第八章第一話 ~天上の出会い~
エレーナ元帥府が動き出して数か月。
順調かはともかく、少なくとも大きな問題は生じていない。
俺自身も、ヴィッテ子爵の指導の下に子爵の娘のナターリエや戦史研究部から借りてきたアンナらと共に部隊運営などを学んだり、猫でも借りてきた方が戦力になりそうな上司の分まで書類を片付けたり、前線に出るといろんな人の胃を破壊する立場なのに得意戦術兼趣味が陣頭斬り込みな皇女様と数日に一度手合せさせられたり、忙しい毎日を送っている。
そんな俺が今現在何をしているかと言えば、
「出口、どこ……?」
帝都中央部、皇帝の住居であり、各種式典の会場ともなる宮城で迷子になっていた。
政務の中心地であるすぐ隣の官庁街と違い、ここは普段は閑散としている。
かつて、数百人の愛人を囲っていた皇帝の代には使用人らが常に行きかっていたらしいが、現在は両手の指が余る程度しか皇帝の通う女性が居ないのだ。必然、働く使用人の数も少なくなる。
結果、必要に迫られて広大な敷地に無軌道に増築が繰り返された、ちょっとしたダンジョンだけが残った。
「親衛隊が持っていくとちょっと」なんて苦笑いしてたハンナに頼まれてお使いに来たけど、その帰り道に思いもしなかったことになってしまった。
考えれば、いつもは宮城で育ってきたエレーナ様が一緒だったり、式典がある時なら人の流れに乗れば何とかなったりと、自力でこのダンジョンの奥地に挑んだ経験はなかった気がする。
行きによく分からないまま何となくで目的地についてしまった時点で、どうして俺は帰りの案内を頼まなかったのか……。
いや、一人だけかなり忙しそうな雰囲気のメイドさんに出会って道だけ聞いたんだけど、全然出口につかないのだ。
言われた通りに歩いてるはずなんだけど、段々と間違ってる気もしてきて……てか、この中庭、さっきも見た気がするんだけど……。
「ねえ、そこのあなた」
呆然としているところに人の声が聞こえ、これはチャンスだと顔を上げれば、少しばかりの距離を挟んでガッチリと絡み合う視線。
右を見ても、左を見ても誰も居ない。
正面に戻れば、再び絡み合う視線に、静かな微笑み。
「えっと……?」
「ええ、あなたしか居ないわね。良ければ、こちらへ来て下さる?」
ここで立ち去っても迷子に戻るしかない俺は、とりあえず中庭に用意されたテーブルへと向かう。
少女と女性の境界線上、近くで見るとエレーナ様とあまり変わらない年齢に見えるが、雰囲気はこっちの方がずっと大人びている黄金色の髪の女の子がそこに居た。
パーティ用に比べれば地味でも、庶民からすれば一生手が届かないだろうワンピースドレスに身を包み、手間のかかる縦ロールなところを見ると、貴人なのは間違いない。
そもそも、貴人でなければ、宮城の中庭において一人で座ってないんだけどな。
ただ一つ特に気になるのは、お茶の用意が二人分なこと。
もう一人分の茶器が未使用なことからして、相手を待ってるところかな?
「随分とお困りの様子でしたけど、どうかしまして?」
「あの、えっと……出口が分からなくて、その……」
「まあ、大変でしたわね。確かに、慣れない方には、難しいかもしれませんわね」
そう言いながらこちらを労るような様子で見てくるところを見ると、そこまで悪い人ではないように思われた。
これなら、普通に道を教えてもらえそうだ。
「うーん……そうですわ! 私が道を教える代わりに、一杯だけ付き合って下さいます?」
そう言いながら、目の前の女の子はテーブルの上のまだ使われていない方のティーカップを指し示す。
俺が困惑して口を開けない間にも、彼女はにこやかに話を進めていた。
「ちょうど、約束相手が来られなくなったって連絡が来たところでしたの。何かを求めるなら、対価を出すのは当然だとは思いませんこと?」
「アッハイ」
どこぞの貴人の娘の機嫌を損ねるとか、出来ればやりたくない。
しかも、迷子になった段階でこの後の仕事がどうのこうのってのは今更。
量はともかく、後に回せる仕事しか残ってなかったはずだし、お茶の一杯くらいなら付き合ってもいいだろうと結論付けた次第である。
彼女が自ら注いでくれたお茶を前に、和やかにお茶会は始まった。
趣味だの好物だのと、お見合いかと言いたくなるような無難な話題だが、存外盛り上がった。
話を広げるのが上手だし、社交術は慣れてるのかな、と少しばかり気を抜き始めた時だ。
「そうだ。今一番話題の軍師様の、伝説の初陣からガリエテ平原までのお話を聞かせていただいてもよろしいかしら?」
「うん……うん!? え、なんで俺のこと!?」
読者受け狙って勝手に修正が掛けられまくる肖像見てて気づいたってことはないはず。
もしかして、会ったことがあるのに忘れてたて失礼やらかした!?
向こうの実家の権力で無礼討ちからの、俺を守るためにトップが飛び出したエレーナ派との決戦ルートの導火線に火をつけちゃった!?
「ふふふ、ご心配なく。こちらが一方的に見知ってるだけですもの。ですから、安心してお話を続けてくださって良いんですのよ?」
そう聞いて落ち着いた俺だが、完全に軍功の話をする雰囲気になっていた。
まあ、政治的に真っ黒な部分は話せないにしても、新聞なんかにもアレコレ書き立てられた部分でもあるし、断る理由もないんだけどな。
それでも、エレーナ様を始めとした俺の同僚みたいな例外は除くとして、傾向としては、女の子は軍事的に専門知識が求められるような細かい話をしても理解するような素養も興味もないだろう。
ミーハー根性を満たしてやる程度に大雑把に流れを話してやるかと口を開いた。
「いくら土地鑑があるとはいえ、良く統率をしきれましたわね。何かコツが?」
「貧民街に居て、農家の五男坊……? 実は帝都の士官学校出身だったりするんですの?」
「敵を引き込んだとして、勢いに乗った敵に簡単に反転攻勢を仕掛けられますの?」
しかし話してみれば、話が通じすぎて驚いた。
目を輝かせながら身を乗り出してくる様子と、実際に話しが通じてることから、すごく気分良く進められる。
実は軍人かと手を見れば、その考えはすぐに吹き飛んだ。
武器を取った手は、慣れればすぐに分かる。この世界この時代で武器を握ったこともない軍人はあり得ないことからして、素人だ。
体系立って勉強したにしては、話してて知識にムラがあるような気もする。
父親辺りと、軍事系の話をすることも多い、ってところか?
どっかのスパイって線もないとは言わないけど、公開情報に毛が生えたくらいしか情報を出していない。心配するなら、次以降に出会ったときだろうか。
「面白いお話でしたわ。本当に、その若さで凄いですわね」
「いやぁ、それほどでも……」
年齢も知識も、ズルしてるようなものだからな。
割と本心で謙遜すれば、目の前の女の子が心配そうな表情を浮かべる。
「謙遜も、過ぎれば嫌味ですわ」
「あ、はい。そうですね」
「ですから! あなたは、もっと自分を誇るべきです!」
……この子、何言ってるんだ?
「お話を聞いていて思いましたけど、あなたは自信がなさすぎます。あなたは凄いんです!」
「えっと、ありがとうございます?」
「で・す・か・ら! もっと自信を持ちなさい! 自分のなしたことに満足しないのは勝手ですけど、誇れないのは、あなたが打ち倒した相手にも失礼です!」
理屈は分からんでもないけど、でもなぁ……。
「もう、仕方ないですわね。すごいすごい、はい!」
「え?」
「ですから、すごいすごい! はい!」
「す、すごいすごい?」
考え込んでる間に勢いに飲まれ、何か変なことが始まったぞ、おい。
「すごい! すごい! はい!」
「す、すごい、すごい!」
「あなたはすごい!」
「俺はすごい!」
「そう! あなたはすごい!」
「俺はすごい!」
それからしばらく、すごいすごいと中庭で叫ぶ二人組の光景が繰り広げられることに。
後から考えれば、人気がなかったことだけが唯一の救いだったよ、うん。
「気分はどうです?」
「え、あ、うん。そうだな――悪くない」
「それは良かったですわ」
しばらく叫んだ後の問いへの俺の答えに、花の咲くような笑顔で喜んでくれている。
それに俺も、理屈も何もなく何となくすごいんだって気がしてきた。
高揚感というか、何となく楽しいというか、少なくとも悪い気はしない。
「もう、最初の約束の時間ですわね。楽しんでいただけていればよかったのですけど」
空のカップを示しながらそう言う女の子に、俺は迷うことなくこう答えた。
「ちょっと変な感じですけど、楽しかったですよ」
「そう。でしたらまた、機会があれば付き合っていただけます?」
「ええ、喜んで」
そんな社交辞令も交えたやり取りの後に道を教えてもらい、立ち上がった時のことだ。
「!? 誰だ!」
右手の植え込みの方に向かってとっさに叫ぶも、物音ひとつしない。
急いで近づき覗き込むも、人っ子一人、獣一匹すらも見当たらない。
「どうかしましたの?」
「いえ、お気になさらず……」
その時の俺は、結局彼女の名前すら聞いていないことも忘れて、一刻も早く立ち去ることだけを考えていた。
「深紅の甲冑、どこ……?」
不規則に右手に曲がり角が現れる通路を、とにかくまっすぐ進んでいた。
さっきの女の子によると、曰く付きの年代物の深紅の甲冑を飾っているところの角を曲がれってはずなんだけど、なかなか見当たらない。
で、気付けば突き当りに。
右手の道を進むか、左手の先ほどの中庭とは別の庭園へと続いているらしい道を進むかをT字路で考えていると、庭園方面から誰かの足音らしき音が聞こえてくる。
もう二度と一人で平時の宮城内をうろつかないと誓いながら、もう一度道を聞くために庭園へと向かう。
「あの、すいませーん」
「なんだ?」
考える前に、体が動いていた。
片膝をつくのではなく、流れるように土下座をしていた辺り、俺の中の日本人は抜けきって居ないのだなと、不思議と冷静な頭の片隅の自分がのん気なことを考えている。
「こ、皇帝陛下ぁ! この不敬、どうかご容赦おぉぉぉおおおお!!」
道を教えてもらって、あるはずの目印がなかったせいで迷い込んだ先で、皇帝陛下がオフモードだった?
世の中には本当にこんな偶然があるものなんですかね、おい。
活動報告ですでに報告していますが、12月はほぼ丸ごと出張してます。
向こうで休暇はあるので全く執筆できないことはないと思いますが、何らかの影響が出ることは現時点では否定できません。
事前の準備による影響など含め、基本的に活動報告を中心にご連絡させていただきますので、興味のある方はご確認いただくようにしていただければ、と思います。




