第二話 ~『奇跡』の代価~
マントイフェル城を包囲する一万の王国軍陣地。
その本陣では、一人の若者があふれ出る感情を、あふれ出るままに吐き出し続けていた。
「殺せ! 殺し尽せ! あの小城に籠る無礼者どもを徹底的に辱めろ!」
その男は、軍勢の幹部である十一人の中年以上の男たちに比べて圧倒的に若いにもかかわらず、気にする様子もなくその中心で拳を振り上げていた。
それでも、誰も注意しようとはしない。
一部の者は、腫れ上がり前歯の砕けた男の顔で怒り狂っている光景に吹き出しそうになっているのを必死でこらえているが、怒りで周囲が見えないのか、当の本人は全く気付いていない。
「若君、少しお待ちください。こちらとしても状況が分からなければ、動くに動けませぬ」
「黙れ! さっさと殺せよ! それで十分だろうが!」
軍を率いる指揮官の言葉にも、若君と呼ばれた男が落ち着く様子はない。
殺せと簡単に言われても、本隊と合流しての帝国軍との決戦前に兵力はできるだけすり減らしたくないし、すり減らさないために数百人規模の動員力しか持たない小領主たちのところへ万の軍勢を振り向けて降伏させようと圧力を掛けているのだ。
それを、まともな報告もせずに戦えなどと、普通ならば通るわけもない言い分だ。
名目上は部下であるはずの若者を見て、指揮官は気付かれないように心の中でため息を吐く。
思い返せば、一軍の指揮官のポストなどにつられて、こんなバカの『お守り』を引き受けるべきではなかったのだ。
若者は、この場に居る面々の属する派閥の長であるシュルーズベリー伯爵家の嫡男。だからこそ誰も機嫌を損ねたがらないし、軍制上の上下関係とは異なる関係が生じてややこしくなっているのが現状。
現当主は若いころから武名を轟かせ、一代で派閥を急激に拡大した傑物だが、その子の面倒を見ることになった指揮官にとっては、我が子可愛さで判断を誤ったとしか思えなかった。
『別働隊の中で一個師団を指揮できる立場に推挙するから、息子に何か功績を挙げさせてほしい』なんて聞いた時、父親が優秀だから子供もそれなりにはできるだろうなんて甘い考えだったのだ。
むしろ、数年前に成人したはずなのに気心の知れた面々の集まったパーティくらいしか社交界に関わらせず、派閥員も大半が彼を見たことがない時点で何か問題があったのは明白だ。
だが、そうして後悔していてもどうにもならない。
「戦うにしても、情報は必要なのです、若君。『従軍のみを条件に降伏』という条件で、相手側は本当に拒否したんですか? 何か追加要求などは?」
「んぁ!? ちょっとばかり条件を増やして突きつけたらいきなりこれだぞ! 交渉の常道も知らんあんな辺境の蛮族ども、さっさと皆殺しにしろ!」
その時、この場に居た全員が理解した。
この調子で『交渉』して、相手を怒らせたのか、と。
指揮官の中では、この時点で再交渉の可能性が消え去った。
おそらく、向こうも勝ち目のない戦いに身を投じることを決めるほどに怒り狂っているはずで、別に使者を立てても交渉にもならずに殺されかねない。
このバカは父親に付けてもらった護衛騎士の力と、相手側におそらくは交戦の意思がなかった隙によって帰ってきてしまったが、次の使者が城の射程圏内に入った瞬間に敵方の攻撃にさらされて開戦の合図になるだけの可能性が高い。
今までは順調に降伏させてきたのに、この若者が功績欲しさにか自分に交渉させろと言い出したときに、多少の不興を覚悟してでも断ればよかったのだ。
まあ、後のことを考えれば、できるわけがないのだが。
こんな小城から搾り取れる程度の物資、本隊との合流のための急ぎの時であるのに、運び出す時間と運搬の手間がかかるだけで不要なのだ。
そんなもののために無駄な戦いをして予定を遅らせるという自分の失態が増えることに指揮官は頭が痛くなってくるも、こうなればやるしかないと腹を決めていた。
最終的にはこっちが勝つに決まっている戦いの一時の勝ち負けよりも、ここで大きな損害でも出そうものなら、自分の将来が無くなりかねないのだから。
「やつらは我々にこう要求した。『すべてを差出し、そして飢えて死ね』。このような暴挙が許されるものか! 我らに降伏すら許さず皆殺しにしようというのなら、我らは我らの意地を見せつけてやろうではないか! 奴らの悪意に対し、その報いをくれてやるのだ!」
「「「「「「おぉーっ!!」」」」」」
交渉の翌朝、日の出の直前。俺が当主代行として預かるマントイフェル城の外壁城門守備隊に対して演説を行っていた。
すでに動き出している他の兵士たちに対して行ったものと、ほぼ同じ内容で、返ってくる反応も今までと同じく中々の好感触。
こんな誰が見ても負け戦な状況、相手側の発言を少々誇張するくらいのことでもして戦う理由を与えなければ戦いにならないに決まってるから、内容についてはツッコんではいけない。
少なくとも、俺が兵士ならすぐに逃げるか降伏を考えるし。
兵士たちの士気が上がったことを確認し、後ろに控えていた俺の守り役のギュンターと二人で本丸へ向けて歩いて帰る。
「カール様……」
「ああ、うん。みなまで言わないでくれ、ギュンター……」
そりゃあ、ちょっと……ほんの欠片くらいは俺も悪いかもしれないけどさ。
う、嘘じゃないし。かなり大げさかもしれないと言えないこともないけど、言ったことは嘘じゃないし……うん。たぶん、きっと……。
十四年間生きてきた土地の人々の命を軽んじられるようなことを言われて、前世の日本での『命大事に』の価値観とこっちでの人生から来る思い入れが合わさって、心労続きでガタガタだった感情が暴走した結果、とか言うとかっこよく聞こえないでもないんだけどなぁ。
実際は、後先考えずに感情のまま暴れて、そのうえ、一般兵が睨まれるだけで逃げ出すような護衛の凄みに押されてあの使者に止めをさしそこなってるし。
……いかん、いかん。今は、これからのことを考えないと。
「えっと、ギュンター。頼んでおいた策はどう?」
「ええ、確かに手配しておきましたぞ。ただ、ビアンカの方は随分と戸惑っておりましたので、カール様の方で直接お声がけをなさるのがよろしいかと」
「そうか、分かった」
その時、後方の城門が騒がしくなる。
夜明けとともに戦いが始まったのだろう。
最高指揮官である俺は、戦いが始まってしまえばやれることはほとんどない。
男爵家当主のおじいさまが指揮を執るべきなんだけど、体調が悪かったところに降伏するはずが戦をするなんて言ったものだから、心労で完全に倒れてしまった。
でも、本当ならば始まるまでに色々やるのが指揮官として一番の仕事のはずなんだけど、今回は十分にやったとは言えないあたりが悲しいところだ。
状況が動いたので歩調を早めて二人で本丸最上階の司令部へと急ぐ。
それでも指揮官自ら駆け回るなんてところを見せると兵士が不安になるからとのギュンターの言葉に従い、走りはしない程度に進む。
城に入れば、城下や周辺から城の建物の中へと避難している住民たちに笑顔を振りまいて少しでも安心させようと試みつつ、人手不足で兵士の全然いない城内を行く。
そして、扉を守る兵士すら配していない司令部の扉を開いた。
「あぁっ! カール様! どういうことですか!?」
「やあ、ビアンカ」
中に居たのは、ローブを着て胸ほどの高さの杖を突き、栗色のミディアムヘアに三角帽子を乗せた俺の五つ年上の魔女。
今年度の頭、つまりは先月である四月から、前任の八十歳過ぎのおじいちゃんの後任としてきた我が男爵領唯一の魔法兵。
「ギュンターさんから聞きましたけど、カール様は魔法兵に対して過剰な幻想を持ってませんかね? あの、四百人で一万人を敵に回した今の状況を一発で大逆転できる大魔法とか、物語の中にしか存在しませんよ? 本当に、隠し持ってたりしませんからね?」
「いやいや。そんなことは重々承知だし、一発大逆転とかそう簡単にできるとは思ってないよ。ただ、可能性があるなら、やるだけはやってみようってくらいだし」
「は、はぁ……」
黙って控えているギュンターは無表情なのに対して、若さ故か性格故か、真っ青になっているビアンカの動揺は分かりやすい。
まあ、前任のおじいちゃんのツテで何とか来てもらったら、赴任して二ヵ月もしないうちに就職先が物理的に消滅しそうな大事件だ。気持ちは分かる。
「まあ、心配しなくても大丈夫だって。魔法の資質持ちは希少なんだから、ビアンカは再就職先なんていくらでもあるし。いっそ、王国軍に言えば、二つ返事で採用してくれると思うぞ。なんなら、一筆書くし」
「……私って、たった二か月弱とはいえ一緒に居た人たちがピンチって時に、自分の収入の心配をするような薄情な人間に見えますかね?」
「うーん……割と?」
「ヒドいっ!?」
涙目になるビアンカに対して冗談だよ、なんて言いながら笑い掛けつつ、指揮卓の椅子に腰掛ける。
もう限界だったんだ。
明るく振る舞って、ちょっとからかってみたりして、それでも足の震えを止められなかった。
だから、誤魔化すためにさり気なく座って足を隠した。
きっと気付いてるだろうけど触れないでいてくれているんだろうギュンターや、少しばかり拗ねてしまったビアンカと司令室に控え、定期的に報告を受けたり作戦の進捗を確認しながら日暮れが迫ったころ。
ついに、待ちに待った事態がやってきた。
「カール様。ついに来ましたな」
「ああ、鐘の音だ。時間的にもちょうど良い。――それじゃ、ギュンターは俺と二階のバルコニーへ。ビアンカはここの窓から、打ち合わせ通りによろしく」
そのままビアンカの返事を背に、ギュンターと階段を駆け下りようと司令室を飛び出したところで息を切らせた兵士が現れた。
「み、見張りから報告! 城壁を抜かれました! 守備隊はご指示通りに城を目指して一直線に撤退し、こちらは合図の鐘を鳴らしております!」
「よし、分かった。下の連中に最後の伝令だ。予定通りに、と」
「はっ!」
そのまま階段を駆け下り、伝令と分かれた俺とギュンターは二階バルコニーへと飛び込む。
そこでは、城門の守備隊を追いかけて城下町を城へと迫る膨大な数の敵兵と逃げる守備隊の生き残り、それらに見つからないようにバルコニーの影に身を隠す弓兵十人と投石兵六人が居た。
敵兵は順調に城へ向けて突っ込んできている。
さあ、もうすぐ予定の場所だ。
もう少し……今だ!
「耳を塞げ! 来るぞ!」
敵の位置が見えていない弓兵や投石兵たちにそう命じ、俺も両手で耳を塞いで身を低くする。
続いて響き渡るのは、体の芯まで響くような爆音。
備えていたのに少しふらつく頭に鞭打って様子を見れば、何ごとかと動きを止めて渋滞を起こす王国軍と、蜘蛛の子を散らすように脇道や路地へと逃げ込んでいく守備隊の生き残りたち。
思い通りに進む状況に自然と笑みを浮かべながら、夜戦での同士討ち対策に、と全員に持たせておいた識別用の白い布を自分の左腕に巻く。
魔法兵の『攻撃力』は、一万の兵どころか、一撃で数人を対象にするのがやっと。
ただし、『影響力』までその程度とは言っていない。
先月のおじいさまの誕生日用にビアンカに練習してもらった演出魔法。クラッカー代わりのはずが魔力を込めすぎて町中が大騒ぎになるような爆音騒ぎになった失敗魔法に限界まで魔力を注ぎ込んで発動させ、城門から城への道を埋め尽くさんばかりの大軍がその動きを止めた。
さあ、敵の勢いは殺した。
次は、俺たちが流れを作る番だ。
一部の民を飢えて死なせて、残りを確実に生かすか。一か八か、みんなで生き残る可能性を探るか。
その過程は情けない限りだったが、俺たちは選んでしまった。
その道は、万が一成せたならば、奇跡としか言えないだろう困難な道。
普通なら、ありえないとしか言えない可能性。
でも、ここに『ありえない』存在がいるんだ。
記憶を引き継ぎ、二度目の人生を生きるという『奇跡』。
だったら、数十倍の敵を前に故郷を守るくらい、簡単な『奇跡』じゃないか。
もちろん、奇跡は起こりえないからこその奇跡。
だからこそ、その奇跡の体現たる俺が、二度目の壁を越えてみせよう。
そのために、相応の覚悟を、相応の対価を示してやろう。
「ひ、火だ! 火事だ! 城下が燃えている!」
「うわぁ! 急げ! 全滅するぞ!」
「ふ、伏兵だ! 帝国の伏兵だ! 囲まれてるぞ!?」
よし。混乱する隙をついて紛れ込むようにして置いた仕込みも、何か所かで同時にちゃんと働いた。今起きていることを盛大に宣伝してくれている。
これで、多少でも王国側に動揺が生まれるはずだ。
さあ、やれるだけのことはやった。
おあつらえ向けに日もほとんど暮れ、上がる火の手に空が照らし出されている。
うん、状況は最高。敵をかき乱すのに、これ以上を望むのは高望みが過ぎるだろう。
「弓兵隊・投石隊斉射! さらに開門し、歩兵隊は一斉射後に全軍突撃せよ! 誰一人、生かして帰すな! ――行くぞ、ギュンター! 俺たちも第一陣に続いて突撃だ!」
奇跡を、起こそうじゃないか。