第一章最終話 ~弱者の戦い~
森の中で奇襲し、川を挟んでの嫌がらせを経ての分断策は成功だったと言えるだろう。
小部隊相手に良いようにやられたいら立ちもあったのか、好き勝手に追撃してきた敵は、個人の足の速さの差でバラバラにやってくる。
あとは、先頭から順番に殺していくだけの簡単なお仕事。
こっちの死者なしで三ケタ近い敵を倒せただけでなく、見通しのきかない森の中で悲鳴だけが断続的に聞こえて大混乱に陥った先陣部隊に対処するために、敵が行軍を一時的に止めたのも大きな収穫だった。
そして今は、ゲリラ屋宣言をして敵部隊に奇襲を仕掛けた二日後の夜。
「やーい! やーい! お前のかーちゃん、でーべーそー!」
「「「「「でーべーそー!」」」」」
五人の兵士と一緒に、森の中から、休息中の敵陣に向かって罵声を飛ばしていた。
間に鐘の音や火矢なんかを挟んだりしながら、リズミカルに質の悪い休息の提供中だ。
「よし、乗ってきた。ざっと百名様ご案内。丁重にもてなせよ?」
兵士たちはにんまり笑って散っていく。俺もじっとしてたら殺されてしまうので、森の中へと入っていく。
目印に気を付けながら、奥へ奥へと、敵が見失わないくらいの速度で進んでいく。
しばらくすると、お客様方のものだろう悲鳴が上がり、その後は静寂だけが残った。
うん。設置しておいた罠はしっかり仕事をしたらしい。
さすがに、三万の敵陣に斬り込もうってのは危険が大きすぎる。
百五十ほどの俺たちは、ちょっとした損害で再起不能。
敵陣が混乱して山ほど斬り殺しても、敵の何人かが個人の武勇で暴れただけで簡単に部隊が半壊しかねない。
だから、こっちの有利な場所に引きずり込む。
就寝中にすぐそばで騒がれて、気分の良いはずがない。
しかも相手は小部隊なのだ。
全軍を一気に相手にはできずとも、班分けして散発的に実行し、敵が釣れたら事前に仕掛けた罠に誘導する。
三万もの軍勢になれば、山中の街道のどこで休むかは限られてくる。
だから、予測される地点の側に、徹底的に罠を作りまくった。
今頃、落とし穴の中で串刺しな死体や、頭上から降り注ぐ岩に頭を撃ち抜かれた死体なんかが量産されているはずだ。
本当ならばもう少し規模が小さくなるはずだったんだけど、焼け落ちて廃墟となったマントイフェル城に罠でもあるのかと警戒したのか、半日ほど何の仕掛けもない城を包囲して調査してくれたので、せっかくだから強化することに。
「え? いや、なんでノルマが急に倍になってるんです!?」
「ビアンカ君、君の魔法が頼りなのだよ。さあ、穴を掘ろう!」
なんてこともありながら増えた落とし穴が、この夜は全力で仕事したわけだ。
夜明けまで、場所を変えながら徹底的に。
「というわけで、昨夜の大勝利に続き、今日も仕掛ける!」
「……それで、この大岩をいくつも私に準備させたんですか?」
「おう。敵の先頭が見えたら、こいつを落とす」
俺とビアンカ、そして作戦担当の三十名の兵士は、街道を臨む崖の上に居た。
異世界転生したくせに三万程度の軍勢を消し飛ばす力すらもたない非力な俺では、とにかく思いつく限りの嫌がらせを続ける以外に選択肢がないのだ。
そして、両側を崖に挟まれたこの場所なら、敵の先頭を倒すとともに、岩をどかすまで通行もできない。
ふっふっふ。さあて、どれだけの時間があったら復旧できるかな?
軍が通れるような道は他にないからな。ま、精々頑張ってくれたまえ!
「カール様、敵が見えました」
「そうか、予定通りに」
この先で準備を進めるギュンターに代わってこの場の兵士を実質的にまとめる兵士の報告に、胸が高鳴る。
敵を打ち倒せずとも、これだけ思い通りに敵を翻弄できていれば気分も良くなるってもんだ。
「……よし、落とせ!」
俺の合図とともに、敵軍の頭上へと転がり落ちていくいくつもの大岩。
それらは、思い通りに敵を押しつぶし、その進路を完全に封鎖した。
「うーし、撤収!」
気分良く命令を出して、動き出す。
「さあ、これで道を塞がれた敵の進軍はかなり止まるぞ!」
「え?」
「え?」
なぜか、俺の言葉に疑問形のビアンカの反応。
あれ、なんで?
「あの、カール様? さっきの策、『かなり』敵を止めるつもりだったんです?」
「あ、ああ。それが何か?」
「……たぶん、もうすぐ通れるようになりますよ」
「へ?」
え、なんで?
上から落とすのはテコの原理でちょっと勢いつければ良かったけど、道を塞ぐいくつもの大岩とか、どうすんの?
「あの、敵って三万超える軍団なんですよね? ――王国みたいな大国の正規部隊なら、数百人規模で魔法兵が居ますよ、普通」
「……おぅふ」
ぜ、前世での歴史上の戦いでは、ま、魔法なんてないですし。
だ、だから、し、失念しても、し、仕方ないし。
……とにかく、ビアンカ一人で下手な重機なんかよりも穴掘りがはかどったんだ。
うん。嫌がらせにはなった。
だから、よし。
次だ、次!
「って意気込んでみれば、これかぁ……」
「カール様、どうなさいます?」
「ギュンター、分かってて聞いてるだろ? ――やるしかない」
大岩落としで予想外な事態になったその日の夜。
俺の目の前には、見覚えのある旗印。
王国軍に降伏した帝国諸侯の軍勢が広範囲にある程度散らされながら居た。
うちも人質代わりの自費従軍を条件に降伏しようとしてたんだし、うちに来るまでの諸侯が同じ条件で降伏しててもおかしくない。
しかし、そんなしぶしぶ降伏したばかりの連中、信用できるわけがないんだから、監視を付けて後ろに置いとく前提だろう。降伏しといて後方で兵力動す、なんてことを防ぐのが敵の主目的だし。
ただ、『人質』を前面に押し出してまで休みたいほどに精神的にキてるとも言える。
もう、山中の街道はそう残っていない。
ここを抜ければ、避難民の目指す俺の姉の嫁ぎ先のゴーテ子爵領まで、街道はすべて平地。
特に、軍なら邪魔がなければ一日くらいで山を抜け、半日もあればゴーテ子爵の居城だというのに、出発して四日の避難民たちが子爵の城に着いたとの知らせがない。
やってみてわかったけど、野宿ってどんどん疲労がたまる。
動いた疲労がたまって、寝ても回復しきらず、そこに翌日の疲労がたまって……って具合に、日が経つごとにどんどん負の連鎖だ。
これじゃあ、老人や子供の多い避難民たちが目的地までどれだけかかるか計算できない。
そんな中、ただでさえ俺たちが敵軍に働きかけて能動的に稼げる時間は限られてるんだ。
昨日までの味方でも、手加減する余裕はない。
「やーい! やーい! ――うえっ!? 撤退、てったーい!」
との覚悟で今夜も騒ごうと気合を入れた俺が叫び始めた瞬間、なんかすごい剣幕で元帝国諸侯軍が突っ込んでくる。
これ、なんか数百人規模ってか、ほとんど全軍で突っ込んできてるんだけど!?
な、なんでそんなにやる気なんだよ!
「おら、気合入れろ! マントイフェルの精兵が、気合で押し負けるな!」
「「「「「おう!」」」」」
とにかく飲まれてはいけないと、散開前にそう言っておく。
どこまで効果あるか分からないけど、俺も怖いんだ。誰かが飲まれてしくじる可能性を減らすために、やれる限りはやっておかないと。
そうして目印に従って脇目も振らずに駆け抜け、目標地点についたところで後ろを確認する。
「……あれ?」
そこには、誰も居ない。
え? あれだけの勢いの敵、その全部を置き去りにした?
そこまで足は速い方じゃないと思うんだけど……。
なんて考えながら耳をすませば、思ってるのと全然違う方向から雄叫びが聞こえ、消えていく。
え? そっちに行くの? え?
「カール様、どうやら、我らは良いように使われたようですな」
「うわっ!? ――ってギュンターか。いきなり後ろからは止めてくれ」
「これは失礼。しかし、無事に収まったようで良かった」
「無事? 良いように使われたって言ってたのに?」
ギュンター曰く、俺たちは、元帝国諸侯軍の兵士たちの脱走に利用されたらしい。
元々、裏切り警戒も含めて監視されて居心地が悪かっただろうところに、俺たちが騒ぎ立てて夜まで騒がしい。
もしかすると、俺たちの一連の抵抗でイラついた王国兵の怒りが彼らに向いて余計に居心地が悪かったかもしれない。
そこに、前線に出ろ、なんて配置。
自然、監視は後方で王国兵に囲まれているよりも緩い。
そのうえ、俺たちが騒げば、王国の監視の及びにくい森の中へと理由付きで駆けこめる。
「指揮官たる諸侯自身が残っても、兵士が居なければ、盾にはなりえないでしょう」
「なるほど。よく分かったよ、ギュンター。なら、そこまで追い詰められた同胞の分まで、敵にしっかりお返ししないとな」
そうして予定通りに王国兵相手に大暴れした翌朝。
夜襲参加組が泥のように眠り、昼戦担当組が、山道の残りから見て最後にならざるを得ない戦いに赴く準備を整えている中。
俺とギュンターとビアンカという軍首脳は、待ち望んだ報告をようやく受けていた。
「そうか、彼らが出発して五日目の朝にして、やっとか」
「そうですな、カール様。子爵殿が不在の中、モニカさまが避難民の受け入れを決めてくださり、ありがたい限りです」
「そうだな、ギュンター。姉上には感謝しかないよ」
昨夕に到着したとの伝令を聞き、俺とギュンターは自然と笑みがこぼれる。
ビアンカなんか、聞いた瞬間に気絶してしまった。緊張の糸が切れたんだろう。
とにかく、これ以上の戦闘の必要がなくなった。
予定通り、兵士をまとめて民衆に紛れて子爵様のところに入城させ、俺はどこかに姿をくらまさないと。
とにかく今は寝てる連中も叩き起こして『勝利』を伝え、みんなで意気揚々と子爵様の城へとひとっ走り。
夕方前には、城にたどり着いた。
その時、確かに俺たちのテンションは高かったさ。
「マントイフェル男爵家嫡男、カールだ。ゴーテ子爵家に嫁いだ姉上との面会のために――」
「おう! 入れ入れ! ハッハー!」
だけど、城下町に入ろうと門番に声を掛ければ、あまりのテンションの高さにこっちが冷静になる。
そうして城に入っても、酷い騒ぎだ。
何がそんなに楽しいのか知らないけど、恐怖すら感じるくらいの勢いに、何が起きたのやら聞くこともできずに城の建物へと進んでいく。
しかも、気付けば後ろに居るはずの部下たちがいつの間にか減っていくホラー。
きっと、この訳の分からん連中に捕まったんだろう。
なんか、涙目のビアンカがお姉さま方の群れに飲み込まれていくのを見た気がするし、たぶん間違いない。
ま、敵意はないみたいだし、一人ひとり探すよりも、姉上と先に話して状況を把握しよう。
……べ、別に、得体が知れなくて怖いとかじゃないし。
で、だ。
一応、城には着いたんだ。
「やったー!」
「はっはっはっは!」
「うっはははは!」
なんてのはマシな方。
そこでは、酔い潰れてるのか解読不能な言語を叫んでいる方が大多数との、外と変わらない惨劇が繰り広げられていた。
もはや二割も残ってるか怪しい部下を引き連れて城の入り口でどうしたものかと悩んでいると、久々の声が掛けられる。
「カール! ああ、カール! 無事だったのね!」
「姉上! おひ――ふぐぁ!」
黒く艶やかなロングヘアを腰まで流し、よそ行きのドレスで着飾る姉上が、俺が泥まみれなのなんて知ったことかと一気に抱き付いてくる。
う、うぐぉ……胸がぁ……胸で窒息するぅ……。
「モニカさま、そのままだとカール様が死んでしまいます」
「あら、そうね! あと、ギュンターも久しぶり!」
「ぷはぁ……姉上、こんな不名誉な死に方は勘弁願います」
「ごめんね! アハハ!」
戦乱真っただ中、それどころか俺が止めてた軍勢がもうすぐくるってのに、姉上は見るからに嬉しそうだ。
実家に居たころすら、数えるほどしか見たことがないような喜び振りだ。
「姉上、何があったか知りませんが、ここに敵が迫りつつ――」
「私たち、勝ったのよ!」
「……へ?」
「この子爵領の目と鼻の先、マイセン辺境伯領内で、皇帝陛下が率いる軍団が、敵の主力を三日間の激闘の末に倒したの! 今日の昼に勝利したって、今さっきうちの旦那から知らせが来て大騒ぎよ! 今は、カールが止めてた別働隊と戦うために、すぐそこまで先遣隊が来てるって!」
ほう、三日の激闘で、ついさっき味方が勝った。
……やったー!
これで身を隠さなくてもよくなった!
そりゃあ、勝ち目のない大軍に降伏するかもってところでこの報告は、お祭り騒ぎだ!
「よかったー! いやー、皇帝陛下様々だ!」
「なにを他人事みたいに言ってんの? あんたも大活躍よ!」
「はい?」
「皇帝陛下は、六万五千で五万と戦ったの。あんたが足止めしなくて敵の別働隊が順調に行軍したら、敵本隊と合流してるわ。あんたの手紙だと、別働隊って三万は居るんでしょ? 合流されてたら、数の利を向こうに持っていかれるところだったんだから!」
そんなこんなで、思いもしなかった大仕事をしたらしい俺の初陣は、こうしてようやく終わりを迎えることになった。