第三話 ~時が過ぎるのは早いもので~
気が付いたら、私兵団の連中がまじめに訓練に取り組んでいた。
私兵団結成から五週間ほど経ったころ。週払いの給料を手渡していたら、受け取り待ちの列がとてもきれいなことに気付いたのがきっかけだった。
それから気を付けて数日見ていれば、みんなの目の色が違っているではないか。
今までのように、歩き続けていると列が崩れてきそうになったりしても、以前は見られなかった必死さでもってなんとか修正しようとしている。
俺の『同じ釜の飯を食った仲になろう作戦』が上手くいった?
「おう、カール様! もっと飲もうぜ! ほら、グイッと!」
「あ、あはは……。じゃあ、もう一杯だけ……」
夕食後の飲み会でホルガ―に背中をバシバシ叩かれながら、訳の分からない『ならず者』たちの心変わりについて考えるも、決定的な答えは出なかった。
まあ、態度からして舐められてるのは明らかなんだけど。
ただでさえ若すぎるのに、親しみを押し出しすぎたかなぁ……。でも、今から急に厳しくしたところで、どんな反応をされるか分からないから、一応は上手く回っている以上は簡単に態度を変えるのも怖いんだよな。
いくら若かろうと親しみを押し出してようと、雇い主で、しかも貴族相手に遠慮しない連中の反応なんて、とてもじゃないが読み切れんぞ。
貴族だの雇い主だのに遠慮するには、教養が足りなすぎて恐怖を感じてすらない? それとも、恐怖の対象だからこそ平然と対応することで、他の私兵団の連中相手に度胸なんかを示してる?
特に後者だったら見栄やらが絡むから、今からどうこうするのは大変だな。
そもそも、原因が他にある可能性もあるわけで、身分や環境の違いすぎる『別世界』の連中の心を読み切れないだろう『こっち側』の人間の助言をどこまで受け入れていいのか、から考えねばならない。
……もう、言うことは聞いてくれるんだし、難しく考えなくても良いんじゃないかな?
そんな結論に達してから、しばらくは同じような平和が日々が過ぎる。
そうして、結団式から二ヵ月が経とうとした頃のことだ。
「ここ最近、思ったよりも訓練が順調です。集団行動や、武器を振るう体力も一応は身に着いたと言えると思います。この点は、こちらの領軍の方々とも同意見ですね。なので、素振りだけでなく、刃引きした槍や剣でもってより実戦的な訓練も取り入れたいと思います」
訓練後、マントイフェル城の俺の執務室でフィーネからの報告を聞いていた。
部屋の奥の執務机に俺が腰掛け、その前にギュンターとフィーネが並んで立っている。
報告をするフィーネは、淡々としたもの。以前との変化は特に見られない。
訓練後の井戸の前での色仕掛けに、それから何日かはまともに顔も見られなかった――俺の方は、だが。
そんな俺を見て首を傾げ、少しして原因に気付いたのか口元を押さえてしゃがみ込み、笑いをこらえていたフィーネさんは半端なかった。
何かこう、打算からの色仕掛けだったんだろうし、こっちも今はこれ以上踏み込む気がないんだけど、ここまで平然とされるのもなぁ……男として思うところがないでもない。
「カール様、私も同意見です。練度として、槍を並べて前進後退ができれば上々と思っておりましたが、今の彼らならば模擬戦をして意味があるだけの基礎能力があります。当初の予定にはありませんでしたが、運営費の残りで刃引きした武器を揃え、本格的な集団戦を教えてみましょう」
「運営費の残り? 何それ?」
「え?」
「え?」
思わずギュンターと顔を見合わせ、二人で呆けてしまった。
いやだって、運営費の残りとか言われてもさぁ。
「おじいさまから貰った予算とか、人件費で全部消えるだろう?」
「人件費? ……まさか、契約書通りの賃金を毎週支払っているのですか!?」
「いや、週払いでって、ちゃんと金額込みで契約書に書いてるよね? その通りに払ってるだけだし」
「な、なんですとぉ!?」
「「え?」」
ギュンターの血管が切れるんじゃないかと心配になるほどの荒れ具合に、フィーネと声が揃ってしまった。
てか、俺は何か変なことを言ったのだろうか?
「兵士に給金を満額期日通りに支払うなど……ああもう……。いやしかし、それでは武具や現物支給の食費はどこから持ってきたのです? 契約通りに給金を支払うならば、そんな予算もないでしょう」
「だって、武具の方はミスリルを微量混ぜ込んだ、貴族たちの領軍や私兵なんかを対象にした新商品の量産試験も兼ねてるから、工房の予算につけるものだと。あと、食料は城の厨房と一緒に注文した方が安いっておじいさまが言ってたし、そっちに合わせてつけとけばいいのかと」
膝をつき、頭を抱えてしまったギュンター。
「あの、フィーネ? 俺、給金を出しちゃダメだったのか? そんなものなの?」
「幼いころから親衛隊に居たので社会一般のことにはそこまで詳しい方ではありませんが、少なくとも私は給金を宮廷費から毎月きちんといただいてますし、そんなものかと思っているのですが……」
「皇女殿下の親衛隊ならば、常に皇女殿下の警護を行なっています。領軍ならば、日々の見回りなどで治安維持に貢献しております。しかし、その他の兵士たちは、普段は何もしていないではないですか。給金の不払いや遅配など、普通のことですぞ。長期間まったく支払わないのはさすがに酷いとも思いますが、食と住については現物で支給しておりますし、別に一部不払いくらいは当たり前でしょう。技術も知識もない連中を、何もしなくても食わせているのですから、向こうも文句はないでしょう。戦いがあったときに臨時の褒賞金を出せば十分です」
そんなものなのか。少なくとも、ここでは。
聞いたフィーネも素直に納得してるし、この考え方に至る道筋が、ここではそうおかしくないんだろう。
てか、労働法関係の法令が特にないとは言え、たぶん、前世の感覚と『契約』についての考え方も結構違うよな、これ。
フーニィでアランも言ってた『商人は、契約を守る』って言葉は、思ったよりも重い言葉なのかもしれない。一般的な契約概念がこれくらい緩いからこそ、大金を動かすので簡単に大損害に繋がる商人たちは、契約を守ると特に宣伝しないと信用不足で取引にならないのか。
「しかし、交代で認めていたマントイフェル城下への外出の際、やけに酒場や娼館で羽振りがいいとは聞いておりましたが、そういうことでしたか。最初は喧嘩などもあったのが、ここしばらくは大人しいのも、金払いが良いことに気付いて問題を起こして追い出されたくないから。初期に街中で傷害事件を起こした連中を追放したのも効いている……なるほど、そんな事情でしたか」
「えっと、ギュンター。これからは、給金を削った方が良いのか?」
正直に言えば、約束した分の給金も払わないのは、前世の感覚的に抵抗がある。
だけど、こっちにはこっちのルールがあるからには、全く無視するのもそれはそれで抵抗があるし。
どうしたものか。
「今から削る、ですか……」
「あの、練度の面からすれば、給金をしっかり払っているからこその現状だと思います。最初の頃の様子を見れば、特に。それに、最初から不払いなどがあればそんなものかと納得するかもしれませんが、ここに来て急に、では反発が大きくなるのでは? 練度低下と合わせて、それらはお考えいただいた方が良いかと」
そう言うフィーネの顔は、険しい。
練兵をしに来たフィーネとしてはやる気の高い今の方がありがたいけど、お金を出すのはこっちだからこそ遠慮もあるのだろう。
それでも迷うギュンターに、俺からも少し意見を言わせてもらおうか。
「あのさ。さっき、酒場や娼館で羽振りがいいって言ってただろう? 復興しきってないことや地理的条件もあってズデスレンほどには好況じゃないマントイフェルにとって、貴重な『お客様』でもあると思うんだ。それに、あの『ならず者』たちが自発的に大人しくしてくれるなら、治安面でも助かるし。宵越しの銭なんて持たない連中が多そうだし、給金が巡り巡って未来の税収として返ってくるって考えたら、練度のことも考えて今のままでいいんじゃないかなぁって」
ギュンターの様子を窺いながら自分の意見を言ってみれば、膝をついたままため息一つ。
こっちの心の中を見透かされたか、なんて勝手にビビッていれば、頭を抱えつつも立ち上がったギュンターが口を開いた。
「ここまで来れば、仕方ありますまい。ご当主様への、刃引きした武具の費用や領地予算につけている食費などの追加予算の説明は、カール様からお願いします。流石に、私の領分を越えております。金で兵の質を買った、と思えば今の男爵家にとっては悪い話でもありますまい」
ここで口をつぐんでフィーネをちらりと見たのは、「まあ、精々カール様が中央での経験を積んで皇女殿下の下を辞して領地に帰るまでの数年のことですし」なんて、エレーナ様の側近の前で言えないからだろう。
おじいさまに説明して予算配分が終わったこの時期にお金を無心するなんてちょっとばかり気まずい仕事は増えたけど、一般に想定されるよりも上質な兵力が手に入りそうだし、私兵たちのやる気の秘密も分かったし、結果オーライで良いのだろうか?
◎帝国中央放送局『十九時のニュース』大陸歴二〇一三年十一月二十三日放送分
「こんばんは、十九時のニュースです。本日最初のニュースは、現在世間をにぎわせている帝国電気通信社の過労死問題に関係しての帝都大通りの大規模デモについてです。もはや個人の死亡との枠を超え、社会全体に労働問題の深刻さを投げかけた事件についてまずは民事事件として訴状が裁判所に提出されたことをきっかけに、ブラック企業・ブラックバイト撲滅を訴えたものです。主催者発表六万五千人、警察発表一万二千人の本日のデモの代表者のインタビューです」
『労働法なんてなかった時代においても、兵士への給料未払い・遅配が当たり前の時代だと言うのに、あのカールは私兵たちへ一度も遅れずに給料を払い続けて歴史に名前を残す基盤を作った。一方ですね、労働法があるのに、それに反して給料をまともに払うこともできないような、人材をないがしろにする連中が、まともな会社を作れるものか! 私たちはそう言いたいんです! 帝国電気通信社って、帝国を代表する大企業ですよ? それがこの体たらくなんて、恥ずかし過ぎます! しかも、これは一企業の問題じゃないってのが一番悲しいです! 人間を使い潰して、あいつらは恥ずかしくないのか! 少しは偉大な先人の行動から学べ!』
「一連の問題についてフォン・マントイフェル労務大臣は本日午後の記者会見において、『我が家名にかけて、この問題を徹底的に解決します』と改めて述べました。次期宰相候補として世論調査においても一位と僅差の二位につけているフォン・マントイフェル氏。自らの在任中に労務管理の優良企業と認定した企業から過労死者が出たことは大きな痛手になるとみられており、来年三月に迫った党内の代表選に向けて失点を取り戻そうと、迅速かつ徹底した対策が近々なされることが予想されています。では、この問題について帝国中央アカデミー法学部教授で、労働問題の専門家でもある――」
(以下略)




