第六話 ~放蕩貴族たちの掃き溜め~
何とも言いがたい匂いに、上品とは言いがたい様々な音があふれる世界。
そんな異様な空間で、先に口を開いたのはフィーネだった。
「どうします?」
「って言ってもなぁ……」
やばいところだとは思っていたが、『会員制クラブ』との名称から、もう少し落ち着いたところだと想定していた。
予定では、適当にその辺の客と交流を深めて、幸福薬の密売ルートの手がかりをつかむはずだったのだ。
しかし、まず目に入るのは、ホール中央に設置されたステージ。
その上では現在、ほとんど裸に近しい衣装をまとった、仮面をかぶっていない若い女性二人が素手で殴り合っている。
それを、ステージを囲むように配置されたソファに座って観戦する五十人ほどの客たち。
殴り合う女性たちの体は、明らかに戦士のそれではないこと。そして、ステージ上に、いかにも賞金です、とばかりに置かれた金貨の山を見れば、おそらく、借金で首が回らなくなった一般人を連れてきて、見世物にしてるってところか。
しかも、ざっと見たところ、金貨の山は、平民が向こう五年くらいは遊んで暮らせそうな金額はある。どうやら、この一戦に勝つだけでもらえるようだが、随分と気前のいい話だ。その分、戦いも鬼気迫るものになっており、客は喜んでいるようだが。
観客は、試合の勝敗の賭けでもやっているのか、試合に夢中で歓声やヤジを飛ばしまくっており、話を出来るような状態ではない。
この一戦で、賞金額以上の利益が胴元に残る程度には金が動いているはずであることからすれば、かけ金もかなりのもののはず。そりゃ盛り上がるだろうさ。
「仕方ない。その奥のバーカウンターで一杯貰って、壁沿いに並んでる半個室にお邪魔しよう。そっちならまだ――」
「ステージの上、見てください」
「うん? いや、さっき見たけど。お前、ああいう趣味が悪いのが好み――」
「いいから見てください」
その固い声にただならぬものを感じ、ステージ上を見て、そして気付いた。
女性たちの目元に濃く浮かぶクマに、血走った目。
それは、最近よく見る症状。
「幸福薬の禁断症状、ね」
「どうします?」
「とりあえず、バーカウンターに行こう。いつまでもここに立ち止まるわけにもいかないからな」
「ただし、できる限り口は付けずに、ですね」
そうして、二人で適当な酒を注文し、出てくるのを待つ。
しかし、最後の発言からして、フィーネも俺と同じ『最悪』の想定にはたどり着いたらしい。
ステージ上の戦い、どちらが勝とうと、おそらく使い道は幸福薬の購入だろう。
そして、仮に、ここの胴元と幸福薬の密売人がグルならどうだ。賞金だと渡した金も、結局は幸福薬の代金との名目で戻ってくるだけ。
これなら、随分と気前のいい賞金の出し方をするのも納得である。
しかも、こんなスキームにほいほい乗ってきそうな哀れな中毒患者は、いくらでも調達し放題。なんせ、『生産者』側とグルなんだから。
とはいえ、現時点では推測に過ぎない。証拠は何もないのだから。
だから、さらに情報を集めるために、壁沿いに並ぶ半個室にいる連中を狙って声をかけてみる。
少なくとも、ステージに熱狂している連中よりは、何か有益な情報を引き出せるだろう。
まずは、一番近くの半個室へ。
「やあ、楽しんで……」
「「「「ひえっひゃふぉっい!!!」」」」
「お邪魔しました~」
騒がしいなとは思っていたが、明らかに目がイってる雰囲気に、気付かれる前に二人でそっと立ち去る。
これ、幸福薬投与直後の、ハイになってるやつだな。目の焦点が明らかに合ってなかった。
てか、中の全員が仮面を投げ捨ててたんだが、店側は取り締まらないんですかね? 半個室の中は感知しませんってか?
気を取り直して、隣へ向かう。
こっちは随分と静かだし、少なくともコミュニケーションくらいは可能だろう。
「やあ、楽しんで……」
「「「「フヒッ……フヒヒ……」」」」
「お邪魔しました~」
異様に静かだなとは思っていたが、明らかに目がイってる雰囲気に、気付かれる前に二人でそっと立ち去る。
今度は、幸福薬投与から時間が経って、湧き出る幸福感に浸りきってやがる。
よだれなんか垂らして、まあ。こんな姿を見ていると、とてもこんなやばい薬に手を出そうなんて思えなくなってくるな。
と、そんなこんながありながら、すべての半個室を回った俺たちは、一つだけ使用されていなかった半個室で並んで座っていた。
「てか、重度の中毒患者しか使ってないってヤバくね? しかも、薬の勢いか知らないけど、こんな簡単に覗ける構造の半個室で乱交パーティを始めるやつもいるとか、もう訳が分かんねぇよ……」
「まあ、収穫もありましたし、いいじゃないですか。これだけ店内で好き勝手を見逃して、店が無関係ってことはないでしょうし」
「それもそうか」
となると、一度引き上げて、フーニィ市長の協力を仰いで、になるな。
ああ、そういえば、この店摘発してってなると出入りしてる放蕩貴族どもの実家がらみでも問題になる可能性があるし、マイセン辺境伯にも協力を仰がんとな。
「じゃあ、ここに居ても仕方ないし、そろそろ引き上げ――」
「突然のご無礼失礼いたしますよ、お二方」
そう言っていきなり半個室内に押し入ってくる五人のガタイの良い男たち。仮面も被っておらず、他の客が親睦を深めに来たって風ではなさそうだ。
うち二人は、並んで座っている俺とフィーネの両サイドに座って逃げ道をふさぐ。
残りの三人は、俺たちの向かい側に腰かけた。
「突然なんだ? 無礼というのは、別に謝罪すれば許されるってものじゃないんだぞ」
フィーネの手を握って動きを制止し、少しばかり尊大な態度をとってみる。
すぐに害そうって様子でもないし、まずは様子見だ。まだ、こいつらの目的すら見えないんだから。
「いや、これは失礼いたしました、貴族様。返す言葉もございません」
そう言ってクツクツ笑うのは、向かいに座る三人のうち、中央の比較的若い青年。
この雰囲気で余裕たっぷりの状況からして、友好を深めに来たって訳じゃなさそうだ。
ふむ、ちょっと揺さぶるか。
「なんだ。ロッシーノ一家では、構成員に礼儀の一つも教えないのか?」
「手厳しいお言葉ですな、カール・フォン・マントイフェル殿。だが、こちらも急なことでして。ご容赦ください」
この程度では動じないか。
そして、こちらの正体は知っている。ほぼ確実に、店側から情報が洩れてるな。
つまり、俺の正体を知った上で、優位を確信できる程度には準備をしたのか。
なら、あれこれと小細工をしても仕方ないな。
「で、そのマフィア風情が何の用だ? 俺も暇じゃないんだ。聞くだけ聞いてやるから、さっさとしろ」
「むしろ、お話があるのはカール殿の方では? 実は、こちらで特別なお部屋を用意しておりましてね。そちらでお伺いいたしますよ」
こちらの動きもそれなりに分かってる、か。
ロッシーノ一家としても、金があるけど面倒くさい、貴族の客が集まるこの場所なら、それなりの地位の人間を、普段から置いていてもおかしくないだろう。
頭の回り方や持ってる情報量からしても幹部クラスだと思われるし、こいつを確保すればそれなりの情報は抜けそうだ。何とか騒ぎを起こすなりして、外のオットーの部下やフーニィ政庁の手の者たちの力を借りて確保するのもアリかもな。
しかし、やはり幸福薬の流通を全く止められていない『敗者』相手に随分と余裕だな。
責任者の俺がわざわざ動いたことも、こちらの余裕のなさと受け止めているのだろう。
現状で、下手な恨みを買いかねない俺の抹殺をする必要性は、ロッシーノ一家にはほとんどない。俺のことを無視する、という選択肢もあった。
俺を放置すればこの店を潰されるかもしれないというのも、こんな噂になるほど派手にやっていれば、遅かれ早かれ、だ。
でも、向こうから『お話』なんて振ってきたのは、ロッシーノ一家としても、俺とは話をつけたいということだろう。
トップのカルロ・ロッシーノは、野心家で、自分を大きく見せたがる人間だという。それなら、この機会を利用して、もっと大きくなってやろうって考えているのかね。
それは望むところだが、このまま素直には乗ってやれないな。
「話、ね。なるほど、すべてお見通しというわけか」
「ええ。それでは――」
「だが、ダメだな」
言葉を遮られた目の前の青年の視線が鋭くなる。
そして、不穏な空気を感じ取って、今か今かと逸るフィーネの手を握って再度抑えると、さらに口を開く。
「お前たち、何か勘違いしてないか? 俺は、エレーナ皇女殿下の右腕だぞ? つまりは、皇女殿下、その属する国そのものを動かすこともできるんだ」
――ああ、やっぱりこいつらの裏には、今回の絵図を書いた黒幕が別に居るな。
それが、俺の言葉に対して、必死に平静を保とうとするも、わずかに口元を引きつらせた青年を見て得た確信だった。
「確かに、俺個人ではどうしようもなかった。だが、この帝国そのものを相手に、勝てると思っているのか?」
まあ、権力が本気を出せば、潰せるさ。
ただし、同時に流通も死ぬから、経済も致命傷を負うがな。
なお、この場合、国が動く必要なんてまったくない。やるなら、この地域を統括するマイセン辺境伯の管轄だ。絶対に許可してくれないだろうけど。
幸福薬問題の一番厄介なところは、末端を切り捨てながら、本体は正常な経済活動に紛れて生き残り続けるところだ。そして、その政治的なバランス感覚に基づいて、幸福薬の根絶よりは経済を守る方がいい、というラインで踏みとどまっているのが、嫌らしいところなのだ。
エレーナ様が国そのものを動かせるって話が、ちょっと政治に詳しい程度の人間にでも嘘だとすぐにわかるのが明らかであることは置いておくとして。
今回の幸福薬騒動の絵図を書いたのが本当にロッシーノ一家ならば、この事情を分かっていないはずはないので、ここで動揺するわけがない。下っ端ならともかく、目の前の青年は、それなりの幹部と目されているのだ。
「だが、なんで俺が出向いてやったと思ってる? それはな、お前たちロッシーノ一家の才覚がもったいないと思ったからだ」
「もったいない……?」
「ああ。俺が今まで戦った数々の激戦。世を騒がせるそれらの戦いの、どの敵よりもお前たちは手ごわかった。だから、手を組みたいと思った」
青年の目が変わる。
お前たちにどんな事情があったかは知らないが、南洋連合から、帝国のこんな田舎までわざわざやってきて一旗揚げようってんだ。
地盤がなくて苦労してるだろうし、何より、お前自身にも野心がないってことはないだろう?
「だが、お前と話せるのはここまでだ。幹部だか何だか知らんが、こんな話、お前たちのボス、カルロ・ロッシーノ以外の誰とやれと言うんだ?」
目の前の青年だけじゃない。この場に押し入ってきた全員の目に、ぎらつくような野心の色を見て、俺は、目の前の連中の答えを確信した。
あとフィーネさん。
本当に危険なのは分かってるんで、そろそろ、体寄せるふりしてわき腹をつねるのやめてもらえませんかね?