第九話 ~ウェセックス城撤退戦Ⅳ~
その報告は、重装騎兵部隊を殲滅し、殿だったユスティア子爵の残存兵力と合流した後のこと。兵を集め俺たちの合流を待つはずのギュンター達のところへと向かう途上で受けることとなった。
「カール様、斥候から悪い報告です。敵の歩兵部隊がすぐそこまで来ているそうです」
「数は?」
「一千人強、おそらくは千五百ほどといったところみたいですね」
予想していなかったわけではないナターリエからの報告に、思わずため息を吐く。
わざわざ重装騎兵相手に殲滅戦を仕掛ける時点で、時間のロスは必然だった。
加えて言えば、戦闘の疲労も残るので、当然、行軍速度にも影響する。
それでも、たったの十数騎でも戦術的な脅威となりうる重装騎兵を逃がすことは、後を考えればリスクが大きすぎた。
特に、歩兵部隊と連携して襲い掛かられた場合、どこまでかは分からないが情報を抜かれた状態で、少数しか居ない鉄砲隊で対処出来る位置に攻撃を仕掛けてくれるかは分からないのだ。
後は、中途半端に痛めつけろなんて器用なことを末端まで命じても混乱するだけとの考慮だ。
命令は全体として緻密で計算高くとも、個々のものは単純明快でないと必ず指揮系統のどこ
かで問題が生じると心得るべし――とは、ヴィッテ子爵から平時に、若手幹部みんなで定期的に受けていた講義の中での教えである。
「それで、どうしますか? 数は、明らかに向こうが優勢ですが」
「先に待つ友軍の姿がまだ見えん。ここは、リスクを取るよりも、確実に待ち構えるぞ」
敵は約千五百人。
一方のこちらは、俺の護衛代わりの歩兵二百、鉄砲隊三十、ナターリエの魔法騎兵二百騎、ユスティア子爵の部隊の残党四百の、合計千にも満たない戦力だ。
あえて有利な点を挙げるなら、帝国側総員二万五千に対し、五千ほどと数を絞っての籠城では、すでに殲滅した二百の重装騎兵以上に騎兵部隊を王国側が用意するなんてことないだろうことくらいか。
馬が城内に居ても、エサの負担がかさむだけで、基本的にごく潰し。重装騎兵だけならここ一番の決戦戦力として隠し持つくらいあっても、それ以上に騎兵の比率を上げるなんて無駄なことはしないだろう。――たぶん。
「戦闘ですか。でしたら、さっそくユスティア子爵とご相談して、迎え撃つための配置を決めないといけませんね」
「いや、ナターリエ。配置は今決めた。俺の部隊と鉄砲隊が中央。お前の魔法騎兵は両翼を押さえて、ユスティア子爵の部隊は後方待機」
「……え? いや、こちらの方が数が少ないんですが、正面戦力を削るので?」
「潰し合いなら、こっちが不利。鉄砲隊で敵を崩す。隊列を薄くして囲みに来るなら、遠慮なく魔法騎兵で隊列を切り裂いてやれ。そうでなくても、鉄砲隊で混乱させて全軍で突っ込むなり、出鼻をくじいてユスティア子爵のところまで下がるなり、上手く動くさ」
「なるほど。分かりました」
時間がないこともあってか、すんなり納得したナターリエ。
向こうは部隊に戦闘準備をさせるため、こっちはユスティア子爵と簡単に打ち合わせをするために動き始めた時、ふと思いついて俺が彼女を呼び止めた。
「なあ、ナターリエ。エレーナ様に伝令を送りたいんだ。もう俺の馬渡しちゃったし、馬持ちのお前のところの兵士に頼みたいんだけど」
「まあ、構いませんが。で、何とお伝えすれば?」
「特別なことは不要だ。俺が殿の指揮をしてることと、多少度肝は抜いてやったがジリ貧で危ない状況なこと、たぶん目先の敵を多少減らしても敵の後詰はまだまだ居るだろうことを、そのまま報告してくれるだけで良い」
「……それだけ? 本気ですか?」
なぜか、ぎょっとして思ったよりも派手に驚く様子のナターリエ。
不自然なのは認めるが、こうするしかないのだ。
「だって、『かなり危ないから、こっちが戦線を支え切れてるうちにさっさと逃げてくれ』なんて言ったら、エレーナ様の場合、逆に逃げてくれなそうだろう? だから、マイセン辺境伯とかヴィッテ子爵とか、優秀な大人たちに上手いこと言ってもらおうと。状況が分かれば、その辺の人たちは、ちゃんとエレーナ様を逃がしてくれるでしょ」
「いやまあ、結果として合ってるだろう部分はありますけど、根本的に認識がおかしいと言いますか……」
「ナターリエよ。お前は、ガリエテ平原が終わってから合流したから分からんかもしれんが、本当にあの人は戦術レベルでの劣勢だとか知ったことかとばかりにむしろ燃える、困った人種でなぁ……。本当に、立場をわきまえて、危ない時だけでも下がっていてくれればなぁ……」
その言葉に、少し困ったように考えるナターリエ。
だが、困惑気味の様子はそのまま、すぐに口を開いた。
「カール様は、今はともかく、ギュンター殿らと合流された後も殿の指揮をするおつもりで?」
「もちろんだろう? ここまで来て大将が逃げちゃ、重装騎兵殲滅なんかで上がった分の士気なんて余裕で吹っ飛ぶくらいにガタガタになりかねんぞ」
「まあ、そんな認識なら僕としても好都合か……分かりました。『おっしゃられる通りに』、カール様が殿の指揮を正式に執られることを含めて、伝令を送りましょう。父上たちなら、『適切に』判断してくださると思いますよ」
急に晴れ晴れと去っていくナターリエだが、気にする余裕はない。
接敵までそう時間はないのだ。急いでユスティア子爵と打ち合わせをしないと。
接敵までの間に、ユスティア子爵と最低限の取り決めをした上で、平原上の街道を起点に、予定通りに隊列を整えることが出来た。
俺の歩兵中隊二百と鉄砲隊三十が、重装騎兵を倒した時と同じように並ぶ。
鉄砲隊のそれぞれの兵の間に槍を持った兵を一人ずつ入れ、鉄砲隊の両端にまで歩兵を並べたら、隊列の幅を合わせて二列目三列目を並べる陣形。
そして、両翼には魔法騎兵を半分に分けて配置し、包囲を防ぐように牽制。
ユスティア子爵の歩兵四百は、すぐ近くの後方で隊列を整えて控える。
敵は、こちらの両翼の魔法騎兵にそれぞれ三百から四百ほどの歩兵をぶつけて、おそらく双方にほとんど損害のないだろう矢や石と魔法の撃ち合いで、動きを封じるように動く。
そして、正面からは、重厚な陣形を組んだ、こちらの三倍以上の八百程度は居ると思われる敵が、真っ直ぐに突っ込んでくる。
「よう、リア。見えるか? 敵は、無理に囲い込んだり回り込んだりせず、確実に隙なく、正面から押しつぶすことを選んだ」
「は、はい……!」
「随分と慎重に動いていて、普通ならば圧倒的数の差の前に、一番どうしようもないところだ。――だが、お前たちにとっては違う」
返事はない。
ただ、周囲の歩兵たちの無言の期待を受けて、息を荒くする一人の少女が居るだけだ。
矢も石の撃ち合いも早々に、ただ距離を詰めてくる敵の軍勢を前に、静かに双方の戦意が高まって来る。
「長距離からの射撃戦をさっさと切りあげて、でも動きそのものは慎重なのは、こっちの手の内が見たいんだろうさ。重装騎兵を、平原で、正面から粉砕した、お前ら鉄砲隊の力が見たいんだよ。だったら……!?」
その時、近づいて来る敵陣に、信じられないものが見えた。
敵の隊列の中央よりも少し後ろの方に居る指揮官らしき騎馬。
ああ、あの姿を忘れるものか……!
「リア! あと、その両隣りのお前ら! 目標はあの騎馬だ! 大将首だ!」
とっさに口元を隠して飛ばした命令。
技師としての性分か、急なことに戸惑いながらも、しっかりと意見を返してくる。
「あの、そんな一点狙えって言われても、命中精度はそこまで高くないぞ……あ、です」
「知ってる! でも、あれを討ち取れば、この戦いそのものが終わるんだ。全員で狙うのは外れた時に敵の混乱が小さくなる危険が大きすぎるが、全く狙わない訳にもいかないんだよ!」
勢いで押し切り、とにかく命令に服させる。
もともと、そう距離はなかったのだ。すぐにその時は来た。
互いの距離が、互いの槍先が触れ合う距離の三倍ほどになったころ、ついに様子見に徹していた敵が駆け出し、総攻撃に移る。
「放てぇぇぇぇえええええ!!」
その瞬間、敵の初動を潰すように下した号令。
そして、敵の前列に穴が開くように兵たちが崩れおちる中、何としても崩れ落ちてくれと祈るように見ていた一つの騎馬が、俺の視界から敵兵たちの中へと消えていく光景を目にすることとなった。




