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第二話 ~老いた獣~

「公的な場以外では皇女ではなく一人の孫娘として厳しくされたりもしたが、おじいさまはあれで優しい方だからな。私からもカールのことは褒めておいたし。だから大丈夫だ!」


 全然大丈夫じゃない話を聞きつつ、苦しい笑みを張り付けながら、早足のエレーナ様に引っ張られるようにマイセン辺境伯の居城内を進んでいく。

 優しいって孫自身に断言されるほどに孫を可愛がっていて、その孫が軍事系に関わるのを明確に嫌がってるおじいちゃん。そんな人物に二人きりで会いたいと呼び出された孫娘の側近(ってことになってる男)的に、むしろエレーナ様の援護が火に注がれた油のような気しかしない。


 城内を進めば、俺はともかく、エレーナ様が皇女と知ってか知らでか、時たますれ違う役人や使用人たちは、こちらへのあいさつもなく足早あしばやに去っていく。

 戦争目前とあって、どこもかしこも忙しいようだ。

 帝国と王国は常に緊張関係とはいえ、国内を軍事態勢に移行させる動員令の発令は、開戦の意思を示す決定的な一手。こちらも少しでも早く対抗するため、礼儀がどうの言ってる場合ではないのだろう。


 そうこうしながらたどり着いたのは、他に比べて明らかに豪華な意匠の扉。

 謁見の間って場所とも思えないし、役人たちが駆け回ってる区画にあることから、辺境伯の執務室だろうか。


「おじいさま! カールを連れてきました!」

「え!? いや、ちょ――」


「入れ」


 心の準備もできないままに室内から重々しい返事が来て、完全に入らねばならない空気に。


 救いを求めてエレーナ様の方を見れば、目が合った瞬間に首をかしげられ、何かに気付いたようにハッとする皇女様。なぜか、そのまま腕を組み重々しく頷いている。

 何に気付いたのやら分からないが、俺の思いは欠片も伝わってないことは分かった。

 うん、知ってたけどね。今更助けてもらえることはないって。


 腹をくくり、ドアノブへと手を掛け、ゆっくりと開いていく。


「し、失礼しまーす……」

「中で少し待て。すぐに終わる」

「あ、はい」


 目上相手に直接目線を上げて入室するのは失礼なので目を伏せながら開けた時、室内から放たれた言葉に反射的に答える。

 部屋の構造を知らないことから、そのままでは進むにも進めないので目線を上げてちょっとばかり様子を窺えば、タイミングが良いのか悪いのか目が合う。

 そのまま入口の側にある来客応対用だろうソファを指差された。そこに座ってろってことだろうか。


 部屋の外にエレーナ様を置いて一人で室内に入った俺はソファに座る。

 ペンの走る音だけが響く時間は、そう長くはなかった。


「さて、待たせたな」

「い、いえ! そんなことはありません!」


 目下の俺への気遣いの言葉に、そこまで悪くない雰囲気だとも思えるだろう。

 向かいのソファに座る巨体の老人から発される、震えあがるような威圧感がなければな。


 冷や汗が止まらない。

 この老人が、敗北したとはいえ、中央で帝国のすべてを差配する地位に最も近いところへと一度は上り詰めた人物なのだと肌で分かった。

 むしろ、こんな人物ですら、気を抜けば積み上げたものを一気になくすのが政治ってものなのか。


 城中が忙しいからこそか、俺がエレーナ様の手伝いしていることで心証が悪いからか、お茶も出されずどうすればいいのか分からず黙り続けるしかない。

 すると、先に口を開いたのは目の前のマイセン辺境伯だった。


「以前の王国軍相手の初陣、そしてその後の領地開発の手腕、見事だ。フーニィ市長も手放しに褒めていたぞ。マントイフェル男爵家も、このような跡取りに恵まれ、安泰だろう」

「は、はい。ありがとうございます」


 思いもしない話の入りに、少しばかり気が抜ける。

 うちの領地を通って帝都まで販路を広げるためのあいさつで来たんだろう商都フーニィの市長に感謝していた俺だが、見通しが甘かったとしか言えない。


「だからこそ聞こう。――お前は、うちの孫娘の部下として何がしたい?」

「ひっ……」


 息が詰まる。

 目の前の老人の視線がけわしい。


 ああ、なんでもいいから答えないと!


「そ、その、エレーナ様は武勲が必要で、できれば今回の迎撃軍の指揮官として名義を――」

「違う。そうではない。そんな目先のことを聞いているのではない。お前自身・・・・が、エレーナに仕えて何がしたいのか、と聞いている」


 誤魔化しは許さんとばかりに、マイセン辺境伯は身を乗り出す。


「あれだけの手腕を領地開発や戦で発揮して、理解してないとは言わせん。エレーナに付いたところで、勝ち目どころか得られるものなど何もない。そんな中、このに及んで、エレーナにまだ余計なことを吹き込む。――もう一度聞く。お前は、何がしたいのだ?」


 おじいさまに、社会勉強になるって言われたから?


 違う。それは、おじいさまが俺にやらせたいことだ。

 それは、この老人に対して返すべき言葉じゃないだろう。

 もっと根本的なところ。目の前の人物が聞きたいのは、そこだろう。


「皇女殿下はおっしゃいました。緩やかに衰退する西方を、なんとか救いたいと。西方唯一の中央へのくさびとなった自分が、なんとかしたいのだと。そのために、私のような若輩の力が必要なのだと。だから、微力を尽くさせていただいております」

「だから、私財を投じてあののために兵隊まで集めるほどに入れ込んだ?」

「はい」


 確かに、エレーナ様の目標に対してそこまで入れ込んでるのかと言われれば、素直に頷くことはできない。

 だが、あの日、この城の最上階の見張り所で、エレーナ皇女殿下の『夢物語』への助力を断り切れなかったのは、彼女の思いに心を動かされたから。

 突き詰めて考えれば、すべてはあの日の一人の少女の思いを切り捨てられなかった、俺の甘さが始まりだ。


「……そうか。話にならんな」

「はい」


 黙ってじっと俺の目を見つめていたマイセン辺境伯は、興味を失ったとばかりに乗り出した身を引き戻す。


「ご苦労だった。聞きたいことはこれで全部だ。エレーナは、今回の戦争を受けて安全地帯に避難させるとの名目で帝都に戻す。お前は、実家に戻って従軍するなり、帝都についていくなり、好きにすると良い」


 答えそのものは予想を大幅に超えるものではない。

 エレーナ様のところにまだ仕えてても良いって簡単に認めてくれたのは意外だけど、エレーナ様の祖父として、無理に引き離すほどではないと思ってもらえるくらいの心証は与えられたのだろうか。

 それでも、エレーナ様が軍事に関わることに一貫して反対してきたのだ。やっぱり名義を得て今回の戦争にエレーナ様が参加することは、今更賛成する訳がなかった。


「それと、一つ頼みがある」

「頼み、ですか?」


 立ち上がりかけ、思わぬ言葉に動きを止める。

 はて、俺にとっては十分に雲の上な人である西方の支配者とも言うべき人物。それが、命ずるでもなく、何を『頼む』んだ?


「エレーナを説得してほしい。余計なことをせず、大人しくとつげ、とな」

「えっと、私が、ですか?」

「ああ。あれは、頭脳労働についてはとにかくお前のことを信頼しているようだからな。いっそ、盲信と言っても良い。ワシが何を言い聞かせても、昔から話を聞かんが、お前から言えばもしかすると聞くかもしれん」


 そりゃ、兵隊ちょうだい、ダメだ、って感じだろうからな。

 でも、俺があの人の意に沿わないこと言っても、同じように反発されるとしか思えないんだけど。

 あの人の意向に沿ってるからこそ反発がないんであって、今までそれに反するような進言をしたこともないし、誰が言ったところで意に反することを大人しく受け入れるような人には思えないんだよなぁ。


「あの、私には少々荷が重いといいますか――」

「ああ、やはり。いくら優秀でも、エレーナの夢物語に投資する程度には『若い』のだったな。ワシの言い分が納得いかんか」


 いや、全然そんなことはないんですけどね。本当に荷が重いんですよ、少なくとも主観的には。

 そんな言い分を聞いてくれる間もなく、マイセン辺境伯は言葉を続ける。


「皇女の肩書? そんなもの、ただの権威だ。力の伴わぬ権威など、軽いものよ。半端に動いて敵意ありと見られれば、踏みつぶされるだけ。エレーナの現状がそれを物語っている。半端に力を示し、嫁入りという形で封じ込められようとしているだろう?」


 反論? 無茶を言わないでくれ。

 この言葉は、どうしようもなく正論だ。何を言い返せと言うのか。


「権威があるから、示した力がまだ小さいからこそ、こんな穏便な形で済んでいる。大人しく嫁に行けば、命は失わない。エレーナの母親のように、押し寄せる敵兵たちと共に屋敷ごと燃え落ちるような悲惨な末路を辿らずに済む。流れに身を任せることこそが、エレーナ自身の幸せへの道だと言うのに」


 ああ、そうさ。

 間違っちゃいない。

 それでも、『正しい』とは認めたくない・・・・・・


「閣下。エレーナ様への説得、お引き受けできません」

「ほう、ワシの言い分に、何か間違っているところでもあると?」

「いいえ。間違ってはないでしょう」

「ならば、なぜ?」


 先ほどのような威圧も、身を乗り出すような興味も感じられない。

 一応聞いておいてやろう。それ以上の何も感じられない。


 ここで引けば、穏便に終わるだろう。

 だが、それでも、どうしても言っておきたかった。

 何もなくとも頑張り続けた少女たちを知るからこそ、どうしても黙っていられなかった。


「閣下は、エレーナ様の幸せを語られた。でも、それは、あなたが決めることじゃない。エレーナ様自身が決めることです」

「これだから……若いお前には分からんだろうが、中央政界は、そんなに甘いところではない」

「そ、それでも、別に今の体制を必ずしもひっくり返そうってわけじゃないんです。上手く立ち回れば、それなりに泳ぎ切ることもできるはずですし……」

「ふん、できるものか。どこかで失敗するに決まっている。大人しく、現状で満足しておけばいいものを」


 その言い方が引っかかってしまったのだと思う。

 何も知らないくせに、勝手に限界を決めやがって――そんな、ただの感情論。


「ふ、ふざけんな! 年寄りの、しかも敗者の感傷で勝手に若者の未来を閉ざすな! 飛び出れば叩かれるってんなら、叩けないほどまで高く飛び出せば問題ない! お前が逃げたければ勝手にしろ! ただし! 明日を必死に信じて戦っている少女まで巻き込むな! エレーナ様の未来は、彼女自身のものだ! 彼女自身が戦って勝ち取るべきものだ!」


 立ち上がり、右手の人差し指を正面ちょい下に向ける俺。

 その先には、ポカンとした表情でこっちを見上げる、おじいさまの上司。


 ……控えめに言って、やらかした。

 家が婚約者を決めるなんて当たり前な社会。

 そんなところで、いくら半分は皇帝の血筋だからって、孫娘の将来を祖父が決めるなんて、そこまでおかしいことでもないと思う。

 これが酷いなんて、前世の感覚だ。


 いや、自重してたつもりだった。

 そのうえで、ちょっと言ってやるつもりだっただけ。

 ただ、ここまでそう長くない期間とはいえ、一緒に頑張ってきた少女の思いを全面的に否定するような後ろ向きな考えに、うっかり口が滑ってしまっただけだ。


 ああ、ほら。

 目が怖い。

 あれは、マジで殺す気だよ。ほら、殺気がもはや視覚的に認識できちゃってるよ。


「ほう、エレーナ自身が勝ち取るべき。だから、指揮権を寄越せ、と。勝ち取るための最後の機会を寄越せと。西方の動員力は三万強、対する王国は確実に総勢十万は超えてくる。さらに、中央から来るはずの援軍との手柄の取り合いもある。目に見える戦果のないエレーナが逆転するには、普通の勝利ではとても足りない。圧倒的な戦果を出さねばならん。――できるか?」

「で、できらぁ!」


 嘘です。できる気がしません。

 そもそも、普通じゃない勝利ってなんだよ。

 でも、今更引くとか、ここまでやらかしといて逆に怖すぎる。

 だから、勢いのままに言ってしまった。


「よくもまあ言ったな。そこまで言ってみせるならば、むしろ清々すがすがしい!」


 ガッハッハッハ、なんて、右手で膝を何度も叩きながら大笑い。


 ……何ごと?


「ああ、そうだ。ワシも若いころはそうだった。そう思っていた。小さくまとまるのは、年老いてからで十分。若いころは、少しくらい元気なくらいでちょうど良い、とな。まあ、ワシは、流石さすがに目上の人間を指差しながら説教するほどには元気がなかったが」

「あ、その、申し訳ありません」


 そこでまだ指差したままなことに気付き、慌てて引っ込めて着席する。


「まあ良い。エレーナ自身の直談判と、道理をわきまえながらもなお目上相手に噛みついたお前の『若さ』に免じて、望みを叶えてやろう。ワシが召集権限を持つ西方諸侯軍について、エレーナを指揮官としてやろう。最後の機会だ。精々嫁入り前に悔いのないようにさせてやれ」

「あ、ありがとうございます」

「なに。経験はなくとも、皇女で中央軍の将軍。名目上の理由はどうとでもなる。それに、肩書だけあろうと、ワシらは絶対服従ではない。実際上、支障が出るようなことにはならんだろうし、ワシがさせん。口を出したければ、相応に納得のいく意見を出すのだな」


 そりゃそうだろう。

 むしろ、全部任せたとか言われる方が、よっぽど不安だ。


「だが、お前は言ったな。普通の勝利では足りない、圧倒的な戦果を出せるかとの問いに、『できらぁ!』だったか?」

「そ、その……はい」

「うむうむ。残念ながら、ワシにはそんな方策が思い浮かばんでな。北西や南西の管区とこの西方管区への王国側の兵の振り分けや、こちらの中央からの援軍の情報など、必要な情報は提供しよう。エレーナ陣営からの、こちらが用意する以上の策を期待しているぞ」


 楽しそうな笑顔。完全に面白がってやる。

 今更じたばたしても手遅れだって思ってるな。

 完全に、最後の思い出作りだ。高校野球で、九回に大敗してる状況で、ベンチの三年生を代打で投入しまくって出場機会を与えてやる、みたいな。

 いやまあ、エレーナ様がほとんど詰んでるって状況認識については、俺もそう思うけど。


 本当に、どうしてこうなったし……。





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[一言] シリアスなシーンでの唐突なスーパー食いしん坊は卑怯すぎるわ。おじいちゃんの上司のイメージが店長になってしまった。
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