第八話 ~戦いは未だ終わらず・上~
ガリエテ平原における戦いの勝敗は決した。
後は、俺たち帝国軍がどこまで完全な勝利を得ることができるかだけが問題である。
限定空間で数に勝る王国軍を混乱させ全面潰走に追い込んだとはいえ、大規模な混乱を生じさせるために敢えて逃げ道を作ったこともあり、人的損害は現時点ではそこまで大きくないはずだ。
ぬるい追撃をして再編されれば、再び数に勝る王国軍の優位が戻ってしまう。
しかも、王国側は、補給路を確保するために後方に部隊を展開しているはずで、今回の敗走部隊との合流のみならず、規模や兵科比率によっては後方に展開している部隊のみで集結されるだけでも面倒なことになる。
つまり、今回の勝利を戦場規模にとどめず戦争全体に影響を及ぼすものにするためには、速やかな敗残部隊への追撃と、敵が状況に気付く前に後方部隊を各個撃破する迅速さが求められる。
「騎兵部隊はとにかく敵陣中を駆け回って、敵の逃げ足を乱せ。歩兵は足を止めた連中から確実にかつ迅速に殲滅せよ。この状況ならば本陣の守りなど最小限で良い。三千も居ればいいだろう。残りは全員、敵が逃げ場も隠れる場もない回廊部を越える前に叩けるだけ叩け! 行け!」
そんな状況もあり、実質的指揮官たるマイセン辺境伯の命令も徹底したものとなった。
まあ、個人的にはここまでくればあまり心配はしてないんだけど。
今回の大勝利も想定された状況ではあったが、本命は、限定された空間に合わせて投じられたもっと小規模な王国軍の前衛を混乱させて潰走させ、その混乱が収まらぬうちにこっちも撤収して高まった士気のままに籠城戦に入るというもの。
敵が自分から前衛への投入兵力を非常識なまでに増やしてくれたおかげでこっちは万々歳だが、そのせいで中央突破を許しかけたわけで、敵の判断に対してはどうとも言えないんだけど。
それと、後方部隊が合流されたら面倒ってのも、この場に居る主力の戦闘部隊を潰してしまえば、所詮は支援用の部隊が寄り集まったところでこっちへの嫌がらせが精々だろう。
この辺も、ベテランたちの手腕に勉強させてもらおう。
このように、俺に限らず司令部全体に戦勝ムードが広がっていた。
「あれ?」
「なんだ、カール? どうかしたか?」
「いえ、マイセン辺境伯のところの領軍の動きがおかしいな、と。変なところで立ち止まってるような」
なんとなく状況を見ていた俺のつぶやきにエレーナ様が反応したので、素直に見たままを答える。
今はマイセン辺境伯の嫡男が当主に代わって指揮を執っている領軍の動きにつき、エレーナ様やマイセン辺境伯を始め何人かが目を向けるが、司令部の雰囲気はまだ変わらない。
状況を一変させたのは、ここでようやく飛び込んできた伝令からの報告であった。
「伝令! 王国軍の一千名ほどの一軍が、この本陣めがけて一直線に突っ込んできます! アルベマール公爵家の旗を掲げているのとのこと! すでにルースドルフ男爵、リーフェン子爵の軍勢が突破され、交戦中のマイセン辺境伯の軍勢も劣勢!」
配置からすれば、とどめとばかりに本陣周辺から送り出した最後の追撃部隊が、右翼方向から順にぶち抜かれているようだ。
それにしても、『アルベマール』である。
戦いの前には気付かなかった、いや、敢えて気付きたくなかった名前。
当主ではなくその子供たちの誰かが率いてるだろう軍勢となれば、可能性はある。
『ハッハッハッハ! これは凄いや! 大当たりだ! 同類同士、お兄さんとはいい友達になれそうだ!』
アラン・オブ・アルベマール。
まるでこっちの奥底まで見透かしてるんじゃないかって物言いだった、商都フーニィで偶然出会った少年。
……いや、落ち着け。
だったらどうしたってんだ。
俺の個人的印象なんて関係ない。相手は、なんの実績もない若者だぞ。『同類同士』っていっても、まさか向こうも転生者ってわけでもあるまいし。話の流れからしても、身分に対する捉え方とか、そっち方面についての発言だったと思うし。
だから、俺と違って中身も年齢相当のはずだ。仮に歴史に名を残すほどの才があろうと、脅威になるには色々と足りなすぎるはず。
「あ、抜かれた……」
誰のものとも分からない言葉に見れば、マイセン辺境伯の領軍を突破し、こちらへと向かって突き進む王国軍。
「馬鹿な、この状況でまだ戦争を続けるだけの士気を保てるだと……?」
「まさか、あの寡兵を率いているのは、アルベマールの当主自身であるとでもいうのか? いや、それでも非常識すぎる……」
呆然としながらついこぼれたとも言うべきこの司令部要員たちの言葉は、俺たちの総意と言ってもいいだろう。
なぜ、兵たちが素直に言うことを聞くのか。しかも、周囲が皆潰走する中、自分たちだけ逆走して、敵の本陣に突っ込むんだぞ?
そうして訳が分からずとも、動く者は動いている。
「あれは、ゴーテ子爵の旗。割って入ったか。当主も代々領軍指揮官の家も嫡男に恵まれたのが先代の晩年だったせいで両方代替わりしたばかりだが、まだ二十代前半の若者の割には、勝ちが決まって命が惜しいだろう戦意の低い兵を率いて割って入れただけよくやっているな。だが、隊列を大きく崩しての無理な攻勢では、こんな圧倒的劣勢でも統率を保ったまま戦争ができる敵相手にそう長くは抵抗できないだろう」
一子爵家の事情までスラスラ出てくるマイセン辺境伯の言葉通り、アルベマールの軍勢がマイセン辺境伯の軍勢を突破した矢先、マイセン辺境伯の軍勢の陰から飛び出してきたゴーテ子爵の軍勢が王国軍の攻勢を止めるために襲い掛かる。
ゴーテ子爵、つまりは姉上の嫁ぎ先。今もあの場で戦っているだろう義兄上が当主を務める家であり、領軍指揮官はギュンターの娘であり姉上の親友でもあるカルラの夫。我が家とは、俺が功績を挙げる前から付き合いの深い家だ。
そんな状況に、本陣に詰めていたもののほとんど発言のなかったおじいさまが動いた。
「恐れながら申し上げます。追撃を緩めれば後々への影響が大きすぎます。かと言って、本陣を下げれば本格的な敗走になる恐れもあり、むしろ危険かと。ここは、本陣を押し出し、こちらから先手を取りましょう」
建前も何もなく、名目上の指揮官のエレーナ様ではなく実質的指揮官のマイセン辺境伯に対してなされた献策。
一部隊指揮官としては、最善かはともかく悪くない策のはず。
でも、ここは総司令部。将たちを使える立場。
マイセン辺境伯も言った。考えるのをやめず、信じて我慢し、手を打つべき時をひたすらに待ち続けるのだと。
「わ、私からも献策申し上げます! 押し出すのではなく、むしろゴーテ子爵には、敵を通すように命ずるべきかと。追撃を緩めるべきではないですし、わずか一千の敵に多すぎる兵数でかかっても、敵と同じ過ちを繰り返すのみ。こちらの本陣で攻勢を受け止めている間に、ゴーテ子爵やすでに突破された方々に軍を再編させて後方から攻めさせ、包囲してしまうべきかと」
俺とおじいさまのそれぞれの献策を聞いたマイセン辺境伯は、しかし首を横に振る。
「どちらも聞くべきところはある。だがな――」
タイミングが良いのか悪いのか、ここで敵の動きを見張っていた人員が報告を挙げた。
「ゴーテ子爵、抜かれました!」
「そういうことだ。本陣と連携を取れるほどに彼らが耐えるには、状況が悪すぎる」
義兄上は大丈夫か? いや、むしろ敵には各部隊の大将首を一々狙う余裕はないはず。
さっさと抜かれたなら、逆に大丈夫か。
そこで、マイセン辺境伯がすっと右手を上げる。
司令部の一同が自然とマイセン辺境伯に注目した。
「先ほどの献策、概ね容れよう。追撃は続行、本陣が敵を受け止め、突破された部隊には再編次第敵の後方を突かせ、包囲する。敵は待ってくれんぞ、行け!」
「「「「「はっ!」」」」」
命令に対し、各員がなすべきことをなすために動き出す。
動き出すのは良いんだけどな。
「何やってるんです、エレーナ様!?」
「!? カ、カール! い、いや、そのだな……」
役目を果たすために大きく動き出した人たちに紛れ動く少女が一人。
形式上は総大将なはずの、我らが第三皇女殿下である。
「そ、そう! 総大将として、兵たちを鼓舞しようとだな――」
「それ、総大将の仕事じゃないですから。シェムール川の時とはお立場が違いすぎます。ここで構えていてください」
「……」
「……」
皆が動く中、本陣に入って控える親衛隊の少女たちの視線が集まる中でのにらみ合い。
先に動いたのは、俺だった。
「親衛隊、エレーナ様を取り押さえろ! 総大将らしく、本陣に控えていただけ!」
「な、なんだと!?」
なんだかんだ言いながらすでに一歩動いていたエレーナさまを、間一髪親衛隊員たちの飛びかかりが捉える。
一人二人と投げ飛ばされるが、最後には五人がかりでなんとか押さえ込まれた。
俺? ほら、嫁入り前の皇女を男が押さえ込むとかシャレにならないし。
その辺で見て見ぬふりをしてる大人たちがたくさんいるしな。
決して、押さえ込もうとして女の子に投げ飛ばされたらかっこ悪いからとか、そんな理由ではない。
「お、お前たち! 私を裏切るのか!?」
「教官のおっしゃる通りです! お気持ちは分かりますが、今回ばかりは!」
「ハンナ、ちょっとだけ! ちょっと前線で兵の動揺を鎮めるだけだから!」
「絶対それだけで終わらせる気じゃないですよね!? 向かってくる敵部隊に斬り込む気満々じゃないですか!?」
「気持ちは非常に、ひっじょーにっ! よく分かりますが、先の南方とはお立場が違いすぎます」
「フィーネまで!?」
親友たちまで敵に回ったエレーナ様が次にどう動くか。
もちろん、元凶への訴えかけだ。
「カール! ほら、戦わないから、戦わないから! 士気の落ちてる味方を元気づけるだけだから!」
「じゃあ、私が様子を見てきます」
「……は?」
そのまま俺は駆け出した。
ちらっと見れば、さり気なく目を逸らすマイセン辺境伯。黙認してくれるのだろう。
「カールだけズルいぞ! くそぅ、くそぅ!」
そんな怨嗟の声に見送られながら馬で駆けると、よく見知った背中がすぐ見える。
「ギュンター!」
「カール様!? どうしてここに?」
「ちょっと様子をな」
言ってうちの私兵たちを見渡せば、見るからに腰が引けてる連中が。
「おお! 親分じゃないか! みんな、恥ずかしいところは見せられんぞ!」
途中でそんな風にホルガ―がわざとらしく言っても、反応は薄い。
死闘を乗り越えた先に思いもよらぬ死闘があると言われた衝撃は、思った以上に大きいらしい。
まあ、勝ち戦で死にたくないのもあるだろうし、こればかりはどうしようもない。
「そろそろか――弓隊、構え!」
ギュンターの合図で、弓兵たちが矢をつがえる。
うちの私兵団の左右の部隊も、同じように動いているようだ。
「矢筒、中身が少ないな」
「先ほどの反撃で最後のつもりでしたから。投石用の石は、投石兵以外の連中も投げまくったので、すでに在庫がないです」
ここまで来れば、現状の備えでやるしかない。
エレーナ様を失えば皇族を討たれたってことでどうなるか分からないし、長く西方を支えてきた実質指揮官のマイセン辺境伯を失えばこの先の追撃戦に支障が出る。
なんとしても、この二人は守りきらねばならない。
どうすべきか――そんな考えは、またもや起きた思わぬ事態に中断されることとなる。
「は? 逸れていく?」
弓隊が構えた直後、こちらへ一直線に駆け抜けていた敵が、脇をすり抜けるような進路へと変更する。
……何はともあれ、助かった?
「ん? いや違う、お前たち気を抜くな! 一騎、こちらへ向かってくるぞ!」
ギュンターの声に正面を見れば、確かに集団からはぐれて一騎こちらへ来る。
そして、その一騎に少し遅れ、五騎が進路を変えてこちらへ向かってくる。
いったい、どういうつもりだ?




