第三話 ~「それでも俺はヤってない!」~
「待て、落ち着け。とにかく状況を把握するんだ」
朝日が差し込む部屋の中、ベッドの上で上体を起こす俺は、改めて周囲を見回す。
さわやかな小鳥のさえずり、やわらかな朝の陽射し、同じベッドですやすやと眠るフィーネ、そして、ベッドの周囲に散らばる俺とフィーネの衣服……。
「うわーー!!! やっちまったぁぁぁぁああああああ!!!!!!」
「ふにゅ……朝からうるさいですよぉ……」
「フィ、フィーネ……! い、いや、これは……!!」
俺の叫びで目覚めたのか、眠たげな目をこすりながら上体を起こすフィーネ。
彼女は、そのまま周囲を見回すと、ほほを染め、伏し目がちに一言。
「昨晩は、あ、あんなに激しかったのに、まだまだお元気なんですね……」
「は、激し……!?」
頭が真っ白になる。
え? マジ? これどうすんの?
いや、どうすんのも何も、流石にヤリ捨てって訳には……あれ?
「ちょっと失礼!」
「きゃっ!」
一声かけて、俺たちの体を覆う掛け布団を一気に引っぺがす。
ああ、やっぱりか!
「ヤることやって二人とも下着を着て寝てるなど不自然だ! 少なくとも、記憶すらまともに残らない状況の俺がご丁寧に下着を履いてるとは思えない! さらに、ベッドや下着に体液の跡などなし! つまり、一線は超えてないはず! セーフ!」
「チッ……」
「舌打ち……だと……」
危ない危ない。
油断も隙もありゃしないな。
そう一息ついていると、恥じらっていたのが嘘のように真顔に戻ったフィーネが、淡々と口を開いた。
「というよりカール様。ここまでやっといて、手を出さないってのはそれはそれでどうなんです? ちょっと、自信なくしそうなんですけど」
「いや、ここまでというか、そもそも何があったんだよ。本当に覚えてないんだけど……」
「まあ、そうだろうとは思ってましたけどね」
そういうフィーネが語るところによると、昨夜の流れは次のとおりだ。
まじめなお話が終わった後、フィーネとのことでさんざん俺をからかうフィーネの父とフィーネ本人。
オットーも乗ってきて三対一で不利な形成だった俺は、ベルディット準男爵が出してきた秘蔵のお酒コレクションもハイペースで空けるような勢いだったそうな。
で、その四人での会は無事にお開きになったものの、俺が酔ってたのを見たフィーネが、ダメもとでお酒を持って俺の部屋を一人で訪れてみれば、無事に招き入れられてしまった。
「そのあとカール様が、暑いとかなんとか言って服を脱いだので、私もノリで脱いでみました。後は流れで」
「流れってさぁ……」
「そもそも、一線を越えてないとか、セーフとかおっしゃってますけど、年頃の娘を部屋に連れ込んで一晩同衾するのは、十分アウト判定に持ち込まれてもおかしくないのでは?」
「うっ……」
「あ、そろそろ肌寒くなってきたので、服着てもいいですよね?」
そう言ってベッドを出るフィーネをよそに、俺は焦っていた。
思い出されるのは、家同士の確執で結婚が困難だった恋人と結ばれるため、既成事実を盾に立ち回った実の姉の姿だ。
「あのー、フィーネさんや?」
「ああ、別にご心配なさらずとも、昨夜から今朝のことでどうこうしようってつもりはないので、安心してください」
「え? 本当に?」
「そりゃ、ご心配のとおり、この状況で既成事実があったと私が騒げば、そのままカール様の正妻に転がり込む自信はありますけどね。――十中八九、エレーナ様に勘づかれて殺し合いになりますから」
「勘づかれるって、そんな――」
「あの子、頭使うのは苦手なのに、直感だけはよく働くんですよね。しかも、だまし討ちとか曲がったことは嫌いときてる。しかも、お気に入りのカール様のことですからね。せめて、本当に既成事実があればともかく……」
そう言ってため息を吐くフィーネは、心なしか顔色が悪くなった気がする。
まあ、今回は上司のおかげで危機が去ったってことでいいのかな?
……焦ったわぁ。
これから、お酒は気を付けるようにしよう。うん。
「いやー、にしてもさぁ。フィーネももっと自分を大切にしなよ? 夜中に男の部屋に簡単にいくものじゃないぞ?」
「別に簡単に行ってるわけではないですよ? カール様だから行ったわけですし」
「いや、そういうことを簡単に言うなって。そういうのは、好きな男にでも取っとけよ」
「じゃあ、カール様相手で正解ですね」
そういうフィーネに、恥じらいやら、その他感情の波は全く見られない。
別に無感情キャラでもない彼女に、真顔でこんなことを言われても違和感しかない。
「参考までに聞くけど、なんで俺のことが好きなんだ?」
「まず、周辺国まで名がとどろき始めた若手の有望な軍師であること。領地が急成長中で、政治力や経済力について、将来性も含めて有望。さらに、私たちの上司の覚えめでたく、結婚すればカール様がさらにエレーナ様のところを離れにくくなるでしょう?」
「いや、そういうことじゃなくてだなぁ……」
「そういうことではない、とはどういうことです? 何かおかしなことを言いましたか?」
本気で分からない様子で首をひねるフィーネを見て、さてどうしようかと困った。
いや、フィーネの回答って、間違ってるのかと言われると否定しづらいんだよな。特に、下級貴族の娘としての責務を理解した模範解答、と褒められるべきとも言える。
俺も、いずれはこういう打算で結婚する日が来るだろうと覚悟しているつもりだった。
だが、実際に男女の関係を強く意識してしまったからこそか、前世があるからこそのモヤモヤがどうしても晴れなかったのだ。
「おかしくはないんだけどさ。ほら、若手で有望ってだけなら俺以外だって当てはまるやつはいるだろうし、俺をエレーナ様に縛り付けたいならフィーネ以外の親衛隊の子でもいいわけだろ? そういうのって、こう、男女間の好きとは違うんじゃないかなって」
「発言の趣旨が分かりません。自らに必要だと思った男性だから好きだと思う。何かおかしいところでも?」
「そうじゃないんだけど……こう、親衛隊長とか、準男爵家の長女とか、そういうの抜きにして、フィーネ自身がどう思うかっていうかさ。説明が難しいんだけど、分かんないかな?」
一瞬呆けたような表情を見せたフィーネだが、口を開こうとしたところで、そのまま黙り込んでしまった。
その様子は、まるで今まで考えたこともない問題を突き付けられて困っているようにも見えた。
そして、しばらくすると、フィーネは静かに口を開いた。
「そういうの抜きにして、ですか。――カール様。みんながみんな、エレーナ様やあなたのように生きられるわけではないんですよ?」
それだけ告げると、フィーネは部屋の窓を開け放ち、そのまま飛び降りた。
「あ、おい!」
慌てて窓枠に駆け寄ると、五階にある部屋の窓から飛び出したフィーネは、手慣れた様子で窓の近くに生えていた木を伝って降りている。
「カール様、お目覚めでございますか?」
そんな朝の身支度を手伝いに来てくれたメイドさんたちがやってきたのは、フィーネが出た直後のこと。
何とか、危機一髪で騒ぎになるのは避けられたってわけだ。
結局、その日のうちにベルディット準男爵領を予定通りに出たのだが、フィーネは約束通りに黙っていたのか、同衾のことを、誰にも言われることはなかった。
ただ、フィーネとベルディット準男爵が何かアイコンタクトのようなことをしていた気がするのは、考えすぎだったのか、何かの意味があったのか。
「どうしたんですか、カール様。ボーっとして」
「うん? あ、いや、何でもない」
帰りの馬車、そう言ってくるフィーネはいつもどおりだった。
俺だけいつまでも引きずっているのもなんだし、こっちもいつもどおりに接することにしよう。
そう決心がついた帰りの道中も何もなく、ついにマントイフェル男爵領へと戻ってきた。
――さあ、これからが本番だ。なすべきことをなそうじゃないか。




