第八話 ~活字の海から~
詳しくは昨日活動報告でも書いたように、書籍化の話が吹っ飛びましたが、私は元気です……orz
「どうぞ。こちらの部屋に、先の戦争の北方戦線についての資料があります」
戦史研究部長にお伺いを立てるって去っていった少尉さんな少女は、そう時間を置かずに帰ってきて、俺たち一行を部内の奥の方にある部屋へと通してくれた。
前世での一クラス四十人だった高校時代の教室を思わせるくらいの大きさの室内には、壁沿いの本棚だけでなく、部屋中に積み上げられた木箱にも書類がぎっしり詰まっている。
「それで少尉殿。北方戦線関係の書類はどのあたりに?」
「全部です」
「……へ?」
「この部屋全部、北方戦線の資料しかないですよ」
俺の質問に、とんでもない返答が返ってくる。
えっと、もうすぐお昼の時間帯で、軍事法廷は明後日の朝一からで、教室一杯分のアナログ書類で、この場で使えるのは俺にエレーナ様にフィーネにハンナにギュンターにビアンカちゃんにナターリエ嬢で……マジ?
「じゃあ、私はこれで」
「え? あ、はい。どうもありがとうございました」
少尉さんが、呆然とする俺のことなんて気にもせずに扉を開いて出ていこうとする。
だが、そこですんなり退室とはいかなかった。
「わっ!?」
「きゃっ!?」
少尉さんが扉を開けたところで細身の中年男性が現れ、二人が衝突してしまったのだ。
手ぶらな少尉さんは良かったのだが、大荷物を抱えていた男性は、大小様々な資料らしき紙をばら撒いてしまっていた。
「部長!? も、申し訳ありません!」
「いやいやごめんよ。ちょっと不注意だったね」
「え? ……ぶ、部長さんですか?」
言われて改めて見れば、眼鏡をかけた戦史研究部長さんは、細身であることもあって、あまり軍人らしくは見えない。
どちらかと言えば、くたびれた白衣でも着せて研究者だと名乗らせた方が似合いそうだ。
そうは見えずとも将官クラスの大物に一同緊張する中、エレーナ様だけがのん気に話しかけている。
「おお、協力感謝するぞ!」
「皇女殿下にそうおっしゃっていただき、光栄でございます。どうやらお急ぎとのことで、ご挨拶は改めてさせていただきます」
そう言えばうちの上司も凄い偉い人だったな、と随分久しぶりに実感した俺たちの前で手短に挨拶が行われ、部長さんと少尉さんはさっさと書類をかき集めて出て行ってしまう。
エレーナ様以外には口も開けなかった中、最初に言葉を発したのはナターリエさんだった。
「おや? 一つ、ずいぶんと大きな落とし物を残していったようですね」
そう言って彼女が拾い上げたのは、四つ折りにされてなお画用紙くらいの大きさがある古ぼけた紙であった。
彼女は出ていった二人を追うように扉に向かうが、俺はとっさにその肩を掴んだ。
「あの、何か?」
「その紙、ちょっと広げて見よう」
いくら急いでいたと仮定しても、うっかり忘れるには大きすぎるのが引っかかって確認してみたんだが、どうやら大当たりの様だ。
「帝国北部の地図。しかも、これだけ詳しいと、軍事機密じゃ……?」
一同で覗き込んだ感想は、このナターリエさんのつぶやきに集約される。
こんなもの、偶然に忘れていくか?
ないとは言えないけど、普通はあり得ない。
つまり、戦史研究部からの支援、と考えるのが一番あり得る話。
理由までは分からないし、大々的に助けるつもりもないようだけど、中立って言うには少々こっちに手を貸してくれるらしい。
それだけ分かれば、その気遣いを無駄にしないためにも動き出さねばならない。
「まずハンナ。親衛隊全員呼び出せ。ちょっとこの量は多すぎる」
「全員ですか? それはやめた方が良いと思いますよ」
「え? なんで?」
「みんな字は読めますけど、読んだものを理解できるかは別ですし……」
言われて、親衛隊って、エレーナ様を含めて土下座してでもハンナに仕事全部投げてる組織だったことを思い出した。
「えっと、でも全員使えない訳じゃないだろう?」
「そうですね。戦死や長期休暇除いて六十人くらい残ってるから……」
「待て。長期休暇?」
「ええ。みんな今まで実家に対して色々と後ろめたい立場な子も多かったんで。エレーナ様の元帥叙任もありましたし、一度堂々と帰らせて上げようと、何人かずつに分けて帰らせてるんです。その辺抜いて、まあ、五人くらいですかね?」
「……ほんとに?」
「以前、士官学校の教本使って勉強会したんですけど、色々あってすぐに自然消滅するまでの様子を見たら、そんなものかなって……」
苦笑いするハンナを、とにかくさっさと迎えに行かせることに。
思ったよりも悲惨な親衛隊の知的水準に頭を抱えながら、しかし止まっている時間はない。
「で、カールカール! 私は何をすればいい!?」
「あ、エレーナ様……ああっと! ちょっとハンナに言い忘れたことが! ちょっとみんなで、ヴィッテ子爵の師団に関係しそうな資料を探しておいてください!」
そう言って駆け出し、建物の外でハンナに追いつく。
「なあハンナ!」
「うわぁっ!? ちょっと、驚かさないでくださいよ!」
「それどころじゃないんだよ! 正直、エレーナ様とフィーネって、どれくらい使える?」
問われ、ハンナも納得したようだ。
口はすぐに開いたものの、ちょっと言いづらそうな表情である。
「フィーネちゃんは大丈夫です。あの子、何でもそつなくこなしますし。あの、エレーナ様は、そのぉ……」
「うん、よく分かった。ありがとう」
大体予想通りの答えを得て、部屋に戻る。
仕事を割り振り、ハンナが連れて来た増援の助けも得て、翌日の夕方には大体の情報をまとめ終わっていた。
「頑張れ頑張れ! カールならやれる、やれるぞ!」
「あ、はい……ありがとうございます、エレーナ様……」
落とし物の地図も参考に、戦史研究部の許可をもらって徹夜でまとめた情報だが、結果は良いとは言えないものだった。
『応援係』の仕事を全力でこなすエレーナ様の頑張りもむなしく、俺も含めたみんなの表情は固い。
「師団長だった僕の父の命令で部隊が勝手な動きをして、しかも周辺部隊への連絡はなし。お蔭で、よりにもよって北方の指揮を執っていたナルデン辺境伯の甥っ子を含む若手貴族の率いる部隊が孤立、ですか……これじゃ、勝手に騒いでた僕が馬鹿みたいだ……勝手なのは、似たもの親子か」
ぐうの音も出ないほどにこの結論だ。
ナターリエさんのお父さんのヴィッテ子爵の部隊を含む複数の部隊の報告書や日報といった資料を比較して、精査して、最終的に導き出された結果がこれである。
空気が重い。
頭脳労働に関しては全くアテにならないエレーナ様ですら、きっとよく分からないままに沈痛な表情をするくらいに重い。
「その、さ。補給や物資関係の資料とか漁ってみよう。別系統の資料だし、何か分かるかも」
「……はい」
二徹目になるが、みんな黙々と動いてくれてる。
みんな、何やらせんだこいつって顔してこっち見てるか、疲れ果てて無心に手を動かしてるかだけど、前世で読んだ作品だと何かこう、補給物資の微妙な割り増しから秘密部隊の動きを割り出すとかあったし。他の部隊も含めて物資の動きを照らし合わせれば、何か分かるかもしれないんだよ。きっと、たぶん、めいびー。
ダメで元々。明日の朝まで時間はあるし、やれるだけのことをやらせた方が気分が楽になるのではないか、と思って考え付いたことだが、結果は思いもよらないものだった。
「……待って。ちょっと待って。なあおい、ビアンカ。本当に、計算合ってるか?」
「は、はい。そうです。これであってます」
部隊の報告書類よりもずっと多くてややこしいからこそ手を付けなかったんだが、とんでもないことになってるぞ……。
「なあおい、みんな。補給記録と他の部隊の動きを照らし合わせていくと、他の部隊との書き間違いの余地もなく、ヴィッテ子爵の師団は、五日分の行程をすっ飛ばして部隊を移動させたことになるんだが、どう思う?」
「記録が、改ざんされている、ですか」
フィーネの答えた『改ざん』を、どっちがやったかなんて明白だろう。
ああ、うん。孤立した中には、ナルデン辺境伯の甥っ子も居たんだもんな。そうかそうか。
「誰か! 裁判まであとどれぐらいある!?」
「っ!? カール様! もうすぐ始まります!」
ギュンターの答えに、めまいがしてきた。
計算出来たけど、まだ人への説明に使えるようなものじゃないぞ。
一か八かこのまま乗り込んでってのもあるけど、隙を見せたら権力で弾き飛ばされかねない。
だったら――
「エレーナ様! エレーナ様、起きてください!」
「……うにゃ? あさぁ?」
「ちょっと、ナターリエさんと一緒に軍事法廷乗り込んで、元帥号でごり押しして弁護してきてください! 俺たちが行くまで、とにかく法廷を閉じさせないでください!」
「うにゅ~、いったいにゃにごとだ~?」
「エレーナ様にしか頼れないんです!」
その瞬間、寝ぼけ眼だったエレーナ様の目が、大きく見開かれた。
「私にしか、頼れない?」
「はい! とにかくナターリエさんと一緒に乗り込んで、言われた通りに俺たちが追いつくまで時間稼いでください!」
「分かった! 任せろカール!」
そのまま、わはははは、なんて朝っぱらから景気の良い笑い声を上げ、困惑するナターリエさんを連れてエレーナ様は駆けていく。
身内と皇女兼元帥なら、なんとかならなくもないはず。
さあ、こっちもここまで来たら仕事をやり抜くのみ。
「ギュンターとビアンカは念のためにもう一度再計算! 残りは資料まとめるぞ! 急げ!」
この話の投稿の前日に、本作のパラレルワールドの話である短編連作版の新作も投稿しました。
シリーズ内か、作者ページの新規作品からどうぞ。




