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第八話 ~常勝大敗~

 ワルクス城を出て主力をケンネル要塞方面へと振り向ける決断をしてから約一ヵ月。

 状況は良くなかった。


 ただし、悪いとも言えなかった。


「戦えば勝っておる。向こうは数が多いだけで、こちらは十分じゅうぶん以上に戦えておるな」


 領軍を率いて敵の小部隊を追い散らしてきた時のおじいさまの言葉が、帝国軍各諸侯の空気を表していた。

 国王直属の軍勢約六万とアルベマール公爵の率いる軍勢約五万の二つでこちらの本隊約三万に圧力を掛け、それぞれは多くて千人ほどの多数の小部隊で帝国領内各地への襲撃を掛けてきた王国軍。

 侵入してきた小部隊を探すのは大変だったが、見つけてしまえば簡単なものであった。

 ほぼ同数や、こちらが数の上で劣っている状況で戦っても王国軍が簡単に崩れる。酷い時は、向こうがこちらに気付いた段階で、全力で逃亡し始めた。


 こうして分かりやすく優勢なところを見れば、数の差など関係なく上から下まで士気は天井知らずに上がり続けている。


 だから、俺はマイセン辺境伯と二人きりで話すことを選んだ。


「戦えば勝つ、確かにそうです。でも、一を取り戻す間に二を取られている。差し引きならば、一を失っている。それだけじゃなく、一方的に振り回されている上に数の少ないこちらの消耗は、王国軍以上。今は良くとも、数か月後には決戦でも陣取りでも、王国軍の選択に対して何もできなくなるのではないかと……」

「そうじゃな。お前の言うことは正しかろう。説明されればそれは分かる。で、どうするつもりだ? 今すぐにでも、これは敵の思惑通りだと皆に伝えるか?」


 おもしろそうにこちらに問うたマイセン辺境伯は、実際、面白がっているのだと思う。

 俺が何と答えるか、試しているのだ。


「そこが分からないんです……。確かに軍内の雰囲気は明るいですが、現状でも王国の出方に対応するためにそれぞれが全力で頑張っています。特に対策も思いつかない中でその雰囲気を壊して、取り返しのつかないことになりそうで……。今の均衡まで維持できなくなったら、援軍を要請する間もなくなってしまいます」

「そうじゃな。その心配は正しいじゃろう。特に、エレーナには伝えるな。あの子は良くも悪くも素直ゆえ、見るからに沈むのが目に浮かぶ。それこそ、士気が崩壊しかねん。ワシらで当面は対策を考えるとして、現状で話すのであれば、ベテランのヴィッテ子爵までに留めておくべきだろう」


 ――中央軍師団長として誰かから与えられた『戦場』を制することを求められていた身で、『戦争』を制する視点での思考をどこまで出来るかは未知数じゃがな。


 そう続いた言葉には、辺境伯として戦場の選定や物資の流れなど、管轄内に限られるとは言え戦争のすべてを動かし続けていた自負が込められていたのだろう。


 この話し合いのすぐ後に相談に行ったヴィッテ子爵は、「分かった。こちらでも考えておこう」とだけ言ったので、マイセン辺境伯の言葉がどこまであっているのかは、俺には判断が付かなかった。





 更に十日ほどが経った。

 しばらく前に帝都へと送った援軍要請について、『現状を死守せよ』との予想通りの返信だけが来て、状況は相変わらずの様相である。


「行商人? それが、王国軍を見たって?」

「ええ。ですので、直接その男を取り調べるので、少なくともカール様には立ち会ってほしいとマイセン辺境伯が」


 そうして呼びに来たフィーネに連れられ、野外にもうけられた簡易本陣へと向かう。


「これで全員か。うむ、おもてを上げよ」

「はっ」


 簡易のイスに座るエレーナ師団の幹部陣全員にマイセン辺境伯を加えたメンバーに囲まれた中、行商人だという男が膝をついて伏せていた顔を上げた。


 その印象は、『何もなかった』。

 別に変わった何かがあるわけではない。

 むしろ、何もなさすぎる。

 それなりに年がいってるようにも、むしろ以外に若そうにも見えるその中肉中背の男は、後からどんな見た目であったかと問われても、上手くこたえられる気がしない人物だった。


「で、改めて聞くが、お主が見たという王国軍の動きについて語るが良い」

「はい。ここから北に少し行ったド―ヴィンへ向かって、ユリセール方面から五百ほどが向かっているのを昨日見ました」

「ほう、ドーウィンヘ」


 マイセン辺境伯の問いへの答えにそれぞれがどうするか考え込み始める中、その異変は起こった。


「さらに南方、アルベマール公は軍勢をさらに押し進める動きを見せております。これを許せば、バトラー城をはじめ国境沿いのいくつかの防衛拠点は、攻め落とされぬうちに連絡線をたれ、事実上無力化されることでしょう」


 その言い方は、まるでつい最近見てきたようだ。

 しかし、昨日ここから北方での王国軍の動きを見たという者が、ずっと南方の様子を見ている訳がない。


「北西部の管区は、まだ大きな軍事衝突には至っておりません。南西部では、帝国側の管轄辺境伯であるラウジッツ辺境伯率いる約一万二千と、王国側の派遣軍総大将のアラン・オブ・アルベマールの軍勢約二万が、直接ぶつかり合いました。ただ、どちらもあくまで前哨ぜんしょう戦として全力は尽くさなかったこともあり、両軍ともに大した損害は出さずに終わったようですね。現在は帝国軍がラウジッツ城での籠城のために後退し、王国軍が山地だらけの地形に苦しみながらも進軍している、という状況のようです」


 明らかに、一行商人の持つ情報量ではなかった。

 この男は何者なのか。(我らが腕力バカな皇女様をのぞく)全員が緊張する中、マイセン辺境伯が、何やら間抜けな叫び声と共に立ち上がった。


「お、お前まさか!?」

「宰相府諜報部に在籍していたころはお世話になりました、辺境伯。今は・・オットー・ゲルペンスと名乗っております。今後ともよろしくお願いいたします」


 諜報部……諜報部?

 宰相部の下部組織なら、マイセン辺境伯が帝都で派手にやってた頃だろうか。

 そう考えていると、当のオットーと名乗る男が説明を始めた。


「水晶宮事件以前、我々はマイセン辺境伯に協力させていただいておりました。事件を経て、あくまで部内の一部署に過ぎなかった我々も身を守るため、部長以下私や部下たちの利用していたダミー組織の全貌ぜんぼうを知る幹部陣を暗殺して身を隠して以来ですね。お久しぶりです」

「行商人などと名乗らず、素直にワシの伝手つてを頼ろうとは考えなかったか?」

「正面からおたずねしたところで、門前払いされる心当たりが大いにありますもので」


 苦々し気に舌打ちするマイセン辺境伯を見る限り、オットーと名乗る男の言うとおりにするつもりであったらしい。


「今回は身元を偽ったこと、失礼であったことは承知しております。その上で、『エレーナ殿下に』申し上げたいことがございます。先ほどご覧に入れましたとおり、諜報組織としてまだ十分な力がございます。微力ではございますが、殿下のために働くことをお許しいただけませんでしょうか?」


 形の上ではマイセン辺境伯の目上であるエレーナ様への言葉について、流石に目上へと向けられた言葉をさえぎるようなことはなかった。

 だが、その表情を見れば、マイセン辺境伯があまり良い感情を持っていないことは明白だった。


「言われてもな……正直、斥候ならば足りているし――」

「エレーナ様! お待ちください!」


 俺は、とっさに口を挟んでいた。


 これは、チャンスだった。

 以前から、どこかの勢力の影響を受けた情報しか手に入らない新聞以外の、情報を得るための他の選択肢が欲しいと思っていた。

 マイセン辺境伯の反応は気になったが、このチャンスを無為に失うことを見逃すことも出来なかった。


「そもそも、広域に迅速に情報を得るのは組織的なノウハウが必要です。特に、平時も含めてとなれば、よりそうです。更に、強力な情報網は、積極的に有利な情報を強調したり偽報ぎほうを流したりすることで、敵軍や街や、場合によっては余程の好条件がそろえば国ごと混乱させることも不可能ではありません」

「ん? 後半は、要は『嘘』であろう? そんなもの、そう簡単に広まるのか?」

「人は見たいものを見ますし、極限状態でもっともらしいことを聞けば存外簡単に信じますし、すべてはタイミングと流し方と運です。いつでも出来るかはともかく、選択肢が広がります」

「ふーん……まあ、だったらカールに任せる。――そんな訳で、ここに居る私の参謀長の下で働いてもらうぞ」

「はっ、了解いたしました」


 空気としては、全体的にそう言うもんかと、特に反応もない平坦なものだ。

 ただ一人、マイセン辺境伯が例外であるのだが。


「あの、マイセン辺境伯。何かございますか?」

「ん? あ、いや、構わんだろう。それだけ分かって・・・・・・・・なお欲しいというならばな、うん」


 何やら焦っている様子ではあるが、それ以上は何も言わない。

 昔何かあったみたいだし、もう少し反対されるかと思ったのだが、そのまますんなりと解散となった。


 そのまま、俺はエレーナ様へと次の動きを献策するためのひな型づくりのために、さっそく情報を持つオットーを連れて自分のテントへと向かっていた。


「カール様、いくつか伺ってもよろしいですか?」

「ん? 別にいいぞ」


 この、多分年上だろう部下の言葉に気軽に答えると、何気ない軽い口調で質問が始まった。


「カール様の身内に、諜報部に在籍していた方がいらっしゃるので?」

「いや、聞いたことがないな」

「では、マイセン辺境伯とそのようなお話をされたことが?」

「全然ないぞ」

「そうですか。にしては、随分と諜報部の門外不出の秘伝にお詳しいのですね」


 思わず歩みを止めた。


 門外不出の秘伝?

 そうだ。マニュアルだのでガンガン情報を出している前世の日本じゃないんだ。

 ここは、師弟の間ですら核心の技術をそう簡単に教えないこともある世界だぞ?

 諜報なんぞに縁のなかった地方貴族が、基礎的な部分でもスラスラ出てくることがおかしいと思われても仕方がない。


 どう答えるかを考えて足が進まない中、先に口を開いたのはオットーだった。


「以前マイセン辺境伯には、我々の仕事をよく分からないままに協力の申し出を受け入れていただいておりまして。後から随分とやり口が汚すぎるなどとおっしゃられたことがありましてね。よく理解していただけているようで、こちらとしても助かります」

「あ、うん。よろしく……」


 そのまま俺のテントまでの道中で、互いに口を開くことはなかった。





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