第六章第一話 ~時代の潮流~
帝国第三皇女エレーナを取り巻く状況は、控えめに言って絶望的だった。
南方シェムール川での戦いの結果行われた勲章授与、その式典の席でのエレーナ降嫁の内示。
公式発表では色々と誤魔化されているが、足手まといな現地領軍の尻拭いをするどころか、西方の血を持つ皇女自ら敵将の首を取ってきたというのは、西方諸侯を物理的に排除して権力の座に就いた三大派閥の連中に危機感を持たせるには十分だったようだ。
だからこそ、慌てて降嫁させて封じ込めようとしたんだろう。
これは、自らの栄達を足掛かりに西方復権を目指すエレーナにとって、致命的な敗北を意味する。
この世界、少なくとも帝国やその周辺国では、十代半ばでの結婚はかなり早い部類。非貴族だと事情が変わることもあるようだが、婚姻同盟などの高度な政治的必要性でもなければ、貴人の結婚は二十代前半から半ばくらいが相場。
婚約だけなら生まれる前からしていることはあれど、十代半ばの皇女が、相手は決まってないけど降嫁して仕事を辞めろなんて突然言われるのは異常だ。
相手が決まってないのは、相手を探すのが簡単じゃないからだろう。
現皇帝の娘、しかも母方の血筋は辺境伯なんて無駄に高貴なだけあって、半端なところに嫁がせることはできない。
半端でないところとなれば、今更帝室の血を入れられるってだけで飛びつくほどに権威に飢えていない。むしろ、高貴でも三大派閥と敵対的な血筋を抱え込んだ上に余計なことをしないように監視し、かと言って『敗者』の血筋を嫁に迎えて目に見える利点がない。それどころか、政治的に色々と使い道のある貴重な正妻枠を一つ無駄にする。
名ばかりの貴族ならともかく、帝室の権威に傷をつけずに皇女を嫁に迎えられるような格のある家にとっては、他の家にやってもらいたいだろうし、三大派閥内での多少の圧力では音を上げないだけの体力もあって押し付け合いは長引きうるだろう。
そんな中、エレーナ唯一の政治力は、父親への直談判。
だから、早々に帝都から引き剥がすため、相手も決まってないという正式発表なんてとてもできない状況で、内示だけ先に出して、嫁入り準備との名目で母方の実家である西方のマイセン辺境伯のところへ押し込めた。
ただ、仮に直談判したところで、今回の決定がそう簡単にひっくり返るとは思えない。
皇帝自身がどう考えているにせよ、現在帝都で最大の権勢を誇る三大派閥から、公式発表用の適当なお題目と共に皇女の降嫁を求められれば、そうそう断れないだろう。
婚姻なんてどうせあと数年すればしなければならないし、帝都で最大の権勢を持つとは重要ポストを押さえているということで、協力を得られなければ国の経営にも支障が出かねない。
降嫁先の家格が足りないとか、エレーナが実績十分だから早すぎる嫁入りはもったいないとか、何か材料があればともかく、ただ皇帝が気に入らないからでは三大派閥以外の諸侯も助けてはくれないだろうし、無用な混乱を生じさせるだけ。
そう。一番の問題は、エレーナ個人の思い以外、積極的に婚姻を拒否できる材料がないことだ。
三大派閥は、北・南・東の大諸侯が影響下の諸侯を引き連れて連合しているだけで、帝国そのものではない。
現在の当主の方針であえて中央とは距離を取っているが、天下に武名を轟かせる帝国南西部の守護者ラウジッツ辺境伯とその派閥にある南西部の諸侯。東方の遊牧民による略奪部隊と戦うため、遊牧民の戦術を研究し尽くし自ら遊牧民と同じ戦い方をすることを選び、遊牧民を狩ること以外この百年以上一切興味を示さない東方国境騎士団領。その他にも中小派閥や、三大派閥内での派閥抗争など、『道理』をひっくり返すようなことをすれば現在の体制も安泰ではない材料は少なくない。
大勢力だからこそ多少苦しくとも道理にかなっていれば押し通せるだろうが、それにも限度がある。
皇帝の無茶ならばまだ良いだろう。帝室の権威は低下するだろうが、三大派閥が不満の受け皿となり、皇帝を廃するなりすれば良い。
だが、三大派閥自身が無茶を押し始めると、彼ら彼女ら自身が一番損をする。
帝国は、国民国家ではない。国あっての諸侯ではなく、皇帝が諸侯をまとめ上げて国という枠組みに収めているのが帝国。その帰属意識は、帝国自身ではなく、第一にそれぞれの地元に向いている。国と言うより、国家連合のように考える方が良いかもしれない。
そこで帝国にとどまるのが家を守るために損だと思われればどうなるか。周辺国に内通し、その従属勢力や一部として諸侯が離反。もしくは皇帝や帝室一門または有力な諸侯が音頭を取っての反三大派閥での粛清や内乱。
中央に集まってくる各領地からの上納金を一番自由に割り振れる立場にあって、現在の帝国の枠組みで一番得をしている三大派閥が、それを壊すことを望むわけがない。
皇女一人の降嫁問題だけですぐにどうこうとまでは行かないかもしれないが、利なり情なりから味方を確保して三大派閥が悪党のような印象を流せる材料があれば、根っこから問題を断つために予防的に降嫁って手段を利用しただけだろう三大派閥が、エレーナ降嫁にこだわる理由はないはず。
どうせ、政治的に無力なエレーナ一派の頭を押さえる方法など、根本解決にこだわらなければいくらでもあるのだから。
まあ、やっと小競り合いで一つ結果を残しただけのエレーナ様にロクな武名なんてないし、中小派閥を取り込めるような利権やらもないから、どうしようもないんだけど。
「以上が、おじいさまやギュンターらの協力を得て行なった、マントイフェル家としての現状分析の結果です」
何十人も居る聴衆に一礼するが、みんな黙り込み、特に反応はない。
ここは、エレーナ様の母方の実家であるマイセン辺境伯の城の片隅において、エレーナ様の親衛隊のために与えられた兵舎の大部屋の一室。帝都から実質的に追い出されこの地に来てから、そろそろ両手の指の数では数え切れない日が過ぎた。
数々の激戦を生き抜いた親衛隊一同にエレーナ様、そして重苦しい雰囲気に居心地悪そうなギュンターが居る。
総大将の影響か脳筋な気風もあり、見るからに話を理解できてない子たちがちらほら見られるのは想定内。
ただ、一つだけいまだに信じられない想定外が目の前に一つ。
「ですのでエレーナ様。私からは、現時点で取るべき策を献じることはできません」
「……」
最前列に座り俺の報告を聞いていたエレーナ様は、何も返事を返さない。
勲章授与式の日、大泣きに泣いて親友二人に慰められたエレーナ様は、それから燃え尽きた灰のようになってしまった。
誰にも見向きされずとも幼いころから何年も頑張ってきた皇女も、夢の先が見えかけてからのどん底に、心が折れたらしい。
与えれば最低限の食事などの生命維持に必要なことはするそうだが、常に親友でもあるフィーネかハンナが側に居て面倒を見ている状況らしい。
結局、その場はそのまま解散となった。
俺はギュンターと共に、マイセン辺境伯の城の中に俺とギュンター、エレーナ様だけが格に合わせてそれぞれ与えられた客室へと戻るために足を進める。
エレーナ様がここに来た日に、廃人になってて意思疎通も困難なので介護者としてつきそったハンナと辺境伯に挨拶して以来、俺や他の親衛隊に顔を見せることもなく親衛隊の兵舎と客室だけ用意してくれていた。
エレーナ様が軍人やることに反対していた辺境伯に無断で、孫娘を手伝ってた小僧に嫌がらせしないだけでも立派に自制してるだろうと思う。それに、こっちもエレーナ様に勧誘を受けた時の初陣の戦勝記念パーティで顔を見ただけの、しかも心証が良くないだろうお偉いさんに会いたくないし、お互い会わなくて正解だったとは思うけど。
「なあ、ギュンター」
「なんでしょうか?」
「先にマントイフェルに帰ってくれ。そして、向こうで待たせている私兵団について、領軍との再編をおじいさまにお願いしておいてほしい」
「はっ」
状況が状況だけに、皇女殿下のための戦力が不要となるだろうことは予想していたのだろう。ギュンターは、当然のように了承する。
ただし、少し戸惑ったうえで、さらに口を開いたのだが。
「カール様は、どうなさるので?」
「俺は、最後まで残るよ。ここまで来たら、さ。なーに、水晶宮事件で皇帝陛下のおひざ元で大流血が起きてから、二十年も経ってないんだぞ? ここで切羽詰まってもないのに皇女を殺すなんて帝国の威信が傷付くようなことはないだろう。ここにいる間は、マイセン辺境伯の頑張りに期待するさ。で、エレーナ様の花嫁姿を見届けて、実家に帰るさ」
返事はなかった。
了解はしなかったが、否定もしなかった。
俺の教材としてのマントイフェル男爵家からのエレーナ様の利用価値は終わったのかもしれないけど、気持ちは分かってくれたんだろう。
その日、部屋に帰った俺は、気を紛らわせるように先のことを考え続けていた。
再編の結果不要となった軍人について、本人たちが希望するなら受け入れ用の開拓村の設置。領主としておじいさまから、他の領主との顔合わせなどを含めて本格的な指導を受けた方が良いだろうこと。そして、まだ実行していない、領地運営で使えそうな前世知識。
そんなことを考えながらいつの間にか意識が落ちていた俺の目覚めは、少女の叫び声だった。
「教官! 起きてください、教官!」
「ん? ……何ごとだ?」
「いいから起きてください! 状況が変わってんですよ!」
ベッドから身を起こせば、そこには興奮状態のフィーネ。
すわ夜這いか、と思うも、それにしては窓の外が明るすぎる。
何がなんだか分からないまま、「とにかく後で説明しますから」と急かされるままに最低限の身支度を整え、昨日の分析発表を行なった部屋へと行くことに。
外へ出てみると朝と言うには少し日が昇りすぎていることにも驚いたが、それ以上に城内の様子がおかしい。
どこか緊張感があり、みんなが急いでいるように見える。
「あ、お待ちしておりました。これで揃いましたね」
目的の部屋でそう出迎えてくれたのはハンナ。その側では、変わらぬ様子で沈黙を保つエレーナ様も居る。
そして、ギュンターに他の親衛隊員一同。
さっきの城内の様子も合わせれば、ただ事ではない事態なんだろう。
俺を連れてきたフィーネが前に立ち、司会の役目をするようだ。
「すでに聞いている人も居るかもしれないけど、先ほど、そこのアニカのお父さんから王国軍が動員を開始したって情報がもたらされました」
その言葉にざわついたのはギュンターも含め六割ほど。残りはすでに聞いていたのだろうか。
だがしかし、これは確かに状況が変わったと言えるだろう。
それをどこまで生かせるかは別にして。
「ほら、アニカ。あなたから説明して」
「は、はい! 了解しました、隊長!」
そうしてフィーネと代わり前に立つのは、少し緊張しているのか頬を紅潮させた小柄な少女。
うちの私兵団の教練の時に来た連中の中には居なかったから、まだまともな方の親衛隊員なんだろう。
「その、父はこの城で文官の取りまとめをしているんです。そして、今朝早くに王国の動員の話が入ってきて、これからこっちも辺境伯の管轄地域に動員令を出して中央にも報告するから、このことを口実に帝都に戻りなさいって言われて。……あ、その規模については、かなり大規模だそうで。王国国境全域の複数個所から同時に攻勢に出てくるかもって」
父親としては、万が一を考えて、娘を帝国で一番安全だろう帝都に戻しておきたいってところだろう。
でも頭の回る方の親衛隊員たちは、それ以上を期待している。
「教官」
「なんだ、ハンナ?」
「どう思いますか?」
「帝都には戻れるんじゃないか? その先は続かないと思うけど」
ギュンターの方を見るが、黙って頷かれ、同意を示される。
現状分析の時の『現時点では』献じる策がないってところから、状況が変わればって期待があったんだろう。ハンナを始め、何人かがため息を吐く。
「とりあえず、マイセン辺境伯に護衛やらの手配を頼まなきゃいけないし、みんなは行くなら早く行った方が良い」
「え? みんなはって、教官は?」
「戦争だろ? 俺は、家に帰らないと」
問うたハンナは、ハッとしたように息を飲む。
まあ、エレーナ様が他の戦線に従軍するとかならともかく、そうじゃないなら家のために戦わないといけないだろう。
特に、先の戦いで領地が増えてから急に領軍を増やしたうちでは、俺の私兵団が集団戦での実戦経験は圧倒している。その責任者が帝都まで避難しますじゃ、格好がつかないだろう。
「なら、教官。一つ、聞いてもいいですか?」
みんなが黙り込む中、真剣な表情でフィーネが口を開いた。
拒否する理由もないので肯定すれば、次の言葉が投げかけられた。
「帝都に帰るかどうかも含めて、エレーナ様や私たちは、どうするべきだと思いますか? 最後に、ご助言いただきたいと思います」
言われ、考える。
このまま帝都に戻っても、決定を覆せる見込みは欠片もないだろう。
あ、でも――
「いっそ、マイセン辺境伯に頼んで西方諸侯軍の指揮官にしてもらって、中央からの部隊と戦う中で功績を上げればとっかかりにはなるかも? ――ひぃっ!?」
急に腕を掴まれ、我ながら情けない悲鳴が上がった。
振りほどこうにもがっちり掴まれて腕が動かぬ中、そちらを見れば、そこには地の底からはい出てきた死者のようなほの暗い目をしたゾンビ――のようなエレーナ様が。
「ほんとうか?」
「え?」
「おじいさまの集めた軍の指揮官にしてもらえば、なんとかなるという話だ!」
「ひゃっ、ひゃい! あ、でも――」
――しないよりはマシ程度ですよ。
そんな言葉を聞く前に、気が付けば疾風のように飛び出していたエレーナ様。
さっきまでの意識があるのすら怪しい状態からの落差に呆気にとられ、誰も追いかけられていなかった。
まあ、俺としては勝手にしてくれればいいんだけど。
皇女で中央軍の将軍だし、その気になればねじ込む理屈はつけられないでもないと思う。
たぶん、常識外れな孫娘からのしつこいおねだりに、おじいちゃんが苦労しながら拒否するってところかな?
そんなことを考えていると、さっきエレーナ様が出ていったばかりの扉がはね開けられる。
そして、そこにはエレーナ様が。
あまりの速さに忙しすぎて門前払いかと考えていた俺の耳に、信じられない言葉が飛び込んできた。
「カール! おじいさまが二人っきりで話をしたいそうだ! 行くぞ!」
「……は?」
「だ・か・ら! おじいさまがお前を呼んでいるのだ! 大丈夫大丈夫。お前のことは、徹底的に褒めちぎっておいたからな!」
もうやだこの上司……。




