第七話 ~ガリエテ平原の戦い・下~
ネタバレ(?)要素があるかもしれないので、修正点は後書きに。(2017.6.18 13:20頃さらに追加)
潰走する兵たちと踏みとどまる兵たちがぶつかり合って大混乱な王国軍の布陣の最外縁部。
近くの味方がことごとく突撃した結果として半ば孤立し、しかしそのおかげで混乱に巻き込まれずに済んだ、一千名ほどの集団が居た。
素人目にすら勝てるはずの戦いが一転して危機となっているが、その集団の雰囲気は落ち着いたものであった。
「本当に、どうすればいいんだろうね?」
状況に似合わない笑顔で、集団の長である連隊長がそんなことを言いつつ空気を和ませていることも一因かもしれない。
「アランさま? 失礼を承知で申しますが、今は御身の危機です。もう少し真剣に願います。我々はともかく、あなただけでも無事に――」
「そりゃ、真剣な顔してたら何か思いつくならそうするけど、僕にそんな便利機能はついてないんだ。だったら、少しでも雰囲気和らげる方が建設的だよね、カレン?」
そう言って笑顔を浮かべる主人に、側付きメイドはため息一つで引き下がるしかなかった。
この度を超えた大らかさがなんとかならないものかと思いつつも、それも含めて忠誠を誓うにふさわしいと思っている時点で、ある種敗北してしまっているに等しかった。
そもそも、カレンの本分はメイドである。礼儀作法など貴人の側付きとして必要不可欠な訓練の合間に、(あくまでアルベマール公爵家基準で)最低限の戦闘訓練を受けたのみである。
護衛としての職分もこなすことが求められているが、それはあくまで本職の護衛を連れ込むのは無粋な場でのものであって、少なくとも武装した兵隊を堂々と何人も周囲につけられる場所では求められていない。
むしろ、鎧に身を包んでいる今のカレンは、一見武装してないことで場の雰囲気を壊さないとの護衛メイドの利点を失い、護衛の心得を一応は身につけているだけの少女であって、本職の護衛に劣る存在である。
戦場についていくのは筋違いな自分が、主人の初陣が心配すぎてしれっと紛れ込んでも見逃されているのは、この大らかさがあるからこそ。
それを考えれば、これ以上何かを言えなかった。
言っても聞いてくれないとの、経験から来る諦めもあったりするが。
「にしても、相変わらずお兄さんはすごいね。四倍以上の敵に、籠城じゃなくて正面から野戦を挑んで、現実に策が失敗しうる危険な時もあったのに、それも乗り越えて大勝利だ。味方の敗北でもあるから不謹慎だろうけど、許されるなら拍手でも送りたいね」
「おや、連隊長は敵の指揮官と面識がお有りで? 確か皇族のはずですが、王家にも近い家柄ともなると、高貴な者同士で仲の悪い隣国の皇族ともつながりがあるものなんですか?」
見事に鍛え上げられた肉体を分厚い鎧で覆う中年男性である副連隊長の勘違いに、現実よりもそっちの方が確かにありそうだと思いつつ、アランは言葉を発した。
「まず、敵の指揮官は第三皇女のエレーナ。残念ながら面識はないし、『お兄さん』って呼び方には当てはまらないね」
「……どうして分かるんです? 確か、軍議でも帝室一門の誰が出てるかまでは不明だったはずですが?」
「別に、聞かれたら答えたよ? むしろ、父上のごり押しでねじ込まれた僕は、無駄に血筋が良いので初陣で死なせると面倒、しかも今回の遠征軍幹部とは派閥同士が拮抗してて手柄を上げさせたくもないお邪魔虫扱いだからね。気を遣って黙ってたんだよ。まあ、お兄さんの名前を含めて出したところで、有利過ぎる今回の戦いで何が変わることのなかっただろうけど」
聞かされた副連隊長は、その点については同意して頷く。
普通に考えて負けようのない戦力があり、皇族の首まで示されて、戦う以外の結論はあり得ないし、皇族の首を巡っての戦後を見据えた争いも起こらない要素がないからだ。
「で、どうして分かるかだけどね。本陣の黒龍紅旗の隣少し低いところにマントイフェル家の旗印が並んでいるんだよ。マントイフェル家で皇族に直接仕えるのはただ一人、その嫡男のみ。つまり、僕の言うお兄さんってのは、副連隊長もよく知ってる人物だよ」
「ああ、あの……。ええ、よく覚えてますよ。何せ、私が失職した原因ですから。シュルーズベリー家の嫡男と共に、マントイフェル城へと赴いたあの日のことは、忘れられませんとも」
副連隊長は、カールの初陣の際に交渉役の護衛として共に訪れ、その後の混乱を経て、シュルーズベリー家を解雇された身の上であった。
恨みに思っているようなことはなくとも、交渉の場で言葉を発する前に拳で返事をするなどという非常識に加え、その後の地獄絵図を思えば、忘れたくとも忘れられない相手である。
「にしても、驚きましたな。あの時の若者とアランさまでは身分が違いすぎる。まさか繋がりがあったとは」
「僕も驚いたよ。訳ありでどこぞの貴族のところをクビになったかなりの実力者としか聞いてなかったけど、今回の行軍中にシュルーズベリー伯とコソコソ会ってたからじいやに聞いてみれば、嫡男付きの護衛兼相談役だって言われたんだもの」
空気が凍る。
内通していたんだろうと宣告されたに等しい副連隊長は冷や汗をかき、アランの後ろに控えるメイドが、動きやすいように体勢を整えている。
「連隊長、誓って言いますが、確かに色々と誘われはしましたが、理不尽に責任を押し付けてクビにした連中相手にあなたやあなたの家のことを売ってなんかいません」
「知ってるよ、うちの父上も経歴を考えれば想定して対策なりしてるはずだし、僕もできる限りは調べたしね。だからカレンも殺気を抑えようか」
「……かしこまりました」
「おお! さすがは連隊長! 若く聡明で金払いも良いあなたのような上司に恵まれ、本当に私は幸運ですよ!」
「金払いは良すぎですがな。給料の満額支払にこだわって定数の三分の一しか兵数を集められなかったのはどうかと」
「いやいや、じいや。そこは必要経費だよ。父上だって利権を与えて派閥の子飼いの貴族たちの士気を上げてるだろう? それと同じで、貰うものを貰った方がやる気が出るに決まってるんだから」
世話役の老兵の言葉へのアランの回答に、誰も何も反応しない。
否定すれば主君の思想の否定となるし、肯定すれば貴族とその辺の兵士を同列に並べて扱うこととなり、現在の階級社会の否定ともとられかねない。
その階級社会だからこそ血筋に守られているアランと違い、他の者たちは関わるだけ損しかしないからこそ黙っていた。
そんな空気を換えようと、副連隊長が再び口を開いた。
「しかし、あのカール・フォン・マントイフェルは、最初は短気な考えなしかとも思いましたが、結果を見れば情に厚いだけで頭自身は良く回るんだろうと思います。しかし、いくら才があろうと、経験もない十代の若者に、万単位の軍勢の各指揮官が皆従いますか? いくら皇女の威光があろうと、その皇女も無名ですからな」
「誰かが手を加えたかもしれないし、実際に戦場で指揮を執ったのは別人だったとしても、発案はお兄さんで間違いないよ。四倍の敵を相手に正面から野戦でぶつかり合って勝とうなんて発想を持って、しかもそれを実現する道筋を示せる変態が帝国西方に二人も三人も居るなら、先の侵攻戦はマントイフェル領で別働隊が足止めされる前に王国軍の大敗北で終わってるよ。――本当に、そうであってほしいって願望も込みだけどね。こっちはこの戦いでとんでもないことになるのは決定的なんだ。新たな天才が敵に湧いて出るなんて、勘弁してほしいよ」
この場に居る王国軍は、いずれも一線級の現在の王国を支えるべき精鋭か、将来を期待される次世代の精鋭たちがほとんど。
それが、回廊内という逃げ場の限られた空間の中で混乱し追撃されれば、まともに抵抗もできずに殺されるだろうことは明白。場合によっては、当主に嫡男、重臣まで含めて死に絶えるような家もいくつも出るかもしれない。
更に、無事に回廊を抜けても、統制を回復する間もなく帝国領内で続く追撃から逃げねばならず、補給路を確保するために後方で分散する者たちも慣れぬ敵地で合流する間もなく各個に叩かれるだろう。
現場クラスから上級クラスまで、指揮官の育成に年単位では済まない時間がかかることも考えれば、再建にどれほどの時間がかかるか。せめて、一人でも多くの人間が生き延びることを祈るしかない。
加えて、西からの圧力がなくなれば、帝国が自由に動かせる戦力は大幅に増え、北と南から攻め込む連合王国や南洋連合の戦略優位も崩れてしまい、撤兵することになるだろう。数年がかりの大戦争をわずか数週間で終わらせた原因との汚名まで背負わされるのだ。地域の覇権国たる帝国への押さえとしての役割があることから具体的に何かをされたりはないだろうが、王国の権威は大きく傷つくだろう。
メイドに過ぎず政治や軍事について専門的に学んでいるわけではないカレン以外の、この場の者たちは、それが理解できるからこそ頭を抱えた。
アランは相変わらずの笑みを浮かべるが、それでも心の中では先行きを考えると頭を抱えるばかりである。
「あの、一つよろしいでしょうか?」
そんな時に挙手で発言を求める一人の青年が居た。
今回の軍議に参加する最後の一人であり、連隊長のアランの次に年若い青年である。
「もちろん。連隊付き士官って肩書があるんだから、当然だよ」
「では、遠慮なく。――そろそろ周囲の数少ない味方も討ち果たされて、我々の順番が来る頃だと思うんです。明日の王国の行方よりも、今日の我々の取るべき手段を相談すべきでは?」
「あー、うん。そうだね……」
この上なく正論ではあるが、その取るべき方策が思い浮かばないからこそ話がそれていたのである。
みんなが現実を思い出してまた頭を抱える中、アランは顔の横で立てた右手の人差し指をくるくる回しながら思考を詰めていた。
「やっぱり、逃げるしかないんだよなぁ……。うん、そうだ。逃げよう」
ここまでであれば、表現の問題くらいで内容に異を唱える者は居ない。
「あっちに」
「「「……は?」」」
そう言いながらアランが指差すのは、敵本陣の方角。
直前の発言と明らかに矛盾する言葉に、他の者は言葉もなかった。
「……あ、フーニィから王都への交易ルート」
「その通り。たぶん、一番安全な逃走ルートだよ」
気付いた連隊付き士官の言葉に続け、アランが手短に説明する。
味方が道を塞いでいるうえに敵の追撃も激しい後方ではなく、進むことのできない側方でもなく、勝った気になり今更死にたくはないだろう敵兵たちの中を奇襲的に突破して道を作り、敵本陣をかすめて逃亡。
突破の際の損耗も差し引けば千人にも満たない小部隊など、各地に残る最低限の守備隊で守り抜くくらいはできる。ならば、再結集されれば面倒な本隊や後方部隊の追討に全力を注ぐはず。
大軍を動かすには向いていない道ではあるが、千人未満の集団ならば、後先考えずにひたすら逃げるくらいはできないこともないはず。
「その後は、フーニィの脇をかすめ、湖を東回りに陸路で進む。そのまま、王国との陸上交易路を行こう。なに、兵力をここに動員されて領地の守りが手薄って言い訳がある上に、僕は長い不況にある帝国西方で数少ない金の生る木である王国との交易の元締めアルベマール公爵家の一門だよ? こっちから喧嘩売ったり何か要求しないなら、こんな厄ネタに手を出すバカは居ないと思うよ」
確かに、成功の目は十分に思える。
それでも、危険は少なくない。
「坊ちゃま、降参との選択肢もあります」
だから、世話役として長年仕えてきた老兵は、あえて問うた。
「じいや、ないよ。それはない」
表面上は余裕を持っていたアランが、表情を引き締めた。
突然の変化に、その場の全員が思わず息を飲んだ。
アランは、まず指を一本立てる。
「まず一つ。掃討戦に入って勢いに乗る前線の敵兵相手に降伏だって言って、聞いてもらえる状態だとは思えない。ちょっと、分が悪すぎる賭けだ」
続いて、もう一本指が立てられる。
「そしてもう一つ。こっちがより重要なんだけどね」
重苦しい言い方に、場は一層アランに呑まれた。
皆が息も忘れて注目する中、言葉が紡がれる。
「この戦いは伝説になる。いや、伝説の始まりになりうる戦いだ! 仮に生きて帰れたとして、僕らにとって不名誉な戦場から多額の身代金と引き換えに帰った三男坊なんて、もう戦場に出してくれやしないに決まってる! 冗談じゃない!」
聞き入っていた全員が、思わず呆れかえってしまう。
「いや、アランさまらしいといえば、そうなのでしょうか?」
「……思っていても、言わぬ方が良いこともある」
そんなメイドと世話役の老兵のやり取りを経て、陣内が連隊長たるアランの意思を叶えるために動き始める。
坊ちゃまの金払いの良さも、この様な劣勢でなお統率を失わない士気の高さに繋がってしまった以上、結果的には良かったのかと思いながら老兵が去り、副連隊長や連隊付き士官の青年も去った後。
「ねえ、カレン。一つ、頼みがあるんだ」
「はい、なんなりと」
この状況で主からの命令とくれば、重要なものに違いない。
場合によっては、命どころか女としての尊厳すらも犠牲にすることを覚悟しつつ、カレンは命令を待った。
「紙とペンを用意してくれ」
「はっ! ……は?」
『大軍を動かすには向いていない道ではあるが、千人未満の集団ならば、後先考えずにひたすら逃げるくらいは出来ないこともないはず。』
と、アラン君が作戦を説明する際、フーニィから王都までの交易ルートについて説明する部分を足しました。
(2017.6.17 23:44頃)
序盤のカレンがアラン君のおおらかさを嘆いたシーンで、カレンの護衛としての仕事について触れてる内容が分かりにくかったので、加筆修正。
(2017.6.18 13:20頃)




