第五話 ~ガリエテ平原の戦い・上~
~本章、ここまでのあらすじ~
シェムール川で大勝し大喜びで帝都に帰ったエレーナは、父に嫁入りを宣告され、母方の実家のある西方へと送られてしまう。
そこで失意の中に居るエレーナ一行に、王国軍動くの報が。
カール君の、その状況を利用して西方の軍権を一時的に乗っ取って実績を作ってしまおうとの趣旨の策にエレーナ様が乗り、西方を取り仕切るマイセン辺境伯も(気が付けば)乗り気にさせてしまい、いざ戦争へ。
その際、カール君の強がりから出された策が本当に迎撃策の骨子として採用されるなんてカール君的予想外の大事件を越え、ついに両軍はガリエテ平原にて対陣する。
戦力差は圧倒的、周辺国の示し合わせたような同時侵攻への対応で手いっぱいで味方の援軍すら望めない中、ついに戦いが始まる。
「シュルーズベリーにダービー、ヘレフォードなど、どの部隊の旗印も英雄と呼ばれるにふさわしい勇名持ちばかり。しかも総大将は、名将リュクプール公。数はこちらの三万ほどに比べ、ざっと十万から十二万。王国は南西の小国連合との小競り合いが続いてそちらに戦力を張り付けねばならず、帝国との北西・南西国境からもそれぞれ五~六万程度の部隊を送り込んでいるそうだ。それで、正面戦力だけでこの場に十万以上を投じる。――先の西方への侵攻での王国の損害をも考えれば、質・量ともに今の王国の出せる最大限と言えるだろう」
こちらが決戦場として選んだ舞台、ガリエテ平原。
その西端であり、ガリエテ回廊の出口に当たる両側に山が迫った地において、篝火と月明かりに照らされる中、今日の夕方前に着陣した王国軍と戦うための最後の軍議が行われていた。
予想通りと言えばそうなんだけど、俺の初陣の時に部隊を分散して主力の一部が決戦に遅参した反省からか、王国軍は主力が一丸でやってきた。
そこまで甘くはないと思ってたけど、分断からの各個撃破なんて簡単にはやらせてくれないよな。
俺? 部隊を率いる諸侯たちが軒並み集められた中、相変わらずエレーナ様とは別に用意されたおじいさまの隣の席で、じっと気配を消してますが何か?
ほんと、部隊を率いる者って言っても貴族の当主格しか居ない場に、なんで実家の当主の代理とかではなく別に嫡男の席があるんですかねぇ……。
「リュクプール、シュルーズベリーにダービー、アルベマール。王国の四名将がそろい踏みとは、王国も奇襲的な手法で攻め込んだのにあっさり敗れた先の戦いの雪辱に、よほど燃えていると見える。よほど我らが恐ろしいのだな」
「いや、アルベマールは違うぞ。南西のラウジッツ戦線から、敵の総大将が四名将のアルベマール公爵と情報があったはず。家紋を背負うことが許されているのだから、その子供の誰かだろう。それにしても、公爵家の縁者がたった千人ほどの部隊を率いて出てきているのも不思議だがな」
「なるほど、四名将は揃い踏みならず、か。これは残念だ。それぐらいで無ければ、王国の弱兵どもなど相手にならんからな」
上座の方の老将二人の会話に、乾いた笑いがちらほら漏れる。
さすがに、空気が固い。
策があろうとなんだろうと、どう見ても不利なのは明らかなのだ。
素なのか狙ってかは分からないが、空気が変わらなかったのが結果である。
「なんだ、みんな。元気がないな。どうしたのだ? まるでこれから勝ち目のない戦いに無駄死にでも逝くようではないか」
こんな状況で、こんな能天気な発言をしたのは誰かって?
我らがエレーナ皇女殿下です。
本当は黙って立ってないといけない親衛隊副隊長兼秘書のハンナが慌てて耳打ちしてるけど、それを聞いて、なんで見るからに首を傾げて不思議そうにしているのか。
話の中身は下座からじゃ聞こえないけど、たぶんおかしいのはエレーナさまの方なんだろうって気がする。
とにかく、遠く手助けのしようがない俺にできるのは、この場で失礼のないようにすることだけだ。
フォロー? 皇女くらいの周りを黙らせられるような身分がなけりゃ、この重苦しくピリピリした空気の中で下手なことを言いたくないです。
いくつかくっ付けた長机を囲む数十人の、下座の方に居るたった一人なんだし、黙ってれば平穏に終わるはず!
「そこなマントイフェル家嫡男カールは、初陣において、わずか五百にも満たぬ寡兵で三万の王国軍を終始翻弄して見せたのは知っておるだろう? 今回は、そのカールが立てた作戦だ」
ひぃっ!?
後生ですんで、ここで俺に話を振らないでエレーナ様!
みんなこっち見てるじゃないか!
「王国側はその時の四倍ほどしか居ないのに、こちらは百倍ほども居るのだぞ。しかも、何度も王国と戦い抜いた西方守護の精兵たち! ただの雑兵ではないのだ! 王国の将が多少良かろうと、その程度で我らの有利の何が揺らぐというのだ!」
冷静に考えれば、だからどうしたと思うものが少なくないだろう。
でも、確かに空気は和らいだ。
「そうだ、皇女殿下の言うとおりだ」
「準備は十分にしたのです。勝てるに決まっておりましたな!」
何が効いたかと言われれば、エレーナ様がほんのわずかの疑いもなく自身の発言を真実だと信じていたからだろう。
正確には、見ている方には、そうとしか見えなかった。
彼女の自信が、聞いている方にもやれるかもしれないと思わせてくれるのだ。
王国軍が布陣し始めた夕方ごろに二人きりになったときにこっちの胃を痛めてくれた信頼が、この場では最高の結果をもたらしたと言えるだろう。
いやまあ、俺の胃は無駄にキリキリ痛むんですが。
「どうやら、遠距離戦が始まったようです」
「そうか」
軍議の翌朝、日の出と共に戦いは始まった。
指揮を執るための視界を確保するため自身の幕僚と共に馬に乗るマイセン辺境伯の公式の場だからこその敬語での語りかけに、エレーナ様としては精一杯頑張ったんだろう、彼女なりの重々しい返事で答える。
両側の通行不可領域の間の空間のほぼ端から端まで横に並んだ隊列の中央にある本陣には、エレーナ様の親衛隊にマイセン辺境伯とその参謀たち、そして俺とおじいさまだ。
ギュンターや俺の私兵たちは、前線の一部に組み込まれて戦っているので居ない。
エレーナ様の推挙やシェムール川の戦いでの激闘、そしてマイセン辺境伯自身が実際に動きを見た結果、練度十分として俺の私兵団は本陣正面を守る部隊の一つとして作戦に組み込まれたのだ。そして、俺自身はエレーナ様の知恵袋として本陣留め置きである。
おじいさまは、領軍よりも多いうえに皇女殿下直卒なんて箔の付いた俺の私兵団のおまけ扱いされて、気付いたらこうなってたらしい。だからと言って、マイセン辺境伯の幕僚が仕切る本陣で口出しすることがあるわけがない。結果、祖父と孫、揃って置物である。
そうこうしてる間にも戦いは進む。
投石や弓矢の応酬に始まり、少し距離が詰まって射程に入ると魔法も加わる撃ち合い。
更に距離が詰まると、ついに近接戦闘の開始である。
「近接戦に移るのが早いな。エサは十分効いているか……」
マイセン辺境伯のそんなつぶやきが聞こえてきた。
万単位の大部隊のぶつかり合いが初めての俺には分からないけど、その道のベテランが言うからには遠距離戦の終わりが相場より早いのは確かなんだろう。
そして、王国の気を逸らせるエサとは、『黒竜紅旗』とも呼ばれる、紅地に黒い龍が描かれた帝室の旗。ここに皇族が居ると示す、本陣及びエレーナ様の親衛隊が掲げ、エレーナ様の直卒扱いの俺の私兵団もマントイフェル家の旗と共に今回掲げるものである。
つまり、ここに特上の手柄首があると敵に知らせているのだ。
そんな戦いの序盤は、遠目に見える景色と伝令によって本陣でも把握される。
両翼には歩兵部隊が押し寄せ、中央には重騎兵部隊による十分な速度を得た騎馬突撃が襲い掛かった。
銀竜騎士団と呼ばれる、帝国においても名の通っているらしい王国中央軍の精鋭騎馬部隊。
文字通り銀色の鎧で固めた兵士たちの攻撃は、本陣正面を守る部隊たちの槍衾によって受け止められる。
重さに速さ、デカさまで兼ね備えたやつらに歩兵が挑むなんて俺なら逃げるけど、しっかりと仕事を果たしてくれている味方には、感謝の言葉をどれだけ送っても足りない。
今回、こちらの騎馬部隊は戦略予備に回してある。両翼に空間がなく包囲機動がないことから最初から投入の必要がないだろうことと、ずっと後の出番のためだ。
中央を抜かれたら彼らに頼るしかないが、そうなれば勝敗が望ましくない形でついたことを意味する。そんな時が来ないことを祈るばかりだ。
「もう良いだろう。伝令、各部隊に予定通りに後退を開始すると伝えよ」
そんなマイセン辺境伯の指示が飛びしばらくすると、横一列の隊列の中央付近から徐々に、後退せずに踏ん張る両翼を起点に弧を描くように部隊が後退を始めた。
下手をすれば勢いに乗った敵によって一気に全面潰走に追い込まれたり、兵の練度や士気が低いと兵たちが勝手に潰走したりする危険もあるが、きちんと『整然とはしてるように見えないように』上手く後退している。
「ご当主様、中央の部隊の後退の足並みがいささか揃ってないように思われます。早めに修正なさっておくべきかと」
「そうだな……伝令! エレーナ殿下の部隊に伝えよ! 周囲の部隊の後退が予定よりも早い、足並みをそろえて予定よりも早く後退せよと!」
そうして伝令が放たれるが、言われて部下たちが気になって馬に乗った俺にはどう見てもそこまで乱れているようには見えなかった。
しかし少し見ていると、確かに俺の私兵団だけが少しばかり後退速度が乱れて突出した形になり、そこで伝令が到着したのか、すぐに修正される。
無線なんかがないから命令のラグも計算しないといけないんだけど、だからってよく分かったな。さすがの経験である。
「しかし、支えきれずに一部隊だけ押し込まれるならともかく、他が押し込まれる中で唯一踏みとどまったが故に孤立しかけるなど、かなりの練度と士気がなければありえぬこと。――マントイフェル家の跡取りは、中々よい部隊を作った。現当主として、鼻が高いのでは?」
「ええ。私などにはもったいない、立派な孫でございます」
もう十分だと馬から降りようとする中でそんな恥ずかしい会話がなされているのに、一言もの足りない。
何事かと慌ててそちらを見れば、なんのことはなかった。
「あの、エレーナ様?」
「!? な、なんだ、カール!?」
「今回の戦いでは、エレーナ様は直接戦わない。覚えてますか?」
「な、なななな、何を言っている! と、ととととと当然ではないか!」
まあ、だったら良いけど。
前線に飛び出したくなってうずうずして人の話を聞かなかったくらいは、お飾りの司令官として本陣に居るだけの簡単なお仕事を果たしているうちは見逃しておこう。
『いざ』がないように頼む、とハンナや親衛隊長のフィーネとアイコンタクトを取っていると、なぜか周囲が騒がしい。
何事かと周囲を探っていると、続いて伝令が転がり込んでくる。
「て、敵第二陣が突撃を開始しました! こちらに押し寄せてきます!」
本陣の一同が、視界を確保せんと慌てて馬に乗り、遠目にその光景を見た。
雲霞の如く突っ込んでくる王国の兵隊たちは、秩序も何も知ったことかとばかりに味方の隙間をこじ開け、遮二無二突っ込んでくる。
統率も何もあったものじゃない動きは王国側も大変だろうが、勢いだけはあるその攻撃は、こっちにはもっと大変だ。
押しに押され、さっきまでよりも明らかに後退速度が上がる味方部隊。今はまだ崩れていないが、いつ崩れてもおかしくないようにも見える。
敵の損害が増えようと、同等か向こうが少し多いくらいでは、絶対数で圧倒的に負けるこちらが先に力尽きるのは自明。
しかも、どこか一ヵ所でも突き破られれば、まだ控える王国軍と中央突破からの背面展開した敵に挟まれて殲滅されるのを待つだけ。
くそっ、こんな限られた空間で、優勢な王国軍が無理攻めをしてまで短期決戦にこだわるなんて誰も計算してないぞ。
第一陣が乗ってきた場合や慎重を期してさっさと後退した場合とかは想定してるけど、味方まで混乱するような無理攻めを優勢な王国がするなんて、ここで勝っても城攻めや帝国中央軍との戦いも控えてるだろう王国の選択肢にあるなんて予想外過ぎる!
こっちは賭けに出る身で、あまりにも可能性の低い手に出ることまで考えてられなかったとは言え、現に王国軍の半数か、下手したらそれ以上が一気に突っ込んできちまってるんだ。
どうする?
どうすれば良い?
いっそ、この段階でアレを切るか?
いやでも……。
あーもうっ!




