第六話 ~ウェセックス城退却戦Ⅰ~
既に敗走した味方本隊がそのまま撤退するとの方針を掴み、エレーナ軍団の総退却を決めた日の夜のこと。
俺は撤退の指揮を執っていた。
「その辺の物資は、撤退には不要だろうが。速度優先だ、もったいなかろうが置いて行け」
「「はっ!」」
基本計画については、俺が事前に上申していた通り。
天幕や篝火などの必要最低限でない物資をそのまま残し、兵力を数十から数百に小分けして夜間に送り出すことで、敵がこちらの撤退に気付くことを遅らせる。
小分けにすれば、二万人以上で同時に動くよりも統制しやすいし、短時間での人的な動きが少ないから籠城側に気付かれにくいはず。
夜が明けて気付いたとして、そこから準備をして、とっくに逃げ出した俺たちを追うとなれば、相応に時間のロスが生じる。その間に少しでも遠くへと逃げようって訳だ。
「カール様。外から見えている限りですが、籠城側に特に動きは見られません」
「ご苦労、オットー。こっちの陣内はどうだ?」
「先の戦いで、勝利のために国境地帯を放棄までさせたカール様自ら残っておりますからな。全体的には、殿近くでも何とかなるとカール様が見立てているなら、何とかなるだろうとの落ち着いた空気ですね」
「それは、わざわざ残った甲斐があったな。では、諜報部隊の主力は、先に出立なされたエレーナ様を追いかけて、合流せよ」
「よろしいので?」
「もう、こっちでお前らにやれるような大仕事もないだろうしな。伝令用の最低限の機能だけ残して、後は撤収しろ」
そのまま一礼し、下がろうとするオットーだが、ふと言っておいた方がいいだろうことを思いついて呼び止める。
「あ、オットー。ちょっと待ってくれ。俺に何かあったときに備えて、念のために話しときたいことがある」
「……カール様?」
「いや別に、わざわざ死にに行くとか、そういう予定はないぞ。何があるか分からんから、念のためってだけだ」
見た目は冴えない中年おっさんにジト目で見られ、慌てて言い訳をする。
てか、何か俺の信用低すぎない?
もしもの話するだけで、どうしてこんなうれしくない視線を向けられねばならないのか。
『必要性もないのに』死にに行くとか、そんな馬鹿なことするわけないだろう。
「カール様のお立場でまだここに残られているだけでも大概ですが……まあいいです。とりあえず、ご用件はなんでしょうか?」
「まず一つ。俺に何かあれば、ソフィア殿下の下につけ」
「了解いたしました」
直接エレーナ様の下についたとして、諜報・謀略方面の判断をエレーナ様が出来るとは思えんからな。
今のところはそこまで汚いことはやる機会がなかったが、もしもこの先するとなれば、いい子なエレーナ様にそんな決断が出来るとは思えない。
で、他に誰がとなると、ソフィア殿下しか思い浮かばなかった。
エレーナ様の下で事実上好き勝手にできる地位とか考えたけど、何のブレーキも無しとか『まっとうな軍人』たちからすごく警戒されて、陣営内の不和のタネになる未来しか見えない。
「そして、もう一つ。――ソフィア殿下がどんな考えで、誰と繋がってようと構わん。だが、エレーナ様の障害になるなら、どうするかはお前に任せる」
オットーが息を飲む。
「カール様、何かお心当たりが? 正直なところ、我々が調べる限り、ソフィア殿下には特に何も出ないのですが」
「具体的な証拠は、特にない。だが、皇帝陛下と繋がっている可能性がある」
それを聞き、唸るオットー。
話が話だけに、そういう反応にもなろう。
「カール様。ソフィア殿下につき、そのお母上を含めて怪しい動きは見られません。ですが正直、帝室一門内部のお話も関わってきますから、何とも。むしろ、繋がりが全くない方が不自然ですらある。親子なのですから」
「だから、『エレーナ様の障害になるなら』『どうするかお前に任せる』んだ」
俺だって、陛下がソフィア殿下を送り込む動機も必要性も全く見えないが、初対面の経緯という細い糸から来る警戒だ。
しかも、その繋がりがあっても、一概に悪いものとも判断しきれない。
俺も迷ってるからこそ、俺に何かあった後の指示もこういう形にならざるを得ない。
オットー以外にこういう方面で頼れる人材もないし、信じるしかない。
「御命令頂いた二点につき、了解いたしました。一応、こちらの方でもソフィア殿下についてもう一度調査いたします。何かございましたらご報告いたしますので――どうか、報告をお受け取りいただけますよう、伏してお願い申し上げます」
「分かってるさ」
そのまま去っていくオットーを今度は見送り、こちらも仕事へと戻っていった。
「カール様、先ほど送った斥候が戻りました。いずれも異常なし。交代で次の者たちをすでに送っております」
「ああ、うん。情報はありがたいんだけどな、ナターリエ。お前と、お前の魔法騎兵中隊はさっさと撤退しろって、俺言ったよな?」
夜も明けてしばらくしたころ。
俺は、多少の起伏のある平原地帯の街道沿いを馬に乗り、俺の連隊の中の四百人ほどと鉄砲隊を引き連れて進んでいた――はずなのだ。
なぜか、魔法騎兵中隊二百名が周囲を警戒してるんだが。
レア兵科だから、さっさとエレーナ様と一緒に送り出したはずなんだけどなぁ。
「まあまあ、カール様。副参謀長として、参謀長をお助けするのは当然では?」
「幕僚として、エレーナ様を助けるのが第一だと思うぞ」
「そのエレーナ様も、僕の意見に賛同してくださったのですがねぇ?」
ジト目を向けてやるが、満面の笑みを普通に返して来てやがる。
もう、これは言うこと聞いてくれそうにないな。
諦めて、周囲の警戒をナターリエの方に丸投げし、俺は街道沿いの良い感じの高台を探すことに集中する。
鉄砲隊を潜ませ、派手にデビューさせる舞台にするためだ。
鉄砲隊につき、マイセン辺境伯から守勢に強いと推薦された、彼の実の姉でもあるユスティア子爵に話だけは通した。
機密保持の観点から実演までは出来ず、「雷のような爆音がしたら俺からの支援攻撃だからよろしく」とだけ伝えておいた。
子爵は、コントロールや射程・威力などの多くの問題から魔法で雷は使えないはずでは? と問うては来たものの、機密だと言えばそれ以上突っ込んでくることはなかった。
実射して城側に異変を知られたらいやだし、鉄砲に関する情報はどんなものでもあまり流れるのは望ましくないとも思ったから、言えなかった。
何かあったときに、簡単に取り戻せない痛手になりかねないのは、鉄砲を開発した技士にして鉄砲隊を率いているリア・アスカ―リ一人で十分だ。
まあ、魔法騎兵中隊は機動力もあるし、いざとなればリアを押し付けて逃がせばいいか。
そんなことを考えながら、敵もそろそろ追撃の準備に取り掛かったころだろうし、伏撃地点を決めないとなぁ、などとのんきに考えている時のことだった。
「後方より味方! 味方部隊です! その後ろには、敵部隊も見えます!」
俺のところへと飛び込むようにやってきた魔法騎兵の報告で、一気に空気が変わる。
ちょっと待て。
まだ日が昇ってすぐだぞ?
夜のうちにこっちの動きが気付かれてた?
いや、諜報部の見立てでは変わった動きはなかったんだったか。
それに、完全に見切られていれば、恐らく敵は朝を待たずに夜襲で、組織的抵抗どころじゃないこちらを蹴散らしていたはずだ。
もしかして、具体的ではなくとも、何かをするのは知られていて、対応できるように準備していた?
それこそ、心当たりがなさ過ぎる。
防諜はしていたし、仮にこっちに向こうの手のものが入り込んだところで、城の外と城方との連絡はすべて止められるよう、オットーたちが情報封鎖を掛けてがっちり固めていたはずだ。
それが破られた?
「カール様、どうなさいます? ご指示を!」
「あ、ああ」
ナターリエの言葉に、思考を一度止める。
経緯がどうあれ、結果は聞いての通りなのだ。
とにかく今は、ここを生き残らねば。




