第九話 ~勝利への一手~
オットー以下、元諜報部の連中が味方になって一ヵ月ほどが経過していた。
最初は斥候で再確認してから利用していたオットーからもたらされる敵の動きも、今では斥候での再確認を命じるのと同時に、それが正しいとの前提で計画を立て始める程度には信用していた。
その結果として、王国軍の数に任せた間断ない攻撃への対処は、随分とマシになった。
そう。『マシになった』のだ。
「少しずつですが、軍内に違和感を覚える者たちが出始めているように思われます。我々は一度も負けてないのになぜなのか、と」
ヴィッテ子爵の言葉に、残りの二人がため息をついた。
とある城の一室で、マイセン辺境伯、ヴィッテ子爵、そして俺の三人が、ひっそりと難しい顔を突き合わせているのだが、状況は芳しくない。
どれだけマシになろうと、こちらが一方的により大きい消耗を強いられていること。そして、少しずつ、しかし確実にこちらの支配領域を維持できなくなっていること。
これらの事実の根本的な解決にはならなかった。
「大きな数の優位を持ちながらあそこまで逃げに徹されると、こちらとしても打てる手がな……」
マイセン辺境伯の疲れたような言葉は、まさに俺たちの総意だった。
一度すべてを放り捨て、徹底的に国王率いる軍勢に絞って追いかけ回したのがつい最近のことだ。
三日間追いかけ回し、ついにアルベマール公の軍勢の動きが無視できなくなったこちらが断念するまで、王国軍は見事に逃げ切って見せていた。
語ることが見当たらないほどの単調な追いかけっこは、出たとこ勝負でもなんでもいいから消耗しきる前に決戦に持ち込みたいとの、追い詰められたゆえの俺たちの決意すらかわされたことを意味していたのだ。
「しかし、王国軍は三日三晩もよく一丸となって逃げ続けましたね。大きな敗戦続きでまだ若い国王だと聞きますし、ただでさえ一般に逃げ回るのは軍に携わるものとして良い顔をするようなことでもないですのに」
「それはエレーナ、いやお前が理由だろうさ」
俺の特に誰に言ったでもないつぶやきに対し、マイセン辺境伯から思わぬ答えが返ってきた。
その内容が意味不明すぎて混乱していると、マイセン辺境伯はヴィッテ子爵へと話しかけ始めた。
「元中央軍師団長としての意見を聞かせてもらいたい。もしも今、王国軍の指揮官として国王の直卒軍団に参戦していたらどう思う?」
「あー……部下に対して、戦意を上げろとは言いづらいですな。単なる敗北ならばともかく、十万を超える軍勢が、四分の一ほどの軍勢に『消滅』させられた大敗北があったばかり。上としては一刻も早く挽回したくとも、下としては出来ればエレーナ殿下とは戦いたくないという者が少なくないでしょう」
「だろうな。向こうの国王に足りない分の権威や統率は、エレーナの武名で補っておるのだろう」
頭が痛くなる……。
ガリエテ平原の大勝利がなければエレーナ陣営に先はなかったが、その大勝利が今回の苦境の原因かもしれない。
こんなの、どうしようもないじゃないか……。
「まあ、誰しも手柄が欲しいのは当然で、勝てない指揮官や臆病すぎる指揮官の下で戦いたくはないもの。指揮官がエレーナで無かったり、目の前が無人の荒野であったら、こうまで戦えば負けながら消極策を取り続けられたかは分からんな。特に、向こうの国王自身の求心力は確実に落ちているはずであるのでな」
無人の荒野ねぇ……。
ふむ、無人の荒野か……。
「マイセン辺境伯、一つお願いしたいことがございます」
「ん? なんだ。また何か訳の分からない名案でも思い付いたか?」
「あなた自身も含めて、西方全域、特にここの管区内でも中央部から西方の国境地帯にかけての地理に詳しい部下の方をとりあえず呼んでいただけませんか? 諸侯の方々については、その後で必要がある範囲に限って呼んでいただくかもしれません」
「カールカールカール!!」
「何でしょうか、エレーナ様?」
「本当に、本当にこの策はやるのか? やってもいいのか!?」
「少なくとも私は、そのつもりです」
早急に思い付きを簡単な作戦案にまとめたものを披露したのは、エレーナ師団の幹部と、諸侯の代表としてのマイセン辺境伯が参加する会議の席だった。
時間がない中で二度手間を避けようと事前には誰にも全貌を明かさなかったので、策の反応を見るのはこの場が初めてだ。
エレーナ様は目を輝かせ、見るからに喜んでいる。
だが、全体の雰囲気を言うならば、決して良いものではなかった。
「ふざけるな!!」
そう言いながら、マイセン辺境伯は机を叩く。
そのまま、鬼のような形相でこちらに身を乗り出しながら怒鳴ってくる。
エレーナ様を挟んで、そう席が離れてないことから迫力がすごい。
「まだ戦えばすべて勝っている。その状況で、管区内の四割近くを放棄して後退しろなどと、納得させられるものか! 領地を捨てて軍を後退させろと言われた方にすれば、自らの領地を守る気のない者に従う理由など何も残らん!」
「両国間の歴史上の確執もあります。不服だからすぐに王国軍に付くなどと、簡単に決められはしません。説得の余地は十分だと思いますよ」
「ああ、もっと正確に言おう。後退しろとだけ伝えて納得させろなどと、無理難題だと言っている!」
「策が策です。漏れれば、こちらは打つ手がない。情報統制は徹底していただきます。それに、後退しろとだけなんてことはないです。ちゃんと、『改めて行う要請に応じて中央から十分な援軍が来れば策は中止する』とあります。戦線を立て直して中央からの援軍を待つと言っておいてください」
「本当に来るなどと納得するものが、どれだけいると思う?」
「援軍について納得させなくてもいいです。計画的に後退することだけ納得させて下さい」
しばらく、俺とマイセン辺境伯が睨み合う。
さっきまで喜んでたエレーナ様ですら、不安げに俺たちの間で目線を泳がせていた。
「そもそも、その点を置いてもだ。この策の通りに敵が動くものか?」
「動かすんです。まだこちらが戦術的に勝てる余地のあるうちに、動かさねば、こちらはただすり潰されるのを待つしかない。北も南も、どちらも今日明日に決着が着く状況ではない以上、限界が見えてきた今のうちに、状況を動かさねば先はないです」
「動かす? 気持ちだけでどうにかなるなら、苦労せんわ」
「失敗したとしても、どの道後退しての防衛線の再構築は時間稼ぎのもためにも必要です。今のように振り回されず、本陣をどこかに据えた上で王国軍全体に対応できるコンパクトな防衛線に、です。――それにビアンカ。後方部門としては、こちらの要求には応えられるんだろう?」
「……ふぇっ!?」
突然振られて、慌ててるビアンカちゃん。
気持ちは分かるが、責任者としてしっかり言ってもらわねば。
「ビアンカ」
「は、はひぃっ! そ、その、時間は十分にありますし、人員の選定だけ終われば、す、すぐにでも……」
マイセン辺境伯の迫力に押されて声が小さくなっていくも、言うべきことは言ってもらえた。
今のマイセン辺境伯相手にどこまで通じるかは分からないが、一つひとつ実行可能なことと、何となく賛同者が居るんだって雰囲気を出していくのは大事だろう。
例え、まやかしの雰囲気だろうとしても。
「失敗した時の対策は考えた上で、賭けに出る。常に十分な戦力の与えられることのなかったエレーナ陣営は、これまでそうやって勝ち続けるしかなかった。――今までも、そして残念ながらきっとこれからも、そうしないと生き残ることは出来ません」
沈黙が場を包む。
それを打ち破ったのは、思いもよらぬ人物だった。
「よろしいではありませんか。やりましょう」
これまで何度会議をしても口を開かなかったソフィア殿下の言葉は、それぞれに驚きを持って迎えられていた。
「殿下!? しかし――」
「しかしも何も、マイセン辺境伯は以前からカール殿らと相談していて、他に何も思いつかなかったのでしょう? ならば、迷う理由がありませんわ。エレーナ様の方に付いていっても足手まといでしょうし、私がお手伝いいたしましょう。ええ。それこそ、おじさまおばさま方の扱い方は心得ておりますもの。若く、美しく、皇女。使い方さえ知っていれば、存外便利なものですわよ。自分が賢いだとか、偉いだとかと『知っている』相手には特に、ね?」
ソフィア殿下の黒さを感じさせる静かな笑みに、なぜか顔色が悪くなるマイセン辺境伯とヴィッテ子爵。
繋がりの薄いはずのソフィア殿下自身にって言うより、その発言内容に何か思うことがあるのだろうか。
「……分かった。ただ、姉上――ユスティア子爵へはすべて話した上で協力を求めたい」
疲れたような声でそう言うマイセン辺境伯の言葉で、決着となった。
エレーナ様が小さく喜ぶ中で、俺は良かれと思って更に言葉を重ねた。
「あの、なんだったらうちのおじいさまにも話しても良いですよ?」
「頼まれても断る」
人手は多い方が良いだろうかと、俺も信頼していて、マイセン辺境伯とも最近やけに仲の良かったおじいさまを出してみれば、反応は思わぬものだった。
「血筋的には、ただの男爵だぞ? いくら嫡男がエレーナの側近でも、ただの男爵風情が何かを知ってるようだと勘付かれれば、なぜこちらが知らないのかと荒れかねんぞ」
そうして方針が決まった俺たちは、各々がその実現のために動き始めるのだった。
ずっと続く王国からの嫌がらせのような波状攻撃への対処と同時に行うという、地獄のような作業を、である。
今更ながら、なぜか数日前から急にPVやポイントがプチバブルなことに気付いて、予定を変更してこっちを投稿しました。
本当に、何があったし……




