第五話 ~はりぼての英雄は、その手で未来を選び取る~
活動報告でも報告させていただいた事情により遅くなりましたが、何とか投稿できました。
楽しんでいただけたら幸いです。
シェムール川における公式には正体不明の敵との戦いは、比較的静かに始まったものと言えるだろう。
こっちが把握できている川向こうの敵戦力と比べると、敵味方ともに数は千五百人ほどで、こちらが把握してる限りではほぼ互角。
打ち合わせすらなく連携なんて期待できないことから、こちらは右翼のうちの私兵団と左翼のランドルク男爵の領軍は少し距離を取って布陣し、それぞれに戦うことにしていた。
それに受けて立つとばかりに川向うで同じように敵も布陣し、まずは弓や投石による遠距離戦から始まる。
俺はそんな様子を、味方部隊のすぐ後方にあるちょっとした高台にある本陣から見ていた。
本陣には、エレーナ様に親衛隊一同。加えて、本陣防衛のために残したうちの私兵たち約百名に、特に仕事もなくわずか数人では前線でも使い勝手が良くないことから本陣詰めになっているビアンカちゃん以下魔法兵部隊。そして、兵力がこちらよりも少ないことから単独で戦うには兵力をあまり護衛に抽出する余裕がなく、数人の護衛以外は全員前線に送り出したランドルク男爵も居た。
加えて、敵戦力の全貌が不明なことから、別働隊による襲撃にも警戒し、周囲には私兵たちを放ってもいる。
勝つ必要などない。負けなければ、援軍が控えているこちらの判定勝ち。
故に、裏をかかれれば一気に崩壊しかねない奇策などは考えもせず、正面から隊列を組ませてぶつけた。最低限の練度とそれなり以上の指揮、そして守りを固めるとの明確な意思さえあれば、歩兵同士が普通にぶつかっても、そう簡単に決着をつかせないことは難しくはないはず。
今回は本陣からの指示よりも現場での部隊指揮が重要だろうと、ギュンターや、私兵たちをまとめるホルガ―その他主力級を最前線に送り出した。
だからこそ、早々に敵が遠距離戦を切り上げて距離を詰めに掛かり、こちら側の岸で待ち受けていた味方部隊と激突をした時、しばらく声を出すこともできなかった。
「……男爵閣下、一つお聞きしたい。そちらの領軍、訓練はどれほどなさいました?」
「あの、えっと、その……ほとんどは、今回のために金で雇った者たちで、その……」
近接戦に入って早々、左翼部隊――ランドルク男爵の領軍が隊列を乱し、そう時間を置かずに後退を開始する。
金で雇ったって言っても、普段は盗賊やってるようなその辺の傭兵たちでもたぶんもう少しマシな戦いをしそうなものだ。戦い方なんてほとんど知らないような食い詰め者たちを訓練もなくかき集めたとでも言うのか。
本当にそんな質なら、それをまだ全面潰走にまでしていない現場指揮官を誉め称えればいいのか?
「なあ、カール?」
「……えっ? あっ、はい!」
考え込む俺に、エレーナ様が声を掛ける。
とても落ち着いていて静かなのに、指揮官用の簡易椅子に腰掛ける彼女に目を向けた瞬間、なぜか背筋が伸びた。
「私は、どうすれば良い?」
その問いかけに、答えを返せない。
当たり前だ。完全に後手に回り、こんな状況は想定もしていなかった。
しかも、領軍がここまで脆いなんて聞いてない。
いや、言い訳にもならない。
勝手に国境の領地だから精鋭だとか思い込んで、しかもそりゃ最精鋭を置くだろう男爵自身のわずかな護衛だけを見て確かだと確認した気になって、結果がこれだ。
たぶん、国境地帯で何かあったときに適切なところに知らせるのが仕事で、それ以上は能力もないし、期待もされてない。
考えてみれば、派閥的に政敵なエレーナ様に武功を立てる機会を与えながら罠も何もなかったのも、そんな相手に頼ってでも少しでも被害を軽減したいほどに『何もない』場所だからだ。
それこそ見張りだけが役割ならここが復興しきらなくても他の領主たちはあまり困るとは言えず、援助の手が鈍くなりそうなものだ。そうなれば原則通りに領主持ち出しで復興になり、戦略上重要視されていない辺境の領主のお財布に軽くはないダメージになってもおかしくない。
くそ! だから、戦いの前にランドルク男爵は撤退だとか言い出したのか。
自分のところの兵隊の戦力に不安があったなら、その場ではっきり言ってくれ!
空気に流されて希望的観測に走った? いや、責任とって皇女殿下のために殿やれとか言われるのを恐れでもしたか?
「話を聞いているのか、カール!」
「は、はい!」
何も言葉を発さないのにしびれを切らしたのか声を荒らげるエレーナ様に、反射的に返事をしてしまっていた。
現状では意味の薄い思考を続けていたことに反省しながら様子を窺えば、なんの表情もなくただ黙ってこちらを見るエレーナ様が目に入る。
そう、今は時間がない。
男爵のところの領軍が担当する左翼が全面潰走となれば、それでおしまい。
それまでに、何か動かなければならない。
まず考えられるのは、退却。
でも、確実に逃げることを考えるなら、ギュンターたちを始めとする最前線で戦ってる連中だけでなく、本陣の護衛も含めて歩兵なんて連れていく余裕はない。
危険を冒すとしても、最前線の連中を待つなんて無理だ。正面からぶつかり合ってるからこそ右翼のギュンターたちは一進一退で戦線を支えてるんだぞ。組み合ってる互角の敵から後退しつつ、しかも今にも崩壊しそうな味方左翼に襲い掛かっている敵からも逃げ切るなんて、無茶だ。
じゃあ、このままエレーナ様や俺、ランドルク男爵といった騎乗してる連中だけで逃げる? 相談できるギュンターもなしに、顔を青くして震えるしかできていないランドルク男爵を頼りに、土地鑑もない場所で退却戦?
メールやらで簡単に連絡が取れる時代じゃなくて味方の援軍の具体的な場所も分からないからどこまで逃げればなんとかなるのか明確でなく、どこまで危険を負って追撃してくるのか完全に敵任せ。
最悪なことに、中央軍なら連隊旗、貴族の兵隊なら家ごとの旗印など、正規軍に分類されるうちは所属を示す旗を掲げている。そして、エレーナ様の私兵に当たる親衛隊は当然、彼女のお家である帝室の旗なんで『ここに皇族が居るよ』状態なのだ。向こうにすれば数が少なすぎなうえに、こんな辺境に皇族居ることに怪しんでくれるかもしれないが、多少無理してでも追撃する理由にもなってしまう。
そして仮に騎乗者だけで逃げるとして、体が大きく瞬発力はあるも持久力はそう高くない帝国で主流の種類の軍馬は、無理すればすぐに潰れてしまう。
長距離を駆けてもらうための馬の大量の食事だの水だの世話だのの手間もあれば、どんな地形でも平然と駆けてくれるでもない。
この辺の加減も考えねばならないんだ。しかも、あれこれ細かい部分を頼りきっていたギュンター抜きで。
他の連中の馬を限界まで酷使する知識の程度なんて、知らないんだ。なんとかなるだろうってやって、ランドルク男爵の戦力評価を誤ったみたいなことになったらどうする?
これだけ向こうに主導権を取られた状況なうえに、こちらは敵の全容を把握してないと来たものだ。
まだ報告がないってことはすぐに襲ってくることはないのかもしれないが、退却中に敵の別働隊と出会いでもすれば最悪だ。総大将が逃げ出してきっと早々に崩壊した最前線を突破した敵に後方から攻められ、挟み撃ちで終わり。
いや、考えすぎ? でもこうなったらそれこそ詰むんだし……。
少しでもエレーナ様の逃亡確率を上げるなら、俺が私兵団を率いて殿をするって手もある。
総大将逃亡は全軍の指揮が崩壊するような事態だが、俺を親分なんて呼ぶ私兵団ならば、俺が残る限りは戦い続けられるかもしれない。
ここの領軍を今更アテにするのはないとして、この案は取りたくない。
ギュンターも兵のほとんど全ても、兵士たちのまとめ役としていたホルガ―すらも前線。そして前線ズタズタ・総大将逃亡なんて状況から『俺だけの采配で』まともに時間稼ぎできるかも怪しく、生きて帰れる気はもっとしない。
ついついこぼれた自分の発言やおじいさまの思惑なんかもあってエレーナ様に仕えているが、彼女のために積極的に死んでやる義理まではないぞ。
だったら、攻める?
こんな圧倒的な劣勢の中で、どうする? 使える戦力は限られている以上、もしも戦うなら、唯一の騎馬部隊であるエレーナ様や親衛隊の戦力を遊ばせるなんて無理だ。
そのうえ、親衛隊はエレーナ様の武勇を支えにしている様子もある。初陣からして、皇女を陣頭に斬り込むなんて当たり前のようにやったのだ。それ以後も後ろに下がってもらっただけで、親衛隊の騎馬突撃には常にエレーナ様が共にあった。
でも、今までは私兵団で浮足立たせた敵へのとどめの斬り込みが仕事だったが、今度は危険度が違いすぎる。
皇女殿下だけ死んで、万が一俺が生き残ってしまったらなんて、考えたくもない。
……ダメだ。何をするにも、悪いところばかりが考え付いてしまう。
どれが考えすぎで、どれが真に避けるべき危険で、どれが負うべきリスクなのかの判別がつかない。
ああ、ギュンターがここに居れば相談できるのに……。
さすがに、今にも味方の一角が崩壊しそうな状況で最前線まで相談に行って帰る余裕はないだろうことは分かるし、今こうして考え込むことが貴重な猶予を食いつぶしていることも分かる。
誰かに相談するにしても、エレーナ様や親衛隊は、軍事における頭脳労働のための基礎となる教育をまともに受けていないし、それを補うような経験もない。ビアンカちゃんも魔法の専門職であって、軍事的判断は専門外もいいところ。
となれば――
「ランドルク男爵、現状、どうすればいいと思いますか?」
「は、わ、私? えっと、その……」
ああ、知ってたさ。
この男にそんな決断力があるなら、もっと違った展開もあり得た。
男爵が護衛達に投げようともしないし、護衛たちも口を開かないのは、あくまで腕っぷしだけでここに居るんだろうさ。
「お前たちはどうだ?」
おじいさまからは相談相手としてまだアテにならないようなことを聞いていた伝令用に借りてきた連中に声を掛けるも、誰も答えない。
予想してたことではあるが、互いに不安そうに様子を窺うくらいで、言葉はない。
そりゃ、こんなとんでもない劣勢になってから意見を求められて、困るだろうさ。
「カール。なあ、違うぞ、カール」
「は、違う……違うとは何がですか?」
ここに至っても、エレーナ様の語り口は穏やかだ。
この人は、いら立つでもなく、焦るでもなく、どうしてここまで落ち着いていられるのか。
もしかしたら、この人はこの状況を好転させることが――
「私はな、カール。お前の意見を聞いているのだ。他の誰でもない、お前自身の、私がこの場面でもっとも正しい選択をするだろうと信じるものの意見を、だ」
その力強い目は、真っ直ぐに俺の目を射抜く。
ああ、そうか。
この人は俺の実績を、ただの幸運でつかみ取った虚像である『はりぼての英雄』を信じているんだ。
よって立つ物がまだあるから、折れない。
それが幻想でもなんでも、ただ少女の心一つを支えるだけならば十分すぎる。
そして、ここでやっと思い出した。
彼女はいったい、どうしてここに立つのか。俺を必要としたのか。
「敵を……味方左翼に襲い掛かる敵を、突き崩します。まずは私が前線に赴いて我が私兵団から兵力を抽出し、そのまま味方左翼を襲う敵の側方から攻撃を仕掛け少しでも敵を乱します。その後、外側から回り込んだ親衛隊の側方突撃で、敵を叩き潰します。騎馬隊の衝突力に任せた攻撃で、味方右翼が崩れるよりも早く、居るのかも分からない敵別働隊が現れるよりも早く、決着をつけましょう!」
「よく言った! さすがは私が見込んだ男だ! そう言ってくれると信じていたぞ!」
誰よりも早く俺の献策に反応したエレーナ様に続くように、ざわめきが広がっていく。
本陣内でエレーナ様の警護をしている親衛隊員たちは笑みなど浮かべたりして概ね嬉しそうだ。こんな酔狂な皇女についてくるだけあって、部下も部下なようだ。
親衛隊長のフィーネなんかは言葉は発さないものの薄く笑みを浮かべているが、ハンナは不安そうな様子。それでも口を開く様子がないのは、上司や同僚を理解しているというべきか、諦めてしまっているというべきか。
当然、本陣のみんながみんな同じ反応ではない。
「ちょっと待て、まさか皇女殿下まで出陣させる気か!? 勝手に西方に借りを作っただけでも公爵様に睨まれそうなのに、皇女殿下を死なせたとまでなったら、うちが全部責任とらされるじゃないか! 救援が来るまで被害を押さえるだけでいいんだよ! 勘弁してくれ!」
今更になってそんなことを言うランドルク男爵だが、味方左翼が崩壊すれば撤退すら困難でどうしようもなくなる現状ではどう動くにしても時間との勝負だ。さっき案の一つも出せなかったやつと言い合っている時間はない。
何より、自らの名声で西方全体を立て直したいってエレーナ様が、軍人として二度と再起不能になりかねない味方を見捨てての真っ先の逃亡を受け入れるかって問題がある。話が長引いたりこじれたりしかねず、俺を登用する際にも計算より気持ちや勢いに頼ったり、初陣で何も言わず当たり前のように陣頭で斬り込んだ気質的にも疑問だ。
俺の能力では理屈でもって決断を下せないなら、納得でもって決断するまで。
そして、決断したからには手遅れになる前に動くのみ。
「聞いているのか、小僧!」
さっきまでの様子が嘘のようにこっちに詰め寄り、必死に食い下がるランドルク男爵。
さっさと終わらせるなら、こういうやつに理でもって説いてる場合じゃない。
勢いで飲み込むのみ。
「こっちはどう転んでも、もう後がないんだ! 使えるものなら親でも猫でも皇女でもなんでも使え! こっちで先に仕掛けて最大限の支援はするんだ、黙ってエレーナ様の無事を祈ってろ!」
なんとか成功したようで、ランドルク男爵はこれ以上口を開かない。
周囲を見回しても、誰も口を開こうとはしていない。
「エレーナ様、ご下知を」
「分かった、カール。――総員、出撃だ!」
それを聞き、本陣がにわかに活気づく。
あ、そうだ。他に彼女たちの活躍の場もないし、提案してみるか。
「エレーナ様、うちの魔法兵部隊もお連れください。馬に乗せて突撃前に魔法攻撃をさせれば、敵の隊列の隙を少しでも大きくできるでしょう」
「はあっ!?」
これに最初に反応したのは魔法兵を率いるビアンカちゃんだ。
そのまま、とんでもないとばかりに慌ててこっちに近付いてくる。
「馬に乗って魔法を撃てって、それは騎馬魔法兵って専門兵科があって、特別な訓練がないと難しくてですね――」
「それは自分で馬の操縦もする場合だろう? 騎手は他に居るところに相乗りなら、狙いが多少雑になってもやれるんじゃないか? 突撃が本命だから、敵を驚かせれば十分だぞ」
「いや、それはまあ――」
「だったら決定だ。エレーナ様、どうぞお連れください」
「うむ、分かった!」
「え? ――えええぇぇぇぇ!?」
そのままビアンカちゃんはエレーナ様に引きずられていき、他の魔法兵たちも戸惑いながら付いていく。
悪いとは思うが、頼むぞ。打てる限りの手は打つしかないんだから。
「あ、そういえばカールよ。一つ確認しておきたい」
こっちも行こうかと背を向けたところで、背中越しにそんな声が掛けられる。
振り向けば、なぜかとてもいい笑顔のエレーナ様が。
「今は、『ここ一番』か?」
「はぁ、そりゃまあ」
そんなよく分からない質問に答えれば、勝手に納得して去っていくエレーナ様。
気にならないでもないが、今はこっちもさっさと行かねば。
しびれを切らしたエレーナ様達が、こっちより早く攻撃を開始したなんてことになったら、
大変だからな。
「お前ら、今は時間がない! お前らは勝手に走ってついてこい! 最前線の味方と合流し、
敵側面に派手にぶちかますぞ!」
本陣を守る私兵たちにそう言い捨て、俺は一足先に最前線へと馬で駆けるのだった。




