第十五話 ~ウェセックス城退却戦Ⅹ~
王国軍追撃部隊からの総攻撃は始まったと味方両翼部隊から伝令を受けて少し経ったころ、ナターリエは戻ってきた。
「お呼びとお聞きしました、カール様。この大攻勢についてですか?」
そう言いながら本陣を囲む陣幕内に飛び込んできたナターリエに、何も言うことができなかった。
全身血まみれで、激しく肩で息をする壮絶な姿に、何と声をかけるべきか分からなかったのだ。
「ああ、ご心配なく。すべて返り血ですから」
高機動で魔法を放つ中距離砲台であることが強みの魔法騎兵部隊の指揮官自らが、返り血をべっとりと浴びるような激戦に身を投じていることに、改めて今回の戦いの厳しさを感じる。
だが、何とか気を取り直して口を開く。
「ご推察の通り、敵の攻勢に対する策についてだ。一か八かになるが、手遅れになる前にお前たちにも一仕事してもらいたいんでな」
そうして、報告を受けてすぐに考えた策を披露する。
あえて敵にこちらを包囲させることで戦線を伸ばし、包囲に成功して一番敵の戦列が薄くなったところで、各自残弾一発を確保させている鉄砲隊を押し出して一点突破を計る。
後は、そのころには日が暮れているだろうことから、夜闇に紛れて敵の追撃を逃れるのだ。
「いや、それは――」
「分かってる。包囲された時に、こっちの指揮系統が維持できる程度に兵の士気が残っている保証もない。しかも、成功したところで、半分も生き残れればいい方だろう。だから、その危険に対するために、一刻も早く君たちの力が必要なわけだ」
不満げな表情のナターリエの言葉にかぶせるようにそう言えば、とりあえずは話を聞いてくれるようで、静かになる。
「今回の戦いで有用性を示した鉄砲の開発を止めるわけにはいかない。開発責任者のリアと、その部下の技術者二人は先に離脱させないといけない。だから、彼女たちを送り届けるために、何人か見繕ってくれ」
もう彼女たちの鉄砲も俺が没収してるから、いつでも彼女たちを逃がせる状態だぞと言えば、なぜか返ってくるのはため息。
賛否どっちの反応も予想してたけど、ため息は予想外だ。
「カール様、違います。僕が言いたいのは、そんなことではないんです」
「で、伝令! 至急です! ゴーテ子爵、お討ち死に! ゴーテ子爵、お討ち死にです!」
突然の事態に何があったのか分からなかった。
俺はナターリエと話していて、なぜかため息をつかれた。
そして、そんなナターリエの言い分を聞いていたと思ったら、いきなり本陣に飛び込んできた伝令が、義兄上が戦死したと言い出した。
脳内でそこまで整理しなおしたところで、ようやく俺は理解することができた。
「あ、義兄上がお討ち死に!? どういうことだ!?」
「いや、あの……」
要領を得ない返事の伝令に対し、完全に冷静さを失っていた俺は詰め寄って問い詰めた。
「そもそも、指揮官が戦死など、どんな状況だったんだ!?」
「わ、分かりません! 急ぎカール様へお伝えせよと言われただけで……」
「じゃあ、今はどうなってる!? 指揮は誰が執っているんだ!? ゴーテ家の幕僚の誰かか? それとも、他の者が引き継いだか、各自応戦か!?」
「分かりません!」
「何が分かりませんだ! 何をしにきた!」
「カール様お待ちください」
そこで、難しい顔をしたナターリエが割って入ってくる。
その顔を見て、自分がやっていることの愚かしさを理解できるだけの冷静さが戻ってきた。
「伝令は、言われたままに情報を伝えることが仕事。特に、緊急時の第一報となれば、彼を責めても仕方ありますまい」
「ああ……おい、一度戻れ。俺が聞いたところを中心に、情報を集めて改めて報告に来い」
「は、はい!」
そう言って、蒼白になり陣幕から出ていこうとする伝令。
落ち着け。ナターリエが言うように、まだ第一報なんだ。
誰が送ってきたかは聞き忘れてしまったが、とても確定情報と扱うには頼りない状況なんだから。
「ひぃっ……」
だが、俺に息をつく暇などないらしい。
陣幕をくぐろうとした伝令の小さな悲鳴に顔を向ければ、そこからすれ違うように入ってくる一団。
ホルガ―と、彼に付けて左翼に送り込んだ兵士たちがざっと三十人ほどだった。
「このようなときに申し訳ありません。親分に申し上げたいことがあり参りました」
口調こそ丁寧だが、その一団の様子には鬼気迫るものがある。
相手は武器を構えてはいないものの、俺はとっさに剣の柄に手をかけ、彼らとの間に割って入るようにナターリエが体の位置を動かす。
「なんだ、ホルガ―。お前たちには、ユスティア子爵の指揮下で戦うように命令を出していたはずだが、どうしてここにいる。しかも、陣幕を守る兵の取次無しで押し入ってくるとは、そこまで緊急の要件か?」
このタイミングでの大人数の訪問に、俺の首を手土産に降伏するとのものなどを含め、様々な可能性を考える。
どうしたものかと構えていれば、ホルガ―の口から語られたのは予想外の内容だった。
「我々は、ユスティア子爵の命によりここに参りました。もう、限界です。カール様だけでも確実に生き延びて頂くため、共に来ていただきます」
「いやまて、共に来ていただきます? 俺に逃げろと?」
「はい」
「ふざけるな! 指揮官は俺だぞ、越権行為だ! もう、次の策に向けて動き出している! さっさと持ち場に戻――」
気付けば、突然の浮遊感。
目の前に地面が迫り、腕に痛みと、背中に重みを感じた。
「ナターリエ、どういうつもりだ?」
突然のことで反応は出来なかったが、彼女が俺に襲い掛かって抑え込んでいることは分かった。
うつぶせに倒され、腕をねじりあげられ、背中に彼女の体重がかかっている状態では、身動きを取ることは出来なかった。
「あなたは指揮を十全に行える状態ではありません。ですから、あなたの指揮権をはく奪させていただき、僕が指揮を引き継ぎます」
「分かっているのか? お前がしているのは、抗命行為だぞ」
「そもそも、あなたは自分の価値すら分からなくなっている。とても、正常な判断ができるとは思えません。左翼の状態の実際はともかく、右翼では指揮官が討ち死にしたなどと言われているのですよ。事実ならもちろん、誤報であっても、こんな誤報が流れるほどに戦況がつかめなくなっているならば、長くは持たないでしょう。そんなところに、これ以上あなたを置いておけるものか」
「俺は軍人だ! 危険は当然だろうが!」
「ご不満であれば、帝都に戻った後に告発なりなんなりしていただいて結構。あなたがおっしゃるならば、軍事法廷でも処刑台でも、僕はどこへでも喜んで赴きましょう。あなたには、それだけの恩がある」
そこで、それ以上何を言うことも出来なくなった。
とても、この状況をひっくり返せる気がしなかったのだ。
「さて、この殿部隊の指揮権を引き継いだものとして、ホルガ―君たちに提案があるんだ」
「提案?」
そこでナターリエが語るのは、俺がついさっき彼女に語った策。
ただし、陣頭に立つ役割はナターリエにすり替わっていたが。
「で、カール様には、先にエレーナ様たちのところへと送り返すリア殿たちと共に、馬に括り付けてでも行ってもらうつもりだ。どうかな? 一点突破を成功させるには、士気が高く信用できる戦力が必要なんだ。乗るかい?」
「乗った! 血路を開くのは得意だ。任せてもらいたい」
そうして、ずっと機をうかがって黙っていた俺の頭越しに、どんどんと話がまとまっていく。
何か突破口はないかと周囲の様子に気を配れば、なぜか周囲が騒がしい。
あまり危機感の感じられないそれは何事かと思っていれば、答えの方からやってきた。
「報告です! ……えっと?」
「構わない。報告を続けたまえ」
指揮官であるはずの俺が地面に押し倒されている異様な光景に入ってきた兵士は固まるが、ナターリエの堂々とした物言いに、首をかしげながらも言葉を続けた。
「そう、そうです! 黒竜紅旗が! エレーナ殿下が来てくださいました! 左翼方面から、敵側方に騎馬部隊が突入しています! エレーナ殿下、万歳!」
その言葉を聞いた時に、俺は頭が真っ白になった。
だが、みんなは違うようだ。
ホルガ―が連れてきた兵たちは素直に喜び、ホルガ―やナターリエは当然だというような顔。
むしろ、ナターリエなど「やっとか」とか言ってるし。
「おい、ナターリエ」
「別に、僕は何もしていませんよ。言ったでしょう? あなたは、あなた自身の価値すら分からなくなっているから、正常な判断ができる状態では無いと」
本当に、もう勘弁してくれ。
俺たちは、エレーナ様たちが安全に撤退するために殿を引き受けてるわけで、当のエレーナ様が引き返してくるとか、おかしくないか?
そもそも、俺の価値ってなんだよ。みんなで仲良く王国の増援が来るまで逃げ切れず、全滅する危険を冒す理由がさっぱり分からん。
いやまあ、ともかくさ。一個だけ分かったことがある。
エレーナ様さぁ……。
あんにゃろう、本当に何してくれてんだ!?
書籍化について、今月中にもう一度続報を出し、来月中旬から発売日辺りに集中的に様々な情報(書籍化範囲や、各種特典情報など)を出すことになるかと思います。
そんなちょこ転書籍版、買ってね!(ダイマ)




