第二話 ~許しの日~
式典が終わり、俺は義兄上と一緒に控えの間のギュンターのところへと戻ってきていた。
部屋を見渡すまでもなくすぐに見つかったんだけど、立ち話をしている老兵の前に、見たことのある二つの人影があった。
「カルラ、ルッツ。二人とも久しぶり」
「これはカール様、お久しぶりです」
こっちに気付いてすぐに、お手本になるような綺麗なお辞儀をした二十歳過ぎの美人メイドがカルラ。
ギュンターの一人娘で、姉上がゴーテ子爵に嫁いだときに、同い年の彼女が一緒についていって以来、簡単には会えなかった。
それでも、姉上と一緒に三人でよく遊んだこともあり、今でも姉のような親しみを感じることには変わりない。
「あ、お、お久しぶりです。ははは……」
そして、娘を見る時とは別人のようなギュンターの鋭い視線を受けてやりにくそうな男が、ルッツ。
ゴーテ子爵に代々仕える家の当主にして、まだ二十代半ばの若さでうちの男爵家の四倍近い平時八百人の領軍を実質的に管理している。実直そうな見た目通りの仕事ぶりで、評価も高いらしい。
さらに、姉上と共に男爵領を出ると発表されたときにもう会えないのだと城勤めの男たちを悲しみのどん底に叩き落としたカルラのハートを射止め、夫となった男でもある。
彼が嫁の父親に許される日は来るのだろうか。
「やあ、ギュンター。モニカの方の仕事を終わらせてから来るようにしたから少し遅れたけど、久々の親子対面は楽しんでもらえたかな?」
「はい、子爵様。お心遣い、感謝いたします」
「カルラの貢献からすれば、当然の気遣いだよ。うちのメイド長が百回小言を言うよりも、カルラが立ち居振る舞いを一度見せる方が若いメイドたちの覚えが良いんだ。メイド長も仕事が減ったって喜んでたし。若いメイドたちの間じゃ、凛々しい雰囲気から『お姉さま』なんて呼ばれて一目置かれてるらしいしね」
「私のような未熟な身には、過分な評価です」
そう言って薄く笑みを浮かべながら謙遜するカルラにギュンターは笑みを送り、ルッツの方をまったくもって見ようともしない。
本当に、こんな穏やかな日常の中に居ると、戦いの中に居たあの数日間が夢のようだ。
こうしていられるだけで、生きて帰れてよかったって心から思える。
「それで、カール様。論功行賞はいかがでした? 皇帝陛下からのお声かけとはいかずとも、功労者として名前ぐらいは呼ばれましたか?」
なんて心配そうに問いかけてくるギュンターに、カルラも心なしか落ち着かないように見える。
ふふん、聞いて驚くがいい!
「このマントイフェル男爵家当主代行カール、此度の戦争において勲功第三位である! もちろん、皇帝陛下から直接に御言葉を賜ったぞ」
「勲功第三位、ですと……?」
「あのマントイフェル男爵家が? ……ああ、モニカさまにも早くお伝えしないと……!」
えっと、なんでギュンターさんとカルラさんは、今にも泣きだしそうなくらいに感激してらっしゃるんですかね?
あと、なぜかうんうん頷いてるルッツさんの胸の中に娘さんが飛び込んだんですが、父親としてギュンターさんは気にしなくて良いんですかね?
てか、続きを聞いたら、二人ともぶっ倒れるんじゃなかろうか?
……よし、ぜひ言ってやろう!
「実はな、陛下から他に――」
「カール、ちょっと待とうか。続きは、帰ってからにした方が良いよ」
義兄上に言われてみれば、周りはほとんど帰っている。
そうか。式典も終わって、この控えの間だって後片付けがあるんだ。
いつまでも残ってたら邪魔だな。
そうして、馬車に乗り、それぞれの帝都に構えている屋敷に戻ることになった。
別れ際、「モニカには、ちゃんと言っておくから」ってやけに真剣な目での義兄上の発言が少し気になったりはしつつも、ギュンターと二人、馬車に乗っての屋敷への道中である。
「で、復興費用だって百億ゲルドもの資金を貰ったんだよ! これで焼け跡になった城下町の復興の目途もついた! 早くみんなに知らせないとな」
「ええ、本当にようございました……!」
感激するギュンターだけど、気持ちはよく分かる。
城の修繕費用すら出せなかったうちの家が、どこから復興費を出せばいいのか、本当に困ってたからな。
借金するにも返せるアテもなくって、領地に残る官僚たちは、鉱山なり林業なりの利権を売り払うことまで考えてくれてるはずだし。
あ、そうだ。
ついでにこっちも伝えなくちゃな。
「それと、隣にあるズデスレン。あそこ貰ったから。いやー、ズデスレンの港経由で木材や鉱石の販路開拓をしようとして街道の拡幅工事の許可を取ろうとしても、二年くらいで出ていく官僚領主は面倒を嫌がってまともに相手してくれなかったからな。皇帝陛下から頂いた資金もあるし、両方自分の領地なら、相手側の許可とか気にしなくても工事ができるぞ! ――って、ギュンター? どうしたんだ?」
「ズデスレン……カール様、今、ズデスレンとおっしゃいましたか? それをいただいた、と?」
「うん、そうだけど」
「ズデスレン……ああ、ズデスレン……!」
そこからはギュンターが盛大に泣きだし、会話にならなくなった。
ただ、「お屋敷に戻りましたら……必ずお話しいたしますので……」と絞り出すように言われたので、生まれて初めて見る自分の守り役の涙をただ見ていた。
屋敷に着けば、帝都詰めの使用人たちがギュンターの涙を見て何事かと騒ぎ出したが、ギュンター自身が一喝で黙らせ、今は人払いのされた応接室で二人きりで向き合っている。
「ズデスレンは、かつてマントイフェル男爵家の領地だったのです」
「え? 何それ、初耳なんだけど」
「これは、お母上がカール様を身籠ってらっしゃったころのことです」
当時、西方貴族を取りまとめていたマイセン辺境伯の娘が皇帝陛下の側室として入っており、その寵愛を一身に受けていたそうだ。
娘が姫を生んでからはさらに寵愛が深まって順風満帆だったマイセン辺境伯は、娘自身が実家であるマイセン辺境伯の関係者を取り立てるように言えば、政治に介入しようとしてるとして、彼女が皇帝に疎まれるかもしれないと考えた。
そこで、寵姫の父親であるとの地位をチラつかせて中小の派閥に中央のポストを提示して取り込み、皇帝の威光のみを非公式に使って勢力を拡大してみせた。
結果、財務大臣以下の財務省の主要ポストを身内で押さえることで国家予算に大きな影響力を持ち、マイセン辺境伯自身も帝都防衛司令官となって、帝都近郊の軍事力を掌握していた。
その勢いは他の大派閥を押しのけるほどで、近くマイセン辺境伯に宰相就任の大命降下がなされるとまで噂されていたらしい。
「この時、当時の男爵家当主だったカール様のお父上も、帝都防衛司令部の幹部として帝都におりました。――正に、不運としか言えなかったのです」
そんなある日、帝都で皇帝陛下主催の舞踏会が行われることとなった。
舞踏会のために帝国全土から諸侯が集まり、それは賑ったらしい。
俺を妊娠していた母上は、姉上やその学友でもあったカルラと一緒に、隠居したおじいさまが面倒を見ていた領地に帰っていて、父上とギュンターが帝都に残って仕事中。
舞踏会前日、マイセン辺境伯は自らに従う諸派閥の人々を集め、宮城の一角で昼餐会を行っていた。
そこに、信じられない知らせが飛び込んでくる。
「『賊軍来る』。当時、いったい何が起きたのかまったく分かりませんでした。賊軍と言われても、全く心当たりがなかったのです」
その後、なだれ込んできた兵士たちと死闘になり、父上を守ろうと戦い続けたギュンターが事情を知ったのはすべてが終わってからだった。
「賊軍は、帝都防衛司令部に属する中隊でした。クーデターです。数は、三個中隊六百名。翌日の皇帝陛下主催の舞踏会に出るために帝都に入っていた諸侯が連れてきた領軍や私兵が即日鎮圧して『一兵残らず討ち取った』ことで解決しました。しかし、宮城に直接攻め込まれたこともあり、被害は甚大だったのです」
物的被害はもちろん、官僚や使用人たち、さらには鎮圧のために戦った兵士など、人的被害も大きかった。
特に、マイセン辺境伯に従う西方派閥や他の中小派閥は、一堂に会していたところを襲われたこともあって、人的損害が大きく、各省庁や軍の要職にある人々が一気に死んだ。
一番大きかったのは、寵姫だったマイセン辺境伯の娘が騒動の中で死亡してしまったこと。マイセン辺境伯の孫にあたる姫は生き残ったものの、これで娘を通じた皇帝への影響力をチラつかせて勢力を拡大する手法が使えなくなったのだ。
結果、マイセン辺境伯は部下がクーデターを起こした責任を取る形で帝都防衛司令官を辞し、マイセン辺境伯のシンパが押さえていたポストで死亡したことで空位になったところについて、後任を自分の派閥で出すこともできず、帝都での影響力は激減することとなった。
「そして、お父上も部下の監督について責任を問われ、職を辞することになったうえ、ズデスレンを召し上げられることになったのです。その後、収入の多くを頼っていたズデスレンを失ったことでマントイフェル男爵家の財政が悪化し、その立て直しのために無理をしたことでお父上はお亡くなりに。お母上も、すぐに後を追うように……」
あんまりな話に、言葉も出ない。
そう。いくらなんでも『あんまり』だ。
「いや、急なクーデターに、打ち合わせも何もなく無数の諸侯が六百人もの敵を即日殲滅できる連携をした? そもそも、もっと成功しそうなタイミングなんていくらでもあるのに、そんな大兵力が居る時になんのアテもなくクーデターを決行するなんて――」
「カール様」
静かで、だけど有無を言わせない言葉に自然と口が閉じる。
「カール様、証拠は何もないのです」
……なるほど。
怪しいんだけど、言ってはいけないのか。
何の勝算もなく公言すれば、クーデター騒動の裏に間違いなくいる『勝者』の逆鱗に触れる。
たぶん、今も勝者であり続けている連中が元凶で、だからこそ十年以上経ったのに言ってはいけないんだ。
しかし、これでギュンターやカルラの反応の意味も分かった。
クーデターを防げなかったとして領地の一部召し上げまで受けて中央から追い出された家の息子が、皇帝陛下自ら声を掛けていただけるような功績を挙げ、両軍合わせて十万以上の兵力がぶつかった大きな戦争で勲功第三位にまで任じられたんだ。
加えて、召し上げられた領地まで取り戻した。
義兄上が姉上に伝えといてくれると言ったのも、姉上やカルラは幼かったとはいえ我が家の混乱を実際に見てきた世代だからこそ、一刻も早く伝えてくれるってことだ。
控えの間から早く出るように言ったのも、勲功第三位って伝えた反応からして、ズデスレンのことまで言えば大変な騒ぎになるかもしれないと思ったんだろう。
「これまでお話ししなかったこと、申し訳ありませんでした。ご両親や男爵様とも相談し、マントイフェル男爵家を継ぐカール様に幼いころから『恨み言』を聞かせて性根を歪ませるのは良くないとなりまして。成人したら話そうと、そうなっておったのです。しかし、知らぬままにカール様は我らの悲願を成し遂げられた。やっと我々は陛下から『許された』のです」
鼻をすするギュンターに、言葉も出ない。
両親の死因だって要は波に乗って権力闘争の勝ち組に居たら引きずり落とされただけとも言えてお互いさまなのかとか、色々と思うことはあったけど、考える前に一つの言葉がこぼれた。
「ギュンター。帝都って、怖いな」
「はい。ですが、二度目の過ちは致しません。このギュンター、カール様が取り戻してくださったものを、この身に代えても守ってみせます!」
さっきまでの泣き崩れていたのとは別人のような力強い決意に、帝都の闇をその身に受けた男のこの決意の強さこそが帝都の恐ろしさであるのかと背筋が凍る。
だからこそ、頑張らないと。
『第二次マントイフェル合戦』
その二百三十四年前に帝国相手に行われた第一次合戦に対し、ここでは帝国諸侯として王国軍相手にマントイフェル男爵家が戦った。
一万の軍勢に囲まれた上で、男爵家の有するすべての食料・武具、無期限の従軍娼婦として若い娘を五十人差し出した上で降伏することを要求された当主代行カールは鼻で笑い、「弱兵が一万程度群れたくらいで何をほざくか。我が精鋭四百名が、貴様ら全員の命をもって身の程を教えてやろう」との手紙と共に使者の首を送り返すことで宣戦布告したと言われている。
城下町ごと敵を焼き払うとの苛烈な策で包囲軍を潰走させた男爵家軍は、その後に迫る三万の王国軍に対してゲリラ戦を仕掛けることで進軍を妨害し、結果としてその三万の軍勢は決戦に間に合わなかった。
ゲリラの名称が始めて用いられた戦いであり、当主代行カールが戦いに先立って部下に説明した、圧倒的に優勢な敵との正面戦闘を避けて機動力を重視しての一撃離脱戦で消耗を強いるとの基本思想は、様々に発展しながら現代まで使われている。
対ゲリラ戦術の研究もされているものの、現在まで決定的な対処法は見つかっていない。
特に、千九百年代半ばに各地で起きた植民地独立戦争において帝国を含む列強が相次いで敗れた原因として、直前の世界大戦での消耗と共に、宗主国などへと留学した際にゲリラ戦を知った独立運動指導者たちによる戦争指導が挙げられている。
この戦いの結果としてカールは勲功第三位とされ、『水晶宮事件』と呼ばれるクーデター未遂事件で父親が失ったズデスレンの地を取り戻すこととなった。
この論功行賞での評価については厳しい評論が多く、千八百年代最高の戦略家の一人と言われた王国軍元帥コンラッド・スミスは著書の中で「動員をギリギリまで悟られずに電撃的に攻め込んで帝国領奥深くまで攻め込み有利に講和交渉を進めるとの獅子王の戦略は、何の障害もなく進んでいた。カールという名の、片田舎に住むたった一人の少年によってすべてが崩壊したのだ。それを差し置いて、決戦において戦術的に活躍した者たちの功績をより上位であるとしたことは、当時の帝国軍がいかに近視眼的で『戦場の外』を軽視していたかを示す事例である」と言及しており、各国研究者の間でもおおむねこのように考えられている。
この点、近年では、帝国中央アカデミー教授のアメーリエ・カナリスが論文の中で、『水晶宮事件』から十数年ほどしか経っておらず、中央ではその事件で失脚した西方諸侯の復権に繋がりうる動きには敏感であったとの政治的な障害があったにもかかわらず、西方諸侯の一員であるカールを勲功第三位としたことは、十分に高評価であること。さらに、カールの父が帝都防衛司令部の幹部として『水晶宮事件』を防げなかった責任を取らされる形で失ったズデスレンを与えたことは、カールの働きが、国家の存亡にかかわるクーデターを見逃してしまった責任を相殺するに足るほどであるとの評価であり、かなりの高評価である、といった反論をしている。
なお、帝国側と王国側の記録には食い違う点が少なくなく、当事者である当時のマントイフェル男爵家当主代行カールの回想録などでもほとんど触れられていないことから、現在でも戦いそのものの詳細は不明である。
帝国史用語辞典(帝国歴史保存協会、第九版、大陸歴千九百九十七年)の同項目より抜粋
両国での記録の食い違う点の一例。
帝国:カール君、敵陣に斬り込んで百人斬り達成。
白昼堂々戦闘態勢の敵軍に単騎で進みより、カール君が皇帝陛下の偉大さを説いたら、
王国軍に降伏してた帝国諸侯軍が涙を流して改心した。
カール君は、皇帝陛下のために協力したいと申し出た森の精霊たちの協力を得て王国兵
たちを幻惑した。
王国:最後まで一度もまともに戦ってないのに、気付いたらいつも兵が数百人単位で神隠しに
あう。
対岸の寡兵を叩くために川を渡ろうとしたら、水中に潜む魔物に襲われて先鋒が大混乱
に。しかも、すぐに逃げた帝国兵を追いかけた連中が、半数以上神隠しにあう。
朝起きたら、帝国側からの降伏諸侯軍が何事もなかったかのようにきれいさっぱり消滅
していた。
帝国は、転移魔法の開発に成功した。(なお、帝国史用語辞典の出版時点でも、そんなも
のはない)