白い手が、懐中電灯を掴んだ。 


 「ひっ……」


 直後にふっ、と明かりが消えた。

 何も見通せない、濃密な暗闇――その闇に、体を拘束されているかのように、楓は身動きがとれなくなった。


 「返しっ……返してっ……!」


 暗闇に向かって、楓は叫んだ。

 闇雲に走ったことが仇となり、今自分がどちらを向き、遊園地を出るにはどこへ行けばいいのか分からない。懐中電灯が――あれがなければ。

だが、相手からの答えはなかった。


 「…………」


 額から冷や汗が流れ、動悸が激しくなる。


 ――ざっ……。


後ろで、足音がした。


 (来るっ……!)


 逃げなければいけないと思うものの、恐怖で体は硬直し、足にはまるで力が入らない。


 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。


 足音は、次第に近付いてくる。


 (や、めて……もう帰る……帰りたい……)


 目に涙が溜まり、頬を伝う。


 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。


 (い、嫌だ。嫌……誰か、助けて……)


 汗と涙で顔を濡らしながら、楓は懇願する。

 こんなところになんて、一人で来なければ良かった――そう後悔したが、すでに遅い。


 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 ――ざっ……。

 

 背後から、肩に手を置かれる感触――そして、













 



 



 ――つかまえた……。













 



 



 気が付くと、楓は遊園地の前で倒れていた。

周りに気配なく、懐中電灯も傍らに転がっている。


(……夢?)


一瞬、そんな考えが浮かぶも、すぐに打ち消す。

あれは、決して夢なんかではなかった――この場所には、確かにこの世のならざるものが存在している。

アパートに帰り着くまでの記憶は、曖昧だった。心身ともに、ひどく疲れていたのは覚えている。

 

そして翌日以降――楓は高熱を出して、寝込むようになった。

裏野ドリームランドの夢を見ては、魘される夜が続く。目が覚めると、夢の内容は忘れている。だが、 とても恐ろしい夢だったことは記憶に残っていた。


「……お邪魔するね。具合はどう? 少しは楽になった?」


楓が寝込んで、五日目――心配した大学の友人が、アパートまで見舞いにやって来た。


「ん……まぁ……」


喋るのも辛く、それだけを返す。


「そっか。にしても珍しいね? あんたが体調を崩すなんて」


 おそらく、裏野ドリームランドへ行ったことが原因ではないか――楓はそう考えていた。やけに熱が長引いているのも、そのせいだと。

 だが楓は、そのことをこの友人に言うつもりはない。裏野ドリームランドについて聞いたのはこの友人からで、彼女は楓とその遊園地との関係を知らない。今日に至るまでの経緯をここで話せば、友達想いの彼女はきっと気に病んでしまうと分かりきっていた。


 「多分ろくに食べてないだろうし、お粥でも作るよ。キッチン借りるね」

 

 言うと、友人はさっそくキッチンに向かった。「ありがとう」という、楓の声が聞こえたかどうか分からない。

 

 それから友人には結局、部屋の掃除や額の濡れタオルを換えてもらったりと、すっかり世話になってしまった。


 (良い奥さんになりそうだけど……)


 だが本人にそんなことを言えば「奥さんどころか、まだ彼氏すら出来ないんですけど……」と地雷を踏むのが分かっているので、口にはしない。


 やがて、友人はふと腕時計を見て、


 「あ、そろそろ帰らないと。お粥の残り置いてあるから。ちゃんと食べな?」


 「うん……ごめんね。何から何まで」


 「気にしなくていいんだって。まぁそんなに恩を感じてるんなら、治ってからたっぷり返してもらおうかな」


 と、友人は冗談まじりに言って腰を上げる。


 「それじゃ、くれぐれも安静にしてなよ? またね……夏希なつき










 【ある新聞記事より一部抜粋】


 『昨日午後×時頃、裏野ドリームランドに家族で訪れた女の子が一人、行方不明になった。

 行方が分からなくなったのは名取楓ちゃん(六)で、父親の話では「ミラーハウスに入って、少し目を離した隙に姿が見えなくなった」とのこと。警察では何らかの事件に巻き込まれた可能性も視野に入れ、捜査を進めている。

 また同遊園地では、以前から子どもの失踪が相次いでおり――』

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