第二章最終話 ~次の一歩を踏み出すために~
「よし! 勝ったな!」
エレーナ様がそんな言葉を発するまで、そう時間はかからなかった。
戦いは一方的で、なんの見どころもないままに戦闘音も消え去っている。
俺は、俺の言葉を受けて最前線の一歩後ろに控えているエレーナ様の側に、ギュンターと、いつの間にか居たエレーナ様の秘書兼親衛隊副隊長のハンナと共に馬を寄せていた。
正直、エレーナ様の槍捌きを見た後じゃ、どっちが護衛されてるんだか分からないけど、何があるか分からない。
まあ、賊が死兵にならないように適当に追い散らして勝手に他の場所に行ってもらう作戦は何ごともなく終わったみたいだけど。行った先の住民にはとんでもない話だろうけど、こっちには最後の一兵まで死力を尽くして戦うような死闘に巻き込まれて無事で済むほどの物量はないんだ。現地の領主に頑張ってもらおう。
後処理はここの政庁に丸投げだし――なんて、戦後処理のことを考えていると、血相を変えた親衛隊長のフィーネが自分の足で駆け寄ってくる。
「あ、あの! エ、エレーナ様!」
「うん? どうしたんだ、フィーネ。馬から降りて――って、泣いているのか?」
エレーナ様が馬から降りて聞いてみても、要領を得ない。
周りの少女たちもなんだなんだとざわめく中、エレーナ様も急に青くなり、そのまま二人で駆け出して行ってしまった。
「って、待ってください、エレーナ様!」
何事か知らないけど、皇女殿下を行かせっぱなしってわけにはいかない。
終わったと言っても、ここは戦場なのだ。何があるか分からないんだから。
俺にハンナにギュンター、後は何人かついてきている様子の親衛隊員たちで馬を駆ける。
たどり着いた先は、そう遠くない。
賊が居た天幕の集まってる辺りからは少し外れた、森の手前。
武装した男女の賊の死体が二つずつ、仰向けに大地に倒れる親衛隊の少女、その少女を囲むように涙を流すフィーネを含んだ四人の少女に、こちらに背を向けて膝をつくエレーナ様。
「ごめん、なさい、エレーナ、様……味方から離れすぎたらダメって、言われたのに……」
「ミーナ……」
倒れ伏す少女の側には、その乗っていただろう馬の死体が倒れ、腹部の鎧の隙間には、少女を大地に縫い付けるかのように大剣が突き立っている。
自然、誰ともなく馬から降り、兜を脱いでいく。
俺もその流れの中で下馬し、ただ静かに見守っている。
命の火が消えゆく少女の姿に、初陣でギュンターにぶん殴られてようやく止まった自分自身の姿が重なる。
熱に浮かされるままに不必要に突き進み、返り討ちにあったんだろう。
初陣での制御しきれない高揚感は体験したばかりで、初陣ばかりの少女たちがこうして失敗してしまうかもしれないってことは、伝えなかっただけで予想してたじゃないか。
俺やギュンターの手の長さが限られているのは分かるけど、それでもやっぱり変な緊張を招く危険に目をつぶってでも初陣の危険性を説くべきだったんじゃないかって思いが、ぐるぐると頭の中を回る。
「私は、ここまで、みたいです……エレーナ様、後のことは……故郷のことは、お任せ、しま、す……」
「ああ……ああ……! 必ず、必ずみんなの思いを、西方を救うんだって思いを引き継ぐ! 必ず、叶えてみせる!」
息絶えた少女の亡骸を囲み少女たちの鼻をすする音だけが聞こえる中、何となく良い雰囲気が作られる。
いや、これはダメだ。
たぶん、ダメだ。
「エレーナ様」
「何だ、カール」
「これからも、戦えば死人は出ます――今なら、引き返せると思いますよ」
一言目に背を向けたまま答えたエレーナ様は、二言目にその背を震わせる。
ギュンターは、思っていても俺を置いて発言するのを遠慮してるのかもしれないし、分かっていて違う結論に至ったのかもしれないし、仕える身では思い至らなかったのかもしれない。
俺の初陣の時、俺の指揮で『部下』が死んだことはショックだった。
その後もすぐに軍勢が迫ってきたり帝都に呼ばれたりがあってなんとなく胸の奥底に押しやられたけど、『仲間』を失ったエレーナ様も、同じように越えられるんだろうか。
みっともなく泣きわめくとか、いっそ作戦を立てた俺のせいにして怒鳴り散らすとか、感情を爆発させてくれるなら、まだ安心だ。
一番怖いのは、抱え込んで、ある日突然折れてしまうこと。
だからこそ、無理をしているなら、俺がつついてでも吐き出させないと、って思いからこの場で発言した。
「なあ、カール」
「はい、エレーナ様」
そこで立ち上がって振り向いたエレーナ様の目を見て、その答えを理解した。
「言っただろう? 私は、みんなの思いを叶えてみせる」
その力強い目は、背負った思いを正しく力に変えてひたすらに前へと進む将たるものの目だだった。
「今日の日の始まりの勝利と、散っていった戦友に」
そんなエレーナ様の言葉で始まった祝勝会は、朝に作戦会議をした大食堂でしめやかに始まった。
このままお通夜ムードで進むのかな――なんて俺の認識は、非常に甘かったと言えるだろう。
「陸軍のお偉方は、みんなエレーナ様を馬鹿にしてるんです! 皇女で将軍なのにですよ!? 全員、不敬罪で処刑だぁ! ――あっ! グラス空いてますよー。ほら、カールさん。飲んで飲んで~」
「アッハイ」
なんで俺は、親衛隊副隊長さんにがっちり肩を組まれながら、まだ半分以上は残ってるグラスに強めの果実酒を注がれつつ、その愚痴を聞かねばならないのか。
一杯目を飲み干した辺りで怪しくなり、一ビン空くころにはこの様だ。
帝都で合流した時に軽くあいさつした以外は会話もなかった寡黙な少女のこんな姿を見せられたら、いったいどうするのが答えなんだ?
おう、とりあえず、向かい側に座って爆笑してる、軽く出来上がってる皇女殿下と親衛隊長さんは、後で二、三発ぶん殴ってもいいよな?
いや、こうなるのが分かっていてさっさと逃げただろう他の少女たちよりはマシだって考え方もあるけどな。
ちょくちょくある戦争に賊に病にって、死が身近なこの世界の少女たちは、切り替えるのもとても上手いらしい。
俺のところも、姉上のさらに上に姉が三人と兄が一人いたらしいけど、みんな俺が生まれる前に赤ん坊のうちに死んだらしいし。母上も、俺を生んだときは家が大変な時期でストレスもあったのか、そのまま死にかけたらしいからな。
そして、それは別に珍しいことじゃない。
まあ、現代日本メンタルが基本の俺が首を突っ込まなくても、この場の多くがきっと身内や知り合いを失っている少女たちの方が、世界はそういうものだって素直に受け入れられる分、悲しみの乗り越え方はよく分かってるんだろう。
で、その少女たちを含む他の連中が何をしているかと言えば、
「おじさま! もっと戦場でのお話聞かせて!」
「そうそう! 先帝陛下のご親征に従軍して北の連合王国と戦った時の話をもっと詳しく聞きたいわ!」
「う、うむ……」
って感じで、若い娘に囲まれて戸惑うギュンターに、過去の戦いのお話をねだっていた。
俺が隣の酔っ払いの相手に四苦八苦している間に、いつの間にかこんなことになっていた。
そんなに面白いのかね?
今度、ギュンターに聞かせてもらってみるか。
なんて思ってると、こっちをチラチラ見ながら、必死に助けを求めるギュンター。
仕方ないなぁ。
「みんな! 何年も子どもができなくて、愛人を囲える格じゃないから跡取りの確保のために妻との離縁を勧められても、勧めてきた親族を一喝して斬りかかろうとするのを嫁さんが必死に押さえようとしてたこともあるほどの愛妻家だから誘惑しないであげてくれ!」
きゃーきゃー騒ぐ少女たちに、さらにおろおろするギュンター。
やっぱり、世界が違えど、少女たちは恋バナに喰い付くんだな。
従軍したと言ってもド田舎貴族の陪臣だから語れるようなネタが少ない従軍話から、自分が主人公だからいくらでも語れる奥さんとの話に話題をそらす。
ああ、良いことをした後は、気分が良いなぁ!
「カールさ~ん? 聞いてますかぁ~?」
「あ、うん。聞いてるよー」
と、また中央の聞いたこともない連中の愚痴を聞き流す仕事に戻る。
その間に頭に浮かぶのは、ギュンターのことだ。
そこまでして愛し合った妻との間にやっと生まれた一人娘が、カルラだ。
それを、姉上と共にゴーテ子爵のところに送り出して、しかもルッツのところに嫁に出すことになった。
才能が希少な魔法兵として平気で女性が社会進出してるこの世界では、女性の社会進出への意識の壁はまだ低く、女性の当主や官僚なんかも多くはないが存在する。
少なくとも、一人娘だったら、その子を当主にして婿を取るのが普通だ。
確かに、妊娠中は政務はもちろん貴族当主の一番大事な勤めの一つである領軍を率いての参陣ができなかったり、出産時に母体が死亡して後継争いが急に発生する危険が低くなかったり、乳幼児死亡率が高いのに側室や愛人に産ませて子供の数を増やすって対策も取れなかったりで、男子が居るならそっちに継がせようって考えが多い。
でも、ギュンターがカルラを嫁に出したのは、きっとマントイフェル男爵家に先がないと見たから。
自分自身は忠義を尽くしたとして、子孫にまで苦労させたくないからこそ、大事な一人娘や、いずれ生まれてくる孫との生活を諦めたのだと思う。
ギュンターに聞いても認めることはないだろうけど、そうでもないと、そもそも結婚のアテもなく一人娘を送り出したことの説明が付かないし、たぶんあってるだろう。
また一つ、西方諸侯の失脚による身近な影響に気付いて頭を抱えていると、かわいらしく俺の袖を引く酔っ払いが一人。
「ねーえー! 聞いてますかぁ?」
「あー、はいはい。しっかり聞いてますよー」
また違う意味で頭を抱えていると、これまでこっちを見ながらフィーネと爆笑するだけで助けてくれなかったエレーナ様が、酒瓶を持ってこっちに差し出してくる。
「ハンナ、いつもご苦労。ほら、飲め飲め!」
「おぉー! では、ご遠慮なく~!」
こきゅこきゅこきゅ、と俺の肩はあくまでガッチリつかんだままで、かわいらしく一気にグラスを空っぽにしてしまっている。
……そろそろ危ないんじゃないか?
「うひぃ~……はぅっ……くー、くー」
俺の心配なんて気付いてもいないだろうハンナは、ついに許容量を超えたのか、やっと意識を失って寝落ちした。
まあ、酔っ払いの愚痴に比べれば、なぜか俺の腕にしっかり抱きついたうえで俺の肩に頭をのせてすやすやと少女が眠るくらいは問題ないだろう。
「ご苦労だったな、カール。ハンナはいつもこうなんだが、それでも酒が大好きでな。潰れるまで相手をしてくれて助かった」
「いえ、エレーナ様。考えようによっては役得ですし。ハハ……」
「教官。ハンナは日によりますけど、なんとなくは覚えてますから。良ければ、後でいじってやると面白いですよ?」
満面の笑みで仲間を売るフィーネにあいまいな笑みを返していると、真剣な顔でエレーナ様が口を開く。
「本当に、ありがとう。今日の勝利も、カールあってこそだ」
「そんな、今までの皆さんの訓練あってこそです。それに、防げた犠牲も出ました……」
「何を言う。私たちだけでは、どうするべきかすら分からなかった。そこに道を照らしてくれたからこそ、みんな安心して進めたのだ」
「何より、教官自身がおっしゃったじゃないですか。『戦えば死人は出ます』よ」
一人前にエレーナ様の心配をしていたはずが、気が付けば俺が少女二人掛かりで慰められている始末。
本当に俺も、まだまだだなぁ……。
「さあ、まだまだ先は長い! 次に向かって頑張るぞ!」
「次ですか。次に進むならやっぱり――」
「やっぱり?」
「やっぱり……あ! いえ! なんでもないです! ハハハ……」
危ねぇ……。
俺が協力するって言った時みたいに、またエレーナ様の脳内で既成事実化されても困るからな。
ちゃんと、こっちで根回ししてから言わなきゃ。
そろそろ腕もしびれてきたし、人様を抱き枕に気持ちよさそうに眠る少女をふりほどいても良いものか考えながらグラスを傾けつつ、真っ赤になって若かりし頃の恥ずかしい恋バナを話したくないと許しを請うギュンターを眺める。
そんな宴は、日が昇るまで続くのだった。
『エレーナの初陣』
記録が残っていないため、後世では一切が不明です。
原因:戦いそのものの、意味も規模も小さすぎる。




