第十章最終話 ~仄暗い戦いの底から、次の戦場へ~
「うん、ランチに景色に、流石は自由都市フーニィでも最高級のレストランだったな」
「ええ、本当にそうですね」
そうして俺とフィーネが食後のティータイムを楽しんでいるのは、幸福薬の捜査のために放蕩貴族どものたまり場に突入する直前に二人でディナーを楽しんだ店の、最上階貴賓室のテラスだ。
「それにしても、事件が片付いたらランチに連れてきてくださると約束はしましたが、こんなに早く来れるとは思ってませんでした」
「まあ、カルロ・ロッシーノって表向きの黒幕は死んだとはいえ、後始末をつけないといけないことが山ほどあるのに、エレーナ師団に出陣の勅令が出たらしいからな。しかも、すでに帝都を出ているとなると、俺らも急いで合流せざるを得ないし、今しかなかったからな」
俺達もまだ概要くらいしか連絡を受けていないが、緊急事態ってほどではなさそうなのはいいけど、かと言って、自領の仕事優先で後回しにするわけにはいかない。
そこで、この地域で最大クラスの商人ネットワークの元締めであるフーニィに、俺が去った後の後始末の協力依頼のためにやってきているのだ。その空き時間に、約束のランチを済ませたのが今である。
なお、連絡を受けてから2日後の昨日の昼前にフーニィに来てから、すでに二十件以上のあいさつ回りを行っていること。そして、この後は協力の対価の一つとして、偶然今夜予定されていたパーティに市長の賓客としてサプライズ出席した後、明日の朝一でエレーナ師団との合流のために出発すると言えば、どれだけ慌ただしいかは伝わるだろうか。
「……カール様」
「ん? なんだ?」
フィーネの方から声をかけてきたのに、なぜか言いよどむフィーネ。
どうしたのかと少し待っていれば、おずおずと口を開いた。
「カルロ・ロッシーノを生きて確保できていれば、後始末でここまで手を焼くこともなかったですよね?」
「まあ、その可能性は高かっただろうな」
「あのとき、カルロ・ロッシーノたちのところに乗り込んであんな騒動を起こさなければ、カール様ならば生け捕りにできたんじゃないですか?」
「あー、またその話か? みんなにも散々怒られた時に説明したけど、あの状況で一番生き残れる可能性の高い選択肢を――」
「それは、カール様ではなく、護衛の『私が』生き残れる可能性ではないんですか?」
「……え?」
今まで説教されてきたのと違う方向に話が流れたことに驚いて言葉に詰まっていると、フィーネはさらに言葉を続けていく。
「初回の襲撃は、私を連れて何とか乗り切りました。でも、怪我人、それも足を負傷した護衛を連れて、そう何度もできることではありません。次に襲撃があれば、私を敵中に置いていかざるを得ない可能性が高い。だからこそ、私のため、あんな奇策に出たんではないですか?」
「なんだ、そんなことを気にしてたのか」
「そんなこと、ではないです。結果論ですけど、同日、ロッシーノ一家への作戦のために警戒が薄くなった隙を突かれて、マントイフェル城郊外にある鉄砲の秘密研究所にも侵入者が居たんですよ?」
ああ、その事件か。
家臣団の大半にも秘密の鉄砲の研究施設において、開発責任者のリア・アスカーリが、正体不明の侵入者と鉢合わせたって事件だ。
結局、リアを筆頭とした戦場経験のある鍛冶師たちを中心に、侵入者2名が射殺との結果になった。
「てか、あの件は、第三勢力が急に現場判断で便乗しただけの可能性が高いって結論になったろ? 各資料や試作品も確認したら紛失ゼロで何も盗られたりしなかったからな。それに、両方が繋がってるにしては、準備がずさんすぎたしな」
「でも――」
「どうせカルロ・ロッシーノを確保できても、こっちの件の結論は変わらなかったよ。いっそ帝都郊外に研究施設を極秘に急ぎで移転して、諜報部の方で人員を集中運用して防諜能力を上げるって結論は、な」
三大派閥に色々探られる可能性があるにしろ、そっちの秘匿はエレーナ師団に鉄砲の試験部隊をつけるために何か考えると、すでにマイセン辺境伯から言われている。
そうするつもりか知らないが、そのマイセン辺境伯のアイデアに便乗させてもらおうってことだ。
で、この辺りの説明をしながら、どうしてフィーネがこんなことを言ってきたかの心当たりが一つ思い浮かんだので、ストレートにぶつけてみることにした。
「フィーネ、お前、もしかして護衛なのに足を引っ張ってしまったとか思ってるのか?」
フィーネの肩が小さく震える。
どうやら正解を引いたらしい。
「確かにさ、あの時、お前を見捨てて逃げる可能性とか、それで生き残れる可能性とかも踏まえて、あの結論が一番安全だと判断はした。その意味では、お前が生き残る可能性が高い決断をしたと言われても、間違いではないだろうとは思う。俺も人間だし、お前を見捨てたくなかったのも事実だしな」
「そうですか……」
「とはいえ、だ。そもそも、俺があそこで裏をかかれていなければあんな状況にはならなかった。もっと言えば、俺自身を囮にするって俺の判断のリスクが表面化しただけ、とも言えるわけだ。そういう意味では、俺自身の責任で死にかけた、俺が生き残るためでもあるわけだ」
「いや、その理屈は流石に無理があるのでは……?」
「要は、みんなが最善を目指して全力を尽くしても、ピンチになるときはピンチになるもんだ。俺だって、何でもかんでもいいように操れるわけでもないしな。だから、いつまでも後悔ばかりしてても仕方ない。反省だけして、とっとと前を向けばいいんだよ」
そんな俺の言葉は、沈んでいるフィーネに対し、あえて軽い口調で伝えた。
フィーネの方は、それに対してキョトンとした顔をした後、ようやく小さく笑ってくれた。
「ふふっ……。確かにおっしゃる通りですね。いつまでも後悔してても仕方ないですしね」
「だろ?」
「それはそれとして、カール様は、ご自身をもっと大事にすべきって点を反省できてるようには思えませんけどね」
「そうか? そんな命を粗末にしたりはしてないだろ? 必要な時には命張るけど」
「だから、そういうところですよ」
そんな感じで、空気が少しばかり明るくなる。
とはいえ、まだフィーネには暗さが残っているようにも見える。
だから、俺としては、気分を変えてやろうと気を使ったつもりだった。
席から立ってフィーネの隣に立つと、彼女の左手にそっと手を伸ばす。
「ほら、ここは景色も名物だし、もう少し向こうの方に行ってもっとよく――」
「きゃっ……!?」
「……きゃっ?」
俺が手を取って立ち上がらせようと左手を握った瞬間、フィーネに手を振り払われた。
いつものパターンなら、むしろそんな行動に対して、俺をからかうような反応でもしてくれるだろうと思っていたが、思わぬ行動に俺の動きが止まる。
フィーネの方は、なぜか自分の左手と俺を何度か見比べた後、「そ、そうですね」と一言残して、先に一人で歩いていく。
そのあと、テラスの端にある手すりの前で二人並んで景色を見てたわけだが、いつもよりも気持ち距離が遠い――ような気がしなくもない。
あと、なぜか顔をこっちに向けてくれなくなった。
もしかして嫌われたかな? とも思ったが、翌朝のエレーナ師団との合流のための出発の時にはいつものフィーネで、何かあったかと聞いてみても、何もないとしか言わない。
そんなこんなで小さな謎が解けないままに、俺達は北へと進んでいくのだった。




