第二話 ~ベルディット準男爵領~
「いかがですか、カール殿? このワインは、我が領地で造られたものでして、ここなフィーネの生まれ年のものを用意させていただきました。とはいえ、皇女殿下の右腕として帝都で活躍されるあなたには、このような田舎ワインはお口に会わぬかもしれませんが」
「いえいえ、そんな。帝都でもなかなかお目にかかれない、見事な一品ですよ、準男爵閣下」
フィーネの父親であるベルディット準男爵とそんなやり取りをしつつ、俺は、歓迎の夕食会後の雑談に興じていた。
そしてこの場には、ベルディット準男爵、フィーネ、オットー、俺の四人しかいない。
今はこうして落ち着いているが、最初は大変だった。
馬車がフィーネの実家に到着して最初に目に入ったのは、人、人、人の山。どうやら、なんかすごい人が来るらしいぞということで、地元民たちが見物に来たらしい。
フィーネ曰く、約二百五十人の領民がすべて来てたんじゃないか、とのこと。
で、すぐに目に入るのが、バカでかいお屋敷だ。
「「「「「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました」」」」」
そして、一糸乱れぬメイドたちの一礼。
門扉からお屋敷の玄関まで左右に並ぶメイドたちの人数を、その列の長さから概算してみたが、どう考えても余裕で百人超えてるんだよなぁ……。
帝都だと、門扉から玄関までこんな無駄なスペース確保しようとしたら、皇帝陛下本人用でもない限り、確実にクレームが入るわ。人が集まる大都会じゃなく、ド田舎だからできることだな。
そんでもって、領民の数と見合わぬ大量のメイドたちのことは何も言うまい。
あくまでこの家が、領地からの収入をあてにした古き良き時代の貴族じゃなく、商会という別の収入源を持ち、箔付けのために爵位を買った新興貴族だって再認識させてくれるだけのことだからな。
と、そうしてご対面するのは、フィーネの家族たち。
ダンディーな雰囲気を醸し出すベルディット準男爵に、フィーネそっくりな美人さんの奥さん。そして、全員奥さんが生んだというフィーネの弟妹たちが合計八人。
そのまま部屋で一服したら、俺とオットーに準男爵家一家での歓迎の夕食会となり、冒頭の自己紹介後は、特に男の子たちにねだられて、これまでの戦いの話を話せる限りで語り聞かせていた。
その夕食会終わりにベルディット準男爵に誘われて、こうして別室で四人で飲みなおすことになり、今に至るってわけだ。
「それにしても、まさかオットー殿とこうした形でお会いすることになるとは驚きました」
「それは私もですよ、閣下」
「おや、お二人は面識がおありで?」
にこやかに話す二人の面識があるような会話に、どこで知り合ったのかと疑問を述べれば、答えはオットーから返ってきた。
「ベルディット準男爵閣下とは、5年ほど前に、商談でお会いしたことがありました。その際に色々とお話させていただき、同じ商会代表としてどうあるべきか、大変勉強になりました。私のような小規模商会の代表にすぎぬ者には、雲の上のお方ですから」
「なにをおっしゃるか、オットー殿。あなたの直接経営されている商会は確かにそこまで規模は大きくないが、陰であなたがサポートする商会をあちらこちらに立てて、順調にされているようではないですか。最近は、そのあなたが関わる商会の一つを通じて、王国方面へと販路を広げられているとか」
「いやぁ、お恥ずかしい。なに、少し『友人』らのお手伝いをさせていただいている程度で、私などほとんどお役には立てていませんよ」
そう言ってオットーは笑ってるが、ベルディット準男爵としては、ジャブは成功ってところだろうか。
オットーの正体についてはフィーネから聞いたって可能性があるし、オットーが国の諜報部にいたころに組んで今も使っている、足がつきにくくするための重層的な販路構造を兼用する諜報網のからくりも、まあ、推察なりされるだけの情報がフィーネから流れた可能性はある。
だが、王国領侵攻戦後、敵地でも情報収集で後れを取るまいとオットーが販路という名の諜報網を広げていることは、指揮系統の違うフィーネには知りえないこと。
それでも、少なくとも最新情報を推測する材料くらいは得られる能力がベルディット準男爵にはあることを無事に示せたってわけだ。
そして、ベルディット準男爵は、そのまま本題へと切り込んでくる。
「娘から聞くところによると、カール殿は、そんなオットー殿と一緒に、『幸福薬』について追われているのだとか」
「ええ。娘さんから、閣下であれば有力な情報を持っているはずだとお聞きしまして、こうして無理を言ってお伺いさせていただいた次第です」
そういうと、ベルディット準男爵の顔から笑みが抜け落ち、真剣な顔でワインを一口含んでから、口が開かれた。
「『幸福薬』の歴史は古い。少なくとも七百年前には存在していたと記録があり、五百年ほど前に当時の皇太子殿下が『幸福薬』によって廃人となり廃嫡されたことをきっかけに、禁制品となった。以後、少なくとも、まっとうな貴族であればまず手を出さない品だ。実際に、マントイフェル男爵領でも、貧民や下層平民層ばかりに流通していると聞きます。――言っては悪いですが、カール殿自ら動くような案件とは思えません。気になるにしても、領地の官憲に取り締まりを強化するよう伝えれば済む程度では?」
「それではマントイフェル男爵領は滅びますので」
即答すれば、面白そうに無言で続きを促すベルディット準男爵。
お手並み拝見ってか? まあ、乗るつもりで答えたんだがな。
「そもそも、『幸福薬』が、貧民や下層平民たちに広がるのか。簡単だ、彼らには他に楽しめる娯楽が少ないからだ。娯楽なんてのは、生活に余剰がなければ予算を割けないですから」
「ほう。しかし、それでは『幸福薬』に手を出すのはおかしいのでは? 禁制品を流すとなれば、流す方も相応の費用をかけておりますゆえ、高額にならざるを得ないですし」
「別に、最初からお金を巻き上げる必要はないでしょう。最初は格安で……いや、無料でもいい。とにかく、『幸福薬』の味を覚えさせる。そして、二回目以降に少しずつ搾り取ってやればいい。それこそ、薬のせいで何かをすることはなくとも、薬のために何でもやっていくらでもお金を集めてくるでしょう」
「そう上手くいきますか? それこそ、価格を吊り上げる段階で、もっと安い娯楽に流れるのでは?」
「そこで簡単にやめられるような薬なら、人を廃人になどできませんよ」
そう俺が締めくくると、ベルディット準男爵は感心したようにうんうんと頷いてる。
まあ、前世のニュースとかドキュメンタリーの薬物に関する情報を参考にした考察だけど、そこまで外れてはないだろう。
そして、ひとしきり俺の言ったことを吟味したらしいベルディット準男爵は、さらに問いかけてきた。
「それで、カール殿はどうするおつもりで?」
「大元を叩きたい。そのために情報をいただきに参りましたので」
「大元と言っても、どこにあるかも分からぬものを追うコストをかけられるので? 『幸福薬』は、原料の栽培に調合にと、街中で作成するには非常に目立つ代物だ。それこそ、持ち込む際に確実に持ち込むところで押さえてしまう方が安上がりでは?」
「そんな能力は我が家にありません。一々荷をほどいて、領内に入るすべてを確認するなどとしていれば、どれだけ時間があっても足りやしない。そうして足止めを食うとなれば、商人たちは我が領内を避けるようになるでしょう? それでは、結局過程が違うだけで我が領は滅びてしまう。だから、現行のとおり、簡易な検査しかできないが、それでは漏れが出てしまう」
「確かにそうです。お金を得るのに、時間は重要な要素ですから。しかしそれならば、入り込んだ売り手を捕まえればよいのでは? 買い手がいるなら、売り手はそう遠くにはいないでしょう。構成員はそう簡単に補充か聞かないのだから、いずれ勢いは落ちていくのでは?」
「私なら、売り手は現地の中毒者を使います。末端の使用者とそれに売りつける人間が一番捕まりやすいのは明白ですから、そこにはいくらでも替えの利く人間を使う。替えの利かない部下は、その末端の売り手の元締めか、その上あたりに配置すれば、摘発を随分と逃れやすくなる。結果、摘発を進めても、うちの領内の人間だけが捕まっていくようになる」
その答えを聞くと、ベルディット準男爵は大きく一つうなずいた。
「なるほど、勉強になります。こう言っては失礼かもしれませんが、カール殿にはマフィアや商人の才能もお有りのようだ」
「ありがとうございます。エレーナ殿下のところも実家も追い出されたら、そちらの道も考えてみます」
「その時はぜひ、私にお声がけください。あなたと組ませていただけるなら、最大限の支援をお約束しますよ」
そんな社交辞令なやり取りを経て、ついにほしい情報が語られ始めた。
「ところでカール殿は、ロッシーノ一家というマフィアはご存じで?」
「いえ、私は……オットーはどうだ?」
「申し訳ございませんが、私も聞いたことが……」
「まあ、無理もないでしょう。奴らは、一家が出来たのもこの一、二年ほどの間のこと。元は南洋連合の大マフィアであるモンペリーノ一家の幹部だった男が代表のようで、そこから看板を分けてもらう形で独立し、ちょうど急発展していたズデスレンに潜り込む形で流れてきた新興勢力です。平たく言えば、モンペリーノ一家の傘下組織ですね」
そう言われても、まったく聞き覚えがないことは変わらなかった。
むしろ、やってきた経緯に疑問を持った俺は、それを素直に聞くことにした。
「南洋連合が地盤のマフィアが、どうしてまたこんな隣国である帝国の奥まで急に? それとも、モンペリーノ一家というのが、そもそも帝国にそれなりに食い込んでるんですか?」
「いえ、彼らの勢力が帝国に入ってくるのはこれが初めてです。ただ、他の大都市は、すでに地元のマフィアなりが地盤を固めていますから、南洋連合内でも、帝国内でも、進出は難しい。だから、急発展中で、有力な裏の組織が地盤を固めていないズデスレンは狙いとしては悪くないと思います。船を使えば、南洋連合との行き来もそこまで大変ではないですし」
言われてみれば、確かにそうだ。
すでにおいしそうなところは誰かが居るから、多少遠くても、まだ誰もいない、これからおいしくなりそうなところを獲りに行く。
合理的と言えばそのとおりだ。
俺が一人納得していると、ベルディット準男爵がさらに口を開いた。
「そのロッシーノ一家なのですが、最近急に羽振りがよくなりましてな」
「ほう。急に、ですか」
「ええ。ズデスレンの裏を狙っているのはロッシーノ一家だけではないし、マントイフェル男爵家とて黙って裏の争いを見ているわけではない。正直、ロッシーノ一家は、その争いの中でも泡沫扱いで、個人的には近く撤退するものと思っていました」
「でも、急に伸びてきた、と」
そこで、俺とオットーはさりげなく目線を合わせ、小さくうなずき合う。
ここからが勝負だ。
相手は商人。果たして、この先の肝心な情報に、どれだけの値をつけてくるのか――そう思っていた俺とオットーは、次の発言であっけにとられた。
「明日、ロッシーノ一家の構成員が懇意にしている団体や、拠点と思われる場所の一覧はお教えいたします。オットー殿なら、存分に生かしてくださるかと」
……いや待て、落ち着け。
無料? まさか?
「ベルディット準男爵。失礼だが、よろしいので? 情報は財産だ、それなりの対価を求められるものと思っておりましたが? ベルディット準男爵もロッシーノ一家に恨まれる可能性も低くはないし、我々が摘発しきれなければ、そちらにも報復が行くかもしれないリスクもあります」
「ああ、カール殿。まさしく私もそう思っておりました。ですが、お話を聞いていて、あなたなら摘発しきれるのではないかと思いましてな」
「……そんな、私に対する印象論だけで?」
「それに、あなたのことは娘から色々と聞いております。『貸し』というものを作っておく価値はあるかと思いましてな。ついでに言えば、ロッシーノ一家が潰れてくれれば、それ自体が我が家の利益でもありますし」
結局、厚意に甘えることにした。
ただより高い物はないとはいうものの、こっちから対価を提示するとなれば、それはそれで面倒な駆け引きになるしな。
まあ、自分の娘も絡む問題だ。そんな無茶は言ってこないだろうし、あまりにめちゃくちゃなら蹴ればいいか。
そう結論付けて、ワイングラスを傾けた。
「おっと、どうしても対価がないのが気になるというのであれば、うちの娘をカール殿の嫁にというのはどうですか?」
「ぶふぉっ!? ゲホッゲホッ……じょ、冗談はやめて頂きたい!! そもそも、情報に加えて娘を差し出すのが対価と言えますか!?」
「冗談ではないですぞ。親の私が言うのもアレですが、フィーネは見た目は母親に似て美人になりましたが、中身は私譲りなもので。カール殿がどれだけ無茶をしても、隣を一緒に進めるだけの胆力もあると思うのです。悪くないとは思いますが?」
そうして、そのあとはフィーネやオットーからも揶揄われつつ、楽しくお酒を飲んだ。
翌朝。
差し込む朝日で目が覚めると、俺はベッドで寝ていた。
隣ではフィーネがすやすやと寝息を立てている。
「……は?」