第十一話 ~アレギアを越えて~
「あぁ……空が青いなぁ……」
木々に囲まれた山中でのこと。
共に山脈越えに挑む兵たちとは少し離れた位置で、その隙間から差し込む木漏れ日を浴びながら休息をとっていた。
「何を当たり前のことを言ってるんです? そんなことよりも、先行している第一陣の指揮を執る僕の父とビアンカから手紙です」
「あれ、ナターリエ? エレーナ様のところに張り付いてるはずだろ。なんでこっちに来たんだ?」
声を掛けられたので振り向けば、俺を含めた師団司令部のほとんどもここに参加する、山脈越えの第二陣としたエレーナ様の直卒連隊三千の全体をまとめるために集団のもっと前の方に居るはずの副参謀長が立っていた。
第二陣の後ろの方の連中のまとめ役をしてる俺のところに、何をしに来たんだろうか。
「僕は一応、僕の父が何かやらかした時のための人質って意味合いもあるんで、今のあなたのように一人で集団を直接まとめる仕事をするわけにはいかないですけどね。それはそれとして、師団司令部がエレーナ様の親衛隊含めてかなりお疲れなんで、お使いを頼まれたんですよ」
「ああ。むしろ、なんでそんなに元気なんだ? もう五日、いや七日……もしかして二十日くらい……とにかく、アレギア山脈越えでかなり長いこと、道なき山中を歩き詰めなんだけど……」
「これでも、中央軍の軍人歴は他よりもあるものでしてね。『軍人として』よく歩くのは基本だと、かなり鍛えられてるんです。あくまで武人なエレーナ様や親衛隊、軍務以外にも政治だのなんだのとやらないといけない地方貴族や、この前中央軍人になったばかりの兵士たちと一緒にされては困りますよ」
得意げな部下を相手に、俺には弱々しく笑みを返すくらいのことしか出来なかった。
こんな、とんでもなく疲れる作戦を考えたバカ野郎はどこの誰だ!?
……うん、俺だよ。
「えーっと……第一陣は、山越えの損耗は想定内。ビアンカの方は、ちゃんと山中や麓の森の中なんかに隠した物資も、野生動物に荒らされたと思われる許容範囲内の損耗ね」
「今のところ、カール様の予定通りです。良かったですね」
防衛線をコンパクトに再構築すると共に、王国軍をあえて引きずり込んでから王国軍後方に戦略的奇襲を仕掛ける。
そのために、軍隊どころか、人が通れるような道が整備されている訳でもない山脈を越え、気付かれることなく王国軍の主力の後方へと抜け出そうとしているのが今なのだ。
「にしても、こんな道もないようなところを抜けようと思ったり、運べそうにない物資を山の向こうに隠しておいたり、相変わらず思いついた上によく実行しようと思いますね」
「マイセン辺境伯のところの人から、諸侯同士のちょっと大きめの小競り合いでここの山越えをしたって先人がいたって聞いたからな」
なお、その偉大(?)な先人は、重い装備一式その他の物資を運ぼうとして当然のように酷いことになったらしい。
具体的には、道が険しすぎて、連れていった軍馬は飼料をこれ以上持っていけないなどの理由で解体して早々に食糧に。その後もどんどんと人員と物資を失いながら必死に越えれば、疲れすぎて奇襲をかけながら全滅するとの結末だったらしい。
だから、鎧も武器も、その他多くの物資も戦線を徐々に下げるのと並行してビアンカの責任で隠させた。
結果、今の俺たちは、案内役も兵士も武装なんて短剣とか短めの剣くらいしか無く、防御力なんてゼロに等しい状態だ。騎馬部隊も、馬が居ないのでみんな歩兵である。
もちろんネタ元は、某太閤さんの某大返しである。
他にも、荷物運搬の人員について、水と食料の個々の担当者が持ってる分を消費しきったらその人達を順次まとめて送り返すなどの前世にどこかで聞いたようなテクニックなども伝え、ビアンカらに計画の具体的部分の立案を任せた。
後は、第一次についていったオットーが部下たちから受け取った王国軍の現在の動きに合わせて、最終的な調整をせねばならない。
その連絡が遅れそうなら、とりあえずギュンターに任せた第三陣の俺が名目上は連隊長を務める部隊が来る前に城攻めまではしないと後がつかえるし、手探りでそこまでは行くか。
城を落とせる必要はないし、当初からの計画通りに二個連隊約六千で十分だからな。
「……うん? まだ何か?」
「いえ。ただ、今度はどんな無茶ぶりをするのかと思いまして」
「いやいや。本人の前で、よくそんなことが言えるな、おい」
「別に、悪く言ってるわけじゃないですよ。ただ、言われてる人たちが羨ましいな、と」
何も言えなかった俺の気持ちを分かってもらえるだろうか?
こっちはヘトヘトだってのに、この女は何を言ってるんだ……?
「おや、僕としてはそこまでおかしなことを言ったつもりはないですよ?」
「百人に聞こうが千人に聞こうが、おかしいというと思うぞ」
「ふむ。でも、カール様は信用なり信頼なりしている相手にしか無茶を言わないでしょう? ビアンカやギュンター殿は、マントイフェル男爵の陪臣の立場なのに、その男爵の家臣団や領軍以上に大きな組織をいきなり任されました。マイセン辺境伯に今回の防衛線再構築のための諸侯の説得を任せたのも無茶の内ですね。手伝いを名乗り出たソフィア殿下の化粧がどんどんと濃くなるのを見てると、その苦労がよく伝わってきました」
「いや、そりゃな」
信頼も信用も出来ない奴に、『無茶ぶり』とか言われるような大事なこと、任せられる訳がなかろう。
「だからこそ、恩人であるあなたから無茶ぶりされたいという僕の思いは、おかしいですか?」
そう言って満面の笑みを浮かべ、軽く首を傾げるナターリエ。
控えめに言ってこれは反則だった。
「……心配しなくても、人材も政治力も、その他何もかもが足りないんだ。嫌だと言われても無茶ぶりしてやるよ。――とっておきの無茶をな」
「ええ、きっと。僕はいつまでも待ってますから」
彼女の方を見ることも出来ずに放たれた言葉に、そう言い残すとナターリエは去っていった。
「早すぎる。早すぎるよなぁ……」
帝国軍と王国軍の戦う西方戦線の前線近く。
王国軍の本陣で、幕僚たちがそれぞれの仕事をこなす中、国王本人は一人黙って考え込んでいた。
敵もこちらも決戦を望まず、眼前に広がるのは無人の土地。
諸侯がこれまでの我慢のお返しだとどんどんと占領地を増やす中、部下の功績を奪う訳にもいかず、急激に広がる占領地の防衛体制の構築や補給線の選定など、土地勘の薄い中で四苦八苦しながら後方の仕事をこなしていた。
それでも、各地に散らせての撹乱に少なくない兵力をつぎ込んでいたことなどもあり、戦力の再配置は明らかに遅れていた。国王直卒の六万の軍から二万ほど引き抜いて各地に送り、それでもまだしばらくの時間が必要と見積もられていたのだ。
ただし、前線は最優先で固め、仮に帝国側が攻勢や奇策に出ようと、最低限の対応は出来る体制をすでに構築していた。
それだけの無理をしてでも進まねばならぬ、絶対に負けられない戦い。
大きな戦いで負けが込んでいた王国軍に、これ以上の敗北は許されなかった。
だから、利権だのなんだのと無理をしてでも、もう一度北の連合王国と南の南洋連合を巻き込んだのだ。決戦を避け、徹底的に帝国軍の消耗を狙ったのだ。
まさか、戦えば勝つ中、こんなにも早く消耗を避けて領土の多くを放棄できるとは思ってもみなかった。
ようやく三十歳を迎えようかという若き王にとって、領主たちにこんなにも早く領地を『捨てさせられる』権威の強さは、羨ましい限りだった。
「いや。敵将の皇女エレーナは、こちらより十は年下だったか。これが、勝てる皇女と勝てない王の差か」
どちらにしろ、状況は悪くなかったが、良くもなかった。
十分な余力を残したまま防衛体制を整えた帝国に対しどう出るか。
もはや別働隊として置く意味の薄れたアルベマール公も呼んで一度大々的に軍議をするかと考えたところで、そのアルベマール公のところの若き将のことが思い出された。
本当は、軍団長を任せるのは明らかに早すぎる。
国王たる自分の側では、国王の功績とされてしまってアラン自身の功績は残せないが、それでも部隊指揮官として遊撃なり本隊の前衛なりを任せる手もあった。
だがそれでも、次世代どころか今を担う指揮官すら足りない王国にとっては、この常人であれば潰れるであろう育成法が間違ってはないと信じている。
今回の決戦前の戦い。
西方の小国連合との長年の戦いに決着をつけて兵力を抽出するための戦い。
何年も歯が立たなかった敵方の要塞線に対し、攻め落とすには明らかに足りない兵力で、焦ることもなく待ち続け好機をつかみ取って風穴を開けてみせたのだ。
その才は、きっと今回の軍団長の仕事も大過なくこなすだろうとの確信があった。
「ご、ご報告します!」
「何だ?」
突然飛び込んできた伝令に、本陣内の幕僚や国王らの視線が集まった。
最上位者たる国王が促すと、告げられた情報は誰にとっても信じられないものだった。
「ヴァレンシア城、陥落! 夜間に突如帝国の大軍が現れたとのこと! 敵の数は、おそらく五万は下らないだろうとのことです!」
その報告に土地勘がない故にとっさには状況が分からず、慌てて軍事用にしては少しばかり精度の低い帝国領内の地図を一斉に見る。
「待て……待て待て! 補給線の中核だぞ!? それに、集積していた物資はどうなった!?」
最初にそう反応したのは、補給担当だった幕僚であった。
そして、その混乱はすぐに本陣内に伝わる。
前線兵力だけで十万を超えるのだ。必要物資も相応の量が必要になる。
それだけの物資を安定的に運べる道など、限られていた。
むしろ、帝国辺境部の交通の便の悪さを考えると、複数の細い補給路をフル稼働させるなりの、とても戦争をしながら出来るような規模ではない仕事をせねばならない可能性が低くない。
「そもそも、どこからそんな軍勢が湧いて出た? 敵の防衛線から続く街道などの軍が通れるような道は封鎖しているし、こちらをやり過ごして隠れていたにしても多すぎるだろう?」
「そうだ。そもそも、夜襲で早々に城が落ちたのだろう? 本当にそんな大軍が出てきたのか?」
「仮に大袈裟だとして、城が落ちたなら、いくら奇襲でも相応の戦力は居たのだろう。あそこは前線から離れていたとは言え、重要拠点であるからと精鋭三千が守っていたのだぞ」
「一度落ち着け」
国王の言葉に、一度静まる。
だが、国王を見る目は、みんな大きな不安に揺れていた。
場を収めたのが帝国のエレーナ皇女であればどうだったかな、などと考え、しかし今は自分のやるべきことをやらねばとすぐに思い直した。
この報告にいくらかの真実があるとすると、間違いなく前線で対峙する帝国軍も動き出してしまうのだ。一刻の猶予もなかった。
「我々が戦争を続けるために取れる手段は、そう多くない。どうしてこうなったかは分からないが、どうするべきかはそう意見が分かれることもないだろう?」
その後、少しずつ準備を進めながらも三番目の伝令の到着を待った王国軍は、ヴァレンシア城陥落は真実であると正式に判断し、即座に本格的な行動を開始した。
『アレギアを越える』
帝国軍がアレギア山脈を突破して奇襲を行ったことで、王国軍を大混乱に陥れたことから来る言葉。
その戦いから、相手の度肝を抜くような行動や、行き詰った状況を打破するような発想をすることを表す語として使われる。
ポケット慣用句・ことわざ辞典(帝国教育出版、第二版、大陸歴千九百九十七年)の同項目より抜粋
(ただし、同書第三版(大陸歴二千五年)以降の版では、一般に使われる機会が少なくなったとの理由で掲載されなくなった)




