第四話 ~王国の英雄~
後書きに、改訂した内容を記載しております(2017.08.18,19:15頃)
国王主催の煌びやかなパーティが開かれている王宮の一角。賑わいから少し離れた場所にある諸侯の控室が続く廊下を、一人の若者が歩いていた。
「父上、アランです」
「よし、入れ」
アルベマール公の控室の前で足を止めてそう言ったアランが扉を開くと、自らの父親であるアルベマール公と、その側近たる老執事が目に入った。
二人はアランが来るまで何か話し合っていた様子だが、アランが入室したのを確認すると、互いに頷き合って老執事が退室する。
立ち去った様子がないことから老執事は入り口で盗み聞き対策でも行っているのだろうかとアランは理解する。
そして、事前の指示と合わせれば、目の前の父親は余程今回の話し合いを聞かれたくないのかと確信した。
「ちゃんと尾行には気を付けたか?」
「はい。遠回りして、少し遠くからカレンに見張らせました。何も言ってこないってことは、大丈夫かと。僕自身も、カレン以外につけられてる感じはなかったですし」
それを聞いて一息ついたアルベマール公は、息子に自分の向かいの席に腰掛けるように言い、アランはそれに答えた。
「それで、パーティはどうだ? そろそろ慣れたか?」
アルベマール公は、まずそんな言葉を掛けた。
ガリエテ平原から無事に生還して以来この数か月間、大敗を誤魔化すように英雄として祭り上げられた息子への純粋な心配からきた言葉だった。
ただし、共にパーティ用の正装なれど、疲れ切って青い顔をする父親からいつも通りの笑顔の息子への言葉だということが多少の違和感を生じさせる原因ではあるのだが。
「数か月前よりもおじさまおばさま方が減って、腰の曲がった方々が少々増えて、それ以上に年の近い人たちがかなり増えたから居心地はかなり良くなりましたよ。ただ、顔を見たことのない方々が多くて、覚えるのが大変ですが」
そんな息子の返答に、父親は苦笑いを返すしかなかった。
それはまさに、父親が疲れきっている原因そのものでもあったからだ。
働き盛りの諸侯やその側近たちが帝国にことごとく討たれ、若すぎる一門やすでに引退した前当主などが引っ張り出されて跡を継ぐこととなった。その上引き継ぎもなしに数千人から数万人を抱える領地運営をいきなり押し付けられたとなれば、数か月と言うのは混乱を収めるのに全く足りなかった。
そうなれば、主戦線であったガリエテ平原から追いやられたことで結果的に派閥構成員が無事に生き残ったアルベマール派が影響力を伸ばすごとになるのだが、それにも限度がある。
リュクプール公やシュルーズベリー伯などの名立たる派閥の長が主要メンバーと共に死に、唯一無事な大派閥であるアルベマール派が埋めねばならない穴は、その能力を超えるものだったのだ。
「それで父上。パーティの途中に抜け出してまで、何ごとですか?」
「ああ、それだがな。二つある。まずは一つ目だが、お前が支払っている莫大な人件費でも定数一杯三千の兵を集められるだけの金は出す。直ちに兵を集め、練兵に入れ」
「直ちに? 帝国は北や南の備えもあって簡単に動けないでしょうし、王国だってしばらくは動くどころじゃないはずでしょう? 近々戦争の予定でもあるんですか?」
「西だ。近いうちに大攻勢に出る。そこにお前も出す。失敗しないことを最優先に、機会があれば積極的に手柄を狙え。一緒に送るうちの派閥の者たちには話を通しておく」
言われてアランは西方の情勢を思い返す。
王国のさらに西方にある小国家群が山地を利用して要塞線を築き、王国側がそれを突破できないままに十年以上が経過していたはず。
確か、ここしばらくは小康状態が続いていたはずだと思い出した辺りで、アランが口を開く。
「話を通すってことは、ガリエテ平原の戦いで祭り上げた僕にさらに功績を積み上げさせたいんですよね? 機会があればっておっしゃりますけど、こういう時って、もっとちゃんと段取りをしておくのでは?」
「……残念ながら、今の王国に西の要塞線を突破するほどの戦力を投入する余地はない」
「ああ、手じまいにするための戦いですか」
メンツが立つ程度に戦い、譲歩してでも国境を画定させる。
小国の集まりである敵方にしても、戦費負担は馬鹿にならない。特に、複数国が対等に結んだ同盟体制は、それぞれの利害調整も大変なはず。
国力からして攻勢に出ても勝ち目はないと見たからこその同盟であり、要塞線を使っての引きこもりであって、こちらが譲歩するならば向こうを納得させることも出来るだろう。
あとは、王国内や周辺国に対し、きちんと王国の威信をこれ以上落とさずにいられるか。
ここまでくると、国王と、その下で実権を振るう父親らの手腕次第だ。
そこまで考えれば、アランの頭にも、その狙いが見えてきていた。
「西方に備えている部隊を動かして、東方の帝国国境を固める――帝国相手に再戦ですか?」
「多少無理をしてでも、しなければ王国のメンツは丸つぶれだ。すでに一部諸侯には、このまま国王陛下に従っていて領地を守ってもらえるのかとの疑念が生じはじめている。今回の敗北は、流石に酷すぎたのだ。帝国相手に勝てずとも、まだ正面からぶつかり合える程度の力はあることを示せなければ、内政に集中する間にゆっくりと国が分裂しかねん。なに、西で戦っている間、帝国国境は私が押さえる。もめ事一つ起こさずに平穏を保ってみせるさ。それと、これは陛下からすでに内諾を頂いているが、お前にはこれらの戦いの中で時期を見て断絶したウェセックス伯爵家を継いでもらうことになる。公にしても不平が出ないよう、それまで英雄で居るのだぞ? だから、失敗はするな」
「伯爵位って、これまた太っ腹ですね」
「さあな。言い出したのは陛下だ。むしろ、お前の方こそ心当たりはないのか?」
言われ、考え込むアラン。
父親のアルベマール公としても心当たりなどないと思っての問いだったが、その予想に反してアランは「あっ」と声を上げた。
「ま、まさか、何かあるのか?」
「お茶を淹れた件かなあ、と」
「お茶?」
「ええ。十年ほど前、父上が当時王太子殿下だった陛下を避暑用の別宅に呼びつけてわざわざ待たせたときですよ」
「……いやまあ、なんで当時五歳かそこらのお前がお茶を淹れたのかは置いておくとしてだ。それが心当たりだと?」
「その時に自分に仕えないかと誘われたもので。手元で育てる気だったんですかね」
「へ? ……へぁ!? 聞いてないぞ!?」
「断ったので別にいいかな、と」
よくない! ――との叫びは、アルベマール公の胸の内に飲み込まれた。
今更問題になってるわけでもない昔のことを掘り返すような余裕は、今の王国にもアルベマール公自身にもなかったからである。
「で、父上。もう一つの話ってのは何ですか?」
「ん? ああ、それだがな。――お前が入れ込んでいるカール・フォン・マントイフェルについて聞きたい。何でもいい。知ってる限りを話してくれ」
「お兄さんについてですか? ガリエテ平原から帰って来た後もあまり興味を持っていただけなかった様子でしたけど、何かあったんですか?」
「これだ」
そう言ってアランに差し出されたのは、帝都にてしばらく前に発行された新聞だった。
一面は、その全部が何日か前に百年以上ぶりに生きて元帥に叙任されたという帝国の新聞記事が王都にまで届いていたエレーナ皇女殿下に関する記事。
これがどうしたのかと目を通したアランは途中から笑いをこらえ始め、すべてを読み終わったころには声を上げて大笑いしていた。
「こりゃすごいや! 自分へのインタビューで、よくもまあこんなことが出来るね! 部下が部下なら、皇女様も皇女様でイカれてるじゃないか! いや、器が大きいって言うべきかな? こんなの見せられて、やっと父上たちもお兄さんがガリエテ平原の立役者だって信じてくれる気になってくれたんです?」
「今でも、お前と年の変わらない若者にあれだけの大敗を喫したなどとは信じられん。いくら、シュルーズベリー派に大打撃を与えたマントイフェル城での戦いがあったとしてもな。だが、王国として、そして私個人として、無視するわけにはいかなくなったのも事実だ」
「まあ、父上たちがお兄さんに興味を持ってくれたのは嬉しいですが、実はお伝えできることはほとんど何もないんですよ」
息子からの思わぬ答えに、呆然としてしまう父親。
だが、すぐに気を取り直し、再び息子へと問いかけ始めた。
「いや、お前は以前からあれこれ調べていただろう?」
「アルベマール公爵家の三男坊が調べられる程度の情報、当主の父上なら簡単に知れるでしょう? 聞きたいのは、そんなことじゃない。僕とお兄さんがフーニィで出会った時のことのはず」
「そうだ。だからこそ、些細なことでも話してくれ」
「そうですね。では、一つ質問です。父上は、自分の領地を平民に預けることが出来ますか? 自分の手足としてではなく、自分の代理として全権を与えて、です」
「何をバカな。そんなこと出来るわけなかろう。それがどうした?」
「お兄さんは出来ると思いますよ」
思わぬ答えに、アルベマール公の表情が固まる。
「いや、何を言っているのだ?」
「お兄さん曰く、貴族にだって優劣があるように、平民だって教育すれば優秀なものは優秀なんだそうですよ。信じてるなんてほどの熱量はなかった。お兄さんにとっては、そう『知っている』んです。首をはねれば人は死ぬ、と同じくらいに当たり前なんですよ」
「いやそれは……本当か?」
「社会や、そのありようを権威づける聖剣教会にも喧嘩を売るような思想ですけど、本当ですよ。何がどうやったらあんな人間が生まれるのやらさっぱりですけど、一つだけわかります。お兄さんと敵対するなら、常識は一度捨てることです。――必要とあらば、祖国のありようすら鼻歌混じりにぶっ壊すくらいの滅茶苦茶はしかねないと思いますよ」
信じられない。
信じられないが、父親として、目の前で相変わらずの笑みを浮かべる息子が嘘をついているわけではないことは分かった。
想像を超えるとんでもない話ではあったが、アルベマール公としては一応目的は達した。
国王主催のパーティを抜け出している身としてこれ以上話し込むわけにもいかないこともあり、頃合いかとアルベマール公は立ち上がった。
「とりあえず、お前の話は参考にさせてもらおう。私は先に戻るから、お前は時間をずらして――」
「父上、一つよろしいですか?」
「うん? 別に構わんが」
そう言って、アルベマール公は再び腰を下ろした。
さっきまでの笑みとは打って変わって真剣な表情をする息子が何を言い出すのか気になったこともあるし、単に父親として息子の疑問に答えるべきと思ったからでもある。
「もう僕と父上が自宅で話せないほどに兄上たちは――いや、その取り巻きたちは危ないのですか?」
「それは……」
一瞬、アルベマール公の脳裏に、誤魔化しの言葉が浮かんだが、次の瞬間には消え去っていた。
わざわざ呼び止めてまで真剣な様子で問いかけてきたのは、アランの中では確信を持っているのだろうと理解したからである。
「アルベマール派閥の人たちは、普通に優秀な兄上たち二人のどちらかが次期アルベマール公爵だろうと見込んで、『エロバカ猿』な三男坊には見向きもしてなかったですからね。僕が急に英雄に祭り上げられて、多くの人は、いい気はしなかったはず。僕が次期公爵となれば、大波乱だ。伯爵位の件も、その関係では? 最終的に具体的な話は陛下から言ったとして、最初に僕をどこかの爵位に押し込んで後継争いから遠ざけようとしたのは、父上ではないですか?」
アルベマール公は、反応しない。
それでも、アランは構わず話を続けた。
「身内には筒抜けでも外に対してより確実に情報を隠せる自宅ではなく、パーティ会場に諸侯の目が向いてる真っ最中の王宮を使ったのは、話の内容どころか、僕と父上が話したことすらも隠したいから。もはや、身内にすら情報を流すタイミングに気を遣わないといけないんですね。父上がそれでも直接僕と話したのは、お兄さんについて生の証言を聞きたかったこともあるんでしょう。けれど、僕についてピリピリしてる中で、それぞれの諸侯のお家の未来にも関わる大きな利害を持つ公爵家の後継問題で完全に信用できる人は父上でもそう多いとは思えない。その数少ない人物と父上との密会と、その数少ない人物と僕との密会の二つを隠すより、この一回を隠す方を選んだ。違いますか?」
アルベマール公は、相変わらずの無表情である。
そうしてしばらくの沈黙を挟み、ようやく重々しく口を開いた。
「お前も、もう十五。成人している。そして、自らの力で英雄となって見せた。お前自身は味方を見捨てて得たなどと自嘲しているようだが、あの状況から一千の部下をほぼ生かして帰して見せた手腕は、間違いなく英雄たるもの。――だがそれでも、お前は私の子だ」
アランは、黙って父親の言葉を聞いている。
それを無言の促しと受け取り、父は息子へと言葉を続けた。
「家長として、家のことは私と母さんで上手く片付ける。お前はただ、つまらないことを気にせず、前だけ見ればいい。今回は、大人しく親に甘えておけ」
それだけを伝え、返事を待つことなくアルベマール公は席を立った。
「でも、父上――」
そんなアランの言葉を聞いても、アルベマール公は足を止めない。
「そんな『子ども』を祭り上げないと立ちいかないのがこの国なんですよ」
ここでちょうど扉を開けようとしていたアルベマール公の動きがほんのわずかな間だけ止まる。
「……それでも、お前が私と母さんの子であることは変わらない」
それだけを言い残すと、息子の顔を見ることもなく父親は部屋を出ていった。
(2017.08.18,19:15頃改訂)
中盤辺りで王国のメンツのために西方の戦力を東方の帝国国境に移動させて再戦するとアルベマール公が発言したところで、今回の大敗で国の信用にも疑念が生じ、王国諸侯に対して帝国とぶつかり合える程度にはまだ力があると示さねば国が分裂しかねない恐れもあることの説明を追加。




