第五話 ~老人たちの集い~
帝都にあるマイセン辺境伯の屋敷。
マントイフェルのそれよりもずっと大きく、貴族の屋敷が立ち並ぶ区画の中央近くにあるそこの中の辺境伯の私室の一つに、マントイフェル男爵は呼ばれていた。
「そちらの領地は急成長のお蔭で仕事などいくらでもあるだろうに、わざわざ呼び出して悪かったな」
「いえ。むしろ光栄なことですから」
辺境伯の言葉に対する返答に、嘘偽りはなかった。
息子――カールの父親も若くして才覚を認められ、西方派閥の全盛期には帝都防衛司令部要員として迎えられ将来を期待されていたが、それでも一男爵家の人間が派閥長たる辺境伯に完全プライベートで呼ばれるようなことはなかったのだ。
「おやまあ、ずいぶんとかしこまって。この場には三人しか居ないし、もう少し砕けた空気を出してもいいんじゃないかね? 九歳までおねしょしてべそ掻きながらお姉ちゃんのところにやってきた坊やが、私的な場所でも見栄なんて張るようになっちゃってまあ」
「おいこらババア! あえて無視してれば、なんてこと言ってくれてんだ!?」
「実の姉に向かってババアとはよく言ったものだね。あんたが直系が絶えたマイセンの家に養子に行くとき、『お姉ちゃんと別れたくないよ』って泣きわめいてたガキがねぇ」
「今は関係ないだろう!? てか、こっちにもメンツとかあるんだから、本当に黙っててくれ! そうやって空気が読めないから、この前の軍議でも、賭けに負けたら鼻からスパゲッティ食べるとかまったく面白くないボケをかましちゃうんだよ!」
「何言ってんだい。形式的にはともかく、だ。あんたのかわいいかわいい、かわいすぎて遠ざけておきたかった孫娘をそこなマントイフェルの嫡男に預けるんだろ? 身内みたいなものじゃないか。私的な場じゃ、さっさと化けの皮は剥がしといたほうが楽だよ」
この、少なくとも見た目だけは上品な老婦人について、マントイフェル男爵は顔だけはよく見知っていた。
本人も言う通り、男爵と同年代のマイセン辺境伯の十歳以上年の離れた実の姉であり、現マイセン辺境伯がわずか十歳で直系の絶えたマイセン辺境伯家を継いだ後、色々あって代わりに実家のユスティア子爵家を継いだ女性である。
そのような血統に加え、守勢においての粘り強い用兵をする女傑としても知られる人物と、自分の上司との姉弟喧嘩に口を出せるわけもない。
仲良きことは良いことだ。うん。――と自らに言い聞かせ、マントイフェル男爵は一人お茶をすすっていた。
「ああもう! どうせ台無しだ、飲むぞ!」
黙って見ていれば、そう言ってマイセン辺境伯が壁際の本棚へと歩いていく。
威厳も何もない姿をさらして色々と吹っ切れたのか、半ばヤケになってるようにも見える。肉親との掛け合いで出てきたこれこそが素なのだろうか。
よくは見えないが辺境伯が何か操作をしていると、本棚が奥へとずれていく。
どうやら隠し部屋があるらしく、奥へと入っていったマイセン辺境伯は、酒瓶と人数分のグラスを持って帰ってきた。
「ほら、お前も飲め。ポルッカの二十年物だぞ。ありがたく味わえ」
「はぁ、ポルッカ……ポルッカ!?」
「おう。もうまともな方法では二度と手に入らない幻の酒だぞ。心して飲めよ。西方と、そしてエレーナの恩人の祖父への感謝の印だ。――さあ、我らがエレーナ皇女殿下と西方の若き英雄に乾杯!」
ド田舎貴族では一生口に出来ないだろう高級品に目を丸くし、マントイフェル男爵はちょっと舐めてはうめぇ、うめぇと、つぶやいている。
そんなものを持ち出してきた辺境伯に絡まれながらも、生きてる間にこんな良いものを口にする機会をくれた孫に感謝している時のことだ。
「にしても、本当に迷惑かけるなぁ」
「迷惑、ですか?」
男爵としては酔っ払いの戯言かとも思ったが、マイセン辺境伯は、赤みがかった顔ながらも、希少な酒を呷りつつ真剣な目で語り続ける。
「そもそも、エレーナのところにカールを長く置くつもりはなかったんだろう?」
「それは――」
「構わん構わん。ワシがしくじったせいで、中央での経験を積む機会を奪われたようなもの。数少ない機会を利用したことを責める資格などない。だがなぁ、この前のエレーナのインタビュー。アレが新聞に載ってしまった以上、カールをエレーナの側から放せなくなったからなぁ。嫁探しも大変だろう?」
その問いかけに、マントイフェル男爵はあいまいに笑みを浮かべるだけだった。
いつの間にか名ばかり将軍な皇女殿下の部下になっていて、気が付けば、皇女殿下にして百年ぶりに誕生した生ける元帥の右腕である。
その家格に比して跳ね上がっていく地位も難しいが、何よりも大変なのは、今回エレーナと近くなりすぎ、逃げ道を失ったこと。万が一エレーナが潰される時には、十中八九連座される場所に行ってしまったこと。
これで、様子見も兼ねてアプローチして来た家からも、一度距離を取られてしまった。
水晶宮事件での惨劇を覚えている世代が多い以上、仕方のないことだとは、当の惨劇を自分も覚えているからこそよく分かる。
だからと言って、ここで同意してお前の孫のせいだと認めるなど、命令系統上の直属の上司相手に出来る訳がなかった。
「本当はせめて、元帥府の幹部としてすぐに使えるベテランを送ってやりたいのだがな。エレーナが結果は出していても若すぎるカールを重用しすぎてプライドの問題で不和になる可能性が高いし、古き者たちの影が見えることは必要以上の警戒を招き、逆に若者たちの動きを縛ることになってしまう。もはや引き返すことが出来ないところまで進んでしまったあの者たちの足を引っ張ることは、本意ではない。出来れば、人材難についても自力で何とかしてくれることを祈るばかりだ」
そう言って黙り込みしんみり飲んでいたのも少しの間のこと。
マントイフェル男爵もつられて静かに飲んでいると、酔っ払い辺境伯の矛先は、突然彼の姉に向けられた。
「そう言えばババア。結局何しに来たんだ?」
「ん? ああ、あたしが来たのは、そっちのマントイフェル男爵に聞きたいことがあったんだよ」
「えっと、私、ですか?」
「ああ。――英雄の育て方ってやつさ」
これまで立ち居振る舞いだけは上品だったユスティア子爵の目が鋭く光る。
「お宅の孫、軍功だけじゃなく、領地運営でも面白そうなことやってるみたいじゃないか。うちの孫たちを育てるのに使えそうな話を聞きたいってのが、そんなにおかしな話かい?」
「いや、その……特に変わったことはないと言うか……」
男爵にすれば、口ごもるのも仕方なかった。
本人としては、親から受けた教育と同じやり方で子も孫も育てたら、孫だけ訳の分からないことを言い出し、気付けば英雄だ。
まさか孫に前世の知識があるのが原因であるなどと気付くはずもなく、ただ孫のやることに流されてきた結果が今なのだ。
「でも、何もないってことはないだろう? どれだけ才能があろうと、知識や鍛錬あってこそ発揮されるものだ。それとも、口外したくないかい?」
「いや本当に、本当に普通の教育しかしてないんです!」
「分かる、分かるぞ! 普通に育てていたらいきなりおかしなことをやり始めて、訳の分からん大戦果を持ち帰ってくる気持ち、とてもよーく分かる!」
圧を強めてくるユスティア子爵の追求からマントイフェル男爵を救ってくれたのは、残る一人であるマイセン辺境伯。
だが、男爵としてはその言葉にピンと来なかった。
「あの、マイセン辺境伯家の嫡男は、確かまっとうに優秀な方だと記憶しておるのですが?」
「ああ、息子たちはな。ただ、娘がなぁ……。カールのように、あの恐ろしいほどの思考の柔軟性という形で異常性が出るならまだ良かった。あれこそが、天与の才かと素直に感心できる部類であるからな。経験や教育で何とか出来る領域の話ではないしな。あれをこれ以上教育しろと言われても、むしろ変に型にはめたせいで小さくまとめすぎて、才を潰しそうで恐ろしいほどだ」
「そう言えば、かっこつけて師匠面して、あたしがお前の初陣の時に教えてやったことを、そっくりそのまま教えるくらいには気に入ってるらしいね。初陣で勝って当たり前の賊相手に後方にいたのに小便漏らした小僧が、初陣で五百にも満たない兵の陣頭で突撃して万軍を蹴散らした英雄様に講釈たれるようになるなんて、時の流れは恐ろしいねぇ」
「余計なことは言わなくていいんだよババア! ――ごほん。えっと、そうだ。うちの娘は、武門の娘として恥ずかしくないように育てたはずが、極端なことばかりすると言うか……本当に、なんで皇帝陛下はあんな娘のところに足しげく通ったのか分からないと言うか、結果が良いから変なことをやらかしてもいいんじゃないだぞと言うか……」
「分かる! 分かりますぞ!」
辺境伯の愚痴るような物言いに、今度はマントイフェル男爵が反応した。
それに姉弟が驚く中、先ほどまでの遠慮が嘘のように語り始める。
「初陣でいきなり陣頭突撃したとか聞いただけでも心臓が止まるかと思ったのに、そのまま二百の兵と足止めに残るとか言い出して今生の別れかと病身の身を呪っていれば、部隊丸ごとほぼ無傷で帰ってきて気付けば英雄。良かった良かったと安心していれば皇女殿下のところで働くとか言い出す。何年か休暇を出すつもりで許せば、そのために海千山千のフーニィの商人たちから協力を取り付けてくるとか言い出して、あいつらに口先で勝つなんて無謀なことを止めようと無理難題を吹っかけて見れば本当に上手くいきそうな計画を出してきてどれだけ難癖付けても言い負かせなくて認めるしかなくなって、どうなるかと心配していれば、平然と成功したよなんて言ってくるしさぁ! で、気付いたら西方諸侯全体の未来に関わる大戦争の作戦立案やってるよ、とか、何考えてんだよ! 結果出したから良いんじゃないんだよ! この前やっと十五になって成人したと思ったら、なんでこんなあちこちでやらかしてくるんだよ! 心配する方の身になれってんだ! 少しは腰を落ち着けるってことを知らないのかよ! むしろ、ちゃんと当人なりに考えた上で結果出してるからこそ余計にたちが悪いんだよ!」
「そうだそうだ! うちの娘も生前はな――」
酒の力もあって男二人でどんどん盛り上がる光景を見ながら、ユスティア子爵はグラスに半分ほど残っていた酒を一気に呷る。
「ま、上手くいったから良いんだけどね」
孫同士が運命共同体に近い存在になってしまった二人を、いざという時のために打ち解けさせておこうかと振る舞っていた女子爵は、酒と愚痴と言う古典的な手法でどんどん身分差からくる心の距離を近づけていく二人を見ながら笑みを浮かべていた。




