第二話 ~鍵守~
帝都の中心の広大な土地を占める皇帝の権威の象徴の一つ、宮城。
その一角にある庭園の一つでは、オフモードの皇帝の前で、ド田舎男爵家の嫡男が華麗な日本式土下座を披露していた。
「その行為が何を意味するかは何となくしか分からないが、気持ちは分かった。面を上げろ」
「は、はいっ!」
慌てて頭を上げ、目を合わせる。
その際に片膝を立てて、土下座からこっちのスタイルに修正することも忘れない。
「お前は確か、エレーナの軍師か。マントイフェル家のカールだったな」
「は、はい。おっしゃる通りでございます」
公式に軍師なんて肩書はないし、何よりも胃が死ぬ前に捨てられるものなら捨てたいけどな。
娘の直属の部下だからか、俺の初陣の時のことをまだ覚えてるからか、ガリエテ平原の後の論功行賞で目が合ったからか、ド田舎貴族の嫡男の顔まで覚えてる目上の相手に、否定する勇気も気力もないけど。
「で、ここは一部の帝室一門以外は基本的に寄り付かぬ場所であるのだが、何用か?」
「ももも、申し訳ありません! お恥ずかしながら、道に迷ってしまいました。す、すぐに立ち去ります!」
「いや待て。ちょうど良い。一つ質問に答えていけ」
「は、はあ……」
ちょうど良い?
何か、皇帝陛下に聞かれるようなことあったっけ?
あ、娘の近況とかか。
「お前、エレーナに惚れているのか?」
……うん?
皇帝陛下は表情が変わらなすぎて、冗談か本気か分からん。
てか、こっちから「冗談ですか?」とか聞いて、本気だったらシャレにならんぞ。
で、俺が、エレーナ様に惚れてるか?
まあ、改めて考えなくても、美人だとは思うよ。
性格も、悪い人じゃないのは確かだと思うけど――
『なあなあ! カールカール!』
『すごいな! 本当に凄いな、カール!』
『カールだけズルいぞ! くそぅ、くそぅ!』
「ないです」
「……うん?」
「惚れたとか、ないです」
口には出せないけど、あれは、そういうのじゃないな。
女の子ってより、手のかかる妹とか、じゃれついて来る猛獣とか、そんな感じだ。
不思議そう? いや、もしかしたら不機嫌とか不可解って感じかも知れない表情を浮かべられても、事実は事実なんです、陛下。
「ではなぜ、エレーナに付き従った?」
あ、うん。そうだよな。
親とか皇帝とか関係なく、今から付くのは理解できるけど、どん底時代のエレーナ様の部下になるとか、意味不明だよなぁ。
「それは、エレーナ殿下の、ただ衰退していくばかりの西方地域を救いたいとの志に感銘を受け、ぜひお力になりたいと――」
「本当か?」
「へ?」
「本当か、と聞いている」
「えっと、その……」
その遥か頭上から見下ろされる強烈な眼力に圧され、言葉に詰まる。
こちらが片膝を付き、向こうが立っているって位置関係のせいもあるかもしれない。
でも何より、なんで俺が適当に誤魔化してるのがバレたのか。それで頭がいっぱいだ。
いやだって、完全に嘘じゃないし、マイセン辺境伯にはこれで通じたしさ。なんでここで、微妙に誤魔化してることを見抜かれるのか。
いや何か向こうはなぜか確信もってる感じだし、本当のこと言わなきゃヤバそうなんだけどさあ……。
「あの、嘘ではないです。その、ただ、エレーナ殿下がその際に私なんかに頭を下げられまして。あと、お話を受けることが出来るかもしれないと申し上げましたら、非常に喜ばれまして……」
「その姿があまりにも哀れで、同情したか」
「いやその……そのように表現することも、出来なくはないかと……」
俺にとって、エレーナ様の目標そのものへの思い入れはそこまでない。
マイセン辺境伯にガリエテ平原前に尋ねられた時は、『お前自身が、エレーナに仕えて何をしたいのか』と問われたので、エレーナ様の目標を達成する力になりたいと答えた。
皇帝やってる父親相手に、お前の娘に同情したからだよって、下っ端が言いたくなかったから多少脚色しただけなんだけど、どうして見抜かれたのか。
ド田舎男爵家の嫡男が皇女殿下に『同情してやりました』なんて上から目線、不敬だって言われても、中々に反論しにくいもん。
一国のトップってのは、そんなところまで見抜けるのか。一生到達できる気がしないぞ。
「分かった。――ラルス、鍵を持て。白バラ園だ」
「はっ。少々お待ちください」
誰も居なかったはずの後方から声が聞こえて慌てて振り向くと、一人の執事服の初老の男性が立ち去るところだった。
沈黙が訪れる。
皇帝陛下は黙ってその場で庭園を眺めてるし、立ち去っっても良いとも待てとも言われてないから、動けないのだ。
どうすればいいか分からなくて見上げ続けてる首が痛くなってきたし、これ下を向いても良いのか? と考え始めたころ、ラルスと呼ばれていた男が戻ってきた。
「陛下。鍵守の誓約書及び鍵、こちらに」
「うむ。ご苦労」
そうして皇帝陛下は鍵と一枚の紙、そしてペンを受け取り、鍵の方を俺へと差し出した。
「あ、ありがたく頂戴いたします」
「この宮城内の白バラ園の奥、初代皇帝の像の下。帝都の外、北の森の皇帝用の別邸の同じく初代皇帝の像の下まで続いておる」
最初、何を言われたのか分からなかった。
そして答えに思い当たった時、ハズレであってくれと思いつつ、恐る恐る皇帝陛下に問うた。
「もしかして、隠し通路ですか?」
「そうだ」
俺の手と同じくらいの大きさの、首から下げるためと思われるヒモの付いた古ぼけた鍵を、無意識に握りしめる。
ああ、知ってたよ。
ハズレてほしいことに限って正解してしまってるんだよ。
「お前はこれから、『鍵守』となってもらう。自らに与えられた隠し通路を守護し、有事の際には、帝室一門の身を守るために使え」
「あの、もしも、恐れ多くてお受けできない時には……?」
「特に何があるわけでもないが、勅命であるぞ」
「謹んでお受けいたします」
つまりは、その時代の皇帝の権威と権力がその時々の強制力って訳だ。
おう。どう考えても俺が逆らうのはリスクが大きすぎるやつだわ。
「自らが鍵守であること、通路の存在、共に時の皇帝と鍵守の統括者――今は、このラルス以外に伝えることは許されぬ。例え鍵守同士でもだ。非常時に皇族を守るとの役目を果たすために必要な場合は伝えても構わぬが、相応の覚悟をせよ。こちらは、常に見ているぞ。鍵守の後継者は、こちらで選ぶ。お前の死亡時にはこちらで鍵を回収するので、一切気にするな。何かあればこちらから呼び出す。以上だ。これ以上の質問は受け付けない。この誓約書に署名することで、魔法的契約が成立する」
そこで紙とペンを渡され、違和感を覚えた。
ビアンカちゃんが使う魔法に比べて、やけにふわっとしてるからだ。
彼女は、魔法は万能じゃないと言っていたが、確かにそうだと思う。
俺の初陣の時の轟音や落とし穴、土木工事なんかも、すべて科学における物理法則と同じように理屈があって、理論が明確なもののように見えた。
だが今回は、ファンタジー的な便利魔法のような感じがするのだ。
「そういえば、お前の側近に魔法学院の卒業生が居たか。これは古式魔法で、現代式のものとは別物だ。秘匿を旨とし汎用性に欠けたことで、その逆であった現代式に駆逐された過去の遺物。それでも、このように現代式よりも様々な面で使い勝手の良いものもあるがな」
「は、はい」
俺の内心を読んだか、単に偶然か、皇帝陛下から追加で説明が。
ただの脅し?
いや、それにしては堂々としてる。
でも正直、隠し通路のことを誰かに漏らして、俺に得も使い道もないのだ。
秘密は誰かに漏らした時点で思わぬところまで広まってるものだし、そうして皇帝陛下の耳に入ると厄介である。
だから、しばらくは鍵を肌身離さず持ちつつ、黙っていよう。
考えたくはないけど、この隠し通路が本物で秘匿もなされてるなら、エレーナ様に最悪の事態が起きた時に切り札にもなりうるしな。
「お前の入ってきた道を引き返し、三つ目の角を曲がってまっすぐ進めば出口だ」
皇帝陛下にそう言われ、俺はさっさと立ち去った。
またどこかに迷い込むのではと思ったけど、今度は無事に帰ることが出来た。
「ラルス。あのカールという男、どう見る?」
「少なくとも、宮廷政治には向いていないかと。訓練すれば立ち回れはするでしょうが、当人の性質が真っ直ぐすぎるでしょう」
「そうだな。少々、分かりやすすぎる。顔に出ていたのを見てもしやと突いてみれば、自ら勝手に崩れていったのはな。そこまで含めて演技だと言うなら、大したものだが」
カールの立ち去った後、残された二人はそうして話を続けていた。
先ほどまでとは違い、単なる主従を越えた、和やかな雰囲気が漂っていた。
「正直、ゲリラ戦とやらのいやらしさからして、もう少しひねくれた男かと思っていた。性根がまっすぐで情を優先するなら、そう簡単にはエレーナを裏切れまい。鍵を預けるに足るとは思ったが、使う時が来なければ良いがな」
ラルスは、黙って同意するように軽く一礼する。
そこで皇帝はふと何かを思い出したかのように、問いかけた。
「そういえば、カールは、ここに来る前にあやつと会っておったな。大体想像はつくが、どうであった?」
「それはもう、見事に手玉に取られておりました」
「そうかそうか。アレは母親に似ず、宮廷内を上手く立ち回る狡猾さを生まれ持っているとしか思えんからな。あの男では、勝てる道理もない。それに――!? げほっ、ぐふぉっ!?」
「陛下!?」
急にせき込み始めた皇帝に慌ててラルスが駆け寄ろうとするが、咳き込み続ける当の皇帝に、手で制される。
そして皇帝はポケットから小瓶を取り出すと、その中の液体を一気に飲み干した。
「陛下。本日の残りのご公務ですが、お休みになられますか?」
「分かっておろう。隙を見せて良い時期ではない。エレーナが政治状況を色々とかき回してくれたばかりだからな。――だが、公務の前に少し横になりたい」
「肩をお貸ししましょうか?」
「分かっておろう? 宮城内でも、誰の目も気にせずに済むのは、この庭園を含めて数えるほどしかない。こちらの不調を宣伝して歩くようなものではないか」
そう言うと、皇帝は自らの足で力強く歩き出す。
その後ろを、心配を心の奥底へと沈め、一見する限りは普段と変わらないような様子のラルスが付いて歩いていた。




